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GIA は人材バンク?いろいろな顔を持った方がいます。「あの人、この人、どんな人?」といった角度から人物紹介をしていきます。さらにGIA の活動内容やお薦めの本の紹介コーナーなども設けます。会員の皆様、紹介したい方やアピールしたいことなどありましたら、是非投稿してください。



2014年9月


最後の?アメリカ2週間の旅

 6月23日午前10時半、夫と私はサンノゼ空港に着きました。夫の妹夫婦が、車で私たちを出迎えてくれました。青空と明るい太陽!夏でも心地よい気候。清々とした街並み。カリフォルニアはよい所です。
 翌日、妹夫婦の案内で、アルカトラズ島へ元刑務所だった建物見学に行きました。アメリカは夏休み中で親子連れが多く、日本人観光客には殆ど会いませんでした。中には見学コースがあり、私たちはカセットテープレコーダーで説明を聞くことができました。独房室だった所にも入ってみました。
 その後訪れたゴールデンゲートブリッジは、霧のためよく見えませんでした。3月から7月ごろまでは霧が発生しやすいようです。島から戻りフィシャーマンズワーフを散策し、次は昔から乗ってみたかったケーブルカーです。スタートの転車場から乗ろうとしたところ、大勢の人の列で乗るのに40分かかりました。その間の寒かったこと!!ケーブルカーに乗った私たちは、サンフランシスコの街中のパウエルまで傾斜40度?くらいあるような丘陵地を、冗談を言いながら上り下りする運転手の様子も楽しみ、憧れのケーブルカーに乗ってきました。寒かったけれど満足でした。
 27日から29日まで妹夫婦とラスベガスへ。ここでうれしいサプライズがありました。私たちを驚かせようと妹夫婦が彼らの息子と娘を其々、テキサスと首都ワシントンから呼び寄せていたのです!彼らに会うのは12年ぶりで本当に驚きました。でも嬉しかった!翌日は、彼らとショーを見たりスロットマシーンに夢中になったり、楽しく過ごしました。 
   
 7月2、3日はサンフランシスコ在住の姉夫婦とヨセミテへ行きました。サンフランシスコ発のJTBバスツアーを利用し、いざヨセミテ世界遺産へ。巨大な岩の勇姿!大昔に氷河が造り出したとは想像もつかないことです。ヨセミテロッジに1泊し、翌日はグレイシャーポイントへハーフドームを見に行くのです。バスの最前列に座れたのに、運転が上手だったのか、旅の疲れも出てきたのか、ついうとうととしてしまいました。バスから降りて10分ほど歩くとグレイシャーポイントの展望台です。大パノラマの素晴らしい景色!でした。この2週間余の旅は私たち夫婦にとって最後の海外旅行になると決めて出かけたのですが・・・決心が揺らぎそうです。 
                                     沼津市 (M.T)
 


お墓を買いました!

 石井家のお墓は、京都府綾部市にあり東京から行くには不便だ。うちの子供たちは、お墓参りの経験がない。今は元気な夫の両親が、いつかあんな遠くに行ってしまうのかと思うと寂しいことだと考えていた。京都のお寺と両親は、檀家として良好な関係を築いてきた。東京都調布市に住む夫の両
親に思い切ってこれからのことを相談し、住職さんに改葬の意思を伝えてもらった。すると親戚縁者が地元にいないことから快く承諾してくれた。
そして私たちが、お墓を買うことになった。まずは、町田のわが家の近辺で霊園探し。新聞チラシを集めていくつも訪ねるうちに、両親と私たちがお参りしやすい両家から近いところがベストだと考えた。 
       
 7月初めの金曜日夕方から、社会人、大学生、高校生の子供たちと5人で5時間あまり車で走り、近江八幡に1泊し綾部市のお寺に向かった。午後1時から魂抜き。住職さんはお墓の前でお経の途中涙ぐんでいる様に聞こえた。長年守ってくださったことを思い、私たちは心から感謝した。
 同席していた石材屋の主人により開かれた墓の下には、6つの骨壷と白い布袋がひとつ。もうそれ以上の隙間が無かった。関東の骨壺は、関西のそれの3倍程もあるせいだと聞かされた。
 持参の白い布袋に壺から骨を移して、7人のご先祖様と滋賀県長浜市に1泊して帰宅した。骨は新しいお墓が出来るまで、霊園の礼拝堂に預かってもらっている。
 由緒あるお寺の大きなお墓ではないが、いつでもお参りしてきれいにしてあげられるお墓にご先祖様をお迎えすることになり、とてもうれしい。お彼岸とかお盆の意味を知ることにもなる。家に次ぐ大きな買い物をした。そして家と同じぐらい大切で愛しいものを得た。
                                 東京都町田市 (M.I)



2014年8月



インドより、嬉しいニュース3つ

  長らくご無沙汰致しましたが、相変わらずお元気にご活躍のことと思います。私は、4月、5月と、ちょっと体調を崩しましたが、現在は元気よく活動に励んでおります。
 GIAの皆さんの私たちの会「あしたの会」(ANK)への息の長いサポートには、常日頃、深く深く感謝しております。お陰様で今回も素晴らしいニュースを3つお届けすることができます。
★学校で空手を習っている女性たちが「南アジア空手大会」で、金メダル、銀メダルを勝ち取りました。そのうち金メダリストは、次に香港で行われる「アジア大会」に出場することになっています。彼女たちの写真が地方新聞の一面に載りました。
★今年は112人の女性たちが奨学金に応募し、多くの女性たちがエンジニアリングのコースを選択しました。中には歯科医師を目指している生徒もいます。
★私自身の件ですが、今年9月、メキシコで開かれる第17回「国際マイクロクレジット・サミット」に招かれました。そこで私は女性の自立グループについて話し合いをしたいと思っています。マイクロクレジット(小規模融資)運動は、バングラデシュのノーベル平和賞受賞者のムハンマド・ユヌス氏によって始められたものです。彼はこの小規模融資で何千人もの貧しい人たちを救いました。
 以上の数々の名誉も、ひとえにGIAをはじめ皆様方のサポートによる賜物と心より感謝申し上げます。長年にわたってのANKへのサポート、本当に有り難うございました。
 今後とも皆様の益々のご活躍をお祈り致します。
                             インド在住 アーミン・モーディ 
 


海外文通50年ぶりにメールで再会

 
 私は中学高校時代に、3人の同世代の少女たちと海外文通をしていた。アメリカのコニー、オーストラリアのシンシア、フィリピンのミラが、その3人。GIAの海外研修で訪れたオーストラリアでシンシア家族と会い、その後何度かホームステイもさせていただいた。アメリカのコニーとも、連絡が取れた。
 しかし、フィリピンのミラだけは、お互いに大学時代から宛先不明となり、音信不通になっていた。優しいミラのことは、いつも気になっていて、フィリピン人の知り合いができると、ミラの故郷のことなどを訪ねては、どうしているか知りたいと思っていた。それが、今年、突然、動きがあった。
 現在私が理事長を務めるNPO法人グラウンドワーク三島には、国内はもとより世界各地から視察者が訪れる。今回、日本国の招きで来訪したフィリピン人大学生を2グループに分けて、その1つを私が案内した。源兵衛川への道すがら、近くを歩く女学生に、ペンパルのミラの故郷のことを話したら、偶然にも偶然、ミラと同郷だったのだ。私はミラの手紙を見せたりし、協力者は数人いて、帰国後数日間メールがひっきりなしに届いた。みんな何と親切なことか。50年間音信不通だったミラと、ついにメール交流が再開したのだ。
 ミラも私のことを探してくれていたが、手掛かりがなかったようだった。2人して、「あれからの50年間はどうだった?」と、ぼつぼつ書いている。
 ミラから添付されてきた写真は、50年前に私が送った下駄だそうだ。かつて彼女の家は火災に遭い、子供さんたちがこの下駄を火の中から持ち出してくれたのだという。
 ミラは大学卒業後、大学勤務を経て、国際稲研究所で働いていた。子供は息子2人と双子の娘2人。孫は6人。彼女は自分の病気の回復期に、ご主人を亡くして悲しい思いをした。今は、孫が1人の娘家族と住んでいる。私の50年間を温かな言葉で包んでくれるミラのメールは、50年前と同じだ。                       三島市 (Y.K)
 



2014年7月



 
 5月23日~25日、フィリピンの女子大生2名が我が家にホームステイした。これまで30回くらい外国人のホームステイを受け入れてきたが、1度に2名というのは初めて。今回のプロジェクトは、日本政府のアジア大洋州諸国間の青少年交流事業の一環で、ホームステイは相互理解を深めようとするものだった。
 三島市役所で紹介され帰宅する時「何が食べたい?」と聞くと「お寿司」という答えが即座に返ってきた。暑い国フィリピンでは生魚は一般的に好まれないと聞いていたので、この答えには少なからず驚いた。いろいろ食べられる回転寿司に行き、自由に注文してもらったが、鮪、鮭、海老が圧倒的に人気だった。注文品が新幹線風の容器で運ばれてくるのにもご満悦。フィリピンにも回転寿司はあるが、とても高いそうだ。
 我が家に着き部屋に案内すると、本箱に並ぶ昔の漫画をいち早く見付け「わっ、ブラックジャック、キャプテン翼、ドラゴンボール・・・」など、歓声を上げた。ずっと昔に息子たちが読んだものだった。「日本語読めるの?」と聞くと「絵を見れば分かる。後で見よう」と大はしゃぎだった。日本の漫画が海外で人気だとは聞いていたが、こんなに喜ぶとは意外だった。それぞれシャワーを浴びるのにも時間がかかり、疲れもあってかその晩のおしゃべりタイムは無かった。
 翌日、「富士山を見たい」ということで、朝霧高原、富士花鳥園、白糸の滝に向かった。残念ながら曇って富士は姿を見せなかったが、花鳥園では美しい花を愛で、動物好きな彼女たちは様々鳥や動物たちとの触れ合いに時の経つのを忘れたようだった。富士の湧水が幾筋にも流れる白糸の滝を眺め帰路に着いた。「お土産を買いたい」とのことだったので、外国人に人気の百円ショップに案内した。かなり時間を掛け、それぞれたくさんのお土産を買ったようだった。1人が「私の父は弁護士だけど、髪が無いので、これをお土産に買った」と400円のかつらを見せてくれた。これにはみんな大笑い。フィリピンのお父さん、どんな顔をしたでしょう!
 最終日の歓送会では、フィリピンのダンスや歌が披露された。別れのバスの窓から「また来るね」と何度も繰り返した彼女たち。もっと日本文化を紹介出来たらと、ちょっと心残りだった。                      三島市 (I.M)



 


 地域のみんなの居場所として、三島市末広町に平成26年10月に「ジモット」をオープンしました。
 特定非営利活動法人東部パレットが三島市から委託され運営しています。これまでのノウハウを活かし、地域の市民が自由に集うコミュニティカフェとして人と人の絆づくりの一助になればと思っています。
★カフェとして
 気楽に寄っていただき、美味しいコーヒー等をいただきながらおしゃべりができるスペースを用意しました。
 利用者同士が顔を合わせることもできる交流会やおしゃべり会もあります。
★棚ショップがあります
 手作り品やフェアトレード製品、地域課題から共同開発した竹炭製品など、皆さんの技術やアイデアを生かした製品が多く並んでいます。
 これからも、棚ショップ登録の作家さんをもっと増やし、いつ来店されても棚ショップを見るだけでも楽しくなるお店になるようにしたいと思っています。
 ◎棚ショップに参加する作家さんを募集中です。
  ご紹介ください。(登録詳細は、別途相談)
★各種教室、コンサートなども開催!
 コンサートは、第2第4(土)の午後1時~。懐かしいフォークソングを一緒に口ずさんで、青春の記憶を思い出す時間を持ちませんか。
 この他、地域のイベントに棚ショップのオーナーさんが参加できる場を提供し、手作り品の販売や体験コーナー等を通して、より広く市民と触れ合い絆を深めることに貢献していきます。
 棚ショップ見学やおしゃべりなど、気楽にお立ち寄りください。皆さんと一緒に楽しい場をつくっていきましょう。
 (場所)三島市末広町1-7
     (幸町バス停前)
 (電話)055-946-6841
 (Eメール)jimotto3@gmail1.com
 (開館時間)月~土 10:00~18:00
                                      
                          三島市 (R.N) 


 



2014年6月




 4月に友人と中欧を巡るツアーに参加しました。ブダペスト、プラハなどいくつかの都市の後、最後に訪れたのがウィーンでした。滞在が長かったこともありますが、この美しい街にすっかり魅了されました。特に印象深かったのが以下の3か所です。

 *シシィ博物館(旧王宮内) 
 シシィこと皇女エリザベートの居室やゆかりの品々の展示室。彼女は本来の美しさに磨きをかけるべく、体型維持のために「体操室」まで作ったのです。宮廷の女性としては破天荒な行動だったとか。確かに、吊り輪や鉄棒などは、きらびやかな宮廷の中では恐ろしく場違いな存在でした!彼女の意思の強さを見た思いです。

 *カプツィーナ教会
 歴代のハプスブルグ家、約150人の人々の棺が納められている教会。ずらりと並んだ棺はまさに壮観。圧巻はマリア・テレジア夫妻の棺で、その大きさもさることながら、装飾も豪華そのもので、棺の上には見つめ合う二人の半身像まで彫られていました。対照的に、質実で知られたオーストリア最後の皇帝、フランツ・ヨーゼフ一世の棺は実に簡素でした。彼の両脇には妃のエリザベート、31歳で拳銃により女性と心中した彼らの息子、ルドルフ(映画「うたかたの恋」のモデルとなった)が眠っていました。

 *美術史博物館
 ブリューゲルの作品が数多く展示されていました。中でも私が見たかったのは「バベルの塔」で、念願のこの絵を近くでじっくりと鑑賞することが出来、大満足でした。他にもフェルメールやラファエロなど著名な画家の作品も含む多数の絵画を堪能しました。
 これらの場所の訪問以外にも、カフェでおいしいケーキを食べたことや、ウィーン少年合唱団の歌う讃美歌を聞く機会に恵まれたことなど、数々の思い出を作ることが出来たことで、ウィーンは忘れられない街になりました。またいつか訪問出来たらと思います。
                                     三島市  (M.M) 
 


 
 朝のNHK連続ドラマで「花子とアン」がスタートし、主人公の村岡花子が翻訳した「赤毛のアン」も注目を浴びています。その「赤毛のアン」の語りべとして活躍されているGIA会員の深山幸子さんが、静岡新聞でアンの物語から着想した料理を紹介しました。深山さんは「分量は目安。自分流にアレンジして読書の合間に作ってください」と皆さんに勧めています。ここでその中から2品選んでいただきました。 
 
カナダ、プリンスエドワード島、グリーンゲイブルズのアンの家と、リンゴの木の前で(2008年)
 
 *旅立ちのポーチドエッグトースト

▼材料(1人分)=食パン1枚、卵1個、パター少々

▼作り方=①平鍋に水2㌢ほどを入れ、酢大さじ1、塩小さじ1を加え、煮立ってきたら卵を割り入れる②ふたをして2、3分で火を止める③トーストしたパンにバターを塗り、③を載せる。※平鍋に水を少なめに入れるのが、手早く作るポイント。 
 
アンが本土の大学に入学する旅立ちの朝のポーチドエッグトースト(第3巻の1場面)
 
 *ジャガイモのスープ農場風

▼材料(3人分)=水4カップ(800㏄)、ジャガイモ中3個、ニンジン中1本、玉ネギ中1個、ベーコン6切れ(80㌘)ブラウンマッシュルーム6個。パセリ少々、固形スープの素1個 

▼作り方=①ジャガイモは皮をむき半分、ニンジンも皮をむき大きめの縦切り、玉ネギは6等分する②鍋に水を入れて沸いてきたら①を入れ、火が通ったらスープの素、ベーコンを加える③弱火で煮込み、最後にブラウンマッシュルームを入れる④パセリのみじん切りを振る。※ジャガイモは切ってから水にさらさず煮ると煮くずれない。
 
孤児のアンが引きとられたのはプリンスエドワード島にあるマシュウ、マリラ兄妹の家。2人が営む農場はグリーンゲイブルズという屋号で、収穫されたジャガイモを船で出荷していた。



   三島市  (S.M)



2014年5月



17回目のネパール訪問

今年2014年2月(2月20日~3月2日)にネパールを訪問し、多くの友達や多くの人々に会いました。17回目の訪問でした。
   
 パネパのベィーラー校に寄宿し勉強をしている
児童たち
 シンドパール地区の学校に奨学金を支給し自宅から通わせる児童たち

 カトマンズに到着の翌日の2月21日には、Club 50のセレモニーにお招きいただき、親しい方々との交流ができました。Club 50とは日本のロータリークラブのようなネパールの団体で、毎年訪問時にパーティーを開き大歓迎してくれます。
 また2月26日にはBanepa(Kathomanduno東方25kmにある都市)のBaylor International Academiyを訪問し、私たち日本の支援者が教育の援助をしている生徒の皆さんに会いました。同校で元気に勉学に励んでいる子供たちに接して、喜びでいっぱいでした。同校では「5th Baylor Grand Exhibition-2070」と称して生徒たちの研究の展示発表会が行われており、それぞれの研究成果を大きな声で説明してくれました。
   
シングル女性から次々と挨拶を受ける
  
 
シンドパールチョーク地区のシングル女性(未亡人他)との記念写真 

 2月27日にはSindhupalchowkを訪問しHimalayan Inter-cultural Association-Nepal(代表者は、DamanBasnet)の皆さんとともに、同地区のSingle Womanの皆さんとお会いしました。Single Womanの皆さんの自立支援プロジェクトを立ち上げて実施するための会合でした。多くのSingle Womanの皆さんにお会いでき、笑顔に接しました 皆さんが幸せな生活を送れるようになればと願います。
 さらにSindhupalchowkでは教育費援助の対象の児童6人と出会いました。このプロジェクトは、私とHIA-Nepalの皆さんとで今年からスタートするもので、Sindhupalchowkの学校へ自宅から通学する児童への教育費の援助事業です。                                          
                                       三島市 (Y.F)
 
 


近況 そして~最近気になったこと

 桜の季節になり、入学、転出、異動などで新しい年がスタートしました。私も10年近くになる学童保育の指導員の仕事も来年で「本当」の定年を迎えることになりました。始めた頃は両親の生活をサポートしながらの勤務で、今思えば、但、但「若さ」(今より)で頑張れたと振り返っています。元より子供が好きで、私自身の生活の中でも仕事に行って子供に会うことがとても楽しみでした。そして子供からも沢山の事を学ばせて貰い、又元気や若さ〔?〕も貰えたと思っています。但、ひとりの仕事でなく4人前後の指導員とのグループ仕事なだけに、対子供との楽しさだけでなく難しいことも多くありましたが、それも天使のような子供たちに助けられたような気がしています。勤務は週4日が基本ですが、多少、生活の中で時間に余裕も出てきたので今までは「GIAメールを読ませて頂くだけのグローバル会員」でしたがこれからはグローバルピクニックなどにも参加させて頂きたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
 

 昨年、全国学力テスト小学6年国語Aの結果が全国で静岡県が最下位と報道されて、大変ショックを受けました。それを受け、川勝知事は躍起になりその原因や次回の向上を色々な角度で考えて様々な提案をされました。その提案は県内では賛否両論がありました。時間がかかったこともあり、そんなニュースが県外でも話題になったのか、現下村文科大臣は川勝知事の必死の提案に「川勝知事はやり過ぎだ!」という言葉を述べたと新聞紙上で目にしました。県の「長」である知事が、「最下位」との結果にどれだけやってもやり過ぎである筈がなく必死になるのが当たり前だと思います。むしろ「やり過ぎだ!」などと、心知らずの言葉を出す下村文科大臣のテスト結果の公表の仕方にこそ問題はなかったでしょうか。川勝知事が最終的に表した上位の学校名〔県名〕を公表する仕方などは考えなかったのでしょうか。そして下位の県には個々に知らせる方法をとっても良かったのではないかと思います。平均点の評価となると頑張った子も沢山いるはずです。あの様な公表の仕方は「励まし」が肝心な小学生にとって、マイナスになってもプラスの要素は生まれません。この様な方法が毎年同じだとしたら改良が必要に思います。ましてや小学生関連には充分な配慮が必要ではないでしょうか。
                                       伊豆市 (E.S) 



2014年4月





 春よ来い!早く来い!毎年、春の訪れを心待ちする。厚い冬服からサヨナラし、軽やかになった身体は行動力が増し、次第に意欲も湧く。身体を動かしたくなったり、お洒落をしたくなったり、新しいことを始めたくなったり、春の訪れはどの季節よりも心に夢や希望が膨らむ。花木は新しい芽を出し、やがて春色の若葉が開き、美しい花があちこちに咲き乱れる。いよいよ楽しいお庭いじりの季節。転居と同時に始めたガーデニングも早いもので11年のキャリアを積んだ。
 我が家のスモールガーデンを見渡せば、150株にもなろうか~クリスマスローズの花たち。花屋さんの店先で初めて白いクリスマスローズの花を見つけた時、一目惚れ。以来、この花の虜になった。出会った頃は、シングル花弁のオリエンタリスが主であったが、ここ数年は交配種が多く、
ダブル花弁や多種多色のクリスマスローズが花屋さんの店先を彩っている。
 因みに、クリスマスローズの季節は他の植物と違って、10月に「春」を迎え5月頃から「冬」に入るそうだ。クリスマスローズは10年株がピークだと思う。その前に、根分けしておかないと根元がカチンカチンになり、葉も出なくなり枯れてしまう。多年草のクリスマスローズの美しい花を見るためには霜の降りる頃に古葉の切り取り、花の後に花ガラを切り取ること、梅雨前には根腐れを防止するために根元のゴミを取り除いて綺麗にしておくこと、施肥を忘れないことなど一年を通して手入れが必要だ。
     
3年前、大月市から沢地グローバルガーデンへ、ご自宅の草花を届けてくださった。
 数年前に地中を這い回るモグラの直撃を受けて、気に入りのフェチダスの大株が突然枯れてしまったり、綺麗に咲き誇っていた原種5株が、同時に枯れてしまったりしてひどく気落ちしたことがある。こんな予期せぬこととも付き合いながら、クリスマスローズ展などの文字を見つけると、未だにソワソワワクワクする。
今年1月末に俳優の柳生博さんの経営している八ヶ岳倶楽部でクリスマスローズ展が開催されたので、足を運んだ。この時はクリスマスローズよりもガーデニンググッズに目が向いてしまったが~楽しいひと時であった。
 毎年、12月のクリスマスの頃から枯葉の残る冬の庭にチラホラと白い花びらが顔を出す。クリスマスローズ・ニゲルだ。ニゲルが咲き始めると他のクリスマスローズ の蕾が徐々に膨らみ始める。さあ~シーズン到来だ。2月末から次々と花が咲き、3月中旬を過ぎると、花をつけた茎がさらに伸びて、見事なクリスマスローズの花姿を披露する。クリスマスローズの引き立て役はバイモ百合。小さなランプシェードの形をして、楚々とした花はクリスマスローズと素晴らしい調和を見せる。まだ肌寒い春先の庭、一人、悦に入る。
                                 山梨県大月市 (F.S)
 
 




 4月は卯月。卯の花(ウツギ)が咲く季節なのでこの名が付いたといわれています。もとは旧暦4月の呼び名でしたが、そのまま新暦にも使われています。
 元禄2(1689)年4月1日、芭蕉は『奥の細道』の日光で「あらたうと 青葉若葉の 日の光」を詠みました。4月になったばかりなのに青葉若葉? と思われるでしょうが、これは旧暦の日付であって、新暦では5月16日だと知ればうなずけます。
 日本では明治5年までの約1,200年間、旧暦(陰暦)を使ってきました。明治になって諸外国との交易が盛んになると、日付のトラブルが多くなってきため、政
府は明治5年11月9日に突然、来る12月2日で旧暦をやめ、3日を明治6年1月1日の新暦(太陽暦)に変更すると発表しました。この「明治の改暦」では、陽気は12月なのに月名は1月という具合で、約1カ月のずれができてしまいました。その日数の差は最短23日から最長53日の間で月ごと変わります。
 改暦の時、旧暦時代につくられたさまざまな伝統文化や行事等の日付を、そのまま新暦に組み込んでしまったことで、季節が合わないと感じることが多く残っ
てしまいました。徳川幕府が制定した五節句(1/7人日、3/3上巳、5/5端午、7/7七夕、9/9重陽)でそれがよく分かります。上巳(桃の節句)では桃の花はまだですし、重陽(菊の節句)では菊が間に合いません。近年、五節句を始め、お盆などの諸行事を月遅れで行っている所があるのは、本来の季節に合わせようとするためです。
 三嶋大社境内に「どむみりと あうちや雨の 花曇」という芭蕉の句碑があります。元禄7(1694)年5月14日に三嶋明神を詣でた折詠んだ句で、あうちは6月初旬見頃を迎える落葉高木のセンダンのこと。梅雨空の 下で薄紫色の匂いの良い小さな花をびっしり付け、花曇りの様だったのでしょう。この日は新暦で6月6日。
 このように、改暦以前の書物などの日付については、大まかでも1カ月プラスしてみると、季節感も合い物語がさらに身近に感じることが出来ます。
                                    三島市 (K.N)

 
三嶋大社のセンダン   センダンの花 6月始めに見頃になる

 



2014年3月






  三島市と函南町などが 第三セクター方式で設立した県東部初の“こみゅにてぃFM放送局”「エフエムみしま・かんなみ」(愛称ボイスキュー)が開局したのは、1997年6月1日でした。因みにボイスキューのキューは、Community Unit Emotionの頭文字からとった略号「CUE」で、「地域の感動を一緒に」という意味が込
められています。名付け親は 三島市出身で当時小田和正氏の音楽事務所で副社長兼マネージャーを務めていた吉田雅道さんです。
開局当初から、三島市、函南町とは非常災害放送に関する協定を結んでおり、両市町で地震や風雨の被害、大規模な火災などが発生した場合は、通常番組を非常災害用に切り替えて放送することになっています。
開局2年目、1998年8月30日の集中豪雨の時は、開局して初めての災害速報を入れました。私は休みで家にいたのですが、会社に電話すると、すぐに来てくれということだったので、上下ゴム製のフード付き雨合羽、紐靴で家を出ました。途中、三島の市民体育館に寄って、避難している168人の名前を書き写し、全員の名前を放送しました。心配をしていた親類や知人の方々から「元気で避難していることがわかり、あれほどほっとしたことはなかった」と喜ばれました。
三島市内、函南町内の各所から現場の様子も伝えました。函南町の来光川の水位の変化も順次放送。全国からの鉄道ファンが伊豆箱根鉄道の機関車を撮影するために川の中州で待機していたそうですが、この放送を聞いて約50人が避難。翌日、代表の方がお礼に来られたそうです。後日、ボイスキューはNHKから表彰されました。
 現在、ボイスキューでは県東部で震度4の地震が発生した場合、防災スタッフ4人が出社することになっています。防災スタッフは
衛星携帯電話を常備しており、どこからでも割り込み放送することができます。このメンバーで3カ月に1度、防災会議も開いています。そこで話し合われたことは全体会議で報告され、共通認識を持つようにしています。震度5以上の地震が発生した場合は、全員出社が義務付けられています。
 また、通常放送中に警報が入れば、緊急放送します。火災の時は、火災情報を割り込み放送します。
 全員参加の防災訓練も行っていますし、県と協力して防災特番を放送しています。通常番組の中でも5分の防災関連の放送を流しています。
 「地域にピタッとボイスキュー」では みなさんの身近な話題は勿論のこと、少しでも役に立つ情報、災害時には緊急放送と頼りにしていただける放送局になるべく、一層努力を続けたいと考えております。
                                      裾野市 (T.S)
 




 

  明けましておめでとうございます。今年も皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。この冬、日本は寒いですか?プネはとても寒いです。
 私は相変わらず「あしたの会」の活動に忙しく明け暮れています。昨年11月に、静岡県知事と6人の方が、ホ―ブスさんの工場見学に見えました。今プネには日本人労働者が劇的に増え、現在200人もいます。プネにある三菱の会社では、デリーとムンバイ間の高速道路建設の手助けをしています。
 昨年夏にはノ―スキャロライナから40人の先生方がプネを訪れ、いろいろ研修されましたが、その準備と接待に忙しかったです。
過去15年間の皆様の温かいご協力のお陰で、「あしたの会」は成功の一途を歩んでいます。
 現在1,000人もの少女たちが自転車通学し、600人の生徒たちは奨学金を得て歯科技師、薬剤学、電子工学、自動車技術などの分野で学び活躍しています。更に今年は、116人が応募しています。また全国空手大会では、3人の少女が金銀の賞を獲得しました。
 一方125のマイクロクレジット(小規模融資)グループも、自立してうまくやっています。最初寄付された30頭の雌牛をもとに始めた2つの酪農協同組合も、今や雌牛の数が100頭に増え、これからの収入は少なくとも1カ月70ドルで、村の家庭の収入を確実なものにしています。
 これも皆様はじめ多くの方々からの温かい支援の賜物と、深く深く感謝しております。
 また日本で皆様と過ごした楽しかった日々を、時々思い出し懐かしんでおります。いろいろ本当に有難うございました。       2014年1月8日 

                         インドのプネ在住 アーミン・モーディ

  

 



2014年2月



自由に生きた義母

 夫の母・カズエが12月30日の朝に息を引き取った。死因は肺炎、91歳だった。しかし生命力あふれる日頃の彼女を知る者は、あっけない旅立ちに驚きを隠せない。私が嫁として共に生活した年月は実家の母との日々より長いものになっていたのに、彼女の心に寄り添えるようになるまで時間がかかったのは、嫁と姑の仲と言えばそれまでだが、彼女がめったにいない強烈な個性を持つ女性だったからだろう。
 
   
 少し前の写真だが、母(左)と義母(右)が歓談していたときに撮った1枚

 義母が女学生の頃に住んでいた佐世保を、夫と訪れたときの写真 

 それは生い立ちにもあると思う。彼女は長崎県五島列島の生まれで、警察官の父親は壱岐や佐世保の警察署長を務め、退職後は地元若松島の町長に選出された。一人娘として蝶よ花よと(本人説)育てられた彼女は、佐世保高等女学校を出ると壱岐の役場に勤め、終戦後に三菱重工長崎勤務の実直で人望のある婿を取った。二男一女をもうけ、夫は出世し、人生順風満帆、彼女の言動に異を唱える者は皆無だった。私が長男と結婚後も、たまに会う姑は明朗快活、歯に衣着せず物を言うさまは小気味よいとほどだったが、一旦同居したのちは、自我を押し通すその言葉に四六時中傷つけられる納得のいかぬ日々を過ごした。
 今なら上手にあしらうことも出来たろうが、30年前の私に彼女は立ちはだかるエイリアンに見えてしまった。気前がよく年金が入ると家族を食事に誘った。趣味で買う宝くじで十万円当てた時も、皆で食事に行き残りはお小遣いとして配った。本町に買い物に行けば京樽でお寿司、兎月園で和菓子を必ず買ってきてくれた。心を隠さず、嫌いなものは嫌いとはっきり言った。
 大みそかに行われた葬儀の席で、お寺の住職は「お盆に訪問する時間が遅れると何度も電話でお叱りを受けましたが、行けば話が弾み座が延びた、思い出深いおばあちゃんです」と語り、近所の方は「家の前の道路掃除の仕方が悪いとたびたびお小言をいただいたことが懐かしいです」と、しみじみ。彼女はまさに「意地悪ばあさん」を地でいく自由奔放の女性だったと思う。今となればあの辛口な小言が懐かしい!「今までありがとうお義母さん、千の風になって家族を叱咤激励してください」。                                        三島市 (T.U)
 


「創造力」を心に刻み

 落ち葉の重なりの中からカサコソとドングリを探す幼子は、中伊豆の祖母の家を訪ねていた。沼津の小川で生き物と戯れて歌うのは、カニの「あわて床屋」。御殿場では、裏の田んぼで乱舞するホタルを冠のようにのせたまま静かに部屋へ入る。思い起せば確かに、どこでも優しい豊かな自然に囲まれて子供時代を過ごしていた。
沼四小時代には、担任の杉山五郎先生の創造的な授業に刺激を受けた。小学校の焼け跡で育てたカボチャを観察し記録した。遊び場だった八幡神社では、鎮守の森での体験を詩にまとめた。五郎先生の「創造力」が心に深く刻まれ、私の周りを魅力的な世界へと広げていった。
 昨秋、平成25年度静岡県知事賞を環境保全の部門で受賞した。NPO法人グラウンドワーク三島理事長としての受賞だが、多くの関係者の先進的で地道な地域活動のおかげだと感謝している。11月3日(文化の日)には、夫と静岡県庁での受賞式に出席した。
 受賞に至るまでには「推薦したいので」と資料提出やインタビュー等があった。受賞決定後は、様々な方からお祝いメッセージ等が届いたり、関係者がお祝い会を開催してくださったり、本当にありがたいことが続いた。
 
 
 小野宏美GIA会長をはじめとするGIA事務局メンバーも、お祝い会を開いてくださった。ざっくばらんな報告ができた楽しい会で、心より感謝している。

     
 知人の中には「金一封が出たの?」などと聞く人もいたが、それは無縁で、賞状と賞状額の他には、お祝いの品々(特選お菓子「やまだいち」の大どら焼きセットと、立派な木箱に入った静岡県指定無形文化財の金剛石目塗の漆器の花瓶)をいただいた。今後も、出来ることを自分なりのペースで続けていけたらと思っている。
 懐かしい、ふるさとの人々や両親、兄弟、家族、恩師ほか、私のはじまりから今までにお世話になった方々との時間を辿る日々である。 三島市 (Y.K)
 



2014年1月



 
 
 先日、10年振りに長野の善光寺に行ってきました。お寺では※オビンズルさまに腰痛の快癒をお願いして、腰を撫ぜさせていただきました。信者が多いのでオビンズルさまの全身が光っていました。
 宿泊は家内の要望で別所温泉に1泊しました。宿は国の登録文化財である旅館花屋。部屋が長い廊下でつながっている庭の広い旅館でした。夜の食事は部屋で食べられ、内風呂が付いていたのは嬉しかったです。料理に期待した松茸は出なかったのですが、冷たいものは冷たく、暖かいものは暖かく料理されていました。川魚の冷めたのは頂けません。いつもなら残すところ、今回は焼き立てでしたので、きれいに食べてしまいました。
 翌日は北向観音堂を拝観。ここと南向きの善光寺の両方を参拝すると御利益があると言われています。続いて国宝の三重塔のある安楽寺、松の銘木のある常楽寺を見学しました。
 最後に上田で下車して真田城跡公園と真田神社を訪れました。子どもの頃に読んだ真田十勇士の猿飛佐助や霧隠才蔵のことを思い出し、懐かしかったです。まさに「女房に連れられ善光寺詣り」となりました。信州のお蕎麦の美味しかったことと合わせ楽しい旅行でした。

※オビンズルは、御賓頭盧と書く。仏弟子。十六羅漢の1つ。日本では本堂外陣に置き、これを撫でて病気の平癒を祈る。なでぼとけともいう。

                                       三島市 (K.N)
 
               
 


 
 私は、2013年11月10日、第27回堀内環(たまき)三島シャンソン教室の三島文化会館での発表会に出演しました。58歳で亡くなった母の命日でもあったので、余計に感慨深い日でした。曲目は「マルジョレーヌ」と「早すぎもせず遅すぎもせず」の2曲です。この2曲を選んだのは63歳になる現在、「いかに生きるか」というテーマにぴったりの言葉が、私を勇気づけ、人生の迷いをなくしてくれるように思えたからです。
 1曲目の「マルジョレーヌ」の中で、「マルジョレーヌ ひとたびなくしたものは もう マルジョレーヌ 2度とは帰らないものなのさ」を、マルジョレーヌを美智子と心の中で変え何度も歌いました。
 仏教では、四苦八苦の苦しみがある、と教えます。その中の怨憎会苦(おんぞうえく)、怨み、憎らしい人、またなんてひどいことをする人かしら、信じていたのに裏切られたり、全て「怨憎会苦」という言葉に表されますが、其の人達に会わなければならない苦しみ、それが人の世であると「1度なくしたものはもう2度と帰らない」自分自身が人生として考えることも多い歌でした。2曲目の「早すぎもせず遅すぎもせず」の曲では「自由にならぬと 理屈を並べて嘆くのは もう終わりにするから」「自分らしく生きる」「幸せという名の苦しみなのか 分からないけれど」意味深い言葉があります。
  
 駐日大使にキャロライン・ケネディ氏が着任されたお蔭で50年前のことが鮮烈に思い出されます。J.F.ケ
ネディ氏は暗殺されました。がしかし、今でも高い人気を誇り、政治に影響を与え続けています事は、私達も知るところです。米国民にとって大統領の理想像、オバマ氏の言葉では「彼が私達の心に残っているのはアメリカ人らしさを体現していたからだ」と指名の挨拶で述べている。「アメリカ人らしさ」「自分らしさ」を失わない事が大切と私は思います。人生にはいろいろな事がある、理屈を並べて嘆くのはやめる。これも私の決心です。
 死ぬ時、「ああ自分の一生、自分で納得できる」と思える事、幸せという名の苦しみであっても、自分らしさを失わなかったらそれが一番の幸福だと思う。これからの課題は、63歳の今の自分らしさ、これから先の自分らしさ、自分で納得できるものにしていけるよう、日々精進していこうと思います。          裾野市 (M.S)




2013年12月


被災地で、見聞し体験し、考えたことは~

 11月4日、友人でハンドベル奏者の大石先生御夫妻のグループに加わり、早朝5時に修善寺を出発したバスに三島で楽器と共に乗り込み、一路気仙沼に向けて出発。さすがに片道600キロは東京までの5倍あり半端でない。夕方、気仙沼に到着。復興商店街南の紫市場に寄る。建設現場のプレハブが幾つか建ち、そこの中をただ仕切っただけの店、それが今の商店街。2、3日前のテレビで見たのと大違い。「えっこれだけ」と思う。又、気仙沼も大きい街を想像していたが、意外にこじんまりとした港町。震災3年目でさすがに瓦礫は取り除かれていたが、遺跡の様なブロックが続き、ところどころに鉄筋の建物が何とか流されずに残っていた。
 さっそく、グループの人達をホテルに送り、大石先生夫妻、私、それと先生の友人の男性の4人でそのまま会場へ。会場といっても仮設住宅の集会場。現在も90か所ほどあるそうだ。最初は、気仙沼公園住宅集会場。そこへ行ったわけだが、そもそも私は三島で震災のチャリティーコンサートや色々活動してきたが、果たして私達の気持ちが被災地に届いているかどうか疑問に思っていた。やはり自分の目で現地を見なければと思っていた頃、大石先生からお誘いを受け喜んで参加した。
 まず、私の次男の静岡事務所から気仙沼の市役所の福祉課に連絡して、多くの自治会の中から選んで頂いた。役所の話では、音楽でのボランティアは大歓迎との事で一安心。次に、自治会長の高橋さんとは固定電話もファックスもない中ひたすら携帯電話で連絡を取り合い、プログラム、ポスターも三島で創って送り、それぞれ100軒の町内に配ってもらった。
 午後6時頃からぼちぼち集まった皆様と親しくおしゃべり。ある町内では小さな神社に逃げる事ができ、3人しか流されなかったとか、家族5人流され、家も財産も失くしたお爺さんが明るい笑顔で会場へ来てくれてホッとしたり。控室で衣装を着替えていたら本箱が傾いているのでよくみたら何と段ボールで造った本箱だった。何より驚いたのが仮設住宅の酷さ。阪神大震災で使われ、新潟地震で又次の被災地でと、何回も用いた資材は金具も錆び、隙間風は入り、雨も漏り、玄関がないので靴を置く場もない。普通の6畳より狭い二間に家族5人が暮らす。それでも住む家を流され、家族も財産も失った人々は選択肢がないわけで、人間として生きるプライドの限界ではないかと、憤りがこみ上げてきた。
 1曲目の「荒城の月」。私がピアノを弾き始めると会場いっぱいの皆さまと私達の気持ちがひとつに暖かい気持ちになった。「太陽がいっぱい」「エデンの東」と続き、大石先生が造られている小さな手巻きのオルゴールで「今月のお誕生日の人は?」と問いかけ、その人の為、会場の全員でハッピーバースデイを歌い祝った。そのオルゴールを3会場に贈り、楽しんで頂きたいとの大石先生の気持ち。終わって皆さんと名残惜しく握手する中ある女性から「ひとときの間、現実を忘れました。ありがとう」と言われ、言葉がなかった。
        
 タクシーで午後8時開演の第2会場へ。友松公園住宅の千葉一子さんという自治会長は、93歳のお婆ちゃんを同行。私の手をちぎれる程、握ってくれた。3か所とも、修善寺のグループが山のように手づくりの品物プレゼント。コンサート最後の曲、平均75歳のグループは、「花は咲く」の途中、修善寺の山でつんできた花を1本ずつ配った。夜は、塩分の多い温泉にホッとしてバタンキュー。翌日、工場が流され大きな船が来てしまった昆布屋さんへ。幸い、線路の向こうになった自宅は流されなかったので、そこでたくさんの昆布を買う。
 3つ目の鹿折中学校庭の仮設住宅で最後のコンサート。震災後に生まれたかわいい元気な女の子たちの笑顔に送られ、バスで一路三島へ。夜10時到着。身体はくたくただが、不思議に気持ちは本当に軽かった。2日間、現実をみて、心から自分でできる事を少しでもやらなければ日本人として申し訳ないという心境に至った。  三島市 (A.K)
 



 

福耳を持つ大切さ

 当時、1年がかりの2度目の新築を無事に終わり、ほっとしたのもつかの間・・・、それは今から5年前のことだったと思います。
 主人と東北へ2泊3日の旅行に行って来てからの後、頭や両肩に痛みを感じるようになりました。接骨院でマッサージをしたり、電気をかけたりしておりましたが、捗々しくなくて、MRIを受診した結果、なんと脳梗塞と診断され、大変ショックを受けました。まさか私が・・・そんな事はない・・・信じたくなかったのです。その時の落ち込みがひどく、一時期、情緒不安定になりました。知人が「気分転換にお仕事でもしたら?」と誘ってくださったおかげで、その仕事を今年の1月まで頑張り、いろいろと勉強もさせていただき、私にとって、それが転機となりました。
 また、この間、一昨年の7月末頃に、突然、別の知人との出会いが訪れました。そ
の知人がご紹介くださったバイオジェニックスが、私の脳梗塞、高血圧、コレステロール値を下げ、ピロリ菌の除去などを克服しました。転ばぬ先の杖として、毎日飲み続けているお陰で、健康のありがたさを痛切に感じ、早期発見、早期治療で、元気になりました。生涯現役でありたいし、人の話に耳を傾けることは大切であると改めて気付きました。
 グローバルサロンに、今年の6月からカムバック出来たことは本当にうれしく、これからはメンバーの皆様とご一緒に活動への協力をさせていただこうと思っています。                                     三島市 (K.A) 
  ↕ 6月の秋山さん   ↕ 7月の秋山さん   ↕ 9月の秋山さん




2013年11月


これが、マチュピチュ!!

   
やっとたどり着いたマチュピチュ
 
マチュピチュまでの途中で見た巨大な岩石
 今年7月、函南でスペイン語を学ぶ3人と、ペルーのマチュピチュを訪れた。私自身は26年前に行ったことがあったが、今回の再訪問では以前にない感動を覚えた。まず驚いたのは、その観光客の多さであった。
マチュピチュは、南米ペルーのクスコ地方にある15世紀のインカ期の都市遺跡である。三方は断崖に囲まれ後方は巨大な岩山に囲まれている。高所にあったため、スペイン人の侵略を免れた。
 1911年、アメリカ人のビンガムによって初めて紹介されたのである。最初はインカ帝国の要塞と考えられてきたが、最近の研究では、宗教都市として築かれたとされている。インカの神は太陽であり、皇帝は太陽の子として崇められた。実際マチュピチュには「太陽の神殿」があり、そこに切られた2つの窓からそれぞれ夏至と冬至の日に光が差し込むように出来ている。こうした儀礼的儀式のために崖に囲まれた高地でなくてはならなかったのだ。
 険しい峰の斜面に張り付くように1段1段積み上げられた防護壁。そこから庭園、宮殿、神殿がそびえ立つ。湧き出た泉の水が、段のついた水盤を流れ落ちていく。多面体の石を巧みに組み合わせた壁は、ナイフ1本入る隙間もない。機械のないこの時代にどのようにしてと、ただ驚くばかりであった。この遺跡を目の当たりにして、大自然への畏敬と人間の英知を感じざるを得なかった。
  世界遺産に指定されてから有名な建築家により建造物が整備され、遺跡を保護するために、所々で監視員たちが見張っていた。同伴者たちとは「凄い!素晴らしい!」と感動の声をあげながら歩いた。
 下の階段状に広がる畑では、クスコの住民が作物を作り、収穫物は一括して倉庫に納められ、皆で平等に分かち合ったという。この感動をGIAの皆さんにもぜひ味わってほしいと思った。何時かご一緒しましょう!!       函南町 (N.F)

   
  階段状の畑

 アルパカの子ども

 ← マチュピチュまでの途中で見た岩塩
 



ただ今ワインの修業中!

  いつだったか、グローバル英会話サロンでwine and dine【ワインとご馳走でおもてなし】というフレーズを学び、お気に入りの英語表現のひとつになっています。出掛ける時ハイヒールをはくとドレスアップした気分になるように、食卓に脚の長いワイングラスがあるとぐっと華やかな雰囲気になります。私は決してアルコールに強いわけではないのですが、ワインとお料理のマリアージュ(相性)を考えるのが面白くて、気が付けばキッチンドリンカーです。また、ワインの資格を取得するために半年前から勉強を始めました。銘醸地の歴史をたどれば、宮廷の美食文化を彩り王侯貴族に愛されてきたワイン、戦火を逃れ地下のカーブで守られてきたシャンパン、禁酒法時代の密造ワインなど〝光と影〟があります。最も感動したのは、ブドウ栽培の北限、北緯50度の地で何度も品種改良を重ねてきたこと、大航海時代、船積みされたワイン樽が赤道通過の高温で酸化するのですが、本来ワインの大敵である酸化を「独特の風味」と、絶大な人気を得たこと。悪条件を克服し逆転の発想を生んだ先人の知恵や情熱に壮絶さを感じます。ピンチこそチャンスですね! もうひとつワインの勉強で欠かせないのがティスティングです。プロのソムリエのようにブラインドでブドウ品種や生産地、ヴィンテージを当てることは至難の技ですが、自宅に多品種を揃え、調教もどきの特訓が始まりました。この夏、我が家の冷蔵庫はスイカや麦茶の居場所が奪われ、野菜室から最上階までワインで埋め尽くされるとんでもない状態に!家族の矢のような視線を遮り、ひたすら反復練習、グラスの中に潜む情報をいかに引き出すかに集中しました。ワインの外観、香り、味わいの三点を丁寧に捉えコメントします。例えば、香りを(野バラのような~バラの花束のような)と形容したり、酸味の度合いも(赤リンゴのような~青リンゴのような)と言い分けたり、目に見えない繊細なニュアンスをエレガントに伝えていきます。犬のように鋭い嗅覚は望めませんが、自分の中のセンサーを少しずつ開花させたいです。
 そして、近い将来、仲間と気軽に愉しめるワインとグルメの同好会(仮称)を結成させるのが夢です。同志の方、興味をお持ちの方、ぜひお声をかけてください。
                                    三島市 (T.K) 




2013年10月


2013夏・伊豆高原スピーチ合宿

 2020 Tokyo オリンピック開催が決まり、日本中が歓喜している。多くの人がその決定に招致にかかわった人たちのスピーチやプレゼンが大いに寄与したと感じただろう。奥ゆかしい
日本人民族が苦手としてきたこの能力を、国際社会では絶対身につけなくてはいけない大事なことと若者が認識してくれることを期待する。
 おりしも夏の終わりの伊豆高原で、私はプレゼンテ―ションとスピーチを学ぶ合宿に参加した。しかも英語の!講師は岩下貢先生75歳、異文化コミュニケーションの専門家であり、日本におけるディベート指導の先駆者として多くの企業で教えてきた方である。
 今回のセミナー参加者は9人。私にとって初対面の方々だが、英語の勉強仲間としてメールやFacebookで交流があった。皆、大阪の人で、よくしゃべる。それは英語でも同じだった。プロの通訳ガイドをしている人も多く、しゃべりでも英語でも一番の劣等生を予想し、見事に当たってしまった。
 スピーチ、プレゼンで大事なことは「何を伝えたいか」「どうやったらそれが伝わるか」を考えることである。「分かりやすいか」「興味を持ってもらえるか」「聞き手と共有できるか」「新しい情報提供があるか」、アイコンタクトや声の抑揚や発声ももちろん重要。日本語でやっても、難しいが英語ではなおさら…。2日間で散々、恥をかいたが、先生の的確な講評はうなずけることばかりだった。
 
 このセミナーハウスには、これまで1,000人以上が訪れたという。先生の厳しくもユーモア溢れるお人柄、奥様とお嬢様の至れり尽くせりのおもてなし。全て手作りのお食事はどれもこれもおいしかった。伊豆高原の早朝の散歩…別荘の品定めなど楽しかった!!!
 今後も岩下先生のご教授を請い、次回は大阪開催?それまでに、英語の力も、しゃべり力も鍛えなくてはと思いつつ、なかなか実行できない毎日である。
                                    三島市 (Y.S) 
 



日本に住んで6年目 この頃強く思うこと


 2010年の
グローバルクッキングの時
の写真
 ウクライナから来日した当時、私は全く日本語が分からず、自分に向けられるみんなの視線や理解できないことに、いつもストレスを抱えていました。やがて、日本語の指導者の下田先生、横山先生との出会いがあり、カタカナ、ひらがな、漢字を習得することができました。夫の両親の助けも大きな力で感謝しています。グローバルサロンやグローバルクッキングの講師を引き受けたことで、グローバル文化交流協会のみなさんともお友達になり嬉しく思っています。また、ダンス教室などから大勢の人と知り合いになり、会話することで言葉を覚え、分からないことは辞書で意味を調べました。今では、スーパーでの買い物も問題なく出来るようになり、日本での生活を楽しんでいます。  
        ↗ →
 素敵に踊っている3枚の写真は 、ベリーダンスの先生でもある最近のアンナさん
 しかし最近、とても気になる光景を度々目にします。それは、日本の若い世代の人たちが携帯電話やゲームなど電子機器に夢中で、家族が一緒にいても会話がないことです。若いお母さんが、携帯メールなどしながら子どもを遊ばせている光景をよく目にしますが、どうしてでしょうか?今、そばに一緒にいられる家族との時間を、もっともっと大事にして欲しいと思います。そして、日本の男性は「1に仕事!」ですが、「1に家族!」にして、もっと家族との会話を大切にして欲しいですね。「人間、命のある時は短い!」ですよ。互いに相手を思いやり、関心を持てば話すことは限りなくあると思います。以前、私は夫に「何でも話して!」と頼んであります。
 私は、幸いなことに1回で運転免許試験をパスし、大きな四輪駆動車も運転します。日本語でスピーチコンテストにも出ました。現在は、来春に物語仕立てのベリーダンスの発表会を企画しています。
                                    三島市 (A.H) 




2013年9月


          
       

 去る7月15日~30日まで、みしまプラザホテル・ギャラリーにて、私の会「ボノフル」の会員によるインド刺繍と絵画展を行いました。私は26年間日本の生活の中で、インド舞踊、刺繍、料理、語学教室などを通してインド文化を紹介してきました。今回初めて今まで説明できなかったインドの世界を絵で表現したいと思い、4枚の絵を描き展示してみました。

 
1枚目の絵「グジャラートの少女」 *写真中央の絵
 インド、グジャラートのある村の少女たちの暮らしを表現したもの。親たちに教えられたミラー刺繍をして、生活に潤いを得ている。ミラーは魔よけを意味し、砂漠に色がないので鮮やかな色を使っている。

2枚目の絵「シタ―ル職人」 *写真左の絵
 インドの楽器シタールは世界で大変有名で、楽器の世界が輝いて見える。しかしそれを作っている職人たちの生活はとても貧しいというギャップがある。暗い部屋で楽器作りに勤しむ職人の姿には大変心ひかれるものがある。

3枚目の絵「マドワニ村の母子」
 インド、ビハ―ル州のマドワニ村の親子。ビハ―ル州は最も貧しい所で、女の子たちは壁にヒンズー教の神々の姿を描くのだが、紙も買えず政府から贈られた紙に心の赴くまま、ひたすら絵を描く姿はとても感動的である。模様も素敵で線が柔らかく色鮮やかで可愛い。

4枚目の絵「ガンジスの対岸」 *写真右の絵
 バラナシ、ヒンズー教信仰の一番深い町。2年前初めて生徒さんたちとここを訪れた。朝7時に起き、ボートに乗って生と死を真近に見る対岸に真っ赤な朝日を見て、各々灯篭を放ち感銘に浸った。帰りに海岸に座っていた老人の姿、顔に人生を語る面差しを見た時、鳥肌が立つほどの感動を得、その姿が忘れられず夢中で描いてみた。

 今回、私の書いた絵を飾ることは初めてで、不安で一杯でした。しかし、グローバル文化交流協会の会員の方々初め、多くの方々が来てくださったことが大きな励みとなりました。これを機会にこれからもインドの文化を紹介するため、インドの絵を描いていきたいと思います。                     沼津市 (S.I)

 
 
 




 


 左から3人目が平佐七重さん
 
 石井シュクリシュナ先生にインド刺繍を学ぶ12名の生徒たちの作品、大きいものはサリ―から小さなものはビーズのバッグまで50点近い作品と、先生が描かれたインドの庶民をモデルにした絵が4点飾られました。
 受付の当番は、それぞれサリーやインド風のワンピースを身につけ、会場はインド一色。皆、刺繍に限らずインドのものが好きで、普段身につける機会が少ない衣装を披露できてお互いの晴れ姿も楽しみました。
連日多くの方が訪れてくださり、刺繍の細かさや色彩の美しさに感動されて、賑やかな毎日でした。私も改めて皆さんの作品の美しさに見とれてしまいました。最近は先生や仲間とのおしゃべりが面白いばかりで熱心な生徒ではなかったので、展示会は少々面倒なイベントでしたが、見て頂くことも作品を沢山目にすることも大切だと感じました。そして、次の展示会に向けてこつこつ励もうと気持ちが引き締まりました。

     ~~インド刺繍について~~

インド刺繍には地域によってさまざまなステッチがある。

*ラジャスタン州のミラー刺繍は、州の西部に広がる広大な砂漠地方に見られるもので、砂漠に色を添えるよう鮮やかな原色が使われ魔よけにガラスが縫いこまれている。

*グジャラート州のインターレースは、布の上で刺繍糸を編みながら模様を作っていく。

*北部地方のシャドーステッチは、布と同色糸を使い裏側を糸でうめ、その影で模様が浮き出るようにしている。

*ビハ―ル州、マドワニ村の刺繍は、村の女の子たちが家の壁にヒンズー教の神々の物語を描いていたものを刺繍で表現するようになったもので、素朴な色合いが特徴である。

*ベンガル地方のカンタステッチは、昔、赤ちゃん誕生の時、おばあちゃんが孫のために自分が着古して柔らかくなったサリーを使って刺し子や刺繍をして作った「おくるみ」をカンタと言ったことに由来する。刺繍のデザインは子供が元気に育つよう、孔雀、象、牛、蓮、太陽などのお目出たい柄が多く用いられる。 
 
 
 「販売目的でなく、純粋に見てもらいたい」。そんな気持ちの展示会を、多くの方々に楽しんでいただけて本当に良かったと思います。皆さま、どうも有り難うございました。                                    三島市 (N.H) 






2013年8月


これから(3年目を迎えて)

 2011年の春にグローバル文化交流協会の皆様にお世話になってから2年以上の月日が経ちました。
 この2年の間に、知り合った人たちのことをお手伝いしたり、様々な会やセミナー、イベントに参加してきましたが、現在は仕事とNPOなどの活動を両立させることが1つの目標になっています(NPOは、いつか自分で立ち上げたいですね)。
割と欲張りな性格なので、いろんな会やセミナーで学んだ福祉や環境、居場所つくりといったいろんな分野を有機的につなげた活動ができないかと、試行錯誤しています。
 それにしてもGIAの活動は凄いの一言ですね。毎月定期的に会報を発行して、いろんなイベントを行う団体はそうはないですよ。
 そんなGIAの皆さんにご案内できる活動というと、珪藻土(けいそうど)を使っていろんな作品を作ってもらうワークショップを行っていることかなあ。もう一人の人と二人で年に5~6回、子供たちに下の写真のような作品を作ってもらうワークショップを開いていますが、ここ最近は年配の人たちにもやってもらうような働きかけをしています。
   
      作品例(左)とワークショップ風景
 珪藻土が炭酸ガスを吸って固まる性質を利用し、ビーズや貝殻なんかを好きなように埋め込んでもらい自分だけのオーナメントを作ってもらうんですが、絵の苦手な人にも簡単にできるので、大人でもやってみると結構はまりますよ。年配の人に対しては認知症予防になるからと勧めていますけど、発想力が少ない分子供たちとはやり方を変えないといけないので、どのように行うか試行錯誤中です。今後は、オーナメント以外のもっといろんな作品を手掛けていき、ボランティアの人たちと一緒に活動できるような規模の団体にしていきたいと思っています。
 また皆さんにお会いできるのを楽しみに、マイペースで頑張っていきます。
                                  横浜市   (N.S)
 


国際ソロプチミスト(文中の略表記・S I )

ブリュッセル・ドワイアンの
クラブ75周年にお招きいただいて


 
   ⇒
ブリュッセルのグランプラスで
  ⇐ 山岡さんのスピーチ
 昨年12月にSIブリュッセル・ドワイアンより75周年の招待状を受け、会員6名、家族2名が出席することになりました。5月16日、雨のブリュッセルにて会員が出迎えてくださいました。
 SIブリュッセル・ドワイアンと私達SI駿河のクラブは1985年フレンドシップを結び、以後ベルギーのサンピエール小児病院エイズの子供たちに毎年クリスマスプレゼントを贈り続け20年が過ぎました。
 このたびの東日本大震災の折には、ベルギーはじめ、ドイツ、フィンランド、リトアニア、ニュープリマスのクラブよりSI駿河宛てに援助金をいただき、それを、震災や津波で親をなくした子供たちをお世話している「全国里親の会」に寄付しました。また、日本と世界中のソロプチミストからの援助金を日本5リジョン「ソロプチミスト絆プロジェクト」として、同じく親を失った高校生に昨年は68名に、今年は、70名に奨学金を差し上げる事が出来ました。このことによって高校生たちは未来に希望を見出すことが出来、それに向かっての勉強に励むようになりました。
 翌日はフレンドシップパーティー、ベルギー各地から、フランス、ドイツ、トルコの会員と名刺交換、トルコは美人ばかり、華やかでにぎやか、いっぱいハグされました。次の日が75周年式典と夕食会、事前に用意した日本からの会員手作りの「匂い袋」70個をはじめ和紙の箱にお菓子を詰め、しおりや風呂敷等盛りだくさんのおみやげを手分けして持ち、全員みな着物を着て会場入りしました。
   
トルコの会員の方々と一緒に 

 ブリュッセルやドイツの会長さんたちと

 式典ではSIブリュッセル会長の挨拶、そして在ベルギー日本大使・坂場三男氏のスピーチもありました。私も、先の震災への暖かいメッセージと援助金へのお礼を英語でお伝えする時が来ました。
 今回の援助金は、長い間のエイズの子供たちへのクリスマスプレゼントのお返しをいただいたようでした。お互いの信頼と助け合う気持ちの交流が大きな実を結びました。この喜びと感謝を述べ、会場の皆様から大きな拍手をいただきました。会長としての務めを果たすことが出来、感謝でした。       
                                    三島市 (S.Y)
 






2013年7月


GIA新会長挨拶
 
 今年度、会長の大役を仰せつかることになりました。皆様、よろしくお願いいたします。
 思い返せば、GIAへの入会は11年前のこと。英語学習仲間が「英会話教室見つけてきたよ」と言って誘ってくれたのがGIAの英会話クラスでした。今はオーストラリアに帰られたリチャード先生のクラスで、ずいぶん鍛えられました。生徒の皆さんは私よりもだいぶ年上の方々でしたが、好奇心旺盛、勉強熱心、意識も高く、英語以外の部分で驚かされることも多々ありました。
 それからしばらく経って、当時会長だった大野多恵子さんから「事務局に入りませんか?」とお誘いをいただきました。普段英会話でお世話になっているので、自分のできる範囲でいいのなら、とお答えしたのが事務局に入ったきっかけです。定例会議でお目にかかった事務局の方々は、英会話クラス同様、エネルギーに満ち溢れた先輩方で、初めての会議の後、圧倒され過ぎて、少しぐったりしたことを覚えています。 事務局の皆さんは優秀な方ばかりですが、皆さんのすごいところのひとつは、それぞれに得意分野を持っていらっしゃること。茶道、お琴、パソコン、経理、ダンス、日本舞踊、腹話術、裁縫、絵画…、挙げていけばキリがないのですが、とにかくご自分の好きなこと、興味のあることには全力で取り組む方々なのです。そして、そのような才能が足し算でなく、かけ算となってどんどん大きくなり、途方もないパワーにつながっているように思います。
 では、自分を振り返った時、私はどういう分野で頑張れるのか?と考えてみますと、少しの英語のスキルと、やはり若さでしょうか?世間一般的には決して「若い」とは言えませんが、幸か不幸か(?)、GIAの事務局員としては最年少です。諸先輩方とは違ったアングルから、物を見たり聞いたりして、意見を言うこともできるかと思います。
 今まで引き継がれたGIAの歴史を大事に、でもとらわれることなく、2013年のGIAを皆様といっしょに楽しんでいきたいと思っております。  
                                     三島市 (H.O)
 


 GIA前会長挨拶
 
 月日の経つのは早いもので、GIAの会長をおおせつかって早くも4年が過ぎました。
 GIAは女性が中心の会であり、女性のパワーで素晴らしい実績を残してこられました。そこに異物のような男性が参加して会長までやれといわれた時は、ちょっぴり戸惑いました。当時会長職を引き受けてくださる方がおられなかったので、1年間ぐらいならと引き受けました。
 ところがどうでしょう、なんだかんだと4年も務めました。いや強いていうなら務めさせられました。ここでも、有無を言わせぬ女性のパワーを感じました。私の家庭内の地位も同様で、こんなのは慣れっこですが。
 とは言いながら、結構楽しくGIA事務局のみなさんと仕事をすることができたように思います。
 私は頑張らない、努力しない、そしてストレスを感じる人と物事には近づかないことをモットーとして日頃生活しています。
 私は過去にいろんなボランティア団体にかかわりましたが、私のモットーにそぐわない団体ばかりでした。ところがGIAはまことに肩肘はらず、しかも活動的で愉快な団体です。 年をとると、世の中から頼りにされなくなったとき生きがいをなくすと言われています。私の場合、頼りにされていたかどうかは判りませんが、生きがいの1つとして4年間を過ごさせてもらったと、GIAの皆さんに感謝しています。とにかく、ありがとうございました。
 生きがいといえば、私の場合さまざまのことをやっています。ネパールの子供の支援、陶芸、腹話術などなど。これらを楽しみながら、90歳くらいまで生きようかなと思っています。
 ところで新会長を引き受けてくださった小野さんに感謝したいと思います。GIAの会長が1世代若返りました。私も一会員として一緒に楽しみたいと思います。
 GIA事務局のみなさんも応援をしてくれると思いますので、新風を吹き込むつもりで頑張ってください。
                                      三島市 (Y.F) 






2013年6月


       Using Music to Raise our Bilingual Son

 I am American and my wife is Japanese, and we have a 3-year-old son named Kai. We are trying to raise Kai to be bilingual. I`m sure there are a number of theories about what is the best approach for raising a bilingual child, but we trust our own approach and abilities. I usually speak to my son in English, and my wife speaks to my son in a mixture of English and Japanese. We try not to be too strict with either language and kind of “go with the flow.” We have found that music is one of the best tools for our son to learn English.
 Music predates language. It has the extraordinary power to sooth you, inspire you or make you think in new ways. I listen to music and sing with my son in English every day. Sometimes we listen to children`s songs, but we usually listen to music that my wife and I like. Kai likes all genres of music, and he knows the lyrics to countless songs. When I hear him say “Papa, Jimi Hendrix please” it makes me happy to know that he enjoys music. I think the music and lyrics will stay with him for the rest of his life.

    バイリンガル子育てー大好きな音楽とともに

 私はアメリカ人、妻は日本人、そして3歳の息子が1人います。バイリンガルに育ってほしいと日々奮闘中です。バイリンガル子育てには様々なセオリーがあると思いますが、私たち夫婦は自己流で息子に接しています。私は通常息子には英語で話し、妻は日本語と英語で話しかけています。厳しく言い聞かせたりはせず、流れに任せています。そしていつしか音楽が最高の教材のひとつだと確信するに至りました。
 音楽は言葉より先に浸透します。ああ音楽!時に真実を、時に勇気を与え、新しい思想の世界へと誘ってくれます。私は息子とともに音楽を聴き、共に歌います。時には童謡やアニメソングを聴くこともありますが、大体私と妻の好きな音楽を聴いています。どんなジャンルの音楽も大好きで数えきれないほどの曲の歌詞を覚えています。息子が「パパ、ジミヘンドリックスかけて」と聞いてきたときには幸せを感じます。彼のこれからの人生にはいつも素晴らしい音楽と歌詞が共にあることでしょう!(和訳は奥様)                 写真はプライアンの長男カイ君

                             三島市 ブライアン・クリフトン
                              (ブライアン英会話・主宰) 
 


     高速鉄道で中国を旅する夢想

 三島市民生涯学習センターで開催されているスペイン語講座への参加が縁で、グローバル文化交流協会に入会させていただきました。宜しくお願いいたします。
 個人レベルでの交流までには発展しませんが、グローバル文化に触れる良い機会としては、やはり海外旅行だと思います。鉄道好きの私が、これまでで最も記憶に残る旅行は、20年以上も前の1991年8月、ユーレイルパスなどを利用して、英、蘭、独、瑞西、伊、仏、白の7ケ国を鉄道で移動した十日余りのヨーロッパ旅行です。景勝ルートを事前に綿密に調べ、毎日長時間、優等列車で、ドイツのライン川渓谷、スイスの雄大なアルプス氷河、イタリアからフランス国境にかけての紺碧の地中海等々を移動し、ヨーロッパを代表する風光明媚な景勝を堪能しました。そして、車窓から眺める各国の都市、郊外、田園の移り変わる風景も、夫々の国の特性を考えさせてくれる旅でした。
 ヨーロッパと同様に、1回の鉄道旅行で広い地域を移動し、各地域の多様な文化、歴史に触れる所としては、中国、インドが挙げられます。どちらも1つの国ですが、ヨーロッパ数か国を旅行するのに匹敵する多様性を味わえます。高速鉄道による快適で効率的な旅行、インドは遥か遠い先でしょうが、中国は、ご存知のように、“四縦四横”の号令下、北京⇔上海、北京⇔広州、上海⇔成都、等々、時速300キロで全国を疾駆する旅客専用高速鉄道網が着々と張り巡られています。すでに営業運転を開始した北京⇔上海は5時間弱で、北京⇔広州は約8時間で移動できるようになりました。そこで、私に残された鉄道による海外旅行として、高速鉄道で二十日近くかけ、中国を駆け巡る計画を描いています。目下のプランは、まず、静岡空港から上海に着陸し、宿泊順に都市を上げると、上海、杭州、寧波、厦門、深圳、広州、武漢、鄭州、西安、北京、天津、南京、蘇州、そして、最後に上海に戻って帰国する旅程です。西安から北京までの移動、これまでなら飛行機しか考えられませんが、鄭州経由の高速直通列車に乗ると、5時間30分で移動できるのです。計画した路線のうち、厦門⇔深圳のみが、まだ未完成ですが、今年中には営業開始する予定ですので、来年には旅行を実行に移せることになります。
 勿論、今の日中を巡る軋轢、何よりも高速鉄道自体の安全性もあり、計画をいざ実行に移すのには強い逡巡が伴うでしょう。しかし、この旅行計画を実現するため、世界でますます存在感を強める中国に対し、広範囲な関心を持続させてくれる誘因となるならば、計画の実現如何に拘わらず、この夢想は無意味ではないと思います。
                                      清水町 (T.W)

 ※英=イギリス 蘭=オランダ 独=ドイツ 瑞西=スイス 伊=イタリア 
  仏=フランス 白=ベルギー







2013年5月


深山幸子さんの
心のこもった手作りの本紹介
   
 アンネフランク終焉の地、
ドイツ・ベルゲンヘルデン強制収容所にて
 

 
 


アフリカ大陸モロッコを旅して

  モロッコは私にとっては初めてのアフリカ、初めてのイスラム社会で、楽しい異文化体験でした。旅程はまず北部のカサブランカ、ラバト、メクネス、フェズへ行き、アトラス山脈を越えてサハラ砂漠の町エルフードやワイザザート、最後にベルベル人の都マラケシュを訪れるというものです。
 前半の目玉はやはりフェズ。最初のカサブランカがつまらなくて、「21時間飛行機に乗ってきたのに、この旅行、失敗?」と一瞬思ったのですが、フェズに行ったとたん、そのあまりにも日本と違う異文化ぶりに圧倒されました。フェズは世界最大の迷路の町と呼ばれる世界遺産の一つ。9世紀の街並みがそのまま残る旧市街に60万の人が住んでいます。千あまりの狭い路地が迷宮のごとく続き、土地のガイドなしでは迷子になってしまいます。両側に店が続いているのですが、生肉もそのまま冷蔵庫もなしに売られているので、臭いもかなりなもの。迷路の中央あたりにモスク、神学校があります。
 後半の目玉と言えば、砂漠ですね。早朝4時に起きて30分ほどラクダに揺られて大砂丘の朝日を見に行きました。地元ガイドにスカーフをベルベル人風に巻いてもらったのですが、これがなかなか優れた巻き方です。ベルベル人のテントを見学してミントティを頂きましたが、日本人には理解しがたい生活かもしれません。砂漠のなかにある土でできた要塞[カスバ]の一つ、世界遺産アイトベンハッドウはその壮観な姿に圧倒されます。一見の価値ありです。
 旅行の醍醐味は土地の人たちとの交流ですが、今回は英語がほとんど通じなくて、残念でした。マラケシュのフナ広場のカフェで話したイギリス人ご夫婦や、スーパーでいろいろ教えてくれたイギリス人親子との出会いが印象的でした。景色や世界遺産も旅の楽しみですが、人とのちょっとした出会いも忘れられない思い出になりますね。モロッコは人で賑わうスーク[市場]に代表されるような緑豊かな北部の都市から、砂漠まで変化に富んだいろんな楽しみのある国でした。長泉町  (M.I)           

 (写真右上は「世界遺産アイトベンハッドゥ」、左下は「メルズーガ大砂丘で日の出を見る」)

           






2013年4月


手づくり絵本の楽しみ

 
 以前、GIAメールの編集後記で、小田原市在住中に始めた手作り絵本のことを書きました。長泉では20年前に始まった第2土曜日対応のサークル担当が発端となり、今では自分の絵本より、子どもたちが絵本を作るのを楽しんでいます。月1回、小学校4年生以上、10人限定で運営。24年度は7人の小学生が14冊の絵本を作りました(右写真)。私の役目は製本が主ですが、話が上手く運べない時は画用紙10枚のなかでどのように展開させ、どんな絵を描くか指導していきます。子どもたちの話の中には、家族への思い、ものに対する(動物、花、鳥など)気持ちが現れますので、“今を大事に”で、気持ちの整理と文の効果的な表現を探りながら決めていきます。ぴったり合う表現にであうとお互いににっこり。素晴らしい瞬間です。
今年は、鳥、花、木をテーマに1冊。自由なテーマで1冊を目標にしました。鳥の探偵あり、花粉症の雀あり、飼っていたインコ、朱鷺の生態、人気グループ”嵐“のファンである5羽の鳥と女の子の対話あり、「友達がほしい!」とさけぶワニ、生まれた妹のこと、飼っている犬との日常、etc。どれも心の宝石でキラキラしています。完成を目指して頑張ってくれました。 今も小田原手作り絵本の会の会員で、当然それなりの役割が課せられます。毎年1回の作品展示会開催への出品、月一会議、カレンダー作り当番作業(版画で制作)、夏休み絵本作り講習会参加、新聞など広報活動など。この活動のなかで、仲間との協作本が、ケーキ本とピアノ本。17等分された丸いケーキの1つを担当(上写真)、ピアノ本は2オクターブ15の白鍵の形が絵本。「シ」を担当。(右写真)会場では絵本に音付きで好評でした。今年のテーマは「歩み」、いま思案中です。 



 ←絵本で制作したピアノ鍵盤


             長泉町 (S.T)
 


「東日本大震災を経験した私たちに出来ることは」 

  春便りの楽しみな季節ですが、私たちは2年前の今頃は計画停電、原発事故による放射能汚染への不安に怯える毎日を暮らしていました。東日本大震災で被災された東北地方の皆さんだけでなく、東日本に住む人全員にとって忘れることの出来ない地震体験と不安であったと思います。 
過日、小山町の中学校の還暦同窓会に出席してきました。そこで、福島第一原発事故の影響で避難し、仮設住宅に住んでいる同級生のことが話題になりました。中学時代仲が良かった同級生は、自衛隊員と結婚し早期退職して原発に近い福島県楢葉町(ならはまち)に家を新築して暮らしていたようです。
私はこれまで、岩手県でのがれき処理ボランティアや、福島県避難者支援の活動を行ってきましたが、まさかこんな身近に被災された人がいたことに驚き、何もしてこなかったことに本当に申し訳ない気持ちになりました。
   
  高校の同窓生の話では、震災直後に家族で実家に避難したものの長居はできず、小山町営住宅に半年住み、その後、福島県のいわき市の仮設住宅に住んでいるようです。震災直後に連絡した人の話では、「同情されたくない」という当人からの返事で、何もしてこなかったということでした。
 今になってと思われるかもしれないと思いつつ、遅ればせながら何人かで気持ちをお金で送らせていただきました。すると、避難所から電話と手紙が届きました。その文面には、お礼と「忘れないでいてくれて、ありがとう」と書いてあったのです。気丈な彼女が震災直後は「同情されたくない」と言いながら、これまでどんなに歯を食いしばって頑張ってきたのかが想像できました。
 そんな彼女が、私たちの些細な申し入れを受け止めてくれたことに感謝し、また、これまで何もしてこなかったことを改めて申し訳ない気持ちになりました。
 震災や原発事故で直接被災された皆さんは、今でも頑張っています。同情ではなく、私たちもこの同じ時間を共有する当事者として、これからも出来ることはないか常に考えて行きたいと思います。                          
                                    三島市 (R.N)






2013年3月

茶道の精神を介護に生かして

  









 平成25年2月
 沖縄の首里城で
 東京都町田市に住み始めた7年前から、長期療養型病院で介護の仕事を続けています。穏やかに最期を迎えようと、ただ呼吸するのみの方々とは会話できるわけもないのに、いつも会うのが楽しみです。冷たい手足をさする時、壊死しないでよ〜と念じます。奇声や怒鳴り声、つねる、蹴る、たたく、何をされても許せるのは、本人のせいではなく病気のせいだから。体力と瞬発力と頭を鍛えられる良い仕事です。
 同僚達と、清潔で安全な職場環境にする工夫と勉強をするのも、やり甲斐があります。ノロウイルスやインフルエンザの患者さんが、一人もでないことを誇りに思います。
   
 そんな賑やかな毎日とは正反対の空間に身を置きたいという気持ちが膨らんで、茶道の稽古を始めました。流れるような美しい動きにも憧れて。   
 これが日々の仕事に大きく影響しており笑ってしまいます。柄杓でお湯を汲むように静かにお風呂の湯を汲んでいる私。お棗を清めるようにお顔を丁寧に拭いている、帛紗さばきの動きでタオルをたたんでいる・・・嬉しいことに、丁寧さが同僚達にも波及して患者さんの傷や内出血への対処がより注意深くなっているのです。また茶道の一期一会の思いを患者さん達にも感じています。
 茶道と介護、静と動のバランスが気持ち良く、どちらも精進していきたいと思うこの頃です。
                                   東京都町田市 (M.I)
 


パソコン、やさしく覚えられます

   
 私がはじめてパソコンと出会ったのは1990年頃でした。職場は印刷の仕事をやっていたため、出来上がった製品の色調を管理するという目的で導入されました。それから20年余、パソコンは大きく進化を続けてきました。
 私はかつての会社で習得したパソコンの操作方法を多くの人ために活かしてみたいと思い、GIAのパソコン教室をはじめ、グラウンドワーク三島街中カフェの2階をお借りして不定期ですが、パソコン教室を開いています。パソコンを使ってみようと決意して勉強を始めた人たちが、途中で「むずかしい!」と言ってあきらめてしまうことのないように、楽しい雰囲気の中で親しんでもらえるような教室を目指しています。なかでも「同じことを何度聞かれても丁寧に答える」ことは一番気を付けていることかも知れません。
 私が開いているパソコン教室の特色は、受講者が自分のノートパソコンを持ち込んで勉強できるということです。このことは受講者には大変喜ばれるのですが、持参したパソコンはXPがあればVISTAがあり、さらに7というように、種類が3つもあることや、同じ種類でも個人の設定によって画面の構成が違うため、教える側にとってはなかなか大変なことです。
 文書を作るワープロソフトのワードも2003から2007になったことで、画面構成が大きく変わりました。押すボタンの位置などの説明にも、「2003の人はこのボタン、2007の人はこのボタンです」というように2度に分けて説明する必要がありますが、両方の画面を頭の中で描きながら、説明をするというのも記憶力を確認するために良いことだと思いますので、今までのようなやり方でもみなさんに喜んでいただけるのなら、まだしばらく続けてみようかなと思っています。       三島市 (K.N)
 






2013年2月

 大晦日の思い出

 毎年、大晦日が来る度に思い出す事がある。今から何十年も前の事、結婚して初めてのお正月を迎えるときの事である。ご馳走を作ろうと、張り切ってお料理の本を買い、材料も多量に買い込んだ。けれど、おせち等は一度も作った事がないし、手伝った事もない。けれど、何種類ものご馳走を明治生まれの母が作っていたので、その様にするものと思い、気持ちだけは前向きであった。
     
 いよいよ31日が来た。最初に羊羹を作ろうと思った。小豆を煮始めた。なかなか煮えない。その他のものも同時進行で作り始めた。何時間経っても終わる事がない。外を見れば、近所の家は電気が消え、静かな真夜中である。そうこうしていると東の空が明るくなり始めた。ご馳走はまだ何も出来ていない。どうしよう。本当に困ってしまった。思わず涙が出て止まらない。どうしよう。誰の手助けも得られない。時間は刻々と過ぎる。朝になってしまった。
 1月1日の朝である。9時頃、主人の教え子の男子の来客。羊羹の形は出来たが寒天が十分溶けず固まりが出来てしまった。仕方がない。これをお出ししよう。心配しながら、そっと覗いてみた。大きなお皿は見事、空になっている。何と言って良いやら実に複雑な気持ちであった。一人で困ってさめざめと泣いた大晦日の夜、何年も過ぎたが苦い思い出である。 
                                        沼津市 (T.S)      
 


 さよなら!都まんじゅう

     
 今月末日を以って、沼津駅南口の西武百貨店が完全閉店となります。昨年、このニュースを知った時、普段は西武にほとんど行くことのなくなっていた私も、なんとも言えない淋しさを感じました。
 私が沼津に住んでいた子供の頃、沼津駅前に買い物に行くときは、いつもよりイイ「よそいき」の洋服を着ていったものです。西武の中のどこかに、フレッシュジューススタンドがあって、そこで飲むしぼりたてのジュースはおいしかった!(もしかしたら富士急だったかも?) 西武の包装紙にくるまれた「都まんじゅう」をおみやげでもらったりすると、なんとなくワクワクしました。特別な日に着る洋服を選びに行ったり、お祝いの品を選んだり、日常から少しだけ離れた「上等、上質」を西武は感じさせてくれる場所でした。
 最近は、カジュアルとフォーマルの境界線が薄れ、「よそいき」の洋服もいつのまにかタンスの中からなくなりました。日本人全体の生活レベルが向上したことで、今では毎日が「よそいき」のような生活になったともいえるかもしれません。
 沼津の品格を一身に背負っていたかのような「西武百貨店」を失い、沼津駅南口はいったいどうなるのでしょう?隣の市の住人になっても、今でも沼津を心から愛する者としては、ちょっぴりオシャレをして沼津でショッピングを楽しむ人たちをもう一度見てみたい!と切に願っております。                三島市 (H.O)





2013年1月

日大イチョウ並木の思い出

 私は1カ月に1度、シャンソン歌手で「日本シャンソン協会」の理事である堀内環先生の三島教室に通っています。そんな時、日大前のイチョウ並木はいつも私に声をかけてくれます。「今が大事!済んだことはくよくよしない」「いつも笑顔を忘れずに、人と人との繋がりを大事にするんですよ」と。このイチョウ並木を守ってきた三島市民のお陰で、私はとても大切な時間が持てるのです。その歴史に触れてみましょう。
 このイチョウ並木の苗木は私の祖祖父、八木茂作が息子の無事除隊を祝って上ヶ田の大勢の力と三島の人々の協力で植えたものです。イチョウ並木の間の道は戦車が通って大野原に通ったと聞かされています。それで現在バスやトラックが通ってもイチョウ並木は残されているのです。長い間木々の手入れを続けて下さっている三島市民には深く感謝しています。八木茂作の名は、北中の門を入った左に彼が植えたユーカリの木の根元の石に刻まれています。その頃、三島はユーカリの育つ北限だったそうです。
 私の家族は台湾からの引き揚げ者です。家族から聞いた話によると、祖父は台湾で医者をしており、日本に帰る時には柳行李2つが持ち出しものとして認められただけでした。病院、植物園、バナナ園などすべて没収されました。宝石の話が出ると私が「柳行李の中に入れてくれば良かった」と言うと母は「そういう物は持ってきてはいけないと決められ、見つかれば船に乗っている全員が帰れなくなったの。義母は美人だったので髪の毛の中まで調べられたのよ」と話しました。「何が無くても良い、日本に帰れさえすれば」という一心だったのでしょう。台湾の人々は親切で、「このままいて下さい」とも言われたそうですが、日本の土、日本を愛する心は何より強かったのだと思います。宝石や財産は消えても、人生で大事な、愛、勇気、絆は消えることはありません。イチョウ並木は台湾から柳行李2つで出発した私達の家族を見守っていたのだと思います。
 昭和30年、台湾人の方々が祖父のお世話になったとお墓参りに来てくれました。  
                                裾野市  (M.S) 
   
日大通りのイチョウ並木

 
三島市立北中学校のユーカリの木の根元にある八木茂作の名が刻まれた石碑
 



 

「全米日系人博物館」を見学して

 10月23~30日まで、三島市姉妹都市提携55周年記念パサディナ市訪問団に参加してパサディナ市に行ってきました。パサディナ市姉妹都市協会の方がロサンゼルス空港に迎えに来てくれ、「全米日系人博物館」を見学しました。日本人ボランティアガイドのタミさんの案内で館内を見学。日本人移民のこと、そして強制収容所の生活のことを聞き、私は昨年見たテレビドラマの「99年の愛」のシーンが次々に脳裏に浮かんできました。日本人移民の苦労、日系アメリカ人の人種差別、強制収容所への入所、一世、二世の日本に対する思いのずれ、そして442部隊の活躍のことなどの説明をうけました。日本人移民一世、二世の方々が大変な苦労、苦しみ、悲しみを背負ってきたことを痛感しました。
 ロサンゼルス市の「全米日系人博物館」を見学でき、もっと強制収容所のことを知りたくなり、先月末東京上野の東京芸大美術館に行ってきました。美術館には砂漠等に建てられた強制収容所生活の中で、限られた材料と道具を使って作られた美術工芸品や日用品が展示されていました。生活に必要ないすやテーブル、そろばん、一枚一枚手書きされた花札、土中深くから掘り出した貝を使って作ったアクセサリー、石を掘って作った硯石、仏壇などとても素晴らしい芸術作品でした。収容された人々には番号がつけられ、管理するアメリカ人からその番号で呼ばれていて、「日本人は自分の名前に誇りを持っている。たとえ無意味かもしれなくても、前に進むしかない。それが人生だ。決してあきらめるな」と言って表札を作ってバラックのドアに掲げた人もいたそうです。トゥールレイク収容所の全景の横に富士山が描かれている絵を見て、なぜか胸がジーンと熱くなり涙があふれてきました。いつまでも歴史を風化せずに残していくことは、大変ですが、とても必要なことだと思いました。                          函南町  (Y.K)
 
 
全米日系人博物館

 
   
トゥールレイク収容所で掘り出した貝殻で作った花    収容所の山の絵に富士山が描かれていた
              
 「The art of Gaman」芸術展の強制収容所の木彫り   バラックの入口に掛けた手作りの表札





2012年12月

 50th ANNIVERSARY・金婚式

 私たち夫婦は、お陰さまで今秋、金婚式を迎えることができました。LAの弟家族や友人たちに祝ってもらい、楽しい時間を過ごしてきました。「人生双六」の上がりは何時だか分かりませんが、これからも健康で元気に過ごしたいと思います。                                            三島市 (A.S)
 
 
▲結婚50年・金婚式。LAにて、髪形も変わりました。 

   
▲結婚1年。ペアールックが流行った頃。   ▲結婚20年・群馬県太田市の自宅で愛犬トム君と。

   
 ▲結婚25年・銀婚式LAにて。

 ▲結婚35年LAにて。

   
弟夫婦からのお祝いは、4泊5日のメキシコ・クルーズ。7万トン、乗客2千人、乗組員900人。

 
船内は不夜城のように、シアターやカジノで賑わっていました。

   
日本人は私たち4人と千葉からのお医者さま夫婦(両脇)の6人だけ。ディナーはいつもこの6人が同席。


 
NYとSFからボーイフレンドと一緒に来てくれた3人の姪たち。飲めない弟をよそに、毎晩みんなでお酒をたくさん飲みました。

 
   
デザートは家で、どうぞ!と、大きなケーキやパイをたくさん作ってくれた知人宅。


 
姪たちが企画してくれた、中華料理のランチ・パーティー。両脇が弟夫婦。夫の両側2人ずつが姪とその従妹。

 
 
 これからも健康に気を付けて、元気で頑張ります。

 


「沢地グローバルガーデン」で、楽しい交流を!

 
   
グローバルガーデンの草取りと球根植えをしました。良い天気でおしゃべりも楽しく過ごせました。春にはきれいなチューリップを見られると思います。

 
9:00ジェイソンをpick up。市役所前で留学生を待つが現れず。9:30ガーデン着。少人数ながら楽しく作業できた。

 
コスモスがさわやかな風でゆれている、ガーデン作業日。小さな子も2人参加。今日はチューリップを植えます。

 
楽しい作業日で、仕事がはかどった。「バイリンガル環境かるた」も楽しめた。また、赤、黄、桃、白のチューリップの球根を植えることができた!

 
 
   
いろんな国の人々の話を聞きながら、いろんな球根を植えました。春は、にぎやかに咲くでしょう。 


 
沢地小の6年生が調べ学習途中で寄り、その後、先生も立ち寄られる。にぎやかな出会いのガーデンだった。

 
久し振りの参加でした。青空のもとで、チューリップやクロッカスの球根を植えました。まだ、元気な虫たちが飛んでいました。

 
快晴の下、楽しく球根の植え付けができました。来春が楽しみです。


 
見渡す限りの青空になり、気持ち良い作業日です。ジェイソンさん、ケニャさんの2人も参加。とても楽しいガーデンでした。ワムホフの丘に球根を植えました。

 
 
   
ジェイソン・カンタウェイさんの一言

 
 インドのディーラジ・レディさんから

 
ジェイソン・カンタウェイさんから

 
 
メキシコなのでスペイン語で一言
  ケニャ・マリアン・イバラ・プラダルさんから 




2012年11月


             陶芸で国際交流 

 若いころから陶芸に興味を持っていた私は、9年ほど前、たまたま三島で陶芸教室を見つけ興味本位で通うことにしました。陶芸全てが面白く、土をこねあげ、焼き、色を付けてまた焼く、釜の蓋をあけてみるまで出来具合がわからない作品に、一喜一憂するスリル感、その過程全てに魅了され、趣味が高じてついにその3年後には自宅に作業場と窯も作ってしまいました。大小の皿から湯呑み、どんぶり、茶碗、花器と、いろんな器に挑戦しています。
 5年ほど前でしょうか、日本文化を知るために訪れていた米国の大学生数人に、たまたまわが家で陶芸体験をしてもらったことがありました。大層喜んで帰っていきましたので、また何かのきっかけに外国人に陶芸の楽しさを味わってもらいたいと思っていたところ、最近日大の米国人留学生のジェイソンさんに湯のみ茶碗の手ほどきをする機会がありました。成形が済んで乾かしている最中に、近所の親戚に滞在していたオーストラリアの男女3人が、私が陶芸をしているといううわさを聞きつけてやってきました。彼らは陶器が大好きで沼津で抹茶碗も買ったそうです。私は自分の作品のいくつかを見せて、自分で作るともっとおもしろいからやって見るかと勧めると、3人とも目を輝かせて二つ返事でやることになりました。彼らは予定していた京都旅行の時間まで変更して制作に没頭し、思う存分楽しんでいました。今頃完成作品は海を渡り、彼らと対面しているかもしれません。愛着ある自作の品を手に取り、陶芸を習い始めたいという思いをさらに強くしていることでしょう。現在私は、伝統の三島茶碗、柔和な顔のお地蔵さん、魔よけの沖縄のシーサーなどを作っています。淡々と作って行くだけですが、実に楽しいので、陶芸を始めてみたいという日本人のかたも歓迎いたします。 三島市 (Y.F)
 


            ケニャさんを迎えて

 メキシコからの留学生のホームステイ(2泊3日)を依頼するGIA事務局の小松さんのメールを読んだとき、数年前にホームステイした中国の中学生を思い出した。あの時は、言葉や食事のことなど、あれこれ気になったけれど、実際は受け入れてみないと見当がつかないことがあることを学んだ。今回の受け入れ条件は、猫が好きかということだけ。メキシコ人だからという既成概念もなかった。1年間、日大で日本のアートの勉強をしたいとのこと。
   
 初めて和食ランチ


 修善寺・独鈷の湯で
 ↓下の写真はセミの抜け殻を持った時

 9月13日の昼頃「三島駅に到着」とケニャさんから小松さんに電話があり、小松さんと一緒にPCの写真を頼りに主人に迎えに行ってもらった。会議のあった私は遅れランチの場で初対面。とてもシャイな感じの口ピアスの女の子。小松さんのガイドで、源兵衛川やホタルの塚田さん宅を訪ねたりした。帰宅途中スーパーに行き、食べたいものを尋ね、何となく好きな物が分かってきた感じ。このホームステイの機会の立役者、ジェイソンさんにケニャさんも是非会いたいとのことで連絡。彼の都合も良く我が家に招待。彼女は、ミルクとオレンジジュースが大好き、お酒は飲まないし、辛い物はだめ。彼女が選んだ秋刀魚の刺身などで夕食。話の内容から、飛行機が揺れたこと、品川駅で大きな荷物を3個持って1時間も迷ったとのこと。か   なり疲れている様子なので、お風呂に入って(シャワー)早めに休んでもらった。
 2日目は少し疲れがとれたのか、出かけたいとのことで、修善寺まで足をのばし、あたりを散策。ソバにも挑戦。川や寺の竹林の写真などをパチリ。帰りに長泉の駿河平自然公園に寄り、美術館があることなど紹介した。途中、蜘蛛の巣の写真など写していた。夕食は、すしをほんの2貫食べただけで、やっぱり、疲れていたのだと判断して、8時にそうそうに眠ることに。お風呂は朝シャンで。
 3日目11時に日大に集合予定。朝、ミソスープなどで軽く食事。荷物を整理したり、2階から荷物を主人におろしてもらったり、あっという間に時間がきた。ホストの役割はケニャさんを無事に学校側に引き渡せば済む。娘が嫁いでガランとした部屋に、僅かでも誰かがいた余韻が残り、ふっと彼女がいないことにも寂しいものだねと、主人と話した。今後また、我が家に遊びに、猫のサラに会いにきてくれることを願っている。    長泉町 (S.T)
   ※後日サプライズで、しのぶさんの日本画展示に、友人と小松がケニャさんを案内し、感激の再会!




2012年10月


                      バリにて

 「青木さん、1週間ぐらい続けて空いているのは、何月ごろ?」。高校の同窓会で、還暦祝いの幹事をやったのがきっかけで、「和みの会」が続いている。60歳まで、会社に勤めていた人、自営業の人、主婦だった人それぞれの6名です。仏、英、カナダ、スイス、イタリアと旅行している。今回は戦略で、私の都合を聞いて「峯ちゃんの骨休み、リフレッシュ」とか、理由を付けてバリ島に決定。定番の観光や、水中散歩シーウォーカーとか、エステとか高級ホテルでの連泊。「お姫様旅行」という別名があるそうだ。
   
 浜辺のバイク  海に沈む夕日

 飛行機の中から幾つかの島が見え、バリのデンバザールへ着いた。バリらしい門構えのアーチをくぐり入国手続きをすませた。「緑色のシャツを着て、和みの会様と書いてあるプレートを持って待っています」とのこと。出口を囲むように多くの出迎えがあった。その中に、小さなプレートを持った人の良さそうな男性を見つけた。
 大きな荷物はホテルに直行らしい。私たちは即、市内観光が始まった。オカさんの案内でアリさんの運転だ。周りの街路樹はさわやかな風で揺れているが、この車の中はきつい冷房車だ。
   
 遺跡の前で  ケチャダンス

 まず市内に出て、驚くことはバイクの群れだ。2~3連並びで走る車と車の間を縫って走る。その上背中におんぶして、ステップに立たせ、後ろの荷台にもう1人、数えると「まあ!4人乗り!」。あまりにも凄いので、5人乗りを捜そうということになった。名所、旧跡よりも周りのバイクに最高何人乗っているか?興味津々だった。案内人のオカさんは「この人たちは、ほとんど無免許なんですよ。警察も見て見ぬふりをしているのです。そのようなことを、指摘すると回っていかなくなりますからね」。ちなみに、私たちの旅行中に1回だけ交通事故を見た。何処にいたのか警察官が駆けつけて、対応していた。バイクの女の人は、少し足を引きずりながら道の脇に避難するところだった。乗合のバス停もあったが、バイクの方が、利便性が高いのだろうか?あまり大きくない島なのに、目的地までが長く、整備されていない道路を走るので(渋滞を避けて農道を走ったのだろうか?とてもひどいガタガタ道だった。)そこには、田植をしたばかりの田もあり、案山子の掛けてある田もあり、稲刈りの済んだ田もあった。温暖の土地柄で、二毛作、二期作ができるということなのだろうか?田植をしている一段上の田では、鴨に田の草を取らせているという長閑な光景もあった。       沼津市 (M.A)
 


                       2012、夏

 蝉しぐれの中で、時間は無限に感じられた子供時代の夏休みは遠く、大人になってからの夏休みはありがたくもなかった。しかし学校で教えるようになってからの「夏休み」は本当に貴重だ。今年も大きなこと、小さなこと(雑事の片づけなど、でも大事!)を含め、つかの間の夏休みは過ぎた。今夏限定のできごとは「三島市事業仕分け」の市民判定人になったことだ。この役は市民から任意抽出され、受けるか受けないかは個人の判断だ。

              ◆三島市事業仕分け・市民判定人

 民主党政権になり鳴り物入りで始まった事業仕分けテレビ光景は印象的だったが、それが地方自治に広がって、その役の一端「市民判定人」が回ってくるとは思わなかった。
「仕分け人」と「市民判定人」は別だ。「仕分け人」にも2種類あって、仕分けのプロと呼べる「構想日本」からの人たちAと、三島市によって依頼される弁護士、税理士、行政書士など有識者と呼ばれる人たちBだ。仕分け作業は「仕分け人A・B」VS「 事業説明者(三島市職員)」で行われ、私たち「市民判定人」はこのやり取りを見守る。事業ごとに1時間ほどが割り当てられ「仕分け人A・B」と「市民判定人」はそれぞれ多数決によって、「不要」「再検討」「要改善」などの判定を下す。両者が異なる判定のときは「市民判定人」の決が優先される。
三島市での事業仕分けは2年目。今年選ばれた事業は「緑と花いっぱい運動推進事業」「市道維持修繕事業」「小中学校コンピューター整備事業」「救急医療事業」など14事業。ほとんどが「要改善」という判定になった。その後、その改善がどの程度進むかは分からない。
 仕分け作業は7月28日29日のまる2日間、9時から5時。昼休み以外は熱く延々と続く。今回すごいなと思ったのは外部から招いた事業仕分けのプロの人たち(仕分け人A)だ。豊富な知識で、頭脳明晰、三島市とのしがらみがない分、質問も鋭く厳しい。本当に感服した。

               ◆クロアチアなど周辺6カ国の旅

 8月中旬にクロアチア方面を旅行した。海の碧さと美しい海岸線は眺めて、長い移動時間も全く飽きることはなかった。ハイライトは「アドリア海の真珠」と呼ばれるドブロブニク(上の写真)。宮崎駿はこの街の光景を愛し『魔女.の宅急便』や『紅の豚』に登場する街並みのモデルになったという。クロアチアはアドリア海を挟んでイタリアと向き合っているがダルマチア諸島など島々を配した海岸線は変化に富んでいて、こちらの方がずっと綺麗だ。ローマ帝国時代の文化遺産も多い。内地のプリトヴィッツェ国立公園では透明な水の湖群の微妙な色合いの変化を楽しみながら散策し癒された。  三島市 (Y.S)




2012年9月


東北大震災チャリティーコンサート“心結んで”

     
On July 2, 2012, I had the honor of giving a concert at the Mishima Plaza Hotel for the benefit of the victims of the Great Tohoku Earthquake. It was an enjoyable evening for me and my jazz trio, and I want to personally thank everyone who attended this event.
The Great Tohoku Earthquake disrupted many people’s lives in Japan and around the world. There are too many victims to count, and the Tohoku region has just started on the road to recovery. But the road to recovery is very long, and it will take many years for the Tohoku region to recover to the same conditions before the disaster struck on March
11, 2011.
The Fukushima Dai-ichi Nuclear Plant is still in a very dangerous condition, and the area around the plant may not be habitable for many, many years to come. This means there are many people who will never be able to return to their homes. These victims lost everything - their homes, their jobs, and of course they lost family members too. Therefore, the victims of the Great Tohoku Earthquake will need assistance and support for many years to come.
As a musician, giving concerts is the best way for me to support these victims. I try to create music from the heart, and inspiration is the most important ingredient for making my music. The Tohoku disaster inspired me to discover the words“心結んで”, meaning “put our hearts together”. These are the perfect words to describe how we should “put our hearts together” and support the victims of the Great Tohoku Earthquake. So for me, it was very natural to choose“心結んで”as the theme for the July 2 concert. “心結んで”is also the title of the theme song that I composed for this event.
During the concert, I could feel a wonderful energy from the audience! Most of all, I felt very moved when I performed the theme song. With a slideshow of Tohoku Earthquake pictures, I hope the audience could feel the need for, and the meaning of the words“心結んで”.
Again, I would like to thank everyone who attended this event. I would also like to thank my band members and our support staff. Imai-san and Run World staff, Mishima Plaza Hotel and their wonderful staff. Most of all I would like to thank Ms. Mizuno and every Global Intercultural Association member who worked so hard to make this a successful event. The pleasure and honor was mine to work with such wonderful friends. I hope we can work together again soon!
心結んだ・・・・・Tim Donahue
 
 2012年7月2日、光栄にも、みしまプラザホテルにて東北大震災被災者支援のためのコンサートを開くことが出来ました。私やジャズ・トリオにとって大変嬉しいことで、このイベントに参加してくださった皆様には心より深くお礼申し上げます。
東北大震災は日本は勿論、世界中の人々を混乱に陥れました。数えきれないほどの犠牲者たちがその復興への道を歩き始めたばかりです。しかしその道のりはとても長く、2011年3月11日の震災前の状態に復興するまでには何年もかかることでしょう。
福島第一原発は未だに大変危険な状態で、そのあたりの地域はこれから先何年も何年も住めないかもしれません。これは自分たちの故郷へ戻れない人たちがいるということです。こうした犠牲者たちは、家、仕事、家族などすべてのものを失いました。それ故、彼らにはこれから先何年にも亘って支援が必要となるでしょう。
音楽家としてコンサートを開くことが、こうした犠牲者たちを支援する最善の方法だと思い、私は彼らのために心をこめて音楽を作ろうと思いました。作曲にはインスピレーションが大事な要素であり、この震災は「お互いの心を共にしよう」という意味の「心結んで」という言葉を私に与えてくれました。これは、私たちがどのようにしたら心を共にし、震災被災者たちの支援が出来るかを表現するのに完璧な言葉です。それで7月2日のコンサートのテーマも当然ながら「心結んで」とし、それは私がイべントのために作曲したテーマソングのタイトルにもなっています。
コンサート中、聴衆の皆様の間に素晴らしいエネルギーを感じることが出来ました。特にテーマソングを演奏した時は、大変感激しました。東北大震災のスライドを見ながら、聴衆の方々も「心結んで」の意味とその必要性を感じてくださったことと思います。
もう一度このイベントにご参加くださった方々にお礼申し上げると共に、バンドのメンバーとスタッフの皆さん(今井さん、「ラン・ワールド」スタッフ)、それに、みしまプラザホテルとその素晴らしいスタッフに感謝申し上げます。中でも最も感謝したいのは、この大成功のイベントのために大変お骨折りくださった水野さんはじめGIAメンバーの皆様です。このような素晴らしいメンバーたちと活動できることは、私の喜びであり名誉でもあります。また、そのうち共に活動出来ることを期待しています。
                         心結んだ・・・・・ティム・ドナヒュー 
 
    



2012年8月


第2のふるさとタイ

 先月久し振りにタイのバンコクに行きましたが、昨年の大洪水が嘘のように以前のままの姿に戻っていました。
 昨年8月まで暮らしていたバンコクは私にとって第2の故郷とも言えます。今回行って改めてタイは本当に平和な国という思いを持ちました。
 タイでの自然災害は昨年のような大洪水はたまにありますが、地震もなく台風も来ない、そして一年中温暖、花粉症もない。そして綺麗なビーチ、寺院などの名所旧跡、美味しい甘辛酸のタイ料理、さらには一年中盛りだくさんのフルーツ。バンコク市内には和食始め中華、欧米、アラブなど世界中の沢山の料理店があります。ちなみにバンコク市内では和食店が600近くあるとの事です。まさに東京都バンコク区といわれるだけの事はあります。
 タイマッサージもなかなかのもので日本からの若い女性観光客にも人気です。
 この様に素晴らしいものはいろいろありますが、何といっても一番は人の心の暖かさではないでしょうか。親日的なタイ人はいつも私たちをスマイルで迎えてくれます。
 昨年の東日本大震災直後の3月27日には『RUN FOR JAPAN』というチャリティーマラソンが実施されました。私もその時は参加しましたがタイ人を中心に欧米人、アジア人、
その他の国々の人も含め5000人がバンコク市内を走りました。マラソンに引き続いてチャリティーコンサートもあちらこちらで行われました。日頃はのんびりしているタイ人のこの時の素早さには私も驚くと共に本当に嬉しく思いました。
 バンコク市内には日本の何倍もの広さを誇る巨大デパートがあります。その中には水族館や映画館もありますが、たまにイベント等で博物館や動物園などがデパートの中に出現したりすることもあります。
 タイは米の自給率も200%と基本的に豊かな国です。そして国民の殆どが敬虔な仏教徒なので善行を美徳とする心優しい人が多いです。毎日を楽しく暮らしたいということでイベント好きな国民でもあります。企業内でも社員がいろいろな企画を積極的に立て年末の仮装パーティーなどは全員参加で徹底的に楽しみます。4月には水掛祭り、子供だけでなく大人まで大きな水鉄砲を買ってこれまた大はしゃぎ。11月はロイカトンという灯篭流し、川だけでなく夜空にもコムロイという熱気球を沢山浮かべますが実に綺麗です。
 日本の厳寒期や花粉症の季節にタイに避難するというのも良いでしょう。
 まだ行ったことのない方は、是非一度タイの素晴らしさを経験してみてください。  
                                         三島市 (A.I)
   
 サムイのビーチでの飯田さん

 RUN FOR JAPANのスタート風景



 


ニューイングランドの人々

  15年ぶりにGIA に戻ってきました。ギアメールを読むとGIA を立ち上げた頃の会員の笑顔がありバイリンガル環境かるたを作った時のあのパワーと感激を思い出します。またその後の活動も盛んでGIAの発足当時と変わらない皆様の努力に感謝します。
 この間、私は夫の海外赴任に伴いアメリカ東海岸ボストン郊外のアマーストに住み子供を育て私自身も大学に通いました。今回は伝統を守りながらも、寛大で常に新しいことに挑戦し力強く生きるニューイングランドの人々の様子を紹介します。

女性文化交流団体Round the World Women
 アマーストは400年の伝統のある小さな町です。西マサチューセッツの五大学の中心にあり多くの外国人が家族とともに研究や勉強で滞在します。古くは新島襄や内村鑑三が学びクラーク博士が学長を勤めた大学もあります。ある時この町で慣れない外国暮らしのため自ら命を絶つ人がいました。この悲劇を二度と起こさないため5人の女性が立ち上がり、常に外国人を家族のようにサポートする目的で女性団体が生まれました。その後外国人も加わり国際交流団体に発展しました。そこで過ごした人々が世界中に戻り活躍しています。GIA 会員も以前その会員宅にホームステイをされたこともあります。
   
女性文化交流団体のメンバーと

 
 社会貢献の感謝状を持つ小原さん

学生の起業と成功
 ある日授業でNPOについて討論していた時のことです。1人の学生が突然“I love profit!”と発言し大爆笑になりました。驚いたことに教授はこの学生の意見を尊重し起業の方法・ビジネス戦略・規範などを連日講義してくれました。授業が終わると全員でそのまま町の弁護士の元に通い商工会議所・会計士・広告会社・銀行など訪ね、熱い討論をしました。コモンと呼ばれる町の広場を中心に各事務所があり起業環境がそろい何もない学生でも夢がかなうようサポートシステムがあることに驚きました。ある人は”Chaos Solutions“という名前の家の中の整理の会社を成功させ現在は多くの分野に進出しています。またある人は”Thousands Hands“という職人集団の製品の販売会社を運営しています。私のお弁当を見ていた友人はネット販売のお弁当会社を考えました。全員成功し順調に業績を上げ教授のことば通り社会貢献もしています。私は外国人のためE-2ビザを取得後、家族も参加し日本の学校や企業のための海外研修会社を運営しました。数年前帰国のため会社を売却しましたが達成感があります。

社会貢献
 日本でも企業の社会貢献の必要性が問われておりますが、これは大企業ばかりではなく生まれたばかりの会社でも可能です。この目標を立てることが企業活動の原動力の一つになると実感しました。私共の場合売り上げの5%は文化交流の目的で毎年図書館や交流団体に寄付する目標を立てました。また別に日本の雛人形・五月人形・能面・衣装・本などの寄贈要望があり町の図書館に寄付し片隅にオバラコレクションが出来上がりました。今も学校の授業に必要な日本の民話・アニメ・文学の参考として図書館ボランティアとともにニューイングランドの町を巡回しています。
                                       伊東市 (A.O) 



2012年7月


国際交流の絆

 平成3年5月、ニュージーランドのニュープリマス市・三島市との姉妹都市調印式に出席。発端は、グローバル文化交流協会の小松幸子さんたちのペンパル交流から都市交流に発展したと聞いております。
 奥田吉郎市長を団長とする訪問団一行を、デイビッッド・リーン市長、レックス・ムーア広報部長をはじめ市民のみなさまの温かい歓迎の調印式でした。
   
 歓迎の調印式

 団長の奥田市長と訪問団一行


 タラナキ国立公園の中にあるニュープリマス市は、日本の富士山によく似た山容のエグモント山(マオリの言葉ではタラナキ山で、海抜2,518m)と、その裾野に広がる神秘なまでに美しいマンガマホー湖の景観がとても印象的でした。
 平成23年11月、姉妹都市提携20周年記念訪問団の話が小松幸子さんよりあり、「私と一緒に如何?」とのことで、楽しく参加させて頂きました。
 歓迎式典や交流晩餐会には、豊岡武士市長、ハリー・ダンホーベン市長をはじめ、小松さんのNZパパのラッセル・クリアウォーターさん、親戚の若者デイビッド・サンダーさんたちと和やかで楽しいパーティーを過ごしました。
   
 エグモント山(タラナキ山・標高2,518m)とマンガマホー湖


 ハリー・ダンホーベン
ニュープリマス市長と筆者

 姉妹都市の国際交流でも、ニュージーランドとアメリカでは、お国柄の違いが感じられます。
 アメリカのカリフォルニア州パサディナ市とは、昭和32年に姉妹都市提携し今年で55周年を迎えます。日本とアメリカの都市交流では、三島が日本で4番目と聞いております。
 私は、平成4年7月に、パサディナ市提携35周年訪問親善に参加し、平成9年7月の40周年記念訪問にも参加させて頂きました。パサディナ市は、ロサンゼルスの郊外で、ハリウッドやユニバーサルスタジオに近い高級住宅地です。広大な庭園を持つハンティントンライブラリー、全米ローズパレードのリグレー記念館、全米アメリカンフットボール大会場ローズボールスタジアム、カリフォルニア州立工科大学、ナサ(JPL)アメリカ宇宙局の研究所の見学など、とても楽しい都市です。
 GIA会員のみなさまも、今年の55周年記念の訪問団に団員として参加されませんか?
                      三島市 (M.S)
 


退職後の生活

 主人が定年退職する2~3年前から、退職後の生活がとても不安でした。というのも、リタイア後はもう働かないと宣言していたからです。年金が貰えるまでの5年間の生活はどうするのかという心配で、すでにご主人がリタイアされた友人の話も聞いたりしました。
 
   筆者



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ご主人の夢は
こんなキャンピングカー?

 静岡新聞に村上龍の55歳からのハローライフという連載の第3話のキャンピングカーという話の中で、主人公が早期退職して、その後キャンピングカーを買って妻と旅行に行く夢を抱き、いざ車を買う時に妻に相談したところ、自分にも自分の時間があると拒まれて購入を断念するというのが、始まりのストーリーです。私の夫も全く同じようなことを言っていたので、似た事を考える人がいるものだと読んでいて可笑しくなりました。男のロマンなんでしょうか?
 退職後この6月で2年になりますが、私が働きに出る日は家事全般をこなし、時に夕食まで作ってあると、今までの夫婦逆転の生活もなかなかいい物だと思える日々です。 生活は勿論大変になりましたが、現在のエコ生活を考え、節約し、楽しみながら暮らせたらと思っています。
                      伊豆の国市 (M.S)



2012年6月


「英語」と「コーラス」

  昨年9月にリタイヤ。某銀行に30数年(定年55歳)。次に某大手水産会社に20年勤務(退社時75歳)。今までの仕事人間から生活人間への人生を歩むにあたって、大きな戸惑いを感じていました。
幸い妻の勧めもあってグローバル文化交流協会に加入し、現在英会話を勉強中。
実際には自分自身が高齢世代に突入し、要介護状態に陥ることなく健康でいきいきとした生活を送ることができるのか大きな不安を抱えていました。また認知症や欝にならないよう、毎日の生活に充実感があり、目的を持って楽しんで過ごしていくのが何よりではないかと思います。
1 Follow your dreams and never give up English.
皆さんのレベルに追いつくのには大変ですが、毎日努力すればなんとかなるという気概でいます。
   


左から4番目が真鍋さん
2 もう1つ、今後の生活人間への再設計として私が所属している合唱団のことについてふれてみたいと思います。
熱海YMCA「女声合唱花秞(はなゆう)」、「男声合唱鼓勇(こゆう)」のことです。「花秞」は設立40数年、「鼓勇」は設立14年の歴史があり、熱心で東部では有名な宮本玲子先生(ピアニスト・国立音大卒)のご指導の下に熱海市内をはじめとし演奏旅行もしています。「鼓勇」は少人数(12名)ながら、東部沼津の男性コーラス「BOSCO」には技術的にはるかに及ばないけれど毎月曜日には、楽しく、また明るく練習しています。
 去る4月14日には、熱海の起雲閣で中山晋平没後60年を記念して、たいらいさお氏のコンサートがあり「花秞」、「鼓勇」も賛助出演して好評を博しました。本年12月には「花秞」「鼓勇」の合同コンサートを企画しており、今から練習が大変です。
 
中央が真鍋さん
平成20年5月31日熱海市観光会館で 

以上が、リタイヤ後の私の生活の基盤となっています。     函南町 (T.M)
 


「東方神起」in TOKYO DOME!!

 皆さんは「東方神起」をご存知ですか?ユノとチャンミンという、歌も踊りも最高な韓国人男性、2人組です。今まで、アイドルとは無縁の人生を送ってきましたが、この年齢で、初めて好きになったアイドルが「東方神起」です。
 先日、東京ドームで行われたライブコンサートに行きました。一人での参加で心細かったものの、開演前には隣の席の、やはり一人で来ていた女性と楽しくおしゃべり。共通の話題があると、あっという間になかよしになります。
 開演時間になり、場内のライトが消されると、真っ暗な闇の中に光るのは5万本の赤いペンライト!これが言葉では表現できない美しさなのです。ここは宇宙なのか?と思うほど幻想的な雰囲気の中、ユノとチャンミンの登場に、観客からの大声援が鳴り響きます。そこから先は、2人の歌声とダンスに酔いしれるのみ…。曲の合間には彼らが日本語で、楽しいおしゃべりをします。来日したばかりの頃は、日本語がわからずノイローゼになったとも言われていますが、今ではそんなことをまったく感じさせない流暢さ。外国語を勉強している一人としては、彼らの努力家としての一面にも感動です。
 アイドルのライブは初めてでしたが、ウキウキワクワク、本当に楽しい経験になりました。
 「アイドルに夢中になる中年おばさん」を蔑視する風潮もありますが、実は「誰かに憧れる」ことで、エストロゲンという女性ホルモンが分泌されて、健康にもいい影響があるらしいんですよ。お薬なんかに頼らずに、今後来たるべき体の変化も乗り越えられそうな気がします。皆さんも誰かに「ときめく」気持ちを忘れずに!          
                      三島市 (H.O)



2012年5月


五十からの手習い!

~始めちゃいました!バンドの仲間入り~

  私にとっての音楽は、さまざまなジャンルの曲を聴くだけのモノでした。それが3年程前、縁あって知り合いの社長さんから「キーボードをやってみないか?」と声を掛けられ、おたまじゃくしを少しだけ読めたことでハイと返事。しかし、練習に参加したものの全く知らない曲ばかり。コード譜と音源を渡され「何百回も聞いて耳コピーをするように」と指示されました。その時から悪戦苦闘で、自分の軽返事に少々困惑、後悔はあったものの“やるしかない!”と必死でした。夢にまで曲が流れていることもしばしば。でも、楽器を奏でるっていいです。大いに刺激になり人の輪がまた大きくなります。日々の生活に練習時間が加わり、生活リズムにもメリハリができました。

   

皆で演奏する事は仲間の音に合わせ邪魔をせず、曲に色をつける音作り、そこには、思いやりと優しい気遣いとで協調性も養われます。五感を使ってその曲をイメージし、情景を思い浮かべながら表現するのは、感性が磨かれ脳を活性化するし、適度な緊張感は体内細胞をも活性します。そして何より指先を使い記憶する事は「ボケ防止!」にも。仲間との連携プレーは絆も生まれます。気が付けば何時も人に恵まれ、様々な人たちからの助けを得て、多くの学びを受けていると実感して感謝しています。
ひょんなきっかけで、楽器を手にし、音楽が好きになり、人前で演奏することになるなんて、それこそ「わくわく、ドキドキ!」。そしてまた一つ好きな事ができていることに本当に感謝です。
まだまだ、未熟で仲間の足を引っ張らないようにすることが精一杯な私ですが、是非一度、皆さんも私たちのライブを聴きに来てください。きっと誰もが、自分も何かやってみたいと心が弾むと思います。私以外は、ギターさんも、ドラマ―さんも、プロ級ですので演奏は聴き応えがあると思います。
最近は月に2、3回のライブを、歌とバンド演奏で活動中。バンドの曲に合わせて踊る人、歌う人がいて、とても楽しいひと時を過ごせると思います。ちなみに次回は4月28日(土)です。
    *ライブハウス:沼津市足高「網台館(もうたいかん)」
     電話:055-929-7870 駐車場あり
                                      沼津市 (H.T)
 


ANK(あしたの会)支援者の皆様へ

アーミン・モーディさん(寄稿)

 
   

 ANKは、過去13年間マハラシュトラの地方の女性たちの地位向上を目指して、皆さんの支援を得ながら様々なプロジェクトを行ってきました。そして2012年3月10日の「女性の日」にその成功を祝ってイべントを開催しました。約250人の女性たちが「ANKホール」へ、熱い思いで集まりました。

   

 プログラムは、いろいろな女性の情熱のこもった歌で始まりました。次に村の若い女性による寸劇が行われ、その内容はドウリー制度(女性の結婚時持参金)、早婚、胎児殺しといった社会の悪習を扱ったものでした。
 それから村の女性たちの寸劇が披露されました。それも男性支配の社会を認めてはならないというもので、男性のアルコール依存症により多くの女性が犠牲になっていることを扱ったものでした。出演者の演技は見る人の心を打つ自信に満ちたものでした。女性の日々の生活の一部になっている社会悪をユーモラスに扱い、観客の共感を呼んだのです。
 村のリーダーとなっている女性たちも、数年前には家を出る勇気もなかったくらいだったのですが、ANKのお陰で今や自信と誇りを持って女性たちの共同体の進歩について話せるようになりました。経済的自立のための乳製品販売協同組合や養鶏業、村の衛生事情改善のために各家に取り付けられたトイレ、自転車プロジェクトや奨学金制度による少女たちへの高教育などと言った根本的変化は、自分たちの問題は自分たちで解決しようとする態度に表れていました。

   

 午後はNGOの援助による賞の授与と美味しい食事で閉会しました。実際、参加者たちすべてにとって、もっとも満足のいく記念すべき一日でした。




2012年4月


朗読家「おつきゆきえ」さんのこと

 
 おつきゆきえさん

       んたうのたべものや おいしい時間をお届けします

 毎日の暮らしの中で、ゆっくりお茶でも飲むようにおはなしの時間を楽しむ・・・
 こんなことが自然にそこここでうまれたら、こころがゆるりとほどけて楽になるかも知れません。
 これは、おつきさんのパンフレットの中の言葉。そう!彼女の朗読を聞いていると、いつの間にか、まるで魔法をかけられたような世界に引き込まれる。今まで、心の隅にしまい込んでいた大切なコトを思い起し、優しい気持ちにしてくれる彼女の不思議。
 ここでご紹介する「おつきゆきえさん」は、朗読を生業としている繊細で、愛情深く、感性豊かな女性だ。朗読を、故・俳優木村功氏に師事し、かつて東京で絵本と木のおもちゃのお店“ピースランド”を主宰していた。
 絵本をこよなく愛し、宮沢賢治を作品共々、愛し、愛し抜いている。力まず、創り過ぎず、押し付けず、自然体。その上、温かみのある柔らかなよく通る声で、様々な絵本や賢治の作品を朗読する。時に「なぜマイク無しであんなに良く聞こえるの?」との質問に「私、からだ全体が楽器みたいなんです」と答えるゆきえさん。
  “大人のための絵本の会”を依頼されると、場所や日時に合わせて、彼女が決めたテーマを元に、絵本を選んで持ってくる。気ぜわしく過ごす日常の中で忘れがちな感謝、優しさ、思いやり等、心に響く言葉がテーマとなっている。本と本との間をつなぐトークも絶妙で楽しみの1つだ。
 思わず口元がほころんでしまう話や、心に沁みて涙がポロリの時もある。こんな時、いつもどこかで我慢するオトナでいようとする自分から離れて素の自分がそこにいる。大人になって、他人に絵本を読み聞かせてもらった経験のある方は少ないと思う。
 皆さま、豊かな絵本の世界と宮沢賢治の世界をおつきさんの朗読会でご一緒に楽しんでみませんか?「全国どこへでもお届けします」。そう彼女はおっしゃっていますから。
                                     大月市 F.S
 


「わくわく」を探しつづけよう

 2月にグローバルサロンで“「心」と「もの」のわくわく整理法”のお話をさせていただき、とても多くの皆さまが聴いてくださったことに心より感謝申し上げます。アンケートにたくさんのうれしいメッセージが書かれ、帰りの新幹線の中でそれを読みながら涙が止まりませんでした。

 「思考と空間の整理法」を伝えていくという「ライフオーガナイザー」の資格を取ったのは去年。私が20年以上慣れ親しんだ三島を離れて東京に住み始め、その環境の変化にとまどっていたころに出合った考え方でした。子育て、転勤、介護など、特に女性は家族のことで自分の環境ががらりと変わってしまいます。

 そのことに寂しさを感じていた折りに、どこにいても「わくわくできる」自分らしさを探そうとしたことが、ライフオーガナイズにつながりました。部屋の整理も苦手だった私ですが、実は「心」の整理と深くつながっていたのですね。それを勉強し始めると面白くて、今度はそのことを多くの方に伝えていきたいと思っていた矢先に、サロンにお声かけいただきました。

  その最初の1歩となる講座がグローバル文化交流協会でできたこと、しかもその話に多くの方が共感してくださったことに過去と未来がつながったような思いがして、感激の涙があふれたのです。未来の「わくわく」を探そうとお話させていただきながら、それは自分へのエールでもありました。

 昨年から日本ライフオーガナイザー協会では、「ゴミゼロ」の日にちなんで5月30日を「オーガナイズデー」と制定しました。そのイベントが今年も全国で行われ、私は5月26日にさいたまで講師として80人の前でお話をさせていただくことになりました。こんな経験も初めてのことですが、グローバルサロンで皆さんが大きく背中を押してくださったと思っています。本当にありがとうございました。
                                       東京都 T.O

 




2012年3月


スペイン語

 学生時代、「ラ・クンパルシータ」、「ベッサメムーチョ」、「さらば草原よ」、早川真平とオルケスタ・ティピカ東京、藤沢嵐子などをレコードで聞いていたのは半世紀ほど前の事でした。
 会社の仕事で地球の裏側にあるブエノスアイレスに行った時、世話をしてくれた友人が結婚し、大きくなったその息子さんと手紙のやり取りが始まりました。初めは英語だったが、そのうちスペイン語でやるようになった頃、グローバル文化交流協会のスペイン語講座に出会いました。
 人称別の動詞の変化が難しかったが、当時NHKのスペイン語講座入門を読み始めていたので,少しずつ進歩するようになりました。現在は電子辞書と昔の辞書を併用してテキストの勉強をしています。時々「この単語は前に引いたな?」と何回も同じものを引くこともあり、頭の中に留まらないことに年を感じます。
生徒は女性3人、男性2人、5人がナタリア福岡先生の指導を受けています。
 テキストは、スペイン語で書かれた世界中の特派員からのニュースを和訳し、言葉の使い方や意味を学ぶものですが、知識が増えて楽しい授業です。
時々日本語だけで盛り上がって先生からスペイン語を使うように注意されますが、人の話を聞きながら話すのはとても難しいことで、聞くか話すか一方になってしまいます。
 スペイン語を聞きながら話すことが出来るようになるには、小学校高学年ぐらいの学力が必要と思います。毎日の会話の中で訓練されていくのですね。
 世界中にスペイン語を使う人は沢山います。年をとって海外に出かけることは少なくなりましたが、焦らず少しずつ授業を通じ言葉に触れていきます。

                                    三島市  K.N
   

 ナタリア福岡先生のスペイン語講座のひとこま。昨夏、何人かが、GIAでのOJT体験にスペイン語講座の参観をさせていただきました。その時撮影の写真です。ご協力、ありがとうございました。
 


旅の思い出

   
 オーストリアの山岳道路

 リンデンバウム

 私は若い頃から自然風景に惹かれてよく歩きました。1990年から時間に余裕ができたので海外に目を向け始めました。山々を望む風景には心を癒してくれ共生を強く感じ魅力が倍加します。例えば、オーストリアではウィーンの森の散策、6月にはリンデンバウムの気品ある香りが漂うシェーンブルン宮殿など。

     
 湖水地方のハルシュタット村

 大石さん

 インスブルック

 また、湖水地方(ザルツカンマーグート)、エリザベートがこよなく愛したバートイシュル、世界の湖岸の町で最も美しいとされるハルシュタットは、忘れ得ぬ風景です。また、東チロルにはグロスグロツクナー(3,797m)を展望するアルペン道路など、山岳風景も素晴らしいものです。
 西チロルのインスブルック(1964年、1975年のオリンピックの開催地)の町並み、郊外に足を延ばせば素晴らしい景色が広がります。

   
     至る所に遊歩道がある
      左からアイガー、メンヒ、ユングフラウ


 レマン湖畔

 隣のスイスは箱庭のような小さな国ですが、鉄道網が整備され1年中雪のあるアルプスを眺めながらのハイキングはお勧めです。
 南のレマン湖畔はチャップリン、オードリーヘップバーンなど著名人が住んでいたこともあり,極めて風光明媚な所です。実に奇麗な素敵な国ですね。
昨今は体力的に無理がきかないので、日本の四季を楽しんでいます。昨年2月には東北地方の冬景色を楽しみましたが、流石に温泉付きの旅となりました。
                                     
                                     三島市  T.O





2012年2月


琴に関わり、?十年 

   
 「グローバル年忘れポットラックパーティー2011」で琴の演奏を披露

 昨年、千福が丘富岳クラブより2年ぶりに、「また邦楽コンサートを・・・」とリクエストがあり、第3回目のコンサートを行いました。
 琴、三弦の道に入って40年以上。埼玉におりました頃は、三曲連盟の定期演奏会(毎年)生田流宮城会としての大がかりな(国立劇場、NHKホール等)演奏会には、お弟子さん共々出演して、それこそ体力、気力も使ってやってくることができました。
 裾野に転居してからは、うちうちのお勉強会、お弾き初め会等させて頂き、入間、御殿場、裾野のお弟子さんと和やかに交流してきました。
 現在、千福が丘に居住して今年で10年。地域の方々とも親しくして交流も深まり(夫共々)町内会館でのコンサートも1回、2回目と楽しみにしてくださった方々が「今年は無いのかしら・・・」等と心待ちにしていてくださったとお聞きして、何とも嬉しくありがたい気持ちで、夏前から準備を進めてきました。
 猛暑で7、8、9月頃は体調不良で下合わせもなかなか思うようにならなかったこともありましたが、涼しくなって回復しつつある時に10月28日を迎えることとなりました。100名近くのお客様にお越し頂き、何とも嬉しく光栄なことで、またグローバル文化交流協会(GIA)会員の方々においで頂き、お引き立て頂いたことに感謝です。GIA会員になり10年以上が経ちます。イベントに参加させて頂くことで、会員の皆様のお人柄、すばらしい能力を持った方々とお知り合いになれたことで、喜びいっぱいです。
 どうぞ皆様本年もよろしくお願い致します。
 今月は、お正月に中1の孫のバイオリンに合わせて「春の海」を弾き、有料老人ホームではボランティアの演奏を予定しております。       裾野市 Y.T
 


 インドのコルカタで、
「日本とインドの文化交流」を実現


 

   

 長年、私が温めていたことは、日本とインドとの文化交流。企画するなら、日本とインドの文化交流に深い関わりを持ったタゴールの生誕150年の2011年に、是非実現させたいと願ってきました。そしてついに、私と生徒たちの合計15名は、その願い実現のため、2011年11月にインドへ行って来ました。
 開催場所は、私の出身地コルカタ市内にある「タゴール・岡倉天心記念会館」です。インドに着いた翌日の午後4時から5時30分頃までの1時間半、ワークショップを開きました。そこでは、折り紙、書道、紋切り、ラッピング、お箸の使い方など、日本文化の紹介と体験をしてもらいました。
 そのあと8時30分までの3時間は、舞台で日本の紹介をしました。さくら、花笠音頭、おてもやん、よさこいソーラン節、次々と衣装を着替えて踊りました。着替えの早さに、インドの皆がビックリしていました。
 そしてインドの家族(ポリバル)が、タゴールの歌、詩の朗読をした後、それに続いて、タゴールダンスを踊りました。
 いよいよ舞台での交流のクライマックスは、出演者全員と会場の皆と一緒にタゴールの歌をベンガル語で歌いました。 心と心が繋がって、1人ひとりの思いが交流したなという実感と感動をいただきました。
 思い返すと、インドに着いてからワークショップ開始までの短時間に、皆が実に手際よく素敵にセッティングしてくれました。体験コーナーでも、インドの人たちとの交流がたくさんあったようです。また出発前の忙しい中、プレゼント用にと日本の可愛いお菓子をたくさんの小袋に分け、その1つ1つに小さな桜の花びらをかたどった千代紙などを入れた心遣いにも、感謝と感動の連続でした。
 この素晴らしい体験と感動は、心に深く刻まれていつまでも残ることでしょう。この交流に関わったインドと日本の皆様に、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

                                       沼津市 S.I





2012年1月


     函南町の姉妹都市カーマン市を訪問して

 私たちはスティーブとその家族に会いたくて、函南町の姉妹都市カルフォルニア州カーマン市を10月18日から21日まで姉妹都市交流25周年の訪問団の一員として訪れました。
 スティーブは大学生の時カーマン市からの訪問団として来日し、我が家にホームステイし、その後中学のALTとして再度来日し3年間滞在しました。3年の間に彼の両親や妹も来日しました。私たちはカーマン市に行くたびに彼の家にホームステイしています。もう20年以上の付き合いになります。
 今回は日程が短く、スティーブの家族との交流がゆっくりできませんでしたが、彼の家族、カーマン市のみなさんはいつもと変わらず私たちを温かく迎えてくれました。ウエルカムパーティーでは団員の詩吟の披露、そして妻、自子の日本舞踊の披露はカーマン市のみなさんに喜んでいただきました。団員一同の合唱は練習不足でうまくいきませんでした。今年の8月には、カーマン市のみなさんから東日本大震災の義援金を被災地に役立ててほしいと送金してもらいました。
 カーマン市のみなさんの温かいお気持ちにとても感謝しています。これからも末永くカーマン市のみなさんと交流を続けていきたいと思います。            
                                函南町 (M.K、Y.K)
   
 金井さん夫妻とスティーブ・ワムホフさんのファミリー(奥さんが撮影)

 沢地グローバルガーデンの作業にも、よく参加してくれたスティーブさんに因んだ「ワムホフの丘」の看板が、ガーデンにあります。
歓迎会で、日本舞踊を披露して喜ばれた金井自子さんの舞姿


 

 15回目のネパール訪問記 (2011年11月17日~12月2日)

 今年3月末に予定していたネパール訪問を東日本大震災のため中止し、今回の訪問は1年ぶり15回目だ。
 私の訪問に際し11月25日に元ネパール首相のカマル・タパ氏(現在は、RPP-Nepalと称する政党の党首)を主賓としたセレモニーを開催してくれた。この政党は、数あるネパールの政党の中でも唯一の元ネパール国王を支持するという特異性を有す政党である。ダマンはこの政党の幹部として活動している。
 11月27日には、バネパ市(カトマンズ市東方25km)にあるベイラー・インターナショナル・アカデミーのスポーツ週間オープニングセレモニーに出席した。この学校で私たちが支援する生徒たち12人が寄宿制で教育を受けている。式典のイベントの1つとして、高学年の生徒による市内パレードが行われ、9年間私が支援してきたカマル君先頭でトーチを右手に揚げて走った。
 11月29日には、GIAサロンの講師として母国について話をしてくれたネパール青
年で、日本の大手企業で働いているウッツァブ君の兄さんの結婚式に招かれて出席した。結婚式の場所が偶然にも私がネパールに滞在中利用しているジムの真裏であった。結婚式は以前にも見ているので私にとって珍しくはなかったが、知人の関係する結婚式のため感もひとしおであった。ウッツァブ君が、あれこれと話をやき、走り回っていたのが印象的であった。
 29日の夜は「クラブ50」と称するロータリークラブのようなネパールのお金持ちのグループの月例会と、パーティーに招待された。このクラブには旧知の友人も多く所属しており、再会を喜んだ。
 ダマンを通じてネパールに多くの友人を得た。彼らと来年の再会を約束し帰国した。ネパールは、文化、宗教、習慣など、驚きが一杯の国だ。詳しくは、私のホームページ『ネパールの貧困児童を救う会-トピックス』で、ご覧ください。                  三島市 (Y.F)
URL http://web.thn.jp/nepalkoji/topix.html
 
元ネパール首相で現政党党首のカマル・タパ氏(中央)、ダマン(右)と筆者 ウッツァブ君の兄の結婚式風景。中央で座っている男女が、新郎新婦。





2011年12月


          
            真の幸せとは?
 
 三島ゆうすい会創立20周年記念研修旅行は、11月21~23日。3月11日の東日本大震災の被災地を支援したいという思いを込め、研修先を東北地方にした。以前から被災地を支援し続けている人々のお陰で、仮設住宅に住む被害者たちと直接連絡が取れ、要望の物品を2カ所に届けることが出来た。訪れたのは宮城県の南三陸町で、手づくりや寄付された防寒用品、台所用品、文房具等。(GIA会員からこのために寄せられた義援金も手渡せた。この場を借りて、心より感謝!)
 南三陸町の骨組みだけが残った防災対策庁舎の前での語り部ボランティアによる震災時の具体的な話、町民を助けようと最後まで避難を呼びかけ犠牲となった女性やその上司の話等、生々しい実情を聞き、参加者の多くは涙した。60%もの住民の命を奪った津波の犠牲者の多くは、高台に避難できない病人や老人たちであったという。その庁舎で献花、焼香をし、犠牲者の冥福を祈った。震災を経験して「真の幸せとは?」と問うた時、答えは被災者たちが皆で分かち合った「ペットボトルのキャップ一口の水や一口のおにぎり」であったという。こうした人間同士の真心の中に真の幸せがあるのではなかろうか。南三陸町では今「津波を忘れるな」と「人の真心を忘れるな」の2つが町の教訓になっているという。ともすれば物質優先になる私たちへの良い教訓でもあろう。
 また、ボランティアセンターの社会福祉協議会代表者は「まだまだ復興の見通しも立たず、現在様々な問題点を抱えている。災害から半年以上も経つとマスコミも以前ほど取り上げなくなり、人々の関心も薄れていくようで、今までのようなボランティアや支援物資が減り、心もとない」と語っていた。これほどの被害の解決には、息の長い多くの支援が必要だと思った。
 気仙沼では11月12日に被災者たちがやっとオープンさせたというプレハブの「復興屋台村・気仙沼横町」で、美味しい昼食をとった。現地での買い物も支援の1つと、参加者は、果物、野菜、土産物等たくさん買った。マスコミの映像を通して現地の様子は分かってはいたが、実際の光景の凄さに心打たれた。いつか復興の時が訪れるまで、支援を続けていかれればと思った。
 研修中は天気に恵まれ、紅葉と雪景色を同時に見ることも出来た。水に関係した視察地も意義あるもので、茨城、福島、宮城、岩手、山形と5県を回る、実に内容の濃い研修旅行であった。                   三島市 (I.M)
      
           南三陸町の仮設住宅と骨組みだけの庁舎



 
     富士山そっくりのタラナキ山にも再会

 こちらも姉妹都市提携20周年記念公式訪問団で、ニュージーランドの姉妹都市・ニュープリマス市を訪れた。同室者は、GIA会員でもある庄司峯子さん。準備万端整えて明日に備える庄司さんの姿勢は、大いに参考になった。訪問地は、クライストチャーチ経由で、ニュープリマス、ウェリントン、オークランドの3都市。たっぷり充実した旅だった。
さて、姉妹都市提携に至ったいきさつはこうである。30年ほど前、私は、近所の友人から中学生の娘さんの英語をみてと頼まれた。開いた教科書のカラーページに富士山そっくりの山があり、私は感激し興味を抱いた。その山(当時の呼称:エグモント山)や、そこに住む人々について調べ、ついに、エグモント山の麓のニュープリマス市長宛にペンパルを紹介してほしいと手紙で頼むことにした。1983年、私を含む4人の主婦がニュープリマスにそれぞれペンパルを持ち、文通が始まった。私のペンパルは、エドナ・ウッズさん。(ホームステイをさせていただいたことがあるが、とても心優しい女性。このウッズ家は、4年の歳月をかけてご主人と建てたという広い自宅で、余暇たっぷりのニュージーランドの豊かな暮らしぶりを垣間見たものだった。)
 市民の交流は続き、市制50周年の1991年に姉妹都市提携をし、今年は提携20周年を迎えた。今回の公式訪問団は、豊岡武士三島市長を団長とする温かくて愉快な人たち揃いだった。私は、NZパパのラッセル・クリアウォーターさんほか多くの友人と再会し、時間が足りないほどだった。しかも最終日の朝、くっきりとタラナキ山が現れ、一同大感激だった。ニュープリマスからは、来年20周年記念公式訪問団が来訪とのこと。こうして、世代を超えて交流が続くことは、何より嬉しい。
ニュープリマス出身でクリアウォーターさんの親戚のNZ息子デイビッドは、今年2月に離日し、オークランド大学の大学院で心理学を学んでいる。今回オークランドで再会し、庄司さんにも大変お世話になった。改めて庄司さんに御礼申し上げたい。
 ありがとうございました。
                              三島市 (Y.K)
   
 日本政府からの勲章を胸に参加したNZパパと私  デイビッドと庄司峯子さん





2011年11月


GIA事務局の時枝しのぶさんが「2011ながいずみ美術展」で大賞を受賞されました。
 
 
■大賞受賞おめでとうございます。3年前にGIAの研修旅行で訪れたインドですね。先ず目を引き、しげしげと見入ってしまったのが絵の左側の落書きのある古い土壁です。そして右側は、下方にサリーを纏った女性が薪を乗せて、涼しげに立ち並ぶ木々の前を歩いていますね。ところで1枚の絵なのに2枚の絵をつなげているかのように、真ん中を木枠で区切っているのはなぜですか?
❤初め10号で左の落書き部分のみを描く予定でしたが、面白味がないので右側の城壁外の風景を別の10号に描きました。単純に2枚で1枚の絵にするつもりでしたが、これも面白味がなく、真ん中に5 mmの木枠(額縁)を入れてみました。このようなことは経験がなく、ヒヤヒヤものでしたが、功を奏して大賞の評価の1つになりました。木枠(額縁)は搬入前日に手作りしたものですが、この質素さも良かったそうです。棚ぼたのような賞をいただき驚いています。
■私は、左の壁の落書きのリアルな描写に、「すごいな~!迫力あるな~!」と感心しました。
❤左側は、比較的大きい粒子の岩絵の具を使いザラ ザラ感を出しました。問題は右のインドのぼやっとした風景で、細かい粒子を使用しました。
風景画はほとんど経験がなく今まで描く気持ちもなかったのですが、今回の絵には右の部分が必要でした。数年前だったらたぶん左だけを50号くらいで描いたと思います。少し成長したのかな? 右の重要性に気付いたことが・・・。インドの絵を描くとは思わなかったけど、取りかかって5カ月、旅のあれこれを思い出しながら楽しい時間でしたよ。楽しい旅の思い出を作ってくださったGIAの皆様に本当に感謝ですね。 (聞き手:■乙部 美麻子)
❤は時枝 しのぶさん

 
            静岡新聞・東部版(2011年9月28日付)

世界なかよしフェアを企画して・・

 来る11月20日の日曜日に清水町地域交流センターで第1回「世界なかよしフェア」が開催されます。資金ゼロ、あるのは会場だけ、ということでスタートしました。第1回はセンターの休館日を利用させてもらい開催します。清水町で子供たちの英語活動に携わる私と友人(会員の藤原さん)で、自分たちの夢はありましたが、まずは協力してくれる人材集めでした。広報誌のボランティア募集で集まったのはたった1人。結局英語仲間の友人たちに声をかけ協力を得ましたが、なんといっても一番頑張ってくれたのが、定年退職後にグラウンドワーク三島の起業支援を受けて今年3月に一般社団法人「しずおかを元気に」を立ち上げたばかりの夫でした。事業立ち上げの勉強会で知り合ったグループや昔の会社の仲間など20人ほどの実行委員会を6月に立ち上げました。そして会社で慣れていた夫がいろいろ細かい指示を出し、皆さんにお願いしてくれるので助かります。しかし家で一緒にいるとフェアの話ばかりで、おおざっぱな私が出すアイデアに細心の注意を払って進めようとする夫とは衝突ばかりでした。お互いに言いたい事を言えば、後はすっきりです。
 イベントは全館を使って4か所のメインパートに分けて行います。今回も折り込みチラシを同封しますので、ご覧ください。画期的なのは高校生のディベート模擬試合、英会話カフェ、グローバル文化交流協会の「バイリンガル環境かるた」など、親子で楽しめる内容がたくさんあります。屋外のテントには世界中の料理が並ぶので食べ比べをお願いします。多くの人たちの協力でたくさんの出店者が集まり豪華なイベントとなりそうです。東日本大震災の募金箱も用意します。実行委員会には収益がほとんどなく資金難です!現在1口5,000円の協賛金を募りラリーシートの裏に広告を掲載しています。オリジナルTシャツも発注し、かわいいです。1,500円ですが、購入していただくと1枚につき500円が資金になります。皆さんのご協力をお願いします。それよりなにより、絶対にこの世紀のイベント(!)にご来場ください!来ないと損する企画です。10時~3時ですから、お忘れなく! 
                                   三島市 (T.U)





2011年10月


 朝日新聞「声」欄 =2011年8月22日付= に会員の深山幸子さんの投稿が掲載されました。
 
   
 「全英聴覚障害者サッカーチーム」の
選手の皆さんと
 アンデルセンとデート中の深山さん

 毎度息子のCM曲がお騒がせしています!?
 <GIA会長福井善徳さんにインタビュー>
 
 白壁に赤い屋根の美しいポルトガルの街並を背景に、「消臭リキ~!」と、天にも届かんばかりのボーイソプラノを響かせているかわいい男の子のコマーシャルをご存じかと思います。12歳のミゲル少年はこの歌で評判になり、日本での歌手デビューも決定したそうです。実はこの歌、グローバル文化交流協会会長の福井善徳さんのご長男、洋介さんが作りました。洋介さんはその明るい作風で今をときめく売れっ子マルチ音楽家です。主な作品には『東京スカイツリーオフィシャルソング』『Qooのうた』『クレラップのうた』『消臭力のうた』『そんぽ24のうた』『朝ブレンド十六茶』『でこぼこフレンズ』『ぼくときみ』『バンジョーのジョー』etc. さらに最近よく耳にする「雪印、さけるチーズ~♪」はお孫さんが歌っています。そんな有名人の父、福井さんに息子さんのことをうかがいました。
 :小さい時の洋介さんはどんなお子さんだったのですか?
 :小さいころから音楽好きで、3歳くらいに私の持っていたギターで遊び始め、小学生の時からは一人で弾いていたようです。その後大学でバンドを結成して本格的に音楽活動を始めたようです。作曲のほか、歌手も声優もしています。
 :現在はどのような音楽活動に取り組んでいらっしゃるのですか?
 :東日本大震災後に「希望のうた」という曲を制作し売り上げを復興支援に寄附していますが、これは洋介が作曲し、彼のバンドの後輩の歌手池田聡が作詞しています。この歌に洋介の長男(孫の多朗)も参加しています。
 :活動の本拠地はどちらなのでしょう。
 :今洋介家族は宮古島に住んでいます。東京の六本木のスタジオに月に数回でてきて仕事をこなしていますが宮古島に現在新しいスタジオを建設中です。実は三島の拙宅の隣に家を立てるべく準備をしていたのですが、家の解体直前に東日本大震災が起こり、福島第一原発の事故にともなう放射能の問題が発生したので、急遽工事を中止しました。その後家族で三島にしばらくいましたが、放射能から子供を守るのは親としての義務と、より安全な宮古島にあっさり移住を決め、さっさと引っ越してしまいました。
 福井善徳さんも長年ネパールの支援活動を続け、年に2度ほどは現地を訪れている行動派ですから、洋介さんの行動力も父親譲りなのだろうと感じました。なお、福井さんは近々宮古島訪問の予定だそうです。               (取材/魚谷)
   
ご長男の福井洋介さん   ポルトガルのミゲル少年





2011年9月


        南米大陸感動の3カ国周遊の旅

 5月24日から6月3日まで11日間で、南米の旅を楽しんできました。羽田空港からロサンゼルスを飛行時間9時間12分、ロスからリマを11時間、リマからブエノスアイレスを3時間50分、乗り継ぎを入れると30時間あまりで最初の目的地ブエノスアイレスに着きましたが、トランクが届かず着替えがなくて寒い夜を過ごしました。朝ブエノスアイレスの街は、ヨーロッパの街並みのようでした。そして片側6車線の広さにもびっくりし、国内線空港の近くを流れるラブラタ川の200㎞の川幅にも驚きでした。
 次に飛行機でイグアスに移動をして、イグアスからバスにてブラジル側イグアスの滝へ。イグアスの滝の上流から滝の下に降りて山道を進むとやがて大きな滝が見え、さらに白糸の滝がいくつも見えて、だんだんと滝の近くでは水しぶきが体にかかってきて、カッパを着ないと濡れてしまいそうでした。
 オプションで滝のボートツアーに参加して滝の水が落ちるところまでいった時、大きな虹が見えて最高の景色で感動していたら、ボートの運転手さんがスリル満点に波乗りをして全身ずぶぬれになり、マイナスイオンを楽しむどころではなっかったです。でもこの体験は二度と味わえない醍醐味でした。
 次の日はブラジル、アルゼンチン、パラグアイ3国の国境地点を見て、バスでアルゼンチン側からのイグアスの滝へ移動、途中トロッコ電車にも乗って、川の中にある歩道を3kmぐらい歩いて、有名な「悪魔ののど笛」と呼ばれる滝を上からのぞくと、その奥に吸い込まれそうになるくらい多くの水量でした。そして水の色が黄色だったのも不思議でした。
 2つ目の目的地「ナスカの地上絵」へピスコから軽飛行機に乗り、30分かけて砂漠の上を飛んでナスカ平原にあるいろいろな絵を旋回しながら見たのですが、それが大変な飛行で、飛行機の車輪が窓の外に見えていました。素晴らしく視界良好で、すべての絵を見ることが出来て良かったです。
 次の日はリマの市内観光、黄金博物館ではインカ帝国の財宝の展示を見て、子供のころ読んだ「インカ帝国の謎」を思いだして、黄金のすごさと、まだ分からない謎も多いことを知りました。
 そして最後の目的地「マチュピチュ」に行くため、クスコからウルバンバに移動して体を高山にならしてから「マチュピチュ」観光です。朝雲ひとつない晴天の日でとても幸運でした。世界遺産なのでいろんな国の言葉が聞こえてきて、さすがと思いました。そしてテレビ、写真に出てくるとおりの天空都市が眼下に広がり、ほんとうに息をのむほどの美しさでした。そして帰りの列車の中は通路でファションンショーを見せて楽しく賑やかでした。また、初めてみた「南十字星」もきらきらと輝き素晴らしい星空でした。またクスコの市内観光も標高3,399mでしたが 酸素の薄いのも気にならず観光できました。この旅行で11回飛行機に搭乗しましたが、搭乗券を買う時や税関を通るとき、英語で話すことができて良かったです。そして、なにより幸運だったのは、すべての目的地が晴天だったことです。
                                     裾野市   (S.T)


         ひょんなことから紫式部役に

 女優・藤田弓子さんと知り合って間もないが、GIAなどで培われたキャラがそうさせたのか、紫式部役で舞台に立つ・・・正確には、舞台を歩くことになった。演劇「天国のシャボン玉ホリデー」は、藤田弓子さんのご主人で脚本・演出家の河野 洋(こうの よう)さんによるもので、小松政夫、入山 学(いりやま あきら)、藤田弓子、犬塚 弘、そして、劇団「いず夢(む)」の出演。
 伊豆の国市で行われるお稽古にも通った。「こんばんは!」と入って行ったら、「おはようございます!」の挨拶。皆で創り上げる舞台なのだと感じた。小松政夫さんに「いいキャラしてるね」と何度か言われた私は、どぎまぎ。業界用語かな?入山 学さんが、NHKの金曜バラエティーに出演していた。人は知り合うと距離が縮む。皆、個性的で印象に残る人たちだった。舞台を見に来てくださった多くの友人知人の皆さま、ありがとうございました。6月25日(土)、26日(日)、笑っていただけましたでしょうか? 
                                     三島市  (Y.K)
   
 





2011年8月


このたび京都へ転居されたロバート・イエリンさんから届いた、グローバル文化交流協会のみなさまへのメッセージです。英文、写真とともに、お楽しみください。既に、京都のお店を訪ねた会員もいらっしゃいます。
みなさまも機会を得て、京都で再会というのは、いかがでしょうか?

   
To all Global Members, Greetings from Kyoto.

What a journey this thing called life has been for me and for more than half my life (26 years!) was in the special places on earth called Mishima and Numazu.

Where to begin on how magical, special, inspirational, educational, fun, and joyous Mishima, and all of you, have been in my life, and for that I deeply thank you.
In 1982 I first arrived in Mishima, returned in 1984, married at Mishima Shrine and all three of my children were born in Mishima, in Kotobuki-cho! As many know my passion for Japanese ceramic art led me from being an English teacher to becoming a writer and then a gallery owner; for ten years the gallery was in front of lovely Komoike Park and people from all over the world visited there especially to see the stunning art works. Many said, “what a wonderful area of Japan you’re in” and I certainly agreed! They loved walking along the streams and through the parks. Please keep Mishima Green! Many more visited online and I always replied to emails starting with ‘Greetings from Mishima.’ So many around the world now know that Mishima is not only a famous author yet also a very special city in Japan.

So why did I leave? Let me say it wasn’t an easy decision at all and I pondered it for a few years, often with sleepless nights; I love Mishima, and Numazu, always will. Yet for practical business reasons it was no longer feasible to remain. I needed to be in a place where there were more people, more domestic and international tourists, and a place closer to all the kilns I love, such as Bizen. Therefore Kyoto was the natural choice. Plus, I found a most amazing Sukiya house with a lovely garden just a few minutes walk from the Silver Pavilion (Ginkakuji). The house is full of spirit and is the perfect stage for all the artworks we show, it truly is as if I wake into a dream each day. Already I have visitors from around Japan visiting, and of course I hope international tourists will return to Japan soon. For all my Mishima friends and Global members please stop by for Tea anytime!

I’m attaching a few photos here so you can see the beauty of this home—now called Gin-Ro-An—and the surrounding area very near The Philosopher’s Path and many historical temples are awaiting your visit too.

Thanks so very much to all Global members, the memories I have of being part of your very important group—you’ve touched many lives and made many positive changes in the community—I shall cherish for the rest of my life, thank you so very much; Okini!

    GIAの皆様へ京都よりご挨拶
                  ロバート・イエリン
 人生の半分以上を、三島、沼津という素晴らしい場所で、皆様のような素晴らしい方々と過ごせたことを大変嬉しく感謝しております。1982年に初めて三島を訪れ、再訪時には結婚し3人の子供にも恵まれました。やがて日本の焼き物に魅了され、数年続けたGIAの英会話講師から焼き物評論家に、そして菰池公園の前のギャラリー・オーナーになりました。作品を見に訪れた多くの外国人は菰池公園にも魅力を感じ、私は羨ましがられました。インターネットで世界中に作品を紹介する私は、彼等からの返事にいつも「三島よりご挨拶・・・」で始めるので、三島は有名な焼き物作家がいるだけでなく、日本の素晴らしい街だと認識されてきました。
 こんな三島を去るにあたって、私は数年悩み眠れぬ夜もありました。しかし仕事上の理由で決断するに至りました。国内外からの来訪者をもっとお呼びしたかったし、好きな焼き物作家の住まいに近いことも必要でした。その意味で京都は自然の選択で、しかも銀閣寺から徒歩数分の素晴らしい庭付きの数寄屋造り日本家屋を見つけることが出来たのです。精神性に富むその家は私の展示する芸術作品にぴったりで、まるで夢を見ているかのようです。ここにはすでに国内の愛好家がいますし、諸外国からの愛好家たちもやがて戻って来ると信じています。GIAの皆様も、こちらにお出掛けの際は是非お立ち寄りください。 
〒606-8407京都市左京区銀閣寺前町39  ☎075-708-5581 FAX 075-708-5393

 
 
 





2011年7月


 今月は、Ⅱ期グラウンドワーク・インターンシップのOJT(実地研修)でGIAのプログラムに参加し、横浜在住なのにGIA会員になられた佐藤暢之さんと、長年三島市議会議員として活躍され、今年からは議員以外の活動に専念されるという志村肇さんの2人の男性GIA会員です。


    世界の中で、日本も我々もグローバルに変わっていかないと
 
 今後淋しくない人生を送るため、ボランティアやNPOというものをもう一度きちんとやってみようかと思ったのは、“アライソ”になってしまったなあと実感した昨年の8月でした。30代の頃、海辺のごみ拾い(今風だとビーチクリーン)とか今思えば先駆けのようなことを幾つかやってはいたのですが、10年以上もご無沙汰してしまっていたんですね。
早速土日になると横浜市にある区民活動センターや国際交流ラウンジなどを巡り、チラシを見たり、職員さんと仲良くなっていろんな話を聞いたり、または団体の人と話をさせてもらったりするようになりました。
 11月には横浜市のコーディネーター養成講座に参加、研修を受けたのですが、コーディネーターとは何だろうと自問自答しながら、何かやらなくてはとちょっとあせりだしたのがこの頃でした。
 年も明け2月にはグラウンドワーク三島の研修があることを知り、3月のコースに参加させてもらいましたが、その途中には東日本大震災があるなど大変なこともあった中、普段出会えないさまざまな人に出会い、話をする、という貴重な体験をすることが出来たのでした。コミュニティビジネスという考え方を知ったのも、この研修における大きな経験でした。
 また、自分の「土日祝日限定ですが・・・」という厚かましいリクエストにも関わらず受け入れていただいたグローバル文化交流協会でのOJT研修では、三島の良さ、三島に住む人たちの人柄に触れることが出来、とても楽しい5日間を過ごすことが出来ました。会長さん初め皆様には感謝しております。
今後しばらくは足元を見据え、「誰かのために人助けを実践する」、「NPOの活動に参加する」という目標のもと活動をしていきたいと思っています。現時点では、ユニセフ関連の募金活動などに参加したりしています。
 この密度の濃い9ヶ月間においては、「つながることの大切さ」、「仲間の大切さ」といったことを実感しましたが、一方で、大震災などを通じ日本が世界の中でグローバルに変わっていかないと生き残っていけない中、一緒に自分たちも変わっていかないといけないのだということも実感しています。GIAが果たす役割も、かなり大きいものですよね。
 横浜と三島は大変近いですし、また皆様にお会い出来る時を楽しみにしております。                                 横浜市 (N.S)


         ~・電 力 の 確 保 と 安 全 性・~        

 私は数年前から東海地震の震源域に建つ、浜岡原発の安全
性について疑念を抱くようになり「東海地震の発災後まで、原子炉の運転を停止すべきである」という趣旨の、国会宛て意見書案を平成19年9月の三島市議会に提出しました。しかし、全会一致の意見書のみ採択するというルールの中、連合3議員の反対で日の目を見ることはありませんでした。
 今年の2月議会中に起きた東日本大震災により原発災害が発生したので、同様の意見書案を提案しましたが、やはり組合出身の3議員の抵抗にあいました。そこで、(前文略)「原発震災を未然に防止するため、今回の大震災を踏まえて巨大地震が想定されている地域にある浜岡原子力発電所の安全性に対しては、徹底した地質及び原子炉の調査を実施するとともに、最悪の事態を想定した抜本対策を行うこと。」という文言に変え採択にこぎつけた経緯があります。
 ところで、原子力発電と聞けば最先端の発電機と思いがちですが、実は、水を熱して蒸気を作り、その力でタービンを回して発電を行いますので、仕組みは火力発電と同じ様なものです。ただ、熱エネルギーをどこから得るかという点で、火力発電の場合は石炭や石油を燃やして熱エネルギーを得、原子力発電の場合は化学反応によって生じる熱エネルギーを利用する点が違うのです。
 原発の発電コストは、太陽光発電などを含めた他の発電方法より安いといわれていますが、炉心の大きな崩壊熱は制御棒を差し込んで反応を止めた後でも、急には冷めませんし、発熱率が0.1%になるまでに1ヶ月もかかると言われています。使用済核燃料も10年以上にわたって冷却し続けなければなりません。そして、その間冷却に失敗すると福島原発のように放射性物質が環境中に放出されるなどの、大きな災害につながる恐れがあります。私達は費用対効果を含め、安心安全で効果的なエネルギーをどのように確保するか、真剣に考える必要があるのではないでしょうか。                                三島市 (H.S)





2011年6月


 今月も、まずは、GIAが支援している「あしたの会・インド」の主宰者、Armene Modi(アーミン・モディ)さんからGIAのみなさま宛の、インドの女性たちの近況メッセージをお伝えします。
 みなさま、いつも温かなご支援をありがとうございます。


     GIAからの支援金が、インドでしっかり生かされて・・・

 「あしたの会・インド」を代表して、インドの地方の女性たちの自立と少女たちの教育促進を目的とする私たちの活動に長い間ご支援し続けているGIAの皆様に心より感謝申し上げます。皆様のお蔭で、多くの少女たちは高校以上の教育が受けられるようになりました。また、今年の皆様からの支援金は、少女たちの来年の大学進学のための奨学金に使わせていただきます。少女たちへの教育は、家庭は勿論、広い意味では、国家の利益に繋がるのです。日本円で4万円という支援金に大変感謝しております。
 私たちの過去の活動が2つの村の家族の生計を向上させたことを知ったら、皆様はさぞ喜んでくださることと思います。ニンガオン・ボギー村の女性120人とソネ・サンビ村の女性90人は、今自分たちで酪農協同組合を経営し、1カ月に各々の女性が3,000ルピーから4,000ルピーを稼ぐ収入源としています。私たちの125の自助女性グループは、女性たちの個人的収入が約1万ルピーになるよう経営を続けていくつもりです。また今年から6村で着手した裏庭養鶏プロジェクトは、200の地方の家族の栄養レベルを改善し、女性たちの収入も今以上になっています。
 若い女性グループへの投資は、彼女たちに教育の重要性を認識させています。今年は57の奨学金を村の少女たちに与えています。これらの画期的な事業は、勿論皆様のような支援者たちがいなくては達成できるものではありません。この公的領収証は皆様の記録に残ることと思います。どうぞ私たちの心からなる感謝の気持ちをご推察ください。
 ありがとうございました。                  アーミン・モディより
   
 GIAから「あしたの会・インド」へ送金した4万円の領収証


 「国際女性の日」を祝って歌うインドの女性たち

       東日本大震災後の統一地方選挙に思うこと

 この度の統一地方選挙において、三島市議会議員として当選することができました。ご支援いただきました方々には感謝しています。この度の選挙は、東日本大震災の直後であったこともあり、いま一つ盛り上がりに欠ける選挙となり、投票率にも影響を与える結果になりました。
 東日本大震災を含め、今後どのように日本という国を運営していくかは予断をゆるさない状態であり、地方公共団体にとっても税収が期待できない状態の中でのかじ取りは、大変難しいものになっています。この選挙期間直前の震災の余波は、計画停電に翻弄されている中での、後援会活動、選挙準備では、市民の皆さんへの働きかけも十分なものとはいえず、その点については残念に思っています。
 しかし、初めての選挙活動を経験し、学んだことがたくさんありました。その中でも、選挙活動と後援会活動の区別、公職選挙法による法律的な規制(当選後のお礼挨拶の禁止など)など、戸惑いを感じることもありましたが、市民の皆さんに立候補した思いを伝えることは、私の当然の責務であり大事な活動であると思います。
 そのようなことから、できるだけ多くの皆さんと顔を合わせて対面していくことを心がけました。その中で、出会った多くの方々からのお話の中で、三島市の現状を知ることができ、訪問する地域によって生活環境の問題点も異なっていて、これからの市政に活かす課題、問題がたくさん見えてきたと感じています。
 今後は、これまでの経験を活かしながら、市民の皆さんの声を真摯に受け止めて、市民の皆さんの期待に応えることができるように活動していきます。よろしくお願いします。                               三島市 (R.N)
     
街頭演説中の野村さんと、事務所の看板に使用された写真
 街頭演説の様子





2011年5月


 GIAが支援している「あしたの会・インド」の主宰者、Armene Modi(アーミン・モディ)さんより、インドの女性たちの近況が、パワー溢れる写真と共に送られてきました。              

   国際女性の日“ International Women’s Day”を祝うインドの女性たち
   
 
  2011年3月7日、インド・マハラシュトラ州、プネー地方のNGO「あしたの会」で働く村の女性たち250人が集まり、「国際女性の日」を祝った。インドの女性たちは長い間、タバコと酒、男性の家庭内暴力に悩まされてきた。しかし、この問題を解決するためには女性自身が物事への決定権を持つことが必要で、それには女性への教育が必要であった。
 1998年、プネー地方の10の村を対象にアーミン・モディさん主宰でNGO「あしたの会」を立ち上げ、女性への教育と女性の自立を目的に活動を展開し、その目的をほぼ達成した。この日はこうした女性たちの喜びを祝った日であり、参加者のうち15名の女性が「女性のエンパワーメント」についてのスピーチコンテストに参加し、活発な意見が交わされた。


       これが、「ソーラーガーデンライト」です!

 我が家の庭先にあるソーラーライトは、2年以上もの間、どんな天候の下でも毎日、律義に日が落ちて辺りが暗くなると自動点灯し庭を明るく照らし、朝、明るくなると消灯する優れものだ。
 東日本大震災の翌々日、ホームセンターの駐車場でアタフタした様子の友人夫婦に出会った。聞けば、東京在住のご子息から電池を頼まれて探しているのだと言う。どの店でも電池は既に完売していた。その時も、友人にガーデンソーラーライトを勧めた。懐中電灯の電池には利用できる時間に制限がある。ソーラーライトなら、日中、外に出して太陽光で充電するだけで繰り返し使える利点がある。震災直後、我が家の懐中電灯全部をチェックした。やはり、災害は忘れるころにやって来るものだ。気の緩みと並行しているかのように電池量が自然減少していた。しかし、停電の時は庭のソーラーライトを使えば電池がなくても慌てることはない。たとえ薄暗い灯りであっても見えるということは安心感があるものだ。
 大震災から数日後、各地の友人たちと震災見舞いを電話で交わした。皆、口を揃えたかのように、”電池が手に入らない”と言ったので、私は再びガーデンソーラーライトのセールスウーマン風に変身してしまった。友人たちはそれぞれ、ホームセンターへ駈け込んでソーラーライトを手に入れたようだ。
                                  山梨県大月市 (H.S)
   写真のようにペットボトルに水を入れて、クッキングホイルやラップ、トイレットペーパーの芯などにハサミを入れて、ジャストサイズにカットしたらセロテープなどで芯を補強し、セットすると便利です。充電する際は、直接地面にさし立てても良いのですが、ブロックを立てて、穴にソーラーライトをさして置くとベランダでもどこでも手軽に充電できるのでお勧めします。(H.S)





2011年4月


               春の兆しを見つけに

右手に三島スプリングスの建物をみながら進んで行くと、遠くに陽があたって紅く光る駿河湾まで見渡せる高台へ出る。「ここも三島か」とあらためて見直した。仕事を通じて知り合いになった陶芸家がご自分で穴窯を作り、今日が窯出しとのお誘いを受けていた。車1台が通れる枯れた野原の先に、満開の白梅、その横に手作りの塀が廻った工房があった。地面にはブルーシートが敷かれ 花瓶、壺、茶碗、皿など、窯出しした作品が無造作に並べられている。お手伝いの人が見学に来た人に丁寧に説明していた。
窯主は陶芸家の三ッ石幸一さん。「ゆうび窯」と名付けられた窯は思ったより小ぶりだったが、とても手作りとは見えない頑固な作りだった。初窯はどうかすると火を入れると崩れ落ちることがある、と聞いていたが、成功したとの知らせを受けた時は、正直「よかった」と思った。ご本人の喜びはいかばかりかと想像がつく。
長い間お勤めをしながら陶芸の道も歩み、さらにこつこつと2年半をかけて積み上げた耐火レンガは、1200℃に熱せられ昼夜なく温度を維持してきたが、今はもう冷たく“しん”と鎮まり返っていた。作陶、乾燥、薪割り、窯入れ、作品になるまでの行程は陶芸家にとって「何」との闘いなのだろう。「今回は備前ばかりだから」と言いながら、普段は訥々としゃべる方なのに、大好きな備前の土の調合の話など爽やかに説明してくれるのは別の人かと思うほどだ。自分のためだけでなく他の人にも使えるように、これからいろいろな道が開けそう、と嬉しそうに話すお顔は自信に満ちていた。次の窯を焼くためにまた沢山の薪を割る準備が始まるとか。初めて窯場を見せていただいた私には、作品の説明や、出来、不出来のことなど伺いながら、続けていることが「道を極めること」。続けていれば何かが見えてきたり、思いがけないことが寄ってきたりするのだと思った。三島に窯ができて、寒さの中にも気持ちのよい野原の空気は、「もうすぐ春」の兆しと、いろいろなことが始まる予感が一緒になって、心が膨らんだ一日であった。                            清水町 (H.O) 


99歳・私の証
       あるがまゝ行く
             日野原重明
  私がこの欄に毎週エッセーを書くようになって早8年以上になります。読者の方から送られてくる多くのお便りが、私のよい刺激となっています。
  先日、文筆家の川名澄さんから「インドの詩人タゴールには俳句や短歌を連想させるような英語の短詩があり、それを和訳して出版したので、寄贈します」という便りが来ました。私がタゴールの詩がとても好きだということと、最近俳句を勉強し始めたことを、この欄でお知りになったからでしょう。川名さんが訳した本の題名は『蛍 ― タゴール詩集』(風媒社)、英語の原題は「Fire flies」です。
  タゴールといえば、私は彼の作品すべてのとりこになっています。タゴールが日本を訪れた時、私は中学生でした。10歳年上の先輩が、タゴールの講演会に出て心を打たれたと話していた時から、どんな詩人かと心を寄せていました。先輩はタゴールの詩集『ギタンジャリ』の中の詩を私に読んで聞かせてくれましたが、まだ少年だった私にはその意味が分かりませんでした。
  しかし還暦後、老年医学を研究し、更にホスピスでのがん患者のターミナルケアに関心を寄せてから読むと、タゴールの詩には、私に強く訴えかけるものがありました。人生の終末は誰にでもありますが、タゴールがその瞬間のためにどう備えていたかが心に響いてきたのです。
  さらに、今度送られてきた川名さんの本を読んで、別のことも分かりました。
  タゴールは日本を訪問中、日本の短詩に強い関心を持ち、松尾芭蕉の俳句を英訳したそうです。そして、世界でもっとも短い定形詩である俳句という形で、英詩を書いた、というのです。
  タゴールの英詩集『蛍』は、1928年に詩集『迷い鳥』と同じ版元から出版されました。日本を訪れた時、旅の宿屋や茶室に掛けられていた掛け軸に書かれた俳句や短歌に深い印象を持ったのでしょう。この2冊には、日本や中国への旅に対する思いがつまっていると思われます。
後略
        (聖路加国際病院理事長)
平成22年11月6日 朝日新聞より抜粋

99歳・私の証
    あるがまゝ行く
         日野原重明
 私は昨年、この欄に「詩人タゴールと俳句」について書きました。インドの詩人タゴール(1861~1941)が来日ごとに日本の俳句や短歌に興味をもったという内容でしたが、多くの反響がありました。
 記事を読んで、静岡県三島市の浄土宗蓮馨寺の住職婦人が、インドの女性を聖路加国際病院の理事長室に連れて来られました。日本でタゴールの詩や踊り、インドの絞り染めや料理を紹介したいという方でした。このお寺でもタゴールの詩や舞踊を教えているといい、私にも一度檀家の方々に講和をしてほしいと言われました。タゴールに代表されるインド文化を日本に伝えたいという熱意に私は感動しました。
 日本とタゴールは深い結びつきがあります。タゴールが最初の来日時に書いたのが「蛍」の短詩、いわば日本人や日本文化に接して書かれたものです。その後の詩集『迷い鳥』には、横浜市の三渓園内の山荘「松風閣」に大正5(1916)年に滞在したときの情景が書かれました。
中略
 アジアでの最初のノーベル文学賞を受賞したタゴールこそは、詩人であり、哲学者であり、音楽家であり、また小説家、劇作家でもあり、そのうえ晩年になってからは絵画も描き始めました。
こうしたタゴールの魅力は、今の日本でも着実に浸透しているようです。
後略
平成23年1月29日朝日新聞より抜粋
平成22.11.15 日野原重明先生と石井シュクリシュナさん



2011年3月

             英語で広がった仕事の幅 

 学生時代に特別得意ではなく、外資系ホテルに勤務し仕事を円滑に進める為に学び始めた『英語』。
 気が付けば、自分自身への少しの投資と自己啓発の気持ちで、大分自分自身の世界が広がり価値観も変わったような気がします。
 仕事の幅も広がり、1年間ではありますが海外で働くことも出来、趣味も増え、海外にも友人知人を作る事ができました。10年前は海外など想像もしておりませんでした。
今では趣味としての『英語』でGIAにも参加させて 頂きました。週に1時間の短い時間ではありますが、それが習慣になりますと生活に新たなリズムが出来、そこで仕事や日常以外の人達と会うと新鮮な気持ちになります。単なる1外国語の『英語』ですが、続けているだけでコミュニティーが広がり、そこで出会った人たちから様々なことをご教授頂きました。
 大切なのは、何事でも興味を持った事柄を継続し、それを通じて人の輪を広げる事ではないかと思います。
 そこで出会う人たちは、人生をより楽しく充実させてくれる事でしょう。
                                     伊豆の国市 (H.O)


               トルコ旅行の思い出 

 1月にハミエットさんからトルコのお話をきいて、12年前、トルコ旅行で一番印象的だった、ハンググライダーに乗って空を飛んだことを思い出しました。その日はよく晴れた日でした。私はハンググライダーに乗る予定は全然なかったのですが、いつの間にか狭い山道を軽トラックに揺られ、山頂に着いてしまいました。そこで、初めて「全員空を飛ぶのよ」といわれ、私の胸は急に鼓動が激しくなりました。逞しい男性が私の飛行ガイドでした。英語もトルコ語も全くできない私は、どう助けを求めたらと不安でいっぱいでした。仲間がどんどん空に舞い上がっていって取り残される
ハングライダーの先生と杉山美智子さん(右)

上空に舞い上がった杉山さんのグライダー
心細さに、ついに飛ぶ決心がつきました。スタートの瞬間思わず、「南無阿弥陀仏」と手を合わせてしまいました。ガイドの「GO!」とい うサインで下り坂の山を一気に走り、地面を勢いよく蹴り上げると急に身体がふわっと浮き上がりました。もうその時は宙に浮いた自分に驚くと同時に、すっかり開いたグライダーに身を任せていました。「右を、左をひっぱって」の声に従って操作し、空中を面白いほど高くまで上がっていきました。先に飛んだ仲間も飛行を楽しんでいる様子。時々ガイドは仲間のグライダーと接近しようといたずらをして私を怖がらせました。それでも遊泳をしながら、片言の会話もすることができました。どのくらい遊泳していたのでしょうか。ガイドの指示で、グライダーはゆっくり海辺の方に滑空し、無事砂浜に着陸しましたが、大きくふくらんだハンググライダーはふんわり着陸することは出来ず、かなりの砂地を走ってやっと止まりました。こうして空中遊泳は無事終わりました。
                                        三島市 (M.S)





2011年2月

   ホノルルマラソン10kmウォークに参加して

 昨年12月にGIA事務局の魚谷淑子さんに誘われ、ホノルルマラソンと同時に開催された、10km ウォーク“RECE DAY WALK ”に参加しました。風光明媚なホノルルの景色を見ながら歩けたらいいなと思ってご一緒することにしました。旅自体は、ハワイ島3泊、ホノルル2泊で、美味しいものを食べて飲み、女3人の
 見事FINISHした伊藤さん(左)と魚谷さん
勝手気ままな楽しいものでした。
 当日は、午前2時~4時まで運行のシャトルバスに乗るため、ほとんど寝る間もなく、午前2時半に起き、サンタの格好をしたボランティアの誘導でバスに乗り込みました。スタート地点のアラモアナ公園は参加者が3万人近いとかで人がいっぱい。やがてスポアナ風の開会式の声が響き、打ち上げ花火とともに、お祭り気分だった私たちも徐々に緊張してきました。マラソンは5時スタート、10km ウォークはその後すぐのスタートでした。まだ夜明け前の暗闇の中での出発で、景色を楽しみたいと思っていた私の思惑ははずれましたが、X'masイルミネーションを楽しみ、徐々に明るくなっていくホノルルの美しい夜明けに感動しました。街の人々の応援の声に励まされながら、カピオラン公園でフィニッシュ。10km ウォークといえども、フィニッシュした時は感激しながら完歩の証明書をいただきました。
 マラソンランナーには完走すると青いTシャツがもらえるので、レース後は誇らしげに 皆さん着ていました。足をひきずりながら歩いている人も多く、青いTシャツを着ていると知らない人にでも「おめでとう!」と声をかけたくなりました。     
 ホノルルマラソンは制限時間が設けられていないので、最初から完歩を目ざす人も多く、昨年は100歳近い方が何時間もかけ、完歩されたと聞きました。マラソンは無理でも、42.195km完歩は、準備次第で出来そうな気がしてきます。ハワイの人々のオープンでおおらかな人柄があふれ、また参加してみたいと思わせる楽しいイベントでした。次は42kmウォークに?皆様も一度挑戦してみてはいかがでしょうか。
                                       長泉町 (M.W)


     ボリビアの小学生に日本語を教えて

南米ボリビアから3年生の女の子が三島市立沢地小学校に編入した。彼女はスペイン語しか話せず、日本語は全く分からない。困った沢地小の校長先生からスペイン語教室のあるGIAに「どうしたら良いか」との相談があった。たまたまその女性校長先生は、昔GIA事務局の水野さんの子供の担任であったという縁があったからだった。そこで校区内に住むスペイン語教室のメンバーで都合がつく時間を利用して、週に2回ほどその子に日本語を教えるためボランティアで小学校に通うことになった。私たちはスペイン語の読解はできてもスペイン語での意思の疎通はスムーズにはいかないので、片言のスペイン語を交えつつ奮闘中。彼女も突然異文化圏におかれても、急に学習意欲が湧かず、気ままなお国柄に育ったこともあって簡単にはいかない。しかし、時折見せる利発そうな表情を見ていると日本の生活に慣れるのもそう遠くはないだろうと思いつつ、試行錯誤の日々を続けている。                    
                                      三島市 (H.K)

私も交代要員の1人として、小3の女の子と日本語での遊び相手を始めて約1カ月。スペイン語で話さねばと思うと、知っている単語もすっと口に上らず自分の話せなさを思い知らされる。彼女は日に日に日本語の語彙を増やし、友達との輪も広がって学校生活に慣れ親しんでいる様子。このように聞き言葉は自然に身に着くようだが、読み書きは真剣な努力なしには覚えられない。これらを教えるのも覚えるのも大変困難な作業である。
                                       三島市 (N.H)
         *講師のナタリア・福岡さんから一言*

 私がこの話を聞いたときに、嬉しくて、嬉しくてね!素晴らしいと思いました。私の生徒たちがボランティアでそのように活動してくれるようになり、長年やってきた甲斐がありました。




2011年1月

GW三島が平成22年度に取り組んだⅠ期グラウンドワーク・インターンシップ(GWI)のOJT研修先として、GIAも協力しました。今回は、GIAのOJT研修に参加したみなさんの感想を掲載します。今後、GWIは、Ⅱ期、Ⅲ期と継続されます。関心のある方は、GW三島のHPを是非ご覧ください。

沢地グローバルガーデンでデジカメ撮影開始!

祐泉寺境内で「ウォークぶらり~」に対応!

「ミニ図鑑」が着々と完成に近づく!

GWIのOJTに参加して     福井 善徳
草花や生き物の観察を実践し、参加者の力を結集してミニ図鑑の完成を見た。図鑑の作成過程でのチームワークの形成は見事であった。更に、参加者のパソコンの技術アップまでできたのは、ひとえにテーマの作成が適切であったことに尽きる。このチームワークが何かに役立だてばと思う。
人・草花・生き物・にぎわい百科  小松 幸子
 生来、人と何かを創り上げていくことが好き。OJT研修のプログラムを企画立案。参加者のいずれもが楽しんでもらえるようにと心を傾けた。素晴らしい人間関係が「沢地グローバルガーデンの草花・生き物ミニ図鑑」を完成させ、祐泉寺でのにぎわいも創出。ハッピー!
OJT体験からの贈り物     時枝 しのぶ
 沢地のギアガーデンでのOJT活動で、にわかシートンもどきになりました。足元の草むらでひっそりと小さな生命がうごめき、季節の草花がけなげに咲くのを嬉しく思います。OJTの仲間になれたこともしかりです。
もっと動植物に親しもう!!    水野 幾子
 GIAガーデンには人工的に植栽されたものと、自然に育ち名も知らぬ植物が多いのに驚いた。地球上に生物多様性が問われる現在、ここで作成した「ミニ図鑑」が、自然への関心の薄い子どもたちにアピールし、彼らの動植物への意識が高められればと思った。
OJT(実務研修)に参加して  乙部 美麻子
OJT?実務研修?・・・考える間もなくスタート!グロ-バルガーデンでの植物、生物採集、カメラ撮影などから始まったミニ図鑑の作成の体験は、ただの雑草と思っていた草木の1つ1つに学名がついていたことを知り、健気に咲いている花々と共に愛おしいと思った。
お祭りの乗りで賑わい創り!OJT研修終了   斎藤 彩子
 それは、8月29日のイベント「街中がせせらぎ・ウォ~クぶらり」への参加だった。街中の賑わい創生を学ぶために、皆でゲゲゲの鬼太郎等に扮し、スタンプPへの呼び込みなどに力を合わせ、共同作業が仲間意識を生み、その後のミニ図鑑の編集作業は大いに盛り上がった。
図鑑づくりで楽しんだ夏      西川 勝美
GIAガーデンの図鑑作りは、楽しい人たちと一緒に学べてとても有意義な時間であった。真夏に写真撮りをし、名前や説明を決める段階になると意見のメールが行き交い、なんと秋まで続いた。そのせいか、今でも道端の草や虫に目が向くのは図鑑作りの成果と言える。
一番喜んでいるのは、、、      深山 幸子
「私達は、ミニ図鑑に登場した草花等です。普段見過ごされていることが多い私達が、スポットライトを浴び、身元を明らかにすることが出来ました。これも一重に皆様のお陰です。心よりお礼申し上げます。」
 そんな声が聞こえてきました。多謝です。
GWのOJT、祐泉寺でのイベント手伝い      魚谷 淑子
三島のイベント「ウォークぶらり」で休憩所となっている祐泉寺でお手伝いをした。今年話題のゲゲゲシリーズのお面やコスチュームをつけての呼び込みや、抹茶サービスのおもてなしはさながら学園祭気分で、とても楽しかった。
  





2010年12月


                 母と暮らす6カ月

 87歳の母はヘルパーさんに週2回来て頂き1人暮らしをしていました。今年になってから足の具合が悪いとか、毎日ウトウトする事が多いとか言っていたので心配していた折、3月半ばに車に接触して転び、大腿骨を骨折して入院してしまいました。私と妹2人で相談して交代で病院に行く事になり、三島~岡山間の往復が始まりました。手術をした病院とリハビリの為の病院に入院している約3カ月間、最初は1~2週間交代でほぼ毎日お見舞いに行っていました。でも、話し相手になる事と入用の物を持って行くだけだったので、後にはそれぞれの都合で行かない日もありました。退院した時にはリハビリの成果があって前よりも上手に歩くことが出来るようになっていました。本人の希望もあって1人暮らしを目標に、入院生活の為できなくなっていた日常生活に慣れるまでひと月一緒に暮らした後、ヘルパーさんや近所の人達の助けを得て元の生活に戻りました。
 家族と一緒に賑やかに暮らしているお年寄りを見る度に、これで良かったのかなと切ない気持ちになっていたところ、8月の中頃 夜が不安だし疲れたので、私の所に行ってもいいかとの電話がありました。元々姉妹の間で母の気持ちが変わったら、私は自分の家で、妹達は岡山の家で面倒を見ようと話し合っていたので内心ほっとして、8月末から9月末まで我が家に来てもらいました。トイレが近くて夜何度も目が覚めてしまうので不安だと言うので、ベッドのそばにポータブルトイレを置いて安心してもらい食事は私が作りましたが、食器洗いなど出来る事は何でもやってもらい、朝夕の涼しい時に杖をついて散歩をしたりしているうちに、又元気になりました。
 同じ事を何度も聞いたり、細かい事が理解し難い時もあり、ささいな事でカチンとくる事もありますが、よく感謝の気持ちを伝えてくれるので嬉しいです。自分のことはできるし、主人のサポートもあり、妹達と交代というのも気が楽です。私のしたい事もやりながら『無理をしない』をモットーにやっていこうと思います。11月25日にまた来てもらいます。
                                      三島市 (T.S)



           ♪ 宝塚緞帳物語 ♪

 姪がデザイナーとして勤務するワコール㈱は、宝塚大劇場の舞台の幕(緞帳)を8年ごとに新調しスポンサーとして寄贈している。去年の7月がその8年目だった。そして、姪の作品が社内コンペで社長賞に選ばれ緞帳のデザインに採用された、というニュースが妹からもたらされた。
「艶」が輝く舞台と、ご両親に寄り添う魚谷淑子さん
 贈呈式は劇場の舞台に掛けられた新しい緞帳の前で、宙組の組長とトップスターに目録が手渡された。そして姪も関係者として一緒に舞台に立つ栄誉を受けた。それ以来、宝塚大劇場に掛けられている、その緞帳を見たいという家族の願いは憧れに近いものとなっていた。特に孫の作品を是非見たいという、89歳と81歳の高齢の両親を連れて行くには早いほどいい。
 しかし、難しいと聞いているチケットの取得方法すら不明で、宝塚詣では私たち家族にとって半ば夢物語になっていった。そんな折に宝塚が大好きという、GIA事務局の斎藤彩子さんが、観劇の作品選びからチケット取得までサポートしてくれ、幸運にも両親と私たち姉妹の4人で宝塚観劇が実現することになった。観劇予定日の前日から劇場近くの宝塚ホテルに宿泊したので、翌朝は無理なく劇場に到着した。
  2009.7.24の贈呈式。右端がデザインした里紗さん。
  左3人は宙組のタカラジェンヌたち。
 開場時間の10時半、車椅子の父と寄りそう母を連れて真っ先に劇場に入ると、正面の舞台には幅25m高さ10m重さ1tの姪のデザインした緞帳「艶(つや)」が華やかに下がる舞台が目に飛び込んできた。紫がかった妖艶な色とデザインは舞台の雰囲気によくマッチしていてとても美しかった。「あれが里紗ちゃんの作品なんだね~」と、かすれ声でつぶやく両親の目には光るものがあり、妹と私も思わず胸にこみ上げるものを感じた。続々と観客が増える中、開演までの30分間に私と妹は夢中で写真を撮った。今もその写真を見るとあの時の感激と嬉しそうな両親の顔を思い出す。帰りは大津に住む姪の家に1泊し、楽しい語らいの席で私たちの思いを直接姪に伝えることもできた。その夜、もうすぐ1歳になるひ孫の成長に目を細めている両親に、私たち姉妹も、本当に良い旅をプレゼントできたと満足感で一杯だった。
                                      三島市 (T.U)





2010年11月


     14回目のネパール訪問記(2010年9月24日~10月8日)

 今年2月末に心筋梗塞を発症し16日間の入院加療後初めての訪問であった。現地カトマンズ市では友人のダマン(41歳)宅に滞在した。友人といっても、彼は私のネパールの息子と称し、彼の妻のソバ(28歳)と1歳の息子も歓迎してくれた。
 ダマンの家は借家で、大家さんの1階部分に住んでいる。2LDKで家賃が1カ月1万ネパールルピー(12,000円)とのこと。給料が1カ月1万円で大威張りのネパールでは、高額な家賃である。私にはトイレ、シャワー付きのベッドルームを用意してくれ快適な日々であった。ソバの小さいころから、身の回りの世話をしてくれたというお手伝いさん(38歳)が、子供の世話や家事を手伝っている。ネパールでは地方の貧困層出身の女性が、中流階級のどの家でも無給で住み込みのお手伝いさんをしている。私の滞在中、洗濯など全て面倒を見てくれた。朝起きるとすぐにモーニングコーヒーを寝室に持ってきてくれる。
 朝食の準備は主婦の仕事で食パン2枚、インスタントコーヒー入りの牛乳、ジュース、スクランブルエッグ、ソーセージ、りんごとバナナである。これは私の日本での毎日の朝食で、毎年リクエストしなくても用意してくれる。昼と夕食は主としてネパール料理であるが、残念ながら、レストラン、家庭料理とも決して美味しいとはいえない。
 今回の訪問に際し9月30日に私の永年の社会奉仕事業を顕彰し、前ネパール皇太子を主賓として招き、セレモニーを開催してくれた
 10月3日には、今回訪問の一番の目的であるバネパ市(カトマンズ市東方25km)にあるベイラー・インターナショナル・アカデミーでセレモニーを催してくれた。この学校で私たちが支援する生徒たち11人が寄宿制で教育を受けている。式典のイベントの1つとして、空手の胴着を着けた生徒たちが空手のトレーニングを披露してくれた。この胴着は今回私が生徒たち11人にプレゼントしたものである。
 今ではダマンを通じてネパールに多くの友人を持っている。彼らと来年4月の再会を約束し帰国の途に着いた。ネパールは文化、宗教、習慣など驚きが一杯の国だ。下記の私のホームページを覗いていただければ幸いである。                  
http://web.thn.jp/nepalkoji/
                                      三島市 (Y.F)
   前ネパール皇太子(前列中央)と
    福井さん(その左)を囲んで


   空手の型を披露する生徒たち

                 孫と登った富士山

孫の優大(ゆうだい・小3男子)との約束で、この夏、私は20余年ぶりに富士登山をすることになった。「登るなら満月の日にしよう」ということで8月25日、富士宮口を登ることにした。「体力のない優大を山頂まで連れて行けるだろうか」と、心配が先にたったが、時間が倍かかっても、なんとか山頂に立たせてやりたいという気持ちが強かった。
この時期になっても、5合目は登山者や観光客が入り混じって賑やかだった。ここをちょうど正午に、わくわくした気分で出発。今日は、8合目の山小屋に泊まることになっている。優大の歩き方次第だが、時間がかかったとしても明るいうちには着けるはずだ。6合目を過ぎ、次第に勾配がきつくなると優大の足の動きも次第に鈍くなり、休む回数も多くなってきたが、励まし続け、ようやく8合目の山小屋に到着。時間はすでに5時をまわっていたが、眼下に一面に広がる雲海や、夕日が映し出す影富士などの自然の大パノラマに、優大は感激。しかも今宵は満月。夕日が雲海を染めて沈み、東の方角からはまん丸の月が上ってきて、同宿の人たちと共に、私たちもしばらくの間見とれていた。
優大は山小屋の粗末な布団に入って、話をしているうちにいつしか寝入ってしまった。わたしは、もう一度、月を見てから眠りについた。
2日目は午前2時に山小屋の人に起こされた。外にでると、冷たい空気の中で月が煌々と輝いていて好天を約束していた。優大の歩きは今日もゆっくりだったが、昨日の疲れが取れたようで4時40分には頂上に着くことができた。ご来光を見るために、東の吉田口の方に移動して、岩の陰で冷たい風をよけて待った。やがて、真っ赤に染めた地平線の一点からまばゆい光が放たれ、見事なご来光を迎えることができた。
その後、お鉢周りで3776mの最高点へ登ったり、雲海上の影富士を見ることができたりして、優大にとっては思い出多い夏休みになったものと思う。初めて登った孫との富士山。私にとっても思い出深い夏になった。
                                      三島市 (K.N)      
   富士山8合目の雲海

西川さん(左)とお孫さんの中村雄大君





2010年10月


左は、三島市の友好都市である中国浙江省麗水市の花園中学校の建物です。大変優秀な生徒たちが選ばれ、寄宿して学んでいます。この建設費の一部分には、三島市民の有志の寄付金が使われており、当時、三島市国際交流協会(MIRA)の役職にありました小松幸子もかなりの寄付をさせていただきました。今回、MIRAよりGIAへ、ホストファミリーの依頼があり、4家庭のみなさまにご協力いただきました。誠にありがとうございました。


       小さなきっかけが友好の第一歩

 周 擷(ジォ シェ)、王 珏穎(ワン チェエィ)の2人の少女が食事の時よろこんで飲んだものは水でもコーラでもなく温かいスープで、特にトマトとタマゴの中華風スープは美味しそうでした。
 海辺に行ったのは多分初めてのことだったでしょう。我入道の砂浜では小さな子供に戻ったように波と戯れ小さなカニと遊びました。

 綺麗なものを着て楽しみたいのは人間共通の思いでしょうか。私たちも様々な国の民族衣装に魅力を感じますが、浴衣を着させてあげるととても喜びました。
 楽しい交流をする事が出来ました。  

                     三島市 (R.I)
                                                                 
 
  熱烈歓迎(ルーリーホワンイン)!ユイシンちゃん

 麗水市から我が家にやってきたのは叶 宇しん(イエ・ユイシン)ちゃん。
 謝謝(シェシェ)、可以(クーイー)、不行(ブーシン)、隋便隋便(スイビエンスイビエン)、早上好(ザオシャンハオ)、などの言葉を書いた紙がまだ我が家のリビングや洗面所の壁に貼ってある。わずか3日のステイだったが、中学生の時の娘と重なりタイム・スリップしたような感覚だった。
 疲れから熱が出てしまい、本当に心細い思いをしただろう。しかし健気にも気をつかうので、「スイビエン、スイビエン」と元娘の部屋でのんびりさせた。洗面所を水びたしにして洗濯をはじめたり、たくさん持ってきた自国のお菓子を置いていったり、猫のサラをそっと撫でたり、ふんづけたり、靴を3足も玄関に並べたり、アンパンが好物だったり、ヒエピタを四六時中おでこに貼ったり、可愛い声で “I don’t know.” と言い、国際電話がつながった時のうれしい顔など、今も、ありありと目に浮かぶ。夏休みの宿題が残っているといっていたが・・・
 さて、いつになったら壁の張り紙がはがせるのか、今はまだその気になれない。
それに改めて漢字の存在と動詞と目的語を強く意識した3日間でもあった。                    
                                     長泉町 (S.T)


        ホストファミリーを受けて
 
 「私の名前は薫洲函、趣味は読書と音楽、絵が上手です」こんな自己紹介が日本語で届いた。彼女はもの静かで考え深く、おしゃれが好きなお嬢さんで、私は彼女を「ドン・ジョーハン」と呼んだ。日本の子ども同様、パソコン操作の上手なのには驚いた。万国博の上海から彼女の家を映し出し、さらに我が家とブルーバードが止めてある庭が映し出された。母親と交信したいようだったが、それは出来なかった。
 家族と過ごす日の午前中、彼女の仲間たちと海の見える千本浜の「ビューウオ」に行ったが、残念ながら富士山は雲に隠れて見えなかった。海が珍しいらしく波打ち際ではしゃいでいた。午後はサイクルスポーツセンターで変形自転車を乗りあさったが、ジョーハンは運動がちょっと苦手らしく難儀していたようだった。
 「お別れパーティー」では、浴衣を着ると予告しておいた。その日彼女のブラッシングした髪を結い上げて髪飾りをつけ、浴衣を着せたら、とても満足そうだった。彼女のカメラで何枚も写真を撮ってくれるようジェスチャーで頼んだ。ただ髪型が彼女の考えているイメージと違っていたのではないかと、私自身、今、後悔している。
                                      沼津市 (M.A)


               音楽は国境を越え
 
 初めて中国人中学生を受け入れたのは初めて。英語も中国語も上手く伝わらず、最後は筆談。
 中国で人気があるという日本の漫画の話も、年齢の差ゆえか分からずコミュニケーションにはちょっと苦労した。しかし、ピアノが得意だという彼女の演奏は見事。私の大好きなクレイダーマンの曲を自信たっぷりに弾き、家にある譜面の幾つかは初見で弾きこなした。まさに「音楽は国境を越え」であった。
 ホストファミリーと過ごす日は、彼女の友人2人と一緒に海辺を楽しみ、その後は変形自転車のあるサイクルスポーツセンターに。活動的な彼女は変形自転車を次々乗りこなし、更に色々な遊具に挑戦、この暑さも日焼けも何のそのであった。私もつられて遊具に挑戦、童心に帰ったひと時だった。その日の帰りがもう「お別れパーティー」。時間が無くシャワーも浴びずに浴衣に着替えて参加。まるで日本人、着こなしがとても上手だった。
                                     三島市 (I.M)

 
M、A、Tさんのゲスト





2010年9月


      「太鼓ビクス」で“きら星”見つけた

 三島から東京に引っ越して2年と少し。新しい環境でいろいろな出会いがあり、その中のひとつが「太鼓ビクス」だ。「太鼓ビクス」とは、簡単に言うと和太鼓演奏にジャズダンスを加えたようなもので、今はそのレッスンに通うことが、すっかり私の生活リズムのひとつになった。
 広告チラシの華麗な写真を見た時に直感的に「やってみたい!」と思ったのがきっかけだった。これまで何度か勇壮な和太鼓のライブを見て、「いつかやってみたい」と憧れていたが、「いつか」と言っているうちに早や50代も半ば。しかも運動オンチの私が本当に出来るかどうか、若い人たちについていけるかどうか、恐る恐る体験教室からスタートしてみた。太鼓だけの基礎クラスもあったが、ストレッチも太鼓もダンスもありというさまざまな動きのある「太鼓ビクス」の魅力にすっかりハマッてしまった。それ以来最低週1回、通うほどに体は軽くなり、肩こりや腰痛もなし、東京のアップダウンの多い地下鉄の階段も苦にならなくなった。
 そして、そこには“きら星”のように輝く女性インストラクターの存在があるから続けてこられたのだ。世界初という「太鼓ビクス」の考案者であり、トータルフィットネスコーディネーター、厚生労働省の健康大使でもあり、美しい動きチャーミングな笑顔で、みんなの目を釘付けにしてしまう。そのN先生が、私よりも年上で50代後半だと知った時には、ますます元気がわいてきた。一貫して教えてくれるのは、背骨の動き、美しい姿勢など、体の芯をつくること。そして「体は使ったように変わる。70代、80代でもできます」「ここまでの目標と思って達成したら、もっと先がある」なんていう言葉もきらきらと輝き、その星を見ながら、年を重ねていくことが俄然楽しくなってきた。
 ところで、「若い人ばかり」と思い込んでいたクラスの仲間たち(ほぼ女性)。親しくなるにつれ分かった実年齢は、私よりも先生よりも年上という人がほとんどで、「えーーっ!?」と声を上げることが、しばらく続いた。実年齢ではなく、先生も含めて体も心も「若い人ばかり」のクラスだったのね!
                                東京都 (T.O) 

*ネットで「太鼓ビクス」と検索してみてください。



          イギリスで6月の花嫁の着付け

 義弟の娘(姪)がイギリスで結婚式と披露宴を行うので、6月23日英国へ旅立った。私たち夫婦は親戚代表として、私には花嫁の振袖の着付け役も。日本から同行の10名は、イギリスのヒースロー空港到着後、ロンドンのホテルに。結婚式は6月26日。新郎の自宅近くまで移動する25日までは、近くの観光地や美術館などを訪ねた。
 25日に、カンタベリーから花婿の父親が車で迎えに来てくれた。高速道路を2時間走り、新郎の両親が住む家に到着。その夜は新郎の両親の家で親類一同が集い、ホームパーティーで歓待してくれた。夜はカンタベリーのホテルへ宿泊した。
 結婚式の当日、花嫁の母親(義妹)から「孫の由美ちゃんの着物を着せてください!」と電話。聞くと3歳用のお祝い着を持参したという。1歳の由美ちゃんには肩上げが必要なので、私は持参した針箱で肩上げをし、泣いている由美ちゃんの着付けを始めた。帯を締めるため体に巻きつけたら、何をされるかと更に大泣きされてしまった。続いて「娘の帯と自分の帯を間違えて渡しちゃった!」と義妹が。とりあえず、手元にある帯を締めて花嫁に振袖を着せる時に取り替えることにし留袖を着付けた。
 12世紀に建てられたという教会での挙式は無事に終了し、次はいよいよレセプション会場での披露宴だ。ここで花嫁は振袖姿を披露することになっている。私は花嫁の着付けにかかる。あれれ、髪を結い上げるのに、ゴムもピンもブラシも無い。ゴムは花嫁のブーケから利用し、私の旅行用の櫛で何とか結い上げた。いよいよ着付けに入ると、帯板や帯び枕などの付属品が足りない。最後は足袋が無かった。知恵を絞ってウエディングドレスの白いストッキングの親指を分けて草履を履かせた。開宴まで「あと2分!」といわれた時に、ようやく着付けが終わった。
 静かに階段を下りて行く振袖姿の花嫁に、会場からの拍手が聞こえた。今回の旅で私の唯一ほっとした瞬間だった。    
                                 沼津市 (M.A)






2010年8月



     世にも貴重な!オーガニックコットンを韮山で栽培中 


 思えば若い頃からナチュラル系でしたので、オーガニックコットンとの出会いも自然な流れの中にありました。その着心地は一度身につけたらもう他の物は着たくない、もう他の素材は買わなくて良い、という感覚です。手にしたその瞬間から、言葉にならない気持ち良さ、優しさに包まれます。そのまま心も穏やかになります。これは私だけでなく、初めてオーガニックコットンに触れた人の共通の感想です。
 着ているうちに、「そうだ、自分で棉から作ってみよう」と思い立ったら、幸運にも畑が見つかり、種蒔きとなったのです。
 夏にはオクラに似た花が咲き、そして冬近くなる頃に真っ白なコットンボールが姿を現す・・はずです!?
 しかし今年の異常気象には、これから何が起こるか・・・わかりません。でも、初めてのチャレンジですから、少しでも実りになれば、感謝したいと、祈る日々です。
開花し、真っ白なコットンボールができるようになったら、皆様にお知らせしますので、韮山までお運びください。 過去には伊豆半島は良質な綿の産地だったと聞きます。また1930年日本は「綿の輸出世界一」だった歴史があるのです。
 このことを知り、もう一度伊豆を棉の産地に復活させることはできないのかと、密かに願ってもいます。子供達や多くの人が 韮山の棉畑の光景を見て、夢をふくらませてもらえたら、本望です。

《棉と綿》 
棉・・・これは畑にある時の状態
綿・・・これは収穫後から糸になっていく状態
 私が作っているのは 和棉です。観賞用にお店で売っているのはおそらく輸入品の洋棉です。洋棉にはとげがあり収穫時に手を刺すと言われていますが、和棉にはとげはありません。想像以上にコットンボールができたら、収穫のお手伝いの募集!?をかけます(笑)

                                  三島市 (M.M)



     ガスパール・カサド国際チェロ・コンクー in 八王子
 
 チェリストと言えば、皆さんはパブロ・カザルスやヨーヨーマなどをすぐに思い浮かべることでしょう。ガスパール・カサドをご存知ですか?実を言うと私は4年前に初めて耳にした名前です。
 20世紀を代表するチェリスト、ガスパール・カサド。彼はパブロ・カザルスに見出された人物で、同時に類い稀な作曲家でもありました。カサドの没後、カサド夫人の日本人ピアニスト、原智恵子さんがイタリアのフィレンツェでカサド国際チェロ・コンクールを主宰。このコンクールからミッシャ・マイスキーや上村昇、向山佳絵子など多くの世界的チェリストを輩出してきました。原さんが体調を崩し、日本に帰国したことにより国際チェロ・コンクールは第10回で中断されてしまったのです。日本でコンクールの復活を切望していた原さんの願いも叶わぬまま2001年に彼女は帰らぬ人となってしまいました。原さんのゆかりの地、東京都八王子市。市民有志の手で16年の時を超えてカサド国際チェロ・コンクールが再開されました。勿論NPO法人、ボランティア精神に支えられての復活です。素晴らしい市民の結束力ですね。
 音楽コンクールと聞いたら、ほとんどがヨーロッパで開催されているのではと、私は思い込みをしていましたが、自分の身近に世界レベルのコンクールが開催されていたことを知り、驚きとともに嬉しくて胸が弾みました。昨年、第2回目が開催され、29カ国、応募者は132名で、ハイレベルな戦いだったそうです。コンクールが行われた翌年に八王子市、都内、大阪で優勝者のリサイタルがあります。私は幸いなことに第1、2回とも勝者の演奏を聴くことができました。このコンクールから若きチェリスト達が巣立っていく一つの登竜門としてもっともっと多くの音楽関係者はもとより、より多くの方がたに知っていただけたらと願っています。また2年後、八王子市で開催される予定。今度はどんなチェリストが栄冠を勝ち取るのだろうと大いに楽しみです。グローバルはいつでも私にとっては誇りです。遠く離れてしまいなかなか一緒に活動できないことは残念ですが、GIAメールが届くたびに活字を読みながら、皆さんの顔を思い浮かべています。大勢の力ってスゴイデス。                              
                                    大月市 (H.S)






2010年7月


  失っていくもの そして 新たに築かれるもの

 昨年4月末、義父は4度目の入院で86歳の誕生日を目前に帰らぬ人となった。義母をなくして7年、大分の日田で気丈に一人暮らしをしながら離れて暮らす息子(夫)や孫をいつも気遣ってくれた。そんな5年前のこと、築100年の義父の家の立ち退きの話があり、5年後の今年の3月20日までに家を取り壊す契約を義父は交した。しかし、ここ2年で義父は急速に体調をくずし入退院を繰り返していた。私も帰省を重ね、1人暮らしをやめる方向で、義父の気に入る施設を実家の嫁と探した。また広い敷地に、取り壊した家の材料で古民家風の家を建てる計画も進めた。義父の住む場所の確保が先決だった。昨年3月末に一番候補の施設から5月入所可能との知らせがあり大いに安堵していた矢先に義父は亡くなった。遺言に従い葬式など全て滞りなく済ませた。家の再建も施設入所の件も白紙となり、後は家の片づけの問題が残された。嫁いで33年間親しんだ家の引っ越しを開始し終了まで、49日と新盆をいれて通算6回日田に帰省し、片づけと荷物の発送を繰り返した。また主人は各種書類の手続きにも奔走。一方、昨年9月に娘の結婚相手のご両親が来宅。11月、10日間で長泉の家のリホーム。同月、息子の結婚相手のご両親への挨拶に京都へ。12月には息子も日田に帰省し新居で使える家具や茶碗を京都に送った。今年に入り、2月、横浜で娘が挙式。3月20日、契約通り家を解体。跡地に石垣と縦横深さ.5×12.5×2.5mの地下室の穴が残った。4月,義父の1周忌と義母の7回忌で帰省したが、家無しでホテル泊。5月、息子が京都で挙式。想い返せば、義父が亡くなった哀しみと日田の家の消滅の寂しさと息子と娘の結婚の喜びがめまぐるしく同時進行だった。2人の結婚の準備にはほとんど関われず、娘とお嫁さんにブーケと髪飾りを、息子にブートニア(胸飾り)を作ってあげられたことが救いかなと思う。
                                  長泉町 (S.T)(画も)

            世界遺産の宝庫スペイン

 娘とスペイン旅行の計画を立て、航空券、ホテル等の予約は娘に任せ、観光地をどのように廻ろうかと考えていた頃、アイスランドで火山の噴火が起こりヨーロッパ各国の空港が閉鎖になった。出発が危ぶまれたが、開港の見通しがたち2日前からの旅仕度で無事出発した。
 マドリード空港からホテルへはタクシーで行く予定だったが、マラソン大会での交通規制があり、やむなく地下鉄を乗り継ぎ、ホテルまでの石畳の道をスーツケースを引きながら歩いた。翌日は日曜日で大きな店舗は休みになるので、ホテルに荷物を置き、まずは買い物に出かけた。日曜日の夕方にプラド美術館へ行くと、5時から入場無料になるそうで長蛇の列が出来ていた。私達もその列に並び、間もなく入館出来た。
 次の日にマドリードからスペイン南部のアンダルシア地方へ。延々と続くオリーブ畑を車窓から見ながら、AVE(新幹線)で移動した。先ず、コルドバではイスラム教とキリスト教が同居している世界最大のモスクという大変美しいメスキータを見学した。翌日は再びAVEに乗り、気温が39℃もあった暑いセビーリャへ。そこからは楽しみにしていたパラドール(昔の城や貴族の館だった建物等で国営のホテル)へ宿泊のため、カルモナまでバスで行った。カルモナ行きのバスは50分程の乗車時間なのに2.3ユーロで値段を間違えたのかと思った程安かった。このパラドールは古城だった所で高所に建っているため部屋からの眺めの何と素晴らしい事。眼下には緑一面の畑の連なりが一望出来、ずっと眺めていても飽きない位である。
 次の日はアルハンブラ宮殿を観るためにグラナダへ。宮殿見学予約時間の前にバラの香り漂う美しいヘネラリフェ庭園を見学した。アルハンブラ宮殿の外観は質素な感じだが内部は大変豪華で繊細な造りで、天井等は白いレース編みを思わせ、また色とりどりのタイルも美しく、水を効果的に使った中庭などとても感動した。庭にはオレンジがたわわに実り、美しい花を咲かせ良い香りを放っていた。
 バルセロナには3泊し、ガウディの建物サグラダ・ファミリア(日本人の彫刻家も携った)等を見て廻った。
 雨にも降られず10日間の心に残る楽しい旅は終わった。因みにスペインでの乗り物の時刻は日本と同じように大変正確だった。
                                   裾野市 (K.Y)




2010年6月


            **アメリカ体験記**

 私が非常勤講師として英語を教えている三島市立坂小学校の3人の生徒が、ノースカロライナにあるワイリー小学校を3月22日から27日の日程で訪問しました。坂小がワイリー小との交流を始めて今年で7年目。ワイリー小からは訪問団を3度迎えていますが、坂小からの訪問は今回が初めてです。私は引率の1人として参加しました。6日間という短い日程でしたが、一般のツアーでは味わえない体験をしました。

【初めてのホームステイ】
 小学生が3人いる家庭にステイさせてもらいました。靴をぬがずに家に上がるというのが、なんとも落ち着かず、ホストファミリー夫妻の「いってらっしゃい」と「お帰り」のキスには文化の違いを見せつけられ、ちょっと赤面…。食事などは特にごちそうがでるわけでもなく、いつもどおりのメニューをいっしょに食べるというスタイル。その気負わない姿勢のおかげでこちらもリラックスできました。

【ワイルドな小学校の先生?】
 ワイリー小の授業を参観しました。私が見せてもらったクラスの先生(女性)は、パッと見て「ロックシンガー!?」と思うようなツンツンヘアーに、黒い洋服・黒いブーツでとってもクール、メイクもちょっとパンク風で
様子を見ていましたが、授業の進め方はさすが!です。
ジョークを交えながら、生徒達をうまく集中させる優秀な先生でした。「先生の外見と授業の質は無関係」と言っていた保護者の意見も印象的です。

【しゅふ】
昼間、子供達が授業を受けている間、引率の大人だけ市内観光に連れて行ってもらいました。案内役は保護者のお父さん2人。「仕事を休んでまで申し訳ないなぁ。」と思っていたら、なんと、その方たちは2人とも「主夫」でした!ワイリー小の保護者の中には主夫をしているお父さんが少なくないそうです。子どもの送迎も家事も彼らの仕事で、奥さんはフルタイムで働いているのです。彼らの話を聞いたところでは、「恥ずかしい」という気持ちはまったく感じられず、むしろ、子どもと長くいっしょにいられる主夫業を積極的に楽しんでいるようでした。日本人男性の意識がここまで柔軟になるのには、あと何年かかるでしょう?
 日本とアメリカ、物質的にはほとんど変わりませんが、まだまだ精神面では大きな隔たりがあるようです。それぞれに良さがあり、「どちらが上か?」というものではありませんが、アメリカという国の多様性や文化の違いを実際に体験することで、固定概念にしばられがちな私の脳が少しリフレッシュされたような気がします。
                                  三島市    (H.O)

            **注目!中国!**

 上海万博も開催され、日々、中国のニュースを聞かない日はない。日本が中国に抜かれてしまう日がすぐそこに、いやもう既に来てしまったのだろうか。
 3月末、友人たちと北京を旅した。たった4日の北京旅行で中国を語れるとは思わないが、何事もこの目で見ることは大切だ。広すぎて、人が多すぎて、歴史が長すぎて、複雑すぎて、「これが中国だ」など簡単には言えない。誰の言っていることも真実の一部でしかない。この先、私たちが聞く中国の話は刻一刻と違うものとなり、その変容ぶりにいやが上にも注目せざるを得ない。
 想像はしていたものの、実際の北京で、ビジネス街の超高層ビル群、整備された道路網、ひしめく高級車を目の当たりにした。中国風景の代名詞だった自転車など探しても見当たらない。人々の、そして街全体が発するエ
ネルギーに圧倒されどおしだった。
 万里の長城、紫禁城などの壮大な歴史遺産は中国の大きな魅力の一つだ。北京駐在の友人のアドバイスで、今回は「旅の前読書」で『蒼穹の昴』を読み、「旅の前ビデオ」として『ラストエンペラー』を見た。これらが旅の興味を増幅させてくれたのは言うまでもない。
 世界が中国に注目する中、多くの共通文化を有する日本はそれを強みとし、中国に独自のアプローチができるのではないかと思う。看板の漢字読み解きは一種パズルのようであったが、何回か挫折した中国語の勉強をまた再開したいと思っている。
 中国が、日本よりずっと進んでいると思ったことのひとつは男女同権の意識。共働きは当たり前の社会だが、元エリート官僚だったというガイドさんは「働いている奥さんにご飯作れなんて言えない」と笑う。朝はほとんど夜も外食という家庭がとても多いという。最大の関心事、子育てと教育ももちろん夫婦全面協力だ。その意味で日本より女性が働き易いと見た。
                                 三島市     (Y.S)
     



2010年5月


      再び、グローバル文化交流協会(GIA)へ
 
 昭和61(1986)年9月号の「県民だより」で、グローバル文化交流協会が主催する「外国講師を招いてのクッキングサロン」という記事を見つけたのがきっかけで入会しました。入会後は「ありがたい」と思うことが、いろいろありました。外国料理の勉強だけではなく、その国に関したレベルの高い情報発信があり、参加者の会員たちも、様々な場面でとても行動的でした。大学にまだ比較文化や国際化などが設置されていない時代、料理教室の講師たちは料理実習の後、自国についてのレジメを用意し、比較文化に相当する話をし、国際関係について考える必要性を語りました。そうしたことから世界についてもっと知る必要性を学びました。
 平成元(1989)年3月には、現在、東大大学院教授の、上野千鶴子先生の講演会「女縁が世の中を変える」を、静岡県東部振興センターと開催したのも、GIAの熱意
によるものでした。ここで、時代の先端をいく生き方を学びました。こうしたことから、私はいろいろな視点でものを見る大切さを身に付けることが出来ました。
 50歳になる頃、仏教大学通信課程を卒業し、僧侶、芝増上寺布教師の資格を得ることができたのも、GIAで学んだことが役に立っていると思っています。60歳の今は、堀内環先生にシャンソンを教えてもらっています。先生も歌うのには、人生に対する物の見方が大切であることをよく話されます。昨年「シャンソン発表会」でGIAの懐かしいメンバーに会い涙がこぼれてきました。皆さまは、自分には厳しく、他人に優しくGIAを続けて来られたのです。「幸福の青い鳥は、家にある」また、GIAに入会することが出来ました。とても嬉しいです。
                                   裾野市   (M.S)


                    当時の「県民だより」の記事


      娘の出産でアメリカ中部・アーカンソー州に3カ月滞在

 アメリカ・アーカンソー州に住む娘から、赤ちゃんの出産予定日が12月1日という電話が来た。私は、初めてのお産は遅れると聞いていたので、11月27日の飛行機を手配したが、11月22日朝、予定より1週間早く男の子が生まれたと知らされた。日本からアーカンソー州へは、シカゴ空港で、国内線の小さな飛行機に乗り換え、ファイアットビル空港まで、24時間の旅程であった。
 到着した次の日から、育児の手伝いが始まった。娘には安静にしていて欲しいので、昼間は出来るだけ赤ちゃんの世話をするようにした。さすがに30数年ぶりの育児は、私にとって緊張の連続。バタバタ動き続ける小さい足を片手で持って、オムツをあてがうが、馴れないため漏れて背中まで濡らしてしまう事もあった。赤ちゃんには母乳を飲ませていたが痛みが強く、カウンセラーの指導を受けたり、器具で搾って冷凍保存するなど、いろいろ試したが改善せず、生後1カ月目でミルクに切り替えた。母乳も大切だが、痛みをこらえて授乳をするのは、あまりにも辛そうだった。ミルクにしてからは、私でも授乳でき、赤ちゃんとぐっと親しくなった。
 娘は2カ月間の産休後、仕事に復帰した。その後、更に3週間ほど私が滞在し世話をしたが、帰国後はデイケアに預けるようにした。夫婦で同じ会社勤務で、デイケアへは車で15分位だったので、昼休みに子供の様子を見に行く事も可能だ。日本に比べると子育てしながらの会社勤めもゆったりだ。勿論夫の協力があるので安心している。
 今回、私は約3カ月間、娘の家で暮らしたが、自分の家に娘を迎えるのとは違い、こちらでは娘が主婦。当たり前だが、家事、料理、育児の全てが娘の物指しで回っていく。洗濯機(温度、量、布の種類、時間)乾燥機、テレビ(ビデオ、テレビ、ケーブルテレビと、リモコンが3つあり全てを操作しないとテレビを見られない)、掃除用の洗剤(台所、浴室、トイレ)等、どれも使い方を教わる事から始まった。一度聞いても次回は忘れてしまうので、説明を聞くとすぐにメモをしていた。娘を煩わせないというより、母親のプライドのようなものだ。私の主婦能力を試されているような複雑な気分だった。
 3カ月間のアメリカ生活は、日本での生活全てをキャンセルすることだった。しかし、インターネットで日本のメールを毎日確認できたし、日本のニュースも日本語で聞いた。日本では十分出来なかった読書も何十冊とした。こんなシンプルで穏やかな日々は、結婚してから初めてだったと思う。自分の予定がないので、毎日心置きなく赤ちゃんと一緒に過ごした。帰る頃には私の子守唄で眠り、喜んで声を出すようになっていた。しかし、帰国後、以前の日々に戻るのが大変だった。3カ月間過ごした赤ちゃんの残像(ぬくもり、笑顔、声)を私の心の中からなかなか消す事が出来なかった。今、その初孫MASAYAのためにキルトで鯉のぼりの壁飾りを作り始め、ようやく、元の生活リズムを取り戻しつつある。
                                   函南町    (S.S)




2010年4月


      「3月13日のプレゼンテーションを終えて」       
                                 
3月13日のグローバルサロンで私の生まれた国、フィリピンという国についてプレゼンテーションをさせていただきました。数ある島々の中の1つの島(ネグロス島)で育った私なので、フィリピン共通の情報として皆さんに伝達するのは大変難しいことでしたが、以前、マニラへ長年赴任をしていた夫と協力して皆さんが退屈しないような内容に仕上げました。当日は、用意したフィリピンのおやつ(「ビコ」というもち米にココナッツミルクを混ぜたもの)が足りないほど、予想以上の出席者で慌てましたが、皆さんに温かく迎えていただき、なんとか最後までやりきれました事を大変感謝致します。(ほとんど夫がしゃべっていましたが。)
次回は私がもっと日本語を勉強して私の言葉で伝達できるようになりたいと思っております。日本で耳にするフィリピンの情報は暗いイメージのものが多いように感じます。私にとっては、ニュースでよく見かける日本での殺人事件や詐欺事件等の方が大変ショッキングに感じます。日本はフィリピンに比べて裕福な国のはずなのに・・・。私も日本についてもっと知りたいことがあります。出来れば幸せな気持ちになれることが知りたいです。特に今回親切にしていただいた皆さんの暮らしている三島市については、まだ知らないことが多いので今後もいろいろと教えてくださいね。
                                   裾野市   (J.K)
                 

         *~ 老いを感じて ~*

 毎週、編み物、太極拳、カラオケと通院に忙しく出歩いた母がすっかり老いて1人で出歩くこともできなくなってしまった。「元気だ、元気だ」と安心していた私たちの生活も一変し、薬、食事の管理から身の回りの世話で忙しくなった。友人の1人暮らしの母親が認知症になり、初めは姉妹の家庭を1カ月交代で世話をしていたが、それぞれの家庭のペースが崩れ、お互いにストレスが溜まり、とうとう施設に入居させた。入居時は介護2だったものが4カ月で介護4になり、車椅子の生活になった。面会に行っても娘の名前も忘れて出てこなくなった。彼女は「家族にとってどちらが良かったのか?」と言う。私にとっても考えさせられる事だった。主人に助けられ、出来る限りは我が家で頑張りたい。
 高齢者社会になり、いずれ私も介護する側から介護される側になるだろう。施設に入居して世話になるかもしれない。その時はひとりの人間として扱ってほしい。でもその前に受け取る年金によって施設にも入居出来ないかもしれない。年老いてどうしていけばよいのだろうか?こんな不安を抱えているのは私だけなのでしょうか?
                                   函南町   (Y.K)
                    



2010年3月


      インド西部の石窟寺院群を訪ねて

 グロ-バルのア-ミン・モディさんを訪ねる旅から1年、私もインドへ行ってきました。
 実は15年前にも北部のデリー、アグラ、ジャイプールへ行って、白大理石が美しいタ-ジ・マハルや色々な宝石や貴石で象嵌を施した門のある見事なアンペール城等、当時のマハラジャの繁栄ぶりに圧倒されましたが、今回はデカン高原にあるアジャンタ、エローラの石窟寺院群を見たくて再訪しました。
 アジャンタは前期、紀元前2~1世紀頃と後期、紀元5~7世紀頃に造られた仏教石窟寺院群で、U字型に蛇行した川に沿った渓谷の断崖の中腹にあり、1819年イギリスの軍人に発見されるまで千年以上もの間ジャングルに埋もれていたため、数々の仏像や壁画が美しさを保ったまま残っていて感動しました。日曜日だったので小学生たちが遠足に来ていて(インドでは遠足は日曜日に行われるらしい)好奇心いっぱいに話しかけられ、写真を撮ったりして楽しい時を過ごしました。子供といえば前回に比べ、観光地で物乞いをしたり、土産物を売ったりする子供の数が少なく感じられたのは、インドの経済発展のおかげかなと、少しうれしく思いました。
 エローラには、インドで衰退していく7~8世紀頃に造られた仏教、修業の場ではなく神々を祀るのが目的で、6~9世紀に造られたヒンドゥー教、少し離れて9世紀頃この地を治めていた君主が保護したために造られたジャイナ教の三つの宗教石窟群がならんでいます。一番の見どころは、ヒンドゥー教のカイラーサナータ寺院で、巨大な岩山を真上からカナヅチとノミで掘り下げながら、神々の像や色々な模様の彫刻を施したシヴァ神を祀る寺院として、百年以上かけて造られたのが信じられないようなものでした。岩山の後ろに登れたので、上から全体を見たが、石工の人たちが数世代にわたって彫り続けて造ったと思うと「すごい!」としか言いようがありませんでした。
 旅行中の食事は、朝はビュッフェスタイルが多く、昼・夜はナンとカレー(豆類・色々な野菜・チーズ・卵・チキン等たくさんの種類)とデザートでした。時々インド風の中華料理がでましたが、本場に比べて薄味でおいしかった。飲み物はラッシィー(ヨ-グルトドリンクで塩味、フルーツ味の甘いもの)チャイ(濃いミルクティ)、マサラティ(チャイにジンジャーやシナモンが入る)等をいただきました。前回と同様に
生水は飲まない、歯を磨く時は、ミネラルウォターを使うよう、生野菜や切ってあるフルーツは食べないようになどと言われたのに旅の終わりの頃には生野菜を食べたりしましたが、下痢もせず少し太って帰ってきました。
                                    三島市  (T.S)


                八月の虫(蝉)

先日トルコの友達からいただいたこの面白い話を皆様にも読んでいただきたいと思い、翻訳しました。
どうぞ、お楽しみください。

セミについて
セミはあまり働かない虫として知られています。
日本ではセミといいますが、トルコではAGUSTOS BOCEGI(八月の虫)
一匹のセミが地上に出て来るまでに、なんと、12年もかかります。
そうです。12年間、地面の下で刑務所生活をしてから地上に上がって来るこの哀れな虫の命は、名前の通り、八月の間だけ。要するに、一ヶ月間。歌うのは、オスゼミだけ。メスは、もっとも美しく歌うオスを選んで交尾をして、子孫を残します。

考えて見てください。12年間地面の下にいて、やっと出て来たかと思ったら、命はたったの一ヶ月。この一ヶ月足らずで相手を見つけられたら儲け物。見つけられなかったら、2度とチャンスがない。

ここで、あなたに聞きます。もしも、あなたがセミだったら、働く気になるでしょうか?
                                   裾野市  (H.K)




2010年2月


 三島茶碗のルーツを訪ね 韓国への陶芸鑑賞の旅

三島茶碗文化振興会の研修で、三島茶碗の故郷韓国へ陶芸鑑賞の旅に出かけました。インフルエンザ蔓延のニュースが流れるさなかでしたが、マスクの人は1人も見かけず何らの対応すらなかったのですが、皆無事でした。連日美術館を巡り、骨董街や窯元を訪ねる充実した旅でした。
 国立中央博物館は新しくモダンな建物に変わり、子供博物館や図書館、劇場、伝統染料植物園、野外展示場などを含む広大なスペースに展示された、その長い歴史を感じさせる精巧な美術工芸品の数々に感動し、三星美術館では世界の有名な建築家(スイスのマリオ・ポッタ、フランスのジャン・ヌーベル、オランダのレム・コールィース)が設計した3つの建物を見るだけでも興味深く、工夫された
展示ケースや照明が、より一層美術品の美しさを際立たせていました。また、韓国では大学には必ず博物館を併設するようになっているとかで、私達が訪れた梨花女子大学(日本のお茶の水女子大学のような大学とか)にも素晴ら
しい博物館がありました。他にも2~3訪ねましたが、美術
館にはどこも石塔、僧塔、石灯、石碑などの様々な石造文化財が点在しており、これらもとても面白く興味深いものでした。
子供たちが、美術館で学芸員の説明を熱心に聞いている姿も何度か見かけました。教育プログラムが充実し、国の伝統が次世代に確実に受け継がれていると感じたことも新しい発見でした。
 三島茶碗のルーツとなった韓国の数多くの美術品を堪能し、日本が韓国から学んだものが如何に多かったかを思い知らされました。韓国料理のおいしさは言うまでもなく美味~でした。

 なお三島在住の陶芸家による平成版の三島茶碗(お湯呑みにも使える蕎麦ちょこ)が、今回三島ブランド16品目の1つに認定されました。ちょっとしたお土産にも素敵なものです。 
                                    三島市  (H.K)


  フォーチュンクッキーで始まった、
                名古屋での14回目の新年


真っ白な雪で覆われた元旦の朝、我が家ではフォーチュンクッキーを割って、新年を占ってみました。「あなたにしか出来ないことをするために生まれてきたのだから」、「あなたは能力がないのではなく、自信がないだけなのよ」、「人生好きなことをして楽しまなくちゃ」、「あなたを誇りに思っている人がいます」。家族其々が、偶然にもその心に響く言葉を引き当て、新しい年のスタートを切りました。
名古屋での生活も14年目を迎え、最近は名古屋弁のアクセントが会話の端々に出るようになりました。夏は蒸し暑く、冬は伊吹おろしの冷たい強い風が吹き荒れますが、名古屋は便利な都市機能と田舎っぽさを兼ね備えた住みやすい街です。コンクリートのビルが立ち並ぶ都心近くに住む我が家にも、先日ベランダに鶯が2羽、羽を休めに立ち寄るなど、意外なほど自然も多く残っています。最近では生粋の名古屋人の友人たちに率いられ、土地の人のみぞ知る的な場所を訪ね、たっぷりと名古屋トークで盛り上がるのが、仕事の合間の楽しみになっています。馴染むまで時間はかかりましたが、今では名古屋人気質にすっかり染まって、気楽に過ごしています。
昨年の春からは、以前からの翻訳、通訳の仕事に加えて、名古屋国際センターで在留外国人の生活相談、法律相談の通訳の仕事もしています。相談の内容は様々ですが、抱えていらっしゃる問題が少しでも軽くなることを願いつつ、市政相談員の方と共に対処しています。相談に訪れた方に「ありがとう」と言われるのが嬉しくて続けている仕事ですが、時折超えることの出来ない文化の壁や習慣の違いや、解決することが不可能なほど難しい問題に直面することもあります。ますますフラット化する世界の中で、「始めから正しいことが決まっていて、そこに焦点をあわせていく」日本と、「どちらも正しいが、その中間の着地点を見つける」文化圏での背景を持つ方たち。自分の無力さも感じますが、様々な人たちと関わることの出来る楽しい仕事でもあります。
こんな名古屋の生活も、夫が定年を迎える2年後には終わります。いままでに父と夫の転勤、自分の進学や留学を合わせて18回の転居を繰り返し、2年後には19回目の転居が待っています。これまでとは違ってワクワクする気持ちが無いのは、それだけ名古屋に馴染んだと言うことでしょう。転居の日が来るまで、この地で楽しく過ごしたいと思っています。         
                                   名古屋市  (R.K)

 



2010年1月


         ネパールを13回訪問して

新型インフルエンザを心配しながら今年11月に、13回目のネパール訪問をして無事帰国した。ネパール国内の新型インフルエンザの流行はこれからが心配とのこと。
首都カトマンズの交通事情は年々悪化しており、バイクの数が前回4月訪問時より多くみられた。またマオイストが政権を離脱して野党になり、現政府に対して抗議のストライキが行われていた。これがさらに道路の渋滞に影響を及ぼしていた。ネパールの道路事情は悪く、特にカトマンズからバクタブルへの基幹道路の損傷がはなはだしい。現在日本政府からの援助で大々的な道路工事が進められ、ネパール人から感謝されている。ネパールの電力事情も極めて悪く、カトマンズ市内では夕刻毎日2時間ほどの計画的停電が地区ごとに実施されている。
カトマンズ到着の夜、「クラブ50」(日本のロータリークラブに相当する組織)のメンバーによる歓迎パーティーに招待された。ネパール人は酒好きで強いのも半端じゃない。私はネパール滞在中いずれのパーティーでもビール大瓶1本に決めている。
その後、カトマンズの東方25kmに位置するバネパ市にあるベイラー・インターナショナル・アカデミーを訪問した。「ネパールの貧困児童を救う会」のメンバーが里親となり、同校のパワン校長の好意で寄宿生活をしながら教育を受けている児童に半年ぶりに会う。全員健康で、かつその成長ぶりに感激する。
シンドパールチョーク地区の障害者に、24台の車椅子を贈呈するセレモニーに出席した。
(関連の新聞記事と同写真はホームページ http://web.thn.jp/nepalkoji/topix.html を参照)
私のネパールへの支援事業は次のとおりで、今後も命ある限り継続していきたいと思っている。
1.「ネパールの貧困児童を救う会」による支援事業
2.シンドパールチョーク地区の児童に対する文房具のプレゼント事業
3.シンドパールチョーク地区の身体障害者への車椅子の贈呈事業
4.シンドパールチョーク地区の女性自立支援事業 
                                    三島市 (Y.F) 

 

     カレンダーの二十四節気と七十二候

新年を迎えて今年の暦(カレンダー)の1ページをめくると、最初にでてくる二十四節気(にじゅうしせっき)は1月5日の「小寒」です。この日を「寒の入り」と呼び「大寒」の終りである「節分」までが「寒」ということになります。「寒中見舞い」もこの間に書いて出しますが、文字通りこの1カ月間が1年で最も寒い時季になります。
二十四節気は旧暦時代の暦(太陰太陽暦)において季節の目印として作られたもので、冬至を起点に中気と節気を交互に配列した24の季節の名称です。この名称は中国の黄河中・下流域の現象で日本とは大分ずれがあります。月の周期を基に作られた旧暦は、1年が354日で太陽の周期とは11日の誤差がでてしまいました。そのため日付と季節が合わなくなって農耕するうえではとても不便だったため、太陽の周期が必要になり考えだされました。
二十四節気の間隔は、ほぼ14.7日から15.7日になります。この間隔をさらに初候、次候、末候と3つに分け、ほぼ5日毎の気象や自然、動物、植物などの変化を具体的に表現したものが七十二候(しちじゅうにこう)です。日本の暦には最初は中国の黄河中・下流域のものが使われていましたが、江戸時代になって日本人の手で暦が作られるようになると、七十二候も次第に日本の風土にあったものに書き換えられてきました。明治時代の暦では「小寒」の七十二候は、初候=芹乃栄(せりすなわちさかう)、次候=水泉動(しみずあたたかをふくむ)、末候=雉始鳴(きじはじめてなく)という具合でした。
こうした七十二候は、身近で見られる四季折々の自然の姿が表現されていて楽しいものですが、現代の暦(カレンダー)にはほとんど載せられていません。「三嶋暦の会」が発行の「現代版三嶋暦」に掲載してみたところ、「三島の七十二候が興味深い。読み進むと季節と自然の変化をつくづくと感じることができる」とか 「結構見やすく美しい出来、なにより七十二候の欄が素敵。カレンダーを見るたびに時の流れの速さに溜息ということになりがちだけれども、来年はこの現代版三嶋暦を眺めて季節を思う余裕ができるといいなぁ」などの反響もあって、作成を担当する1人としてとてもうれしく思っています。                  三島市 (K.N) 




2009年12月


             自分の時間
 
 GIAの英会話サロンに入会して半年がたちました。
 週に一度、片道30分間ハンドルを握り三島へ通っています。「少し増えた自分の時間を英会話教室に使いたいな、どこでレッスンを受けられるのかしら?」とインターネットで情報収集している時にみつけたのが、GIAとの出会いでした。
 せっかく始めるのだったらちゃんと毎週通えるか?と、しばらくの間入会を迷っていましたが 、体験レッスンでの先生やクラスの皆様の楽しそうな雰囲気に惹かれ、思い切って入会することにしました!
 英会話を、と思って入会してみたらGIAは他にもさまざまな活動をしている会だということを知りました。他団体との交流やバザー等があり、まさにグロ-バルで特に女性のみなさんがとてもパワフルに活動されていることが伝わってきます。「バイリンガル環境かるた」会にも参加させていただき、大人のかるた会は楽しく新鮮でした。
 英会話のレッスンでは毎週、旬の話題が会話やプリントに挙げられ、英語の勉強と同時に面白い話も聞けてあっという間の一時間です。私の生活の中で週に一度の貴重な時間となり、楽しみにしています。
 これからも本来の目的、英会話の力を身につける努力をコツコツしつつ、いろんな出会いを大切にして自分の時間を充実させていけたら、と思います。      
                                   裾野市 (K.K)


           クロアチア旅行記

 クロアチアへの旅行の動機は単純です。昔、子供と一緒に宮崎駿のアニメ「魔女の宅急便」を見た時、そこに描かれている美しい町並みに心惹かれました。そのモデルとなった街がクロアチアのドブロブニクだと知り、行って見たいと思うようになったのです。その念願が叶って今年の3月下旬、ここを訪れることが出来ました。
 「アドリア海の真珠」とも呼ばれるドブロブニクは、海に突き出た城砦都市です。街を取り囲む城壁を一周して、オレンジの屋根の家並みが青い海と空に映える美しい景色を満喫しました。この旅でもう一か所感銘を受けた場所があります。それは「プリトヴィッツェ湖群国立公園」。 階段状に並んだ16の湖が無数の滝で結ばれている、世界遺産にも指定されている所です。写真ではその素晴らしさは伝えられません。日の当たり具合や時間によって色を変 える透明で美しい湖、大小様々な滝から流れ落ちる水音、澄みきった空気。その場に行って、全身で感じて初めてわかる感動でした。ただ歩き始めたときは太陽も出ている初春の陽気でしたが、その内に雨がぽつぽつ降り始めたかな、と思ったら雪に変わり、あっという間にあたり一面雪景色になってしまったのには驚きました。寒さに震えましたが、銀世界の神秘的な美しさもまた印象的でした。
 プリトビィッツェもドブロブニクもクロアチア内戦当時は銃撃戦の場となったそうですが、今はその名残りは全くと言っていいほどありません。EU加盟を目指して経済的にも発展しつつあるクロアチアですが、私たち観光客にとってはまだまだいわゆる「世俗ずれ」していない、素朴な暖かい雰囲気が魅力的な国でした。 
                                    三島市 (M.M)



2009年11月


       天使と悪魔とローマの休日・・・

10日間で北から南までと、忙しいイタリア旅行ではあったが、訪れた都市が「皆それぞれに素晴らしく」、違った魅力を持っていた。
 ミラノでのハイライトはレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」。修道院の食堂の壁に描かれたこの絵を見るのは今では完全予約制だ。1グループに与えられるのは15分間だが、天才画家の傑作に見入れる感動を味わう。
 ロミオとジュリエッタの街ベローナの古代円形劇場での雄大なオペラ「アイーダ」。
 対岸から船で向かった先に水上都市ベネチアが浮かび上がったときには歓声を上げた。
 斜塔で有名なピサ。10年にも及ぶ外壁洗浄作業も終わり、ドゥオモ(大聖堂)、洗礼塔が白く輝く。そこに並び建つ「ピサの斜塔」(鐘楼)は、いつ倒れても不思議はないという。
 メディチ家の都フィレンツェ。ウフィツィ美術館ではルネッサンスの香りに浸った。
 「青の洞窟」へ入るためには、ナポリから水中翼船でカプリ島へ渡り、中型船に乗り換えて洞窟のすぐ入り口へ向かう。小さな手漕ぎボートに乗って、直径1メートル余の穴から滑り込むよう入る。洞窟滞在時間は2分足らずだが、水の色は、まさしく青色発光ダイオード!自然が作り出した芸術色の中の異空間。
 炎天下のポンペイ遺跡を歩いたあと、足を伸ばした南イタリアのアルベロベッロは、真っ白な壁に石灰岩を積み上げたとんがり屋根の家々が立ち並ぶ可愛い町だ。
 そして最後はローマ。ここはもう、どこもかしこも遺跡、どこもかしこも教会。ローマ時代の遺跡から、その上に築かれたキリスト教の文化遺産、現役教会まで見切れないし、覚え切れない。
 ところで、私はこの旅にダン・ブラウンの『天使と悪魔』を持って行き読み進めていた。クライマックスはローマで読んだ。今見てきたことが小説に、逆にさっき読んだところが目の前にある。相乗効果で、なんとエキサイティング。もちろんバチカンは、この小説そのものを認めず、映画の撮影も管轄地では一切許さなかったので、バチカン場面はローマの街の似たようなところでロケ、あるいはセットを使ったそうである。
 「ローマの休日」で有名な「真実の口」やスペイン広場は相変わらずの人気だが、今回のガイドさんは「『天使と悪魔』の撮影はここが使われました。あの教会、この噴水・・・」、こういった説明をたくさんしてくれた。
 旅の楽しみは後から付いてくる。『天使と悪魔』だけでなく、イタリアの本を読むたび、テレビを見るたび思い出が蘇るだろう。塩野七生、須賀敦子の本も、よりおもしろく読めるだろうし、シモネッタこと田丸久美子の文にも抱腹絶倒しながら納得することだろう。
                                              
三島市 (Y.S


        第3回 知半庵でのイベント報告

3回をむかえた日は朝から雨。大仁の知半庵を思い描きながら、うん、なんとかなる。と、むしろ面白いかもしれないと思いました。なぜなら、知半のイベントはその時、その場を自由自在に活かしていく催しだから。出演者は最大限に知半の家を生かそうとするからです。開始は、雨上がりの庭から虚無僧姿で現れた演出で家の中とのデュエットでした。
 今回の二人の尺八奏者の奏でる音はとても対照的だと感じました。大学教授の肩書を持つ学究派と、かたやみずから尺八の世界に飛び込んだアメリカ男性。お二人の活動はそれぞれ違うでしょうが、演奏後のインタビューをお聞きしましたので簡単にまとめました。
(今回の知半庵での演奏は同時にインターネットで発信されました。あわやさんの通訳はそのためでした。また映像録画の終りに出演者にインタビューがされました。)
*知半庵という空間がどんな音を出してくれるのか興味があった。
*江戸時代の建物の中で演奏することで、その時代のなにかが音に影響するのであれ  ば、それを感じたかった。
*諸派による違いもあるが、吹くときは器の中に芸術性、感受性を注ぐことになる。
*古いものが新しいという時代的なものもある。など。

現在1,000人位のかたが音楽とは無縁に尺八を吹いているそうです。芸能ではない部分で、年齢とともに自分をみつめなおすためにと、虚無僧の心境として尺八をふいていきたいと語っていました。
 3尺の長さの地無し尺八の音を初めて聞きました。その繊細かつ消え入るような音に聴衆は耳をかたむけ、知半庵全体がその音に包みこまれたようでした。
 知半庵コンサートのもうひとつの楽しみはコンサート後です。まさにポトラックパーテイ(もちろん、主催者が用意したものもあります)ワイン、日本酒、コーヒー、おにぎり、メンチ・・・今回は奈良のスタッフが奈良一番のケーキを持参。知半庵の庭で収穫した栗の甘煮、即席野菜サラダなど御馳走になり知半庵ならではの余韻を楽しみました。
 今回もアメリカ大使館のナンバー2の方がいらしてましたが、身長182センチのマレーシア出身で専門学校では建築を勉強している自称ジェフ君、上智大学の院生で新聞学科専攻の中国人の女性、チン・ショウコウさんなど面白い出会いもありました。
 来年の予告ですが4月に計画しているそうです。知半庵でお待ちしております。                                              長泉町 (S.T



2009年10月


初めての海外の思い出


私が始めて海外に行ったのは1974年、オーストラリアにあるモーツワルテルムの夏期講習に参加するためでした。当時は飛行機の直行便がなく、行くときは北周りでアンカレッジ経由、帰りは南回りで、カラチ、バンコク、香港と乗り継ぎの繰り返しでした。飛行機を降りるたびに手荷物を全部持たなくてはならず、今の快適な旅とは程遠く、大変なものでした。モーツアルテルムでの生活は、学校の寮がモーツアルトの父親ゆかりの教会で、朝6時になるとその教会の鐘の音がとても大きく、皆びっくりして飛び起きてしまいました。そして食事が日本と違い、朝はコーヒーとドイツパン(とても固い)昼食はフルコース、夕食はソーセージとパンだけで、夜お腹がすいて困ったものでした。しかし、学校と寮とを通うには、映画「サウンド オヴ ミュージック」に出てくるミラベル庭園を通って通い、そこにはバラの花が沢山咲いていて、とても素晴らしかったことを良く覚えています。クラスの人たちは色々な国の人たちで、ドイツ人、ベルギー人など皆英語が話せたけれど、日本人の私達は片言しか話せず、先生が英和辞典を買ってきて、難しい言葉は辞典を示し、ローマ字で書かれた文字で勉強しました。
 その後日本に帰って英会話の勉強をしたいと思い始めたのですが、結婚を機に習うこともなく過ごしていました。ところが、昨年知り合いの方の紹介で、グローバルの英会話教室を知り、現在分かり易い授業を新しい気持ちで、楽しく学んでいます。         (S.T)


(熟年)にして学べば 老いて衰えず

平成2171日、かねてから勉強中だった「2級ファイナンシャル・プランニング技能検定」に合格した。最近、新聞や雑誌などでよく目にする「ファイナンシャル・プランナー(以下FP)」という職業。受験のきっかけは、私が古稀(70歳)を迎えて、数か月後の平成20年1月だった。通信教育でFP講座を受講するという友人に教科書を見せてもらった。『FPとは、顧客のライフプラン上の目標を達成するために、必要に応じて弁護士、税理士などの専門家の協力を得ながら、貯蓄設計、保険、税金対策など包括的な資産設計(ファイナンシャル・プランニング)を立案し、その実行の手助けをしていく専門家のこと。顧客のプライバシーに関るので、厳しい倫理規定と深い自覚が求められる』とあった。今から職業に就くのは無理としても、勉強内容は、金融全般、税金、年金、相続、不動産など、私たちの老後生活に必要な情報、知識を得るのにピッタリの内容だ。通信教育なので、続けられるのかが不安だったが、受講することにした。
 平成20年2月からスタートし、3か月後の5月末に、認定研修修了証明書(提案書課題合格)を取得し、検定試験の受験資格を得た。さらに、9月受験を目指して残りの全科目修了に向け課題を提出し、8月、講座の全科目を終了した。その後、代々木の本校舎で行われた受験前スクーリングにも参加して受験生気分を味わい嬉しかった。しかし、勉強らしい勉強をするのは、50年以上も昔のこと。あっという間に9月の試験日を迎えた。試験は全国53か所で同時に行われ、私は静岡大学・教育学部の教室で受験した。試験は年3回あり、学科と実技(資産設計提案)の2種類を午前と午後に分けて受験する。当日は、かつて無いほど緊張してしまった。後日の発表で学科は合格したが、実技は不合格。間違えた原因の多くは問題の読み違えと記入間違いのうっかりミス。満を持して迎えた翌年1月の2回目。そこでも焦りから同じようなミスの繰り返し。どんどん合格が遠くなるようだ。もし合格したとしても職業にするには年齢的に無理。毎回の受験諸費用もかさむが、このままの中途半端では自分の気持ちが収まらない。夫に、もう1回だけ受験したいとの気持ちを伝えた。「諦めないで、何回でも受かるまで挑戦しなさい」と激励を受け、苦手な計算問題を根気よく教えてもらい勉強を続けた。
 それからは、毎日タイマーをかけて過去問題集を2冊ずつ仕上げ、次回の試験は100点満天も夢ではないと思うほど勉強した。5月、3度目の試験会場へ。しかし、またも満足のいく結果が出せず本当に落ち込んだ。だが、7月に合格通知が届いた。ぎりぎりながら合格点が取れていたのだった。夫から「やったぁ!すごいね!」と祝福され、喜びが込み上げてきた。毎回、企業からの団体受験の人たちや、現役の学生たちに混じっての受験は、年齢的に場違いであると感じたが、71歳で合格するまでの1年3か月は、楽しかったし、自分でもよくやったとの達成感がある。あと10年若かったら、すぐにCFP(1級)試験にも挑戦したいところだが、とりあえず日本FP協会に登録し、AFP(AFFILIATED FINANCIAL PLANNER)としての、教育・研修を継続してみることにした。ネット上での試験はまだ続くのだ。今後は、学んだことを自分の老後に活用することを目標に、人のためにお役に立つのであれば、許容範囲内でアドバイスできればと思っている。    三島市(A.S)




2009年9月


          思いがけないホームステイ

 まさかインドでホームステイするとは・・・、でもアーミンさんの特別な計らいで予想外の体験が出来た。ステイ先は一般の家庭ではなく、富裕層だった。21組、私たちのお世話になるお宅は、ナナバティ家であった。     <写真はナナバティ夫妻とすっかりインド人に変身の私たち>

 ナナバティ家はマンションの8階で、ベランダ付きの素敵なお宅だった。ご主人は退役軍人で、現在では図書館で仕事をされ、奥様スニティさんは、「あしたの会・インド」でボランティア活動をされている。2人の息子さんたちは、それぞれ外国暮らしなので、現在はご夫婦のみと思っていたら、なんと156歳の少年が2人同居していたのでびっくり。彼らはネパール生まれで、幼い頃ここに引き取られ、お手伝いさんとして働き、教育も受けさせてもらっているという。最終目的はインドの軍隊に入ることで、その方がネパールより待遇が良いからだそうだ。彼らが家事一切を行い、更に週に数回、掃除専門の人も来るという。主婦の仕事は?・・と思ってしまったのだが、これもワーク・シェアリングの一環、多くの人と仕事を分かち合うことが必要なのだ。

 ベッドが2つ、その隣に洗面所と風呂場の付いた部屋が、私たちの部屋。カーテンで仕切られているお風呂場がユニークだった。畳1枚くらいの所に浴槽もシャワーもなく、お湯と水の蛇口が2つと、小さな手桶とバケツが用意されていた。バケツにお湯を入れ、体を洗ったら手桶で湯上りのお湯をかけるというものだった。暑い所なのでそれで十分。これぞ水の節約、インドならではのアイディア・・・と思った。

 一休みしていたら、スニティさんがピンクとブルーのパンジャビ・スーツを持って入って来た。「今夜のディナーにはこれを着て行くように」とのこと。彼女の若かりし頃のスーツだそうだ。早速2人それぞれ好みのスーツを着てご満悦。しかも、額につけるマークから腕と足につけるアクセサリーや靴までも本場もの。すっかりインド人に変身して、ご夫妻と共に、昼間同行して下さったワディア大邸宅に車で向かった。門を通り過ぎ、しばらく走って、玄関に到着。ずいぶん屋敷の広いお宅だと思った。どちらのご主人も、とても物静かで気品のあるジェントルマンで、社交的なのは奥様たちであった。おしゃべりしながら美味しいディナーをゆっくり頂き、食後は「バイリンガル環境かるた」に挑戦。競争となると、皆さんかなりのハッスル振り。楽しいひと時を過ごした。          三島市(I.M)

           
           “き っ か け”

時が流れる儘の人生で、32年間家事に没頭、買い物や家族旅行以外には、外出や社会参加も無かったが、充実して何の不満も無い穏やかな生活でした。

ところが生活の核であった夫を病告知後4ヶ月で喪い、煩悶、鬱々と2年間ほど過ごし、杞憂の中、図書館ボランティア、マナビスト会員として社会参加してみました。これらを通して無償活動にも自然同化でき、徐々に消失した自我が戻ってきました。

かつて大好きだった旅行も一人では勇気が無く、永久封印かと思いきや、今年トランジットを含め15時間半のフライトができました。往路はドイツで開催の哲学学会に出席される早稲田大学の若い方と隣席でした。「日々勉強です」との彼の会話から、私の携わる図書館ボランティアに触れ、「子供の頃から図書館が大好きで、日暮れに親が迎えに来ると悲しく、図書館に泊まりたいくらいだった」とも話しました。やはり幼少時代に多くの書物に囲まれた環境が豊かな知識を育み、学者という格物致知の職を得られたのだと思いました。

復路も若い外国人が隣でした。私が旅先での走り書きのメモを手帳に清書していたところ、「KANJI?」と一言。何とかアプローチに答えようと四苦八苦。曖昧な英単語を羅列した自己紹介のメモを彼女に渡したところ、彼女はスイス人で日本へは7ヶ国語目になる日本語を習得する為に行くというメモが戻りました。彼女が易しい英語を使ってくださったので、成田まで何とかメモ往来で繋がり、PCアドレスを交換し、再会を約束して別れました。

 帰国後3日目彼女からメールが届きましたが、デスクトップ上では飛行機の中の様な訳にいきません。早速友人に相談し、GIA英会話サロンAクラスに入会しました。優しいTIM先生はじめ優秀なクラスメイトたちと楽しい時間を過ごしております。スイスの方との隣席が大きな“きっかけ”となりました。

 今回往復便で若い方々が広い地球を所狭しと活躍している姿に、自彊息まずですが、現在海外赴任中の愚息は、この経済下で連日残業、休日返上とのこと、企業のグローバル化は益々厳しいと感じる昨今です。              (S.S)




2009年8月


     インドでのホームステイ(パトワーンダン家)

            函南町(Y . K)

2008
1123日(日)

アーミンさんと金井さん私たちのホストファミリーは「あしたの会・インド」からの奨学金で、東京の桜美林大学に1年間留学経験のあるケタキさんがいる、パトワーンダン家。彼女が日本語を話すのでとても助かった。お父さんはIT関係の仕事で、アメリカのLAで働いているが、ちょうど休暇でプネーに戻っている時だった。お父さんの運転で家から1時間位の山頂にある要塞に行った。1628年ごろ築城されたという城壁と門が残っていた。岩山の頂上はかなり広く物売りや、日本の茶店のような小屋が幾つもあった。私たちは木陰にゴザを敷いて座り、バジー(紫玉葱のから揚げ)とチャイを飲んだ。バジーは日本の「から揚げの味」と同じだと思った。不思議だったのは、高い山の上だというのに湧水の井戸があったことで、その湧水は甘く、物売りや茶店の人たちが使用していた。帰りは車の数も少なくなったが、薄暗い中を、牛を8頭連れた人が登って来たのには、思わずヒヤリとした。往復2時間のドライブで、お父さんの運転テクニックは見事だった。この国では、ルールがあっても無いような道路状況で、後ろに乗っていた私もひやひやした。お父さんは、いつも帰国してから慣れるまで1週間はかかり、アメリカの方が楽だと話していた。 
 
 翌朝は5時に起床し、トイレを使用したら水が出
ない。アパートなので屋上の水を貯めるタンクが空になり、お父さんがバケツで水を運んでくれたが思うように流れなかった。
 
 ケタキさんはスポーツジムで会員の食事や栄養相談の仕事をしていて、朝6時前にオートバイで出勤した。

私たちは、8時過ぎにチャイとクッキーの朝食をしながら、ケタキさんが日本に留学の折、家族で訪日した話になり、お父さんがその時の写真をパソコンから見せてくれた。彼の趣味はミニカー収集でガラスケースにたくさん飾ってあり、夫が「写真を撮りたい」と言ったら、まるで子供のように喜んで見せてくれた。優しくて気持ちの温かいお父さんだ。お母さんは洋服の仕立てをしていて、私に手作りのバックと携帯入れをお土産にくれた。

今回インド研修旅行に参加しようと思ったのは、15年前からホスター・ぺアレンツとしてインドの子供を支援してきたので、子どもたちの生活を見たいと思ったからだ。短期間でもインドの家庭で、家族の一員として過ごした体験はとても貴重であった。インドの子供たちが自分の将来に夢を持てるようにと願っている。

今回の訪問で、インドもまた私たちにとって遠くて近い国。そして、また行ってみたい国になった。



グローバル文化交流協会(以下GIA)に入会して

清水町(A.F)

はじめまして、この度、GIAに入会させていただきました、清水町在住の藤原章子と申します。
 
 いつも、仕事で何かと相談にのっていただいている会員の魚谷淑子さんから、お会いする度に、とても興味深い、GIAの活動のお話しを伺い、自分を高めるためにもとても良いと思い入会しました。

 入会しての率直な感想ですが、メンバーの方々が分担して役割をきちっとなさり、その仕事の丁寧さと、イベントを成功させたいという誠実な思いが伝わってきて、会員としてのご縁をいただき嬉しいなと感じております。

 きっかけは、6月に開催されたGIA総会のゲストとして、松香フォニックス研究所所長・松香洋子先生の講演をしていただく、イベントの企画からずっと身近にメンバーの方々とご一緒したからです。当日は、200名近い参加者があり、私の役割りは、松香先生の講演の中で、英語に合わせてのダンスを披露したり、参加者が分かりやすいようにと知恵を出し合ったワークショップをすることでした。また、子供たちの英語絵本の暗唱や会話表現も発表しました。

このように、大きな会をするとなると集客だけで力尽きてしまうところですが、GIAと私たちの「MPI静岡県東部パートナー会」とが共催で開催させていただき、発表に集中することができたことを今あらためて感謝しております。

私自身の英語との出会いは最悪でした。中学から学んだので、英語が分からない話せない英語難民になってしまいました。小さい頃からの自然な英語環境に気を付けるだけで、誰もがお金をかけることなく英語が得意になれるのに・・・。そのことに気が付いた私は、自分のような英語嫌いを作らないように、子供たちが一生懸命勉強しても通じない英語だったということのないようにと、伝えることをライフワークに、地域の財産である子供たちと共に成長できる自分でありたいと願っています。また、GIAの会員として微力ながらもお手伝いができましたら大変に嬉しいです。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。




2009年7月


           アメリカ大リーグ観戦

             裾野市 (K.Y)


 昨年娘と二人で気ままなアメリカ旅行をした折、シアトルへ行きマリナーズの根拠地セーフィコフィールドへ立ち寄った。驚いた事には道路に球場が隣接し歩道から中が良く見えるのである。残念ながらオフシーズンだった為試合は見られなかったが、中を覗いていると多分私達が日本人だと分かったのか、通りがかりの何人もの人達がイチローと声をかけてくれた。イチローの姿を貼ったパネルが階段の所に何枚も飾られ人気と実力の凄さを再確認。私は熱狂的な野球ファンではないけれども試合を観戦したくなり、今年の4月にアナハイムエンジェルスタジアムと新しく建てられたばかりのニューヨークヤンキースタジアムの二つの球場へ野球を観に行った。エンジェルスタジアムへは対マリナーズ戦でイチローを応援に行った。外野には人口の滝がありホームランを打つと噴水が見られる。デイゲームで試合前の練習を見ようと早く行ったが、守備練習も打撃練習も無く数人の選手がストレッチをしたり、軽くキャッチボールをするのみでイチローの姿は見られずガッカリ。およそ満席。イチローはバントヒットをし彼の俊足さに改めて感心した。

ヤンキ-スタジアムへ向かう地下鉄は日本のラッシュアワーさながらであった。ナイトゲームで霧雨が降る真冬の寒さの中、半袖姿で応援している元気な人達がいた。私の席は屋根付きだったので雨には濡れずにすんだ。ここでは松井秀喜を応援した。球場はおよそ満席。日本のプロ野球と応援の仕方が違う所は鳴り物を使わず静かである事と、敵味方に限らず良いプレーには声援を送る事。ウエーブが途絶える事無くぐるぐる何周も回って来た。応援するチームのユニホーム、ウインドブレーカーを着る人は日本より遥かに多いと感じた。とても楽しい貴重な経験が出来て娘には大変感謝している。

  
インドでホームステイをして

三島市 (M.S)

1123日、Sさんと私はホテルに迎えに来てくれたホストファミリーのスタティラ・ワディアさんと一緒に先ずプネーの街を散策し、土産物屋に寄ったり旧市街地の古い商店街を見て廻ったりした。ふと見上げるとこの街が昔イギリスの支配下にあったことを思わせるテラスの設えが見えた。

 さて、私たちがホームステイをしたご家庭は、ご主人のファロックさんが腎臓病の権威者で、奥様のスタティラ・ワディアさんは、考古学者で学術博士号を取得されている方。家業は代々馬を飼育して毎年ドバイなどに馬を輸出する仕事もしているということだった。

ワディアさんに伴われて白い大きな2階建ての邸宅に入ると、前方に広い庭が広がっていた。そして大きな2匹の犬が私たちを迎えてくれた。大理石を敷き詰めたテラスで、初めて挨拶らしい挨拶をした。テラスでティーをいただいた後で、昼寝を薦められ、私たちは2階の部屋に案内され、ベッドで1時間ほど眠ってしまった。

昼寝から覚めて階下に下りると、奥様はすっかり正装されて待っていてくださった。ご近所に住むスニティさんご夫妻と一緒に、Mさん姉妹もピンクとブルーのサリーに身を包んでやってきた。ほどなくアーミンさんも正装姿で見えた。静かな夕闇に包まれた中で、私たち9人は夕食をいただき、なごやかなひと時を過した。

私たちが過ごした2階の各部屋には学者の家らしく多くの書物が並んでいた。2階にあるバスを「どうぞ」と言われたが、日本のようにたっぷり水が出てくるわけではなく、手足を洗う程度にしか使えなかった。白い蚊帳を吊ったベッドの中に入るとお姫様になったような気分でいつの間にか眠りについた。

翌朝、庭に出て散歩をしていると、たくさんの鳥が飛び交って鳴いていたり、馬が走っていたり、羊が草を食んでいたりするのを見かけた。また枯れ草を積んで運んでいる人や庭の掃除をしている人も目についた。広い屋敷の中に多くの使用人が住み、それぞれ役割が決められているそうだ。最近はインドでも人を使うことがとても難しいとご主人は語っていた。慣れぬホームステイではあったが、ゆったりとした時間を持つことができて幸せな2日間でした。            



2009年6月


インドでのホームステイ  ラムチャンドラ家にて

~ホームステイという今回の素晴らしい贈り物に、アーミンさんに心より感謝します~

長泉町 (S.T)

インドでの4日目、20091123日、予定通りホストファミリーのMrs.ナリニ・ラムチャンドラさんの出迎えで、相棒のSさんとスズキの車に乗り込んだ。運転手はシャイで物静かな感じの男性で、この後も大変お世話になった。ナリニさんの提案で、ホテルの向いにあるスーパーで(セキュリティを通過して)日用品や衣服など買い物を楽しんだ。家に向かう途中、絵葉書を買うためにあるホテルに寄ってくれた。市内から少し外れた静かな住宅地、ラムチャンドラ家は4階建てのマンションに住んでいた。門番がいた。インドのある程度の建物には必ず門番がいる。自衛?それともワークシェアリング? Mr.ラムチャンドラさんが出迎えてくれた。彼の仕事は会計士で、来日したこともあるそうだが、残念ながら富士山は見てないとのことだった。物静かで知的な感じの紳士でホッケーの大ファンだった。

インドがより好きになったのは、この家での食事だった。ベジタリアンであるラムチャンドラ家のメニューは、ダール(味噌汁のようなもの)、サブジー(野菜のカレー)、焼きたてのチャパテイー、自家製ヨーグルトなど、どれもが程良くバランスのいい味と量だった。ランチにはアーミンさんも一緒だった。

 食後、プネー観光を、私たちだけで出かけることになった。初めにラージャ・ケールカル博物館へ。プネーの街の交通ラッシュをものともせず走り抜け、下町のごちゃごちゃと立て込んだ商店街の中の建物の前でやっと車は止まった。入口で200ルピー(400)の入場料を払った。展示された富豪の収集物は半端ではなかった。木彫りの門、大小の仏像、古い布などインドの民芸品の歴史館だ。1階にあるトイレの鍵が壊れていた。次に巨岩を掘ったバタレーシュワラ石窟寺院は、石の回廊や部屋が並んでいた。石の上で女学生が3人勉強をしていた。またアーミンさんお薦めのプネー大学の有名な建築物はあいにく修復中だった。木立の中に校舎や住居が点在する広大な構内には牛があちこちでのんびりしていた。運転手は道中、シャーニワル・ワーダの城壁、カスバ・ガナパテイ寺院の側を通りながら、ヒンズー語で説明してくれたが、何となく解る気がした。人や車がごった返す中、スズキをブンブンと飛ばしながら案内してくれたことは、思い出深い1コマである。4時近くに帰宅したら、プネー市の郊外に住む妹夫婦マネさんの家に連れていってくれた。日本の昔話や武士の切腹のことなどに話は尽きなかった。帰り際に、アイロンをかける女性が衣類を取りにきた。これもインドらしい職業だ。夜は、お土産に持参した「バイリンガル環境かるた」をした。ナリニさんはベランダでコンポストを使用しており、環境への関心もあり、かるたの素晴らしさを評価してくれた。

24日の朝、沖縄出身でインド在住12年の高良真司さんを紹介された。インド女性と結婚し肥料会社を経営。インドの大地は肥料作りに適しているとのこと。

中身の濃い素晴らしい時間だった。      

これからも楽しく  かえるのイラスト

              長泉町 (M.E) 

 還暦を過ぎて「おとなのためのピアノ教室」に入り、10年が過ぎました。シニアクラスで、皆ピアノを持つことが夢だった世代なので、気持ちは一生懸命、でも思うように指が動かないのがじれったいです。それでも基礎から始めてぼつぼつやっているうちに、あこがれのショパンやベートーベンの曲が少し弾けるようになりました。楽譜を見たとき、こんな曲とても無理だわ、と思ったのが弾けるようになったときは、充実感でいっぱいになります。大人のクラスは基礎を終えると自由に好きな曲が選べるのでとても楽しいです。

  先日、私にとって10回目のおひろめ会がありました。何ヶ月もかけて練習したショパンのマズルカ、大丈夫かなと思っていたのにやっぱり緊張して間違えてしまいました。人前で演奏するのは本当にたいへんです。でもたまにはこの緊張感も大事かなと思います。そして教室の上手な人たちの演奏を聴くと、いい刺激を受けます。

  最近は、6歳の孫娘といっしょに、長泉町で行われるピアノマラソンに参加したりして楽しんでいます。子供は進歩がはやいので、孫に追い越されるのもそう遠くはないでしょう。実はそれが私の何よりの楽しみです。趣味としてこれから先も孫たちと仲良く続けて行きたいと思っています。

                



2009年5月


インドでのホームステイ体験「インドにも還暦を祝う習慣があるの?」

沼津市  M.

インドのホストファミリー予定していたホストファミリーの都合が悪くなり、私とOさんは、急遽別のホストファミリー、コツバギさん宅に、FさんMさんと4人でお世話になることになった。コツバギさんはお医者様一家とのこと。ホテルのロビーでお会いし、まず博物館に連れていってもらった。広くて多くの展示品があり、短時間では見切れなかった。次に昼食のためにレストランへ。そこでコツバギさんの奥さんと妹さんと3歳になる娘サナちゃんと合流した。インド料理の食べ方を教えてもらい右手で食べた。魚料理がとても美味しかった。その後に入ったアイスクリーム専門店の混みようには驚いたが、意外と早くに席に着けた。その後、私たち女性は買い物に行くために、インド独特のリキ車に乗った。乗り心地は悪かったが、運転は恐れていたほど荒くは無かった。着いた場所は両側に小さな屋台が並び、まるでお祭りのように混雑していた。まずはアクセサリー店へ。次々に見せる品物の中でふと値札を見ると、225ルピーと書いてある。日本円にすると「2倍だから・・えっ!450円?」石は本物ではないが、細工がきれいなので買ってしまった。他の店でもサリー用の布地3点セットを買い、帰りも再びあのリキ車に乗り、車の駐車してある場所へ戻った。混雑している場所にはリキ車で行き、自家用車は駐車できる場所に置くという、車の合理的な乗り分けに納得した。
 お宅の中へは、迷ってしまいそうな広い部屋の中を通ってリビングに到着。お土産を渡しそれぞれが家族の紹介をした。私は自分の還暦祝いに子供たちが贈ってくれたロッキングチェアの写真を見せた。すると「うちでもお父さんにロッキングチェアを贈った」と言って、サナちゃんが私の手を引き、その椅子のある場所まで連れて行ってくれた。「お母さんには、ブランコのようになっている長椅子を贈った」とのこと。そう言えば初対面の時、お母さんはその椅子に座っていた。インドでも日本と同じように還暦を祝う習慣があることを知り、インドをより身近に感じた。しばらくすると、コツバギさんのご両親は医師会のパーティーに、コツバギさんと私たち4人はロータリークラブのパーティーへ出かけた。パーティーで、私は挨拶代わりに、日本語で「四季の歌」を歌った。夜11時過ぎに家に戻ると、サナちゃんは折り紙を、彼女のお姉さんは勉強をしていた。今日は特別に夜更かしなのか、それともこれがいつもの“インド時間”なのだろうか? 


「娘と私の英語留学記」

三島市 T.U

 これは残念ながら私の体験記ではありません!ふとこのタイトルに心惹かれて読み始めた新聞の連載でしたが、その面白さにすっかり虜になったのが30年近く前のことです。
当時生まれたばかりの娘とじっと家におりましたから、その松香洋子先生の書いた娘を連れての珍道中ともいえる愉快な留学記は、私の夢をとことんまで膨らませてくれ、「あ~、私も娘を連れて留学したい!」と、心から憧れたのでした。結婚前に私もカリフォルニアの青い空がある田舎の大学で過ごしたので、おおらかさに満ちた日々やそこで得た人情友情を忘れることができません。だから、刺激の少ない子育ての日々に飛び込んできたその留学記は、「私もこの子を連れて、きっとまた!」とか、「今度はこの子をバイリンガルに!」とか、気持ちに火がついた思いでした。結局娘を連れての留学はかないませんでしたが、その後、松香先生がご自分の留学中に得た知識とお子様の英語習得過程の様々な体験をもとにした、日本人に合った英語指導法を確立して設立された「松香フォニックス研究所(MPI)」のセミナーに参加するようになり、英語指導者への道に進んで行きました。
 松香先生の本はそのお人柄がにじみ出ていて大変面白く、知らず知らずに引き込まれますが、実際にお会いする先生もウィットに富んだお話が楽しいのです。
今回グローバル文化交流協会の総会がある614日(日)にはその松香洋子先生が裾野市生涯学習センターで講演をしてくださるという素晴らしい企画が実現しますので、皆さんこぞって参加してください。
新しく事務局に入れていただいた私としてはとても良い記念になり、ぜひともこの講演会を成功させたいと思いますので、どうぞよろしくご支援ください。


2009年4月

遠くて近い隣国ロシアへの旅
三島市  Y.S

この夏、夫娘と共にロシアを旅した。「エルミタージュ美術館はどうでしたか」とよく聞かれる。美術館はもちろん素晴らしかったが、サンクトペテルブルグの街全体が芸術品のようであった。「北のべネチア」と称され、運河と豪奢な宮殿、鮮やかな聖堂、庭園に目を奪われた。ここがわずか300年前まではバルト海に面した沼地だったとは信じられないほどだ。ロマノフ王朝の栄華と終焉、革命の理想とその挫折、時代とともに街は名前を変えながら歴史を見てきた。ネヴァ川に面した文化芸術の都は、政治経済の中心モスクワより、旅行者には魅力的だ。
遠く感じられるロシアは日本の隣国でもある。井上靖の「おろしや国酔夢譚」にも書かれたように江戸時代 大黒屋光太夫らは漂流しアリューシャン列島に着いた。帰国の許可を得るため困難の末、シベリアを横断しサンクトペテルブルグでエカテリーナ女帝に会うことを目指す。許された謁見の場は「琥珀の間」で名高いエカテリーナ宮殿だった。その豪華さには私達も圧倒された。当時の彼らの心境は想像さえし難い。
一方、モスクワ郊外に足の伸ばし訪れた、「黄金の環」と名づけられたスズタリなど中世古都郡への旅で、また違うロシアの一面が見えてくる。途中、車窓から眺める大平原は、まさに「地平線」まで続く。勢いづくロシア経済とはいえ、田舎に残る農家の質素な家々にソ連時代また遥か帝政ロシア時代の農奴と呼ばれた貧しき人々の生活に思いを馳せる。サンクトペテルスブルグの宮殿からかけ離れた世界がここにはある。
ロシア正教の大聖堂や教会の、丸みを帯びた屋根は鮮やかに彩色され、田舎町でさえひときわ鮮やかだ。中には溢れるばかりのイコン。共産党時代を経て再びよみがえった教会だが、帝政時代には人々の心の拠り所であり、天国をそこに見ていたのだろうか。

介護と公文、どちらにも大切なことは思いやり
町田市 M.I

 東京都町田市に引っ越してきて2年半、子供たちは高三、中二、小五となりました。私は、病院(長期療養型医療施設・300床)で入浴介助の仕事をしています。患者さんは皆寝たきりです。お話しができる方はわずかですが、ある方にお風呂が楽しみで今朝は早く目が覚めたと言われて以来、心をこめてきれいにしてあげなくちゃと頑張っています。答えてもらえない方にでも自然に話しかけてしまうのは、突然目が開くような気がするほどお身体から温かいぬくもりを感じるからです。
 朝から昼まで、10人2チームに分かれて、全身を良く見て細心の注意を払い、汗だくになって100人の患者さんを洗っています。それはまるでF-1のピット作業のような流れです。床ずれ、指の壊死、人工肛門、痴呆などの特徴と共にほぼ全員の名前を覚えました。老いるとは、こういうことなんだと、見て触れて学んでいます。

 一方、若いパワーをもらえる機会は、公文で小中学生と接する時です。ひとりひとりの成長を願いながらわかりやすく教えたいと努めています。
介護と公文、どちらにも大切なことは思いやりだと強く感じる今日このごろです。



2009年3月

・・・・・着物のススメ・・・・・・
 数年前に、三島市に引越しを決めた時、同時に三島では着物を着て暮らしたい!と考えてもいました。
何故か三島は着物が似合う街、という気配を感じ取ったのです。着物は案外、着るのも簡単。洋服のように色や形、靴、バッグに至るまで、あれこれコーディネイトしなくても足袋、襦袢、着物、を重ねるのみ。夏の浴衣は更にシンプル。下駄や草履は考えずとも!?結構なんでも合うのです。
洋服を10枚重ねて着る事は不可能ですが、前をあわせて着る着物は、何と!お腹の部分では重ねた布の枚数を数えると8枚以上です。袷の襦袢や着物の場合はその2倍です。そして帯は2周巻くので更に増えます。
冬、暖かいわけです。夏は浴衣の袖の中を通り抜ける風の心地よさ!これは経験して初めてわかった感動の感覚です。 着物での動作に不自由を感じることはありません。
 足指、足首、膝、股関節、全部を均等に使って“立つ”、“座る”、“歩く”を繰り返すと、むしろ洋服では使わない身体の芯の部分の細やかな動きが出てくることに驚きます。もちろん腰紐や帯のお蔭で腰は支えられ、長時間の諸処のことにも軽く耐えられます。
 絹と言う素材は体内の不要物を排泄してくれますし、本当の着物のよさはまだまだ書き足りない位です。もし箪笥に眠っている着物があれば、今年は是非身体に纏ってください。       三島市 M.M..

ひとつの言葉で人生が変わる”
 最近、知り合いの方から頂いたメールにありました。普段使う言葉によって、周りの人との関係が変わることがある。チャンスが欲しい時は、チャンスを集める言葉を使うようにすると、チャンスがやってくる!と言うお話し。使う言葉の内容が、その人に集まるそうで、マイナスの言葉を使えば、マイナスに、プラスの言葉を使えばプラスのことが一杯おきます。「チャンス!」と言うことで、何かしらチャンスにしようという意志が働き、さらにチャンスと言える気持ちこそが、運命を動かす力そのものなのだそうです。
小さなことからこつこつ、周りのみんなと幸せになるために、普段何気なく発している「言葉」に意識をしてみるのはどうでしょうか?様々な国の方と、様々な言語で会話が出来る今日。根本の部分はとってもシンプルで皆共通しているのでしょう。日々心がけながら、周りの人は勿論世界中の人達と人生楽しく過ごせたら最高ですね。私も「言葉」に意識して過ごしてみようと思います!              三島市 Y.K.


2009年2月

           少子高齢化
 この言葉が使い始められてから久しいが、少子および高齢化の何れもが負のイメージを背負わされているように感じられる。少子化は、将来、税金支払い人口の減少につながり、経済規模の縮小を招くであろうというのが、その不安論の根拠になっている。一方の高齢化は、非生産人口の増大、つまり経済負担が増加し、これも経済に影響を与えるのではないかというのである。
 本当にそうなるのだろうか。理屈としては、そう言うこともあり得るだろう。でも、何という非人間的な考え方なのか。後期高齢者、私もその1人だが、と言う言葉が不評なのは、あなた方はよけいものなのですよ、と言われているように感じられるからだろう。
 昔読んだギリシャ神話に、地上の様子を見ていたアポロンが、人間の数が増えたようだから、戦争を起こすように神々に命じたという話があった。神話というのは必ずしも作り話ではないと歴史学者は言っている。中国政府が一人っ子政策をとっていることは、よく知られている。3千年昔も今も、人口過剰は問題だと為政者は考えているようだ。
 適正人口という言葉がある。昔は、土地の生産能力で生存可能な人数が決まっていた。明治初期の日本の人口は、4千万人台だったという。130年で3倍になった。平均寿命でも、世界のトップ争いをしている。日本の経済的総合力が大きくなった証で、同慶の至りだと言いたいが、上記のような問題もある。
 物事には裏表だけでなく、上下左右もあるから、少子高齢化が単なる経済論に終始するのではなく、人間味のあるものになって欲しいと思っている。                       三島市 SH

            グローバルの皆さんへ
 みなさんお変わりありませんか。私がYさんの紹介でグローバルに入会したのはもう17年前になります。3人の子育てが一段落し、末の子が10歳になった時、何らかの形で再び社会と関わろうと思い、多少覚えのある英語を通じて、大好きな子供たちと交われる英語を選んだのでした。が「苦手ではない程度の実力」しかなかった当時の私は、一にも二にもうまく話せるようにと焦るばかりで、子供たちにもカリキュラム一辺倒の余裕のない講師だったと今になって分かるのです。「学問に王道なし」を痛感する日々の中で、とりあえず前を向いて目指すことを見失わずに、そして昨日よりは今日をよりよくしようという一念で歩いてきました。一口に17年と言っても途中の数年間、グローバルをお休みしたこともありましたが、ロバート先生からは美しい発音と、問題意識を持つ事の大切さを学びました。
 今、ティム先生のCクラスにいて思うのは、国際語とも言える英語を通して気持ちを伝え合う楽しさと語彙力の増加があげられます。毎週、新しくて楽しいニュースを捜し求めて、私たちを盛り上げてくださるティム先生は最高です。バンザイ!!ティム先生!!今の三輪車をセニアカーに乗り換えるようになってもグローバルの英会話教室を止めないで下さい。私も落ち葉マークを貼る車に乗るようになっても続けます。
 また、一度退いた方々、脳の鍛錬の為にも是非復帰してください。        
                          裾野市
 MO. 

2009年1月

GIAの水野幾子さんになんでもいいから投稿してほしいといわれて「はい」と応えたものの、実はGIAがどういう団体なのかいまだわからないまま、原稿を書き始めました。三島の生涯学習センターの「英語サロン」に申し込んだのが、GIA会員になるきっかけで、今年10月に入会しました。私は今年4月に東京から三島市に引っ越してきました。最近やっと地図をもたないで街中を歩けるようになりました。東京の浅草・下町文化にどっぷり浸かって育ち、日本の伝統文化とくにお祭りが大好きです。ここ三島は三嶋大社の門前町で夏の間は「しゃぎり」のリズムが町中から聞こえて大満足でした。そして何よりも身近で見る富士山の素晴らしさ、これまでは年に1度見るか見ないかの車窓の風景や絵葉書やカレンダーでしか見なかった富士山でしたが、これほど富士山がたくさんの美しい顔をもっているとは思いませんでした。そんな身近なことに満足していたら、毎日のように新聞、テレビで「金融危機、失業、派遣切り」のニュース、専門家がいろいろなことを言っていますが、虚構の上に私たちの社会が成り立っていたということだったんですね。アメリカでは自動車産業が倒産か? これほど自動車社会と言われているのに更に毎年ニューモデルの自動車が何百万台もなんで必要なんだろうか。本当に今の社会に必要なものってなんだろうか。住む家がない。食べるものがない。これは世界中の人々が今考えなくてはならないことなのだろうと思います。グローバルな社会・・・・世界中がほんとにつながっているなって実感してます。“ Think globally, act locally.”( 世界的に考えて、地域で活動を)・・・・ GIAの精神はきっとこういうことだろうと思ってます。実は私はまだ「英語サロン」以外には何も参加してないのですが、これから機会をみつけて参加させていただこうと思ってます。地域のことはまったくわかりませんが、いろいろ教えてください。どうぞよろしくお願いします。       三島市 H.

「孫を持って知る、子のありがたさ」を実感するこの頃です。長女にはもうすぐ3歳になる男の子が。長男にはやがて1歳半になる女の子がいます。(次男は来年、年男で今春就職したばかり)私が子育てをしていた頃は、一日が追われるように過ぎて行き、育児を楽しむ気持ちのゆとりもなく、夜にはクタクタになってバッタンキューの日々でした。
今、孫たちを見ていると、あぁこんなに可愛かったんだなァ、こんなに楽しませてくれていたんだなァと、小さかった頃の子供たちに感謝をする気持ちになります。縁あって我が家に生まれてきてくれた孫たちから再発見の感動をもらっています。
 また、FMみしまかんなみ(ボイス・キュー)が開局11年目を迎え、お蔭様で私も開局以来ずっと勤めさせていただいていますが、仕事を通して出会う多くの方々のお話はとても貴重です。お話の中からその方の生き方、信念や意欲、また挫折や迷いがあった時の立ち直りのヒントなど、ラジオを聞いてくださる方達に何かひとつでも心に残るような事をお伝えできればと心掛けています。スタジオで話しをしてみたい方、みなさんに紹介したいという方をご存知の方は是非ご連絡ください。お待ちしています。                             裾野市 T.S.

2008年12月

*~*ときめき ~*~*
かれこれ、もう15年になるでしょうか、私が膠原病という難病を患ったのは。
3交替勤務という過激な仕事である看護師をしていた時、多忙とストレスに押し潰され、高熱と全身の関節の痛み発疹で倒れてしまいました。主人には、入院した当日ドクターより、敗血症を起こしています。今日、明日が山でしょう。との説明があったそうです。突然の話で、何が起こったのやら見当がつかず、目の前が真っ暗になったそうです。
私は403分の熱で呼吸困難、体は例えようもないだるさで苦しみました。でも医療従事者の皆さんのおかげで一命を取り止めました。強力なステロイド療法もあり、病状も緩和されましたが副作用にも苦しみました。猛暑の中の入院でしたが4か月間後に退院した時にはもう秋でした。踵も皮疹による壊死を起こし2年間伝い歩きでした。しかし、じっとしているのが嫌いな私は、その間NHKの絵手紙教室や書道の通信教育を受けて気を紛らわせておりました。こんな私にも何かできることがと思っている矢先に、発病後10年目にして膠原病の副作用による、肺がんがみつかりました。一生服用しなければと言われていたステロイドホルモン剤も中止になり、喜んでいたのですが、まさかという恐ろしい坂を上ることになりました。右肺上葉を切除しました。
やがて、日本語の勉強講習会があるということで参加し、私のような者でも外国から来られた方のお役に立つならと、ボランテアを始めました。ウクライナから来た女性です。彼女の最初の希望は、ひらがな、カタカナの読み書きができ、日常生活ができるようにとのことでした。「ロシア語ウクライナ語はできるけど英語はだめです」とのことでした。ひらがなカタカナを全然知らない人に、どうやって教えるか悩みましたが、ローマ字が使えることに気付きローマ字を使い教え始めました。彼女は、生徒として大変聡明で嬉しい限りでした。また、グローバルの方々にも大変お世話になりお話をさせて頂く機会を得て大変良い勉強になったと喜んでいました。
ウクライナの厳しい現状も私にとって大変勉強になりました。日本の豊かさ、物を大切にしないことなどが、盛んに言われておりますが、彼女も鋭い目で観察しています。ウクライナでは、子供、お年寄り、体の弱い人などに対して、皆さんが優しいといいます。日本の男性はジェントルマンではないともいう彼女は、電車の乗降時など至る所でそれを感じるそうです。日本人として心の貧しさに恥ずかしさを覚えます。彼女は日本語も大変上達しました。今では欲が出てライセンスを取りたいと言う程です。私もうかうかしていられません。今は生け花も習い始めました。ベリーダンスは母国でプロですので素晴らしいです。これもグローバルでPRしていただき感謝していました。今はいろいろな場所に積極的に出て行きお国のお料理なども教えています。
ドクターで漢方医の、帯津先生が書いておられました。「人はいつもときめきが大切であり、ときめきがあると、その先は前向きであり明るさであり、感動して生きられる」。今私は日本語にときめいています。外国の方が、日本でよいコミュニケーションをもつて生活できるように応援したいと考えています。      T.Y.

遠くて近い隣国ロシアへの旅
三島市  (Y.S)

この夏、夫娘と共にロシアを旅した。「エルミタージュ美術館はどうでしたか」とよく聞かれる。美術館はもちろん素晴らしかったが、サンクトペテルブルグの街全体が芸術品のようであった。「北のべネチア」と称され、運河と豪奢な宮殿、鮮やかな聖堂、庭園に目を奪われた。ここがわずか300年前まではバルト海に面した沼地だったとは信じられないほどだ。ロマノフ王朝の栄華と終焉、革命の理想とその挫折、時代とともに街は名前を変えながら歴史を見てきた。ネヴァ川に面した文化芸術の都は、政治経済の中心モスクワより、旅行者には魅力的だ。
遠く感じられるロシアは日本の隣国でもある。井上靖の「おろしや国酔夢譚」にも書かれたように江戸時代 大黒屋光太夫らは漂流しアリューシャン列島に着いた。帰国の許可を得るため困難の末、シベリアを横断しサンクトペテルブルグでエカテリーナ女帝に会うことを目指す。許された謁見の場は「琥珀の間」で名高いエカテリーナ宮殿だった。その豪華さには私達も圧倒された。当時の彼らの心境は想像さえし難い。
一方、モスクワ郊外に足の伸ばし訪れた、「黄金の環」と名づけられたスズタリなど中世古都郡への旅で、また違うロシアの一面が見えてくる。途中、車窓から眺める大平原は、まさに「地平線」まで続く。勢いづくロシア経済とはいえ、田舎に残る農家の質素な家々にソ連時代また遥か帝政ロシア時代の農奴と呼ばれた貧しき人々の生活に思いを馳せる。サンクトペテルスブルグの宮殿からかけ離れた世界がここにはある。
ロシア正教の大聖堂や教会の、丸みを帯びた屋根は鮮やかに彩色され、田舎町でさえひときわ鮮やかだ。中には溢れるばかりのイコン。共産党時代を経て再びよみがえった教会だが、帝政時代には人々の心の拠り所であり、天国をそこに見ていたのだろうか。

介護と公文、どちらにも大切なことは思いやり
 東京都町田市に引っ越してきて2年半、子供たちは高三、中二、小五となりました。私は、病院(長期療養型医療施設・300床)で入浴介助の仕事をしています。患者さんは皆寝たきりです。お話しができる方はわずかですが、ある方にお風呂が楽しみで今朝は早く目が覚めたと言われて以来、心をこめてきれいにしてあげなくちゃと頑張っています。答えてもらえない方にでも自然に話しかけてしまうのは、突然目が開くような気がするほどお身体から温かいぬくもりを感じるからです。
 朝から昼まで、10人2チームに分かれて、全身を良く見て細心の注意を払い、汗だくになって100人の患者さんを洗っています。それはまるでF-1のピット作業のような流れです。床ずれ、指の壊死、人工肛門、痴呆などの特徴と共にほぼ全員の名前を覚えました。老いるとは、こういうことなんだと、見て触れて学んでいます。

 一方、若いパワーをもらえる機会は、公文で小中学生と接する時です。ひとりひとりの成長を願いながらわかりやすく教えたいと努めています。
介護と公文、どちらにも大切なことは思いやりだと強く感じる今日このごろです。町田市 ( M . I )

2008年10月

敬語しっかり身につけよう 小学生・I.H.
 私は数カ月前まで、オーストラリアにすんでいました。通っていた学校は現地校でしたので、授業や会話は全て英語でした。そのため両親は、日本に帰るときのためにと、尊敬語や謙譲語、丁寧語を私に教えてくれました。でも帰国して日本の学校に入ると、敬語を使わない(使えない?)人がいてびっくりしてしまいました。先生に対し「~だよね!」「~でしょう?」返事のし方も「はい」「いいえ」ではなく、「うん」「ううん」とまるで友達のような話し方です。英語には日本語のような尊敬語や謙譲語はないようですが、大人や目上の人に対する話し方があり教師と生徒、大人と子どもの間には厳しいルールやマナーがあります。日本の伝統や財産でもある敬語を身につけみんなが使いこなせるようになったらいいなと思います
姪の長女の投稿文が産経新聞に掲載されました。姪夫婦は小学校1年生になったばかりの彼女と次女を連れてオーストラリアで5年間をすごしました。ここまで育てた姪夫婦、そして素直に学んだ子どもたちに拍手を送りたいと思います。ことばは“生きもの”! 変ってゆくのはやむをえない面はありますが、くずれ出すときりがないものでもあり気をつけてゆきたいと思いました。
三島市 R.I
大変飽きっぽい私が継続して励んでいる事が二つあります。一つは英会話。
しかし悲しい事に学生時代に怠けてしまっていた付けを、今痛切に感じているところです。それでも積極的に授業に参加する事が上達の近道と思い、ティム先生やクラスメートの皆様にご迷惑をかけている次第です。 が、もう少し努力を重ねて、海外に出た際には、英語が話せる様になりたいものです。
もう一つは家庭菜園です。色々な野菜、果物を作ってみたいという思いで始めて十年程になります。その間どうせ作るのなら安全な物を、という思いから有機栽培、無農薬栽培で常時三十種類位の作物を作っています。家族が必要とする量の栽培なので、この様な方法でも可能なのですが・・・ この農法での虫や伝染病とのたたかいは、壮絶です。虫は手で取る、伝染病にかかった苗は思いきって抜いてしまう。これをモットーとしています。また天候にも左右され、作柄は様々です。
(不作の時には、ちょっと落ち込みます)苦労がありますが、畑での仲間との情報交換やたわいのないおしゃべりも楽しいものです。
これからも教養を深めるための英会話と、家族の健康のための野菜作り、励んでいこうと思っています。             三島市 M.K.
2008年9月

                     三度目の大草原
 原作は、著者ローラが西部開拓一家の次女として生まれ、両親の開拓生活のもとに成長し、やがて自身も開拓農夫と結婚ーまでを描いている自伝的な児童書です。これらの作品を彼女は、農家の主婦としてやっと落ち着いた64歳から76歳までかけて書き上げました。尊敬です。
 このように著者の自伝的な物語ですので、一家の足跡は、米国中西部のあちこちに残っています。読む程にすっかり開拓者精神に鼓舞された私達。大草原への旅が始まりました。が、すべての場所は、最寄の空港からの電車やバスのアクセスがないところばかり。辺りの風景も100年前とほぼ同じという大平原の真つ直中にあるのです。
 読み始めて3年目。94年に1のウイスコンシン州のぺピンにあるローラの復元された丸太小屋の生家を、仲間の運転するレンタカーでが一回目。
二回目は2000年。3のインガルス一家が幾多の移住の果てやっと定住したサウスダコタ州、デ・スメット。大草原の小さな町に。三人でレンタカーを交代で。私も運転に参加。
 この町で大感激した私は、著者の人となりの語り部になりたあ~いと。ですが、それから実母の5年の介護で、語り部は夢の又夢に。母を見送ってから参加したボランテイア活動。その活動でGIA会員の鈴木きよ子さんにかけて頂いた私への一言で、語り部への道が開けたのです!
 三回目の今回は、私の”ローラ・インガルス・ワイルダーの人生から学ぶもの”という命題の語り部活動を知ってくださった方からのお誘いによるもの。ローラ研究の第一人者、ミシガン州在住のウイリアム・アンダーソン氏のご案内で、2の一家がバッタの大襲来に遭ったミネソタ州に。そして4のミズーリ州、マンスフィールドに。ローラが60年以上暮らし、「小さな家シリーズ」を紡いだ家を訪ねることが出来ました。三回目は、残念ながら仲間とではなくスタデイ ツアーへの参加でした。
 グローバルの皆さん!“私の小さな家”の小さな話に頂いた皆さんの大きなお心に、本当に感謝です。                          三島市  S.M.

2008年8月
★七夕に南十字星を見上げて
 この7月の夫との2人旅は、NZパパの奥さんのお墓参りと、NZ息子の家族に会うためでした。
 しかし偶然にも、三島から初めてニュープリマス(以下NP)に手紙を出して25年目の年で、NP現市長夫妻、前市長、元市長ほか、30余名の懐かしい方々を市長が昼食会に招待しておいてくださり、感激のひとときを過ごしました。NP市役所には、私が登場する写真10数枚をA3サイズに拡大プリントして掲示してあり、私たちがNP滞在中は、市役所前のポールにNZ国旗同様に日の丸を掲げてくださいました。それまで約1カ月間曇天か雨天だったそうですが、滞在中は快晴で、4日間とも富士山に似たタラナキ山(エグモント山)を見ることができました。
 沢地グローバルガーデンによく参加してくださったドムニーさんご夫妻も昼食会に来てくださり、今はNPで、ファミリー向けモーターロッジを経営とのこと。「NP訪問時には宿泊してね」とにっこりしていました。
 真冬のNZで厚着をして、美しい天の川と南十字星を見上げたものでした。猛暑の日本に戻り、気温の落差に超薄着になり、ざっくり痩せた錯覚に陥っている今日この頃です。 (下のの新聞記事は、地元紙に掲載されたもの
                              三島市 Y.K.
           ■お話のCD
 CDというと♪ミュージック♪とばかり思っていた私ですが、最近、「お話のCD」にはまっています。事の始まりは、昨年9月にNHKのBSでやっていた「さだまさしコンサート:まさしんぐワールド2007」をたまたま見たことからでした。ここでは、「ジョーズ2」というネタのお話をしていたのですが、話に引き込まれて外出する時間を延ばしてしまいました。聞き終えてから、こみ上げてくる笑いが止まりません。さだまさしのステージは時間通りに終わらない、話が7で歌が3とか言われていますが、確かに大学の落語研究部出身のさだまさしさんの話の運びは絶妙で日本語が美しく、それでいて面白く心にジンと響くのです。これがきっかけで、新聞の広告に誘われて「さだまさしステージトーク集CD全18巻」を購入して、車を運転しながら聞き始めました。誰かの「さだまさしって歌手だったよね。」という声が聞こえてきそうです。
 私ひとりで聞くのももったいないので、仲良しの友達にも貸してみたら、今度は彼女が、阿刀田高の「ギリシャ神話を知っていますか?」というCDを貸してくださり、今まで知らなかったギリシャの神々の天地創造の物語とオリンポスの12神の話に心を奪われました。そして、最近はRadio Theaterの赤毛のアンのCDを楽しみました。フルキャストで繰り広げられる英語劇場で効果音も臨場感があり、あっという間に時間が過ぎてしまいします。毎日をバタバタと過ごしている私は、CDをi-podに取り込んで散歩や、食事の支度をしながらのながら聞きですが。本を読むにも眼鏡が必須になって目が疲れやすくなった昨今、小説を「読む」のではなくて「聞ける」時代に感謝しています。                                長泉町H.S. 


2008年7月

              楽しかった棚田の田植え
524日、雨の降りそうな気配の中を松崎町石部(いしぶ)の棚田(石部・赤根田村「百笑の里」)の田植えに出かけました。(幸いにも降り始める頃には田植えが終わりました。)
石部の棚田は静岡県棚田十選のひとつで、傾斜地に何百という棚田があります。その頂上あたりから見下ろすと下には駿河湾が、その先には富士山が見える美しいところです。ここでは棚田での米作りに加えて、温泉つき民宿、漁業など多面的な生活手段に恵まれていますが、水田は例の減反政策のため耕作が停止され、大部分の棚田が荒れ放題の草ぼうぼうの状態に置かれました。しかし、十選に入れられたことをきっかけとして、棚田に復活の動きが見えはじめました。「百笑の里」の村長・高橋周蔵さんは“先人の残した文化遺産としての棚田を後世に伝えたい”という熱意の持ち主です。県、棚田クラブなどの助力によって現在のような美しい棚田が復活しました。現在100人のオーナー(県内外の人)によって、毎年5月には田植え、10月には稲刈りが行われ、村の人々の手助けによって、楽しいイベントが繰り広げられています。
石部ではもち米、うるち米、黒米、赤米の4種類の米が植えられています。稲穂をつける10月には田んぼが色分けされ、美しい日本の原風景を見ることができます。34本の束の苗が、秋には片手で握って刈り取るのはやっとのこと、見事に立派に成長しているのには驚かされます。
山間の棚田の周囲では、ホトトギス、ホウジロ、ウグイス、シジュウカラが鳴き、田んぼではオタマジャクシ、サカマキ貝、カワニナが見られました。一昨年の秋にはサルが枝から枝へと飛び交っている姿を見かけました。また田の周りにはイノシシよけの鉄線が張り巡らされ田んぼを保護しています。集会所としてわら屋根の小屋もあり、大きな水車がのどかに回っています。
さてオーナー制ですが、毎年3月に募集して、年会費35,000円を納めますと秋には精米された米、20キログラムが送られてきます。棚田保全のためとはいえ、毎年家族で訪れ、田植えや田の草とり、稲刈りを楽しんでいる光景はすばらしいと思います。
私も田植えや稲刈り、はざがけなどとても上手になりました。そして、村人たちの優しい笑顔が、またおいでと誘っているように思えてくるのです。
                        三島市 M.S.

               懐かしきエジンバラへの旅
昨年8月、次女の交換留学に伴いエジンバラに行ってきました。私にとっては3回目のエジンバラ、10代の終わりにイギリスに留学していた折に訪ねたのが最初でした。折からの猛暑に、出発までは夏バテで、体調不安を感じながら出発。ところが空港に着いた途端に元気一杯!家族での留学生活を終えて13年前に帰国し、仕事と家事を優先してきた毎日の中で、何時の間にか忘れかけていた「旅の楽しさ、気分の高まり」を思い出した瞬間でした。
10年ぶりのロンドンは、私たちの記憶から少し様変わりし、多国籍化が進んで忙しい町になっていましたが、エジンバラは思い出のままの姿を見せてくれました。スコット像の脇でパイパーのバグパイプの音色に耳を傾けながら見上げたエジンバラ城とCarlton Hillは、家族で訪れた懐かしい日々をそのままflash backさせてくれました。
新学期が始まるまでのわずかな期間、一緒に大学付近のB&Bに宿泊し、思い出の場所を巡り歩いたことは、忙しく過ごしてきた毎日と自分を振り返る良い機会になりました。(次女は偶然、第43代英国首相のGordon Brownが住んでいた階に入寮し、歴史のある図書館や大学のキャンパスでの大学生活を満喫し、先日帰国しました。)
期せずして、エジンバラへの旅は、次女と当時の自分を重ね合わせた10代の青春真っ只中の時と、50代に突入した現在の自分を想う旅であったと共に、これからの年月へのエネルギーを充電する旅になりました。この10日間の旅を終え帰国してから、毎日の生活が少し今までと違ってきました。新しく始めたサーキットトレーニングも、楽しみの一つになりました。これからも日々の生活と、「旅」することの楽しさを味わいつつ生活して行けたらと、願っています。                                    名古屋市 R.K.. 
2008年6月

思いがけないプレゼント!
 先日嬉しい電話があった。4年前、私が無償で1年間家庭教師として数学を教えていたS君からだった。S君は両親から虐待を受け、東京都運営の伊豆長岡にある施設から伊豆長岡中学に通っていた。その施設には幼稚園児から高校生までの児童20数名が寄宿していた。「先生、僕は高校を卒業して就職しました」と、すごく大人っぽい声が受話器から聞こえた。
彼は当時万引きの常習犯だったと、施設の先生から聞いていた。「なぜ、万引きをするのか?」と彼に聞いたら「自分でも分からない」と言っていた。「もうこれからはしないか?」と聞くと「絶対しない自信はない」と答えた。「絶対やめろ」と普通の大人なら叱る筈であるが、私は「これからの長い人生を送るためには、止めたほうがいいじゃないか?」と言っておいた。
彼とは日を決めて昼食を共にした。その時、彼は「先生はネパールの貧困児童を救う活動をしていると聞いていたが、僕も協力したい」と言ってくれた。嬉しい申し出ではあるが、私は「協力金3万円を毎年負担しなければならないから、よく考えてからにしなさい」と答えておいた。彼は「僕も施設のお陰で教育も受けられ、今日がある。ネパールの子供たちにも教育を受ける援助をしたいので、よく考えてから決めます」と言ってくれた。
いつの日か、彼がネパールの貧困児童を学校に送ってくれる日を期待したい。                            三島市  福井 善徳

英語で遊ぼうね! 
 今年4月から三島市内の坂小学校で英語を教え始めました。坂小は「小規模特認校」で、生徒が通学地域の枠を超えて通学することができ、特色のある授業を実践する学校です。ALTという英語が母国語の先生の授業の他に、私と担任の先生とペアを組む授業が行われています。実際、小学生に英語を教えるというより、英語に親しんでもらう、興味を持ってもらうというのがテーマなので、中学校の英語学習とは全く違ったアプローチです。この段階で「英語なんて大嫌い!」になったら大変ですから、毎回手を変え品を変え、どうしたら生徒が喜ぶ授業になるか、考え出すのに一苦労。歌あり、ゲームあり、英語の先生というより「うたのおねえさん」ならぬ「英語のおばさん」といったところでしょうか。
 自分の下の息子がすでに中学3年生になり、ヒゲらしきものが生え始めた今、小学生のかわいいこと!みんな興味津々でこちらの言うことに耳を傾けてくれます。目はきらきら輝き、「自分を指してくれ!」と猛アピール。うん、うん、みんなが英語大好きになるように、英語のおばさん先生はガンバルぞ。新しい英語ゲームや英語の歌を探すから、また、いっしょに英語で遊ぼうね!
                         三島市 H.O.

2008年5月

アメリカを訪問して /  A drop in the ocean
3月中旬、わずか一週間でしたが、語学留学にカリフォルニアに行ってまいりました。何度か訪れている地でしたが、やはりホームステイと言うことで観光とは違った視線での滞在となりました。 ホストは明るくやさしい老夫婦。思い出深いのは御主人の病院での通訳ボランティア(英語⇔スペイン語)活動を労うお医者さま及び教会主催のディナー(evening of tribute) に同席させていただいたことです。年に一度のご招待との事ですが、本当に多くの方が奉仕に当たっていることを知りました。また花と風船で彩られた中、誰もが微笑みと共に私をも迎え入れて下さったことに改めてアメリカの懐の深さを感じました。
週末ナパへのバスツアーに参加した際、隣席のコロンビアからの三人組さんも一人の私に何度暖かい笑み、そしてハグを下さったでしょう。南米から多くの方が働きに来ていますが、日本人の中 いわゆる3Kの仕事に赴き、慣れぬ地での気苦労は如何ほどでしょう。帰りの車中、思いを馳せずにいられませんでした・・・。
“Imagine” 授業最終日、この歌が教材として使われました。クラスは日、韓、チェコ、独等 13名で編成されていましたが、半分は学歴社会が過熱する韓国からの大学生。留学目的は一様に「一流企業に入り、よい暮らしをするため。」との事。皆明るく勉強熱心でとてもお洒落。でもステイメイトの韓国人のコーリーの口から何度日本政府(日本人)に対する hate の言葉を聞いたでしょう。明るく打ち解けて話していたつもりでも、やはり戦争責任、靖国問題は立ちはだかる壁のよう。自国の歴史を負の部分も含め正しく見つめる、その上で他国を理解し認めようとする心の大切さを感じました。
GIAの皆様のように社会に目を向け、これからは実践に移していきたいと思っております。
Imagine all the people sharing all the world・・・ 教室で皆で聞いたジョンの歌声を胸に。
大海の一滴として。                 沼津市 H.N.

              ちょっと幸せな気分です
     ・・・お茶の袋物と押し花の「二人展」を開催して・・・
3月号のGIAメールに載せていただいた「二人展」は、おかげさまで、盛況のうちに終わることができ、本当に有難うございました。
 最初にギャラリ-から「二人展」のお話があったときは「面倒くさいな」と、二の足を踏んでいましたが、周りの方々からのご協力で何とか開催することができました。
 開催中にはいろいろな方からアドバイスや励ましのお言葉を戴きました。通りすがりの若い人たちが、古い布や結びに興味をもってくれたこと、新聞の催し欄で見たからとわざわざ見に来てくださった方々、
「美術館以外でこのようなものは見たことがない」などと言ってくださる方々なだなど・・・
それらすべてに感謝して、今はとても幸せな気持ちで一杯です。開催させてもらって本当によかったと思っています。                                           三島市 T.T,

2008年4月

              節水のすすめ
 2月の終わりに中国の大連に行く機会に恵まれました。仙台ほどの緯度だと聞き、厚いコートを着込んで降り立った大連は思いのほか暖かく拍子抜けでした。しかし、デパートや商店の入り口に寒さ避けの綿入れ布団のような暖簾がかかっているところをみると、やはり相当に冷え込むのでしょう。MIRAフェアーで出会った女性が「その布団、とても重たく感じませんでしたか。もう少し軽いものにしてくれれば良いのにと私たち現地に住む人でも思いますよ」と言っていました。
 ところで、ホテル住まいではわからなかったのですが、大連の水事情は楽ではなさそうです。見渡すところ、近くにさほど高い山も無く、また悪いことに豊かな水を運ぶ川がありません。水は遠方からパイプで運ばれ、いきおい水事情は厳しく、集合住宅に住む人々は一定の使用量を超えると超過料金を支払うそうです。また、学生の住む寮では、顔を洗った水をトイレに流すなど水は大切に使いまわしているとか。お風呂好きの日本人は、さぞ大変なことでしょう。
 別名、公園都市とも称される大連の街の緑を保つのも“痛し痒し”といったところでしょうか!  一昔前は「水と安全はタダ」といわれた日本に住む我々です。もっともっと水の有り難さを感じ、今以上の節水につとめてみませんか? それが、湧水の街・三島に住む我々が伝えていかなければならないメッセージのような気がします。         三島市 K.O.

             潔く、シャキっと!
 東京へ引っ越すことになりました。夫の実家近くに住むためです。義母に先立たれた義父の所へと往復していた我が家のこの5年間、将来の家について考えることが、限りなくありました。こっちかあっちか、はたまた違うあっちか?と、人生はつねに選択の連続です。家族と話しながらも、私の場合特に迷いだすと、まるで迷路に入り込んだように、気持ちがガタガタになってしまいます。その迷いのひとつが、夫婦そろって「三島を離れたくない」ことでした。三島に住んだ22年間で広がった人との出会い。私にとってそのスタート、大きな基になったのがGIAの活動です。たくさんの人たちとつながり、学んできたことは数えきれないほどです。
 決められない将来に対して、ある一つの言葉がいつも頭にありました。女性解放運動の草分け的存在の小西綾さんいわく、「終の棲家という言葉は嫌い。ずっと現役で精一杯何かをやっている毎日の連続の中でバタっとおしまいになる日が来るだけ」。うろ覚えですが、そんな意味の言葉を残して「友だち村」で99年の生涯を閉じたようです。
 私も絶対的な将来という考えなど捨てて、「今」は東京へ行こう。先のことは分からないけれど、三島にもまだまだ縁をつなげながら。そう考えることで、ようやく胸のつかえが降り、迷路から抜け出たようです。決めたからには、環境に添いつつ「今」を潔くシャキっと生きる女性を目指したいな~。そう、小西さんのように、GIAの輝く皆さんのように「潔く、シャキっと!」です。これまでの出会いに心から感謝しつつ、4月からはGIAの東京在住会員として、まだまだ末永くよろしくお願いいたします。                          東京都 T.O. 

2008年3月

           ~旅立ちのとき~
 春はさまざまな場面で旅立ちのときを迎える。親戚のように親しくしている家族の一人娘が結婚することになった。しかし、娘は結婚したい人がいることを、名古屋へ単身赴任中の父親へはなかなか言い出せないでいた。母親と娘でおおよその結婚式の日取りを決め、相手方の親にも会うというところまで来て、娘はやっと許可をもらいに名古屋まで報告に行ったらしい。そこで、父親が出した条件はただ一つ、「斎藤のオバちゃんに1カ月間料理を習うこと」。ああ、なんと嬉しいことを・・・・。卒業を控えて年末を忙しく過ごす彼女に1か月の料理見習いの時間は無い。そこで私は、今年の正月のおせち料理をできるだけ彼女と一緒に手づくりで作ることにした。頑張って完成したおせち料理は2家族で味わい独身最後の正月を祝った。3月15日その娘が嫁いでいく。
 私たちには子供がいないが、嬉しいことに私たちを「お父さん、お母さん」と呼んでくれる、友人、知人の子供たちがたくさんいる。親たちが子供のいない私たちをそう呼ぶように仕向けてくれて、そう呼ばれるようになった。中には十数年前の南仏ツアーで出会った2人の女性たちも混じっている。その内の一人から、今年古稀を迎えた私たちを旅行に招待してくれると年賀状が届いた。とっても幸せな新年のスタートになった。                                               三島市 A.S. 

     ~・~・南イタリア・プーリアの旅・~・~
 昨年11月に、スローフード、スローライフの旅に参加しました。きっかけは御殿場の友人とふたりで昼にワイン、チーズなどで食事をしながら、“イタリアの食の旅”の話を聞いて・・・でした。参加者13名、コーディネーター2名の計15名でしたが、その中でイタリア語を勉強している方が多くて驚きました。
 プーリアはアドリア海側に面した水はけの良いカルスト地形と温暖な気候がオリーブ栽培に適し、5000万本の木があってイタリアのオリーブオイルの50%近くはここで生産されているとのことです。
 旅のはじめはサンゼヴェロでオリーブ畑、オイルの搾油所を訪ねました。収穫は11月からなのでそれに合わせて旅の日程は組まれました。道の両側に続くオリーブ畑の間には葡萄の木があり、それはフランスの葡萄畑とは違った作り方でした。お昼は“マンマの味”のレストランにて地場産のシーフード、野菜、手打ちのパスタにワイン、チーズでたっぷり4時間かけてワイワイ、ガヤガヤと楽しく食事をしました。
 そして夕方6時ごろには3人の音楽家がフランスのシャンパンの作り方で始めたワイナリーでスプマンテを頂き、夕食後夜12時近くにパン工房を見学という旅の初めから食べて、飲んでの一日でした。チーズ工場ではモッツアレラ、リコッタ、カッチョカヴァッロを味わい、アンドレアではワイナリー、オイル博物館、世界遺産「カステル・デル・モンテ」(※皇帝フェデリーコ二世の八角形の城 )を見学し、旅の最終地バーリでは旧市街地に建つロマネスク様式サン・ニコラ教会(サンタ・クロースの聖遺物を祀る)を見学した後近くのレストランでお別れパーティーをして旅は終わりました。                               沼津市 E.A.

2008年2月

新年の信念

 11日快晴の朝7時ジョギング開始、みごとな富士山を目に、川のせせらぎに耳を楽しませながら快走。あれーいつもと違う堤防の景色、わくわくどきどきしている(ように見える)カップルや家族。初日の出を待っていることに気づき私も参加。鷹ノ巣山~玄岳あたりの徐々に明るさを増す稜線を凝視、視線はそのまま、待つ間手振り運動。オレンジ色の光が天地人を照らし出す瞬間胸の鼓動。写真をとる人、手を合わせる人、頭をさげる人とそれぞれの思い。大きな明るく暖かい太陽に伴走されながらジョギング再開。
 今年は365日毎日走ると宣言。その心体をもって鄙事多能、凡事徹底。2740mを365日で100000m。走行距離に特別な意味は無い。走ることなら出来る。大切なのは毎日と言うこと。禅宗で、余念を交えずひたすら坐禅をすることを、只管打座それに倣って只管緩走。習慣化した只管を、生活全般に敷衍。只管清掃、只管朗読。その先に「鄙凡」が。
 三島市 T.W.

招待旅行の裏話
「タダより怖いものはない」を地でいく最近のお話。夫とよく行く焼肉屋で日帰りバス旅行が当る申し込葉書をもらった。期待しないで気軽に出すと、2週間後になんと当選の知らせが届き、「鎌倉の由緒ある神社初詣と港町横浜散策に中華コースランチ付き」ご招待とあった。同伴家族は一人一万円と言うので夫も参加することにしたが、参加日が日曜なので休日加算金で約一万三千円の支払い。これではたとえ一人分がタダでも2人分に匹敵しそうな金額と苦笑した。出発後、神社1時間、昼食時間も含む横浜散策2時間と、名所滞在時間が割り振られ、中華ランチもまあまあ美味しくいただき、問題はその後。「帰りに宝石工房に寄りますが滞在時間は1時間半です。」と長い。ずらりと並んだ女性ににこやかに迎えられ、まるでワイン工場見学のように次から次へと宝石の製作工程を案内され最後は宝石展示販売場に到着。店員付ききりの接客に、買わずに帰るのは至難の業。やっとの事でトイレに避難してなんとか逃れたのがタダ旅行の結末だった。
三島市 T.U.

2008年1月

お茶と着物と母と
若い頃、熱心に習っていたお茶を、近くに良い先生が見つかったことで再開した。床の間に掛けられたお軸と茶花の間に流れる清澄な空気が大好きである。先日のお軸は「聴雨寒更盡開門落葉多」だった。この季節、雨音を聞いてさらに寒さがつのり、門を開けてみればたくさんの落葉だったということ。花入れは信楽の「うづくまる」。なんと日本人は季節の移ろいを敏感に感じとり、歌に書に、茶器やお菓子に取り入れ、愛でてきたことであろうか。
 ところで先生が「タンスに眠っているウールの着物でもなんでも良いから、あったら着ていらっしゃい」と言う。虫干しを兼ねてあれこれひっぱりだしてみる。シミがたくさん出て捨ててしまったものもあるが、結婚の時に母が呉服屋さんに頼んだり、自分で縫って持たせてくれた着物も何枚かある。結婚したのが昭和39年1月、姉が同じ年の4月だった。東京オリンピックの年である。スイッチ一つでお風呂が沸くというような便利な時代ではなかった。弟たちもいて家事に一日追われる中での縫い物は夜なべ仕事、しかも二人分、母はどんなに大変だったことだろうかと、急に胸につくものがあった。
その母は今96歳、時々意識もうすれ、最後のときを迎えようとしている。先日母を見舞った際、感謝の気持ちがふつふつとわいてきた。母の生きている内にそうした気持ちになれてよかったと思う。

(伊豆の国市 H.Y.

四万十川の清流
先月のGIAメールに同封されたお知らせのチラシ「自然派ママ達の座談会・特別講演会」の中に、「こんこんと水が湧き出る森が消える時、全ての産業、都市が消える・・・」とのメッセージがありました。
先日四国の祖谷峡や、ダムのない最後の清流と言われる四万十川を訪ね、森から湧き出る澄みきったエメラルド色の水が悠然と流れるのを見た時、正にそう思い、この自然を次世代に残すのは私たちの責務だと痛感したのです。四万十川は相当深いところでも水底の石や多くの魚が心地よさそうに泳いでいるのがはっきりと見える静かな流れですが、いったん豪雨になると橋が隠れてしまう程にまで水があふれるため沈下橋というのだそうです。川の恵みを受けている土地の人々も、この時ばかりは自然の脅威を感じ、自然の怖さを知るのも大きな教訓だと言っていました。
私達の命を支えている森や川に目を向け若い人たちがこうした運動に熱心に取り組んでいるのは頼もしい限り・・・是非応援したいですね。                     (三島市 H.K.

2007年12月

憧れの森下洋子さんを間近に
 今年の夏,沼津市民文化センターで松山バレエ団の全編ではないのですが森下洋子さん主演の「白鳥の湖」を観る機会がありました。何年か前に観たテレビ番組がきっかけでクラッシクバレエに興味を持つようになり、自分も出来たらさぞかし美容と健康に良いかな?と思い憧れつつも自分の現実の体型と年齢を考えると、我々の年齢クラスも有るようですが勇気が出なかったものです。
 しかし森下洋子さんのバレエは必ず観たいと何年も思っていたところ今回この機会に恵まれました。繊細でしなやかな森下洋子さんのバレエを心ゆくまで観賞することができ、又、座席が前より3番目だったこともあり舞台一面に現れるバレエリーナたちの舞いもさる事ながら、衣装もはっきり見えその豪華さは見事なものでした。但ひとつ、この豪華なプログラムに文化センターの舞台が少々狭いかな?とも感じましたが、次回もやはり松山バレエ団で「くるみ割り人形」を観る機会があればいいな・・と思っています。                              伊豆市 M.S.

         冬季限定・我が家のプチプチ・エコカーテン
沼津在住の頃は真冬のどんな寒い日でも部屋の中にいて、吐く息が白く見えるという経験がなかった。大月の冬はとても寒い。我が家の窓はペアガラスだし、壁には断熱材を使用しているのでそんなに寒いことはないだろうと思っていた。引っ越した最初の冬、その日はとても寒い夜だった。暖房をしていなかった2階の寝室に入ったとたんに吐く息が白く見える。ベッドに入って、しばらくすると鼻が痛くなってきた。やむを得ずその夜は頭からすっぽりふとんを被って休むことにした。当然のことながら、翌朝、窓はガチガチに凍っていた。エアコンを使用すれば問題は解決するのだが、ホームセンターにあるプチプチを買って、カーテン+プチプチカーテンにしようと思いついた。早速、ホームセンターに行き、窓ガラス用の貼付式プチプチ断熱材とツッパリ棒、透明のガムテープを購入した。とにかく外気を遮断しようと思い、プチプチは窓枠より、横は2㎝、下側は窓枠の下より20㎝位長くなるようにした。真ん中は窓の開閉が出来るようにと考え、左右を10~15㎝くらい重なる位にするとほとんどカットせずに済む。カーテンを作る要領で、布地ならミシンで縫うところだが、プチプチは簡単に透明ガムテープで一気に貼り付けてしまうと終了だ。ツッパリ棒を窓枠の長さに調整する。その前に、ツッパリ棒に入れた時重なる部分の片方に切り込みを入れる。これで出来上がり。プチプチカーテンを引いた途端に、あれ程冷たかった部屋の空気がふわ~とし、結露の心配もなく、寝室に暖房器具不要となった。これ以降、知り合いから「部屋が寒くてしょうがない」なんて言葉を聞くたびにプチプチカーテンの作り方を図入りで説明し、お勧めしている。
春になり、暖かくなったら、プチプチカーテンをはずし、綺麗に拭いて押入れにしまっておく。簡単に作れるし、取り外しができ、暖かくて暖房代の節約、空気が汚れない、プチプチカーテン、これが我が家のプチエコです。                   山梨県 F.S.

2007年11月

           GIAメールがきっかけで英語教員免許状取得
英語が得意でなかった私が英語好きになり、いろんな国際交流活動してきたのは全て1992年にGIA英会話サロンに入ったことに始まります。もともとコツコツ勉強派ではないので、他にもいろんな英語サークル(時事英語の会、英字新聞を読む会、原書購読の会、通訳ボランティアの会など)を作りながら英語勉強を続けて来ました。そんな流れの中で一つの契機になったのは、GIAメールに載った会員お便り「小学校の教員免許を取りました」(修善寺Sさん)でした。
「そうだ、英語を勉強した一つの証として私も教員免許を取ってみよう、子育ても経験した者だからこそ教育に違った取り組みができるかも」と挑戦を決めたものの、そこからの道は大変でした。卒業生だから優遇があるかも(甘かった!)2003年に入り直したのは母校の通信教育部の教職課程科目等履修生コース。母校の通信教育が厳しくて有名なのを後から身を持って知ることとなりました。基本的に通信教育はレポート提出とテストの繰り返しですが、レポートは何度「不合格」で返されたことでしょう。苦労したのは英語関係より教育学系科目で、多くの文献に当たり仕上げても「書き直し」。同じ科目で3回返されたこともあり、返却されたレポートを見るのもイヤで何ヶ月も放っておいたこともありました。
そんな中で励みになったのはスクーリングでした。真夏の東京通い、横浜通いでしたがやはり教授の顔を見て質問ができて、仲間ができて、大変でしたが楽しいものでした。スクーリングで頂いた単位が弾みとなりました。昨年1年間は東京まで通い、我が子と同じ年齢の現役学生と一緒に通常の大学の授業を受け、時には若い子たちとディベートをすることもありました。
三島の中学校での「教育実習」3週間(現場の先生より年上)も、老人介護施設での「介護体験」5日間(最近はこれが義務付けられています)なども得がたい貴重な体験でした。
丸4年以上かかってしまいましたが、このたびやっと中学校と高校の教員免許状を取得し感慨ひとしおです。この免許をどのように使うか、あるいは使わないかはまだ分かりませんが、教育問題は皆が総評論家でそれぞれの意見を持っている中、私なりのできる形で社会貢献ができたら、と思っています。                三島市 Y.S.

2007年10月

       高齢社会をよくする女性の会 全国大会に参加して
~・去る9月8日と9日に静岡市のグランシップで開かれたこの大会に出席した感想をひとこと。・~7つある分科会の中で私が参加したのは「生命をささえ 地域をつなぐ食生活」という会でした。
 まず、グローバルの水野幾子さんが、高齢者を対象に行った食生活に関するアンケートの結果を報告されました。周到な準備をされ、スクリーンを使ってわかりやすく発表されました。
 パネリストとしてお話された生活評論家の吉沢久子さんのお話は大変興味深いものでした。「私は来年1月で90歳になります。」と言われたとき会場は驚きの声と大きな拍手がわきました。お顔もお声も本当に若々しくとてもそんなご高齢には見えませんでしたから。お元気の秘訣、それは栄養士でもある先生はいつも食事の栄養バランスを考えてこられたそうです。そして今まで一度も病気をしたことがないそうで、これも私たちにとっては驚きでした。 23年前にご主人を亡くされてからは、お一人で誰にも邪魔されずに(笑い)自由で、楽しい生活、買い物をはじめ日常のことはほとんどご自分でされているそうです。そして今も執筆や講演活動でお忙しい日々を過ごしておられます。
 また、参加者の中に北海道から来た83歳の女性がいました。70歳で音楽関係のお仕事をやめてからは、ボランティアやいろいろな社会活動をして、以前よりもいそがしく過ごしておられるそうです。他にも何人もの方たちが、どんどん手をあげて話し、活発な話し合いが行われました。80歳を過ぎてなお元気はつらつな方たちとお会いし、高齢社会も悪くない、元気でいつまでも社会のために役立って行きたいなと、明るい気持ちにさせてくれた大会でした。                      長泉町 M.E.

      GIA会員@NETWORK についてのお願い!
 会員ネットワークは、普段なかなかお会いできない会員の皆様の近況などをご本人に書いていただき紹介するもので、毎月のGIAメールとともに会員の皆様に送付されています。会員同士の情報を知ることができて楽しみと好評なので、ぜひよろしくお願いします。(順番に原稿依頼をさせていただきますが、いつでもお受けします)
★ 内 容・・・例えば以下のような事柄です
・私ってこんな人(自己紹介)          ・いい本みつけました(本の紹介)
・最近はまっています(趣味・健康法)      ・うちのペットを紹介します(ペットとの生活)
・家庭でもいろいろあります(家族紹介など)   ・旅先でのエピソード(旅行記)

・おいしいからつくってみてね(料理レシピ)   ・日常生活あんなこと(近況報告・日々雑感など)
★字数・・・400字前後ですが本やお店の紹介記事などは字数が少なくても良いです。
Eメールがある方はメールで送ってください。

2007年9月

すっとんきょうな声を挙げたのは,他ならぬこの私であった。 お爺ちゃんの膝に抱かれて、皺の多いおじちゃん「おじいちゃん、何歳?」 「へー、70.僕の両方の手を広げて7回だね」 
の手を不思議そうに撫で回していた私。 遠い遠い昔の記憶である。
 今、私はその70を遥かに越えてしまった。 しかし、長く生きてきたために、色んな経験をさせて頂いた。 どれをとっても入門以外の何ものでもないが、その一つ一つの世界でいろんな方にお会いする事が出来た。 俳句、短歌、茶道。 外国語に色気をだしたおかげでいろんな国の人たちとも、お付き合いできた。 国連に短い期間ではあったが、職員として働くこともできた、その為もあり、天皇、皇后両陛下の前に立つこともできた。 茶道の世界でも、想い出深い経験は山ほどある。 あの世に持って行くには、荷が重過ぎるようだ。  グローバル文化交流協会に何も協力できてないことが、ただ一つの心残りかな?  人の為、世のためにもう一つやって見るかな。 三島市 H.T.

「苦心の庭造り、5年目・・・」

今年は、庭のクリスマスローズの数が40株を超えた。その上、こぼれ種から双葉が出てさらに増えそうだ。ギボシも15種近く揃った。最近は庭の木々、花々を眺めているととても心が安らぐ。大月市に転居してからそろそろ5年が過ぎようとしている。

こちらに引っ越した当時、わが家の庭は、本当にヒドイものだった。それもその筈、15年間空き家にしたままロクな手入れもしていなかった上に、留守の間はミント、蕗、茗荷を植えて草除けにしていた。よって風情など全く感じられない庭だった。私の自論だが「庭の景色もご馳走のうち」と勝手に思っている。一念発起し、庭木のバランスを見ながら移植する木を決定し、木に養生をしておき、翌春に植え替えをした。この頃はすっかり造園屋さん気分。暇があると花壇の土造りをして、花屋さんやホームセンターを見て回り、好きな種類の花苗を探しては植え込んだ。お蔭で家族からホームセンター病と言うありがたくない病名を付けられてしまった。ガーデニングの本もたくさん買い込んだ。しかし私の場合は趣味のガーデニングということばの響きほど優雅なものでなく、庭造りに必死なおばさんと言った方が似合っていた。春先から日が長くなると、朝明るくなれば庭に出て草むしりをし、次に花木に水遣り。あっという間に2~3時間が経ってしまう。日差しの強い季節は涼しいうちに作業して~なんて言うと聞こえは良いが、しっかり昼寝をして鋭気を養う。こんなグータラぶりはいつまでも健在だ。
庭に手を入れ始めた頃、友人から「庭造りは落ち着くまでに5年はかかるよ」と言われた。四季を通して楽しめる庭を目指して取り組んで来た庭造り、今年で丁度5年だ。友人の言う通りやっと落ち着いてきた。今、庭を見回すと、「もうこれ以上、植える場所なんてありませんよ!」庭から断られそうだ。  大月市 H.S.                       

2007年8月

                 ~グローバルの皆さんに出会えて!~  
大阪から主人の転勤で沼津に越してきてもう13年目になります。当時、小学校3年生と幼稚園の年中組だった娘たちは、大学3年と高校2年になり、主人は逆に大阪に単身赴任中です。私はというと、沼津市で輸入雑貨・衣料「南来流(なんくる)」と、沖縄茶屋「なんくる」というお店をやり、おまけに琉球舞踊の教室もやるようになり、日々いそがしく動き回っています。
実はこれも、グローバル文化交流協会(以下GIA)との出会い、インド出身のシュクリシュナ石井さん(GIA会員)と出会ったお陰なのです。「ワンハート孔雀」(近隣に住む外国人たちが集まり自国の文化を正しく紹介するグループ)での活動を通して、自分たちの国の文化を紹介したいと頑張っている外国のお友達に刺激され、沖縄の料理と踊りを紹介するようになったのが始まりです。GIAでは沖縄料理教室も開催させていただきました。その時は沖縄の両親に頼んで材料を送ってもらいました。随分前のようで懐かしいです。今では沖縄の業者、民芸品、食材専門店など含めて12社と取引をしています。今では、沖縄の物なら、なんでも手に入るようになりました。
私が沖縄料理のお店をオープンしたのには、もう1つ大きな理由があります。それは沖縄がブームになるにつれあちこちで「なんちゃって沖縄料理」が出されるようになったからです。しかし、いろいろな所へ食べに行きましたが、どれもガッカリするものばかりでした。「これでは沖縄料理を誤解されてしまう」と思ったのです。私がこだわったのは「本物!」でした。直接沖縄から材料を取り寄せ、沖縄で生まれ育った本物の沖縄人(うちなんちゅ)の私が作り、沖縄の器、壺屋(つぼや)焼きや読谷山(よみたんざん)焼き、琉球ガラスの器で食べてもらってこそ本物の沖縄の味なのだと思い、オープンして3年、多くの方に喜んでもらって本当にお店を始めてよかったと実感しています。
琉球舞踊は最初、上の娘と二人で踊っていましたが、今では教室で教えるようになり、10年目になります。現在、沼津教室で7人、磐田教室で6人の生徒がいます。静岡県内のいろいろなイベントで踊る機会も増えました。これもワンハート孔雀で踊り、FMボイスQのパーソナリティー佐藤孝子さん(GIA会員)の番組で琉球舞踊の話をさせいただいたことがきっかけになったように思います。
こうして静岡県に来て沖縄の文化のすばらしさを多くの方に紹介できるのもGIAとの出会いがあったからだと感謝しています。それと同時に忙しくなりGIAのイベントに顔を出す機会が減り申し訳なく思っています。          沼津市   岸本美代子(M.K)
「なんくる」055-925-5511 URL http://www.nankuru-i.com/
                   ~・~迷い道~・~
 友人から「裾野市民文化会館での千住真理子のコンサートチケットが一枚あるの」と誘われ「ええ、是非!」と。6月30日5時30分開演。地図をみながら「どのくらいかかるかしら?」「山道を行けば30~40分」と夫。「でも山道は心配だわ。日大通りを行ったほうが安心」「信号が多いし、しかも遠回り。山道は一本道、迷う筈が無い」と夫。「じゃあ山道で。大分早いけど」と4時10分前に家を出発。ゴリラのゴルフ場を過ぎ裾野の茶畑信号を何の疑いも無く右折、これが間違いの始まり。・・・土砂降りの雨の中再び信号まで戻りやっと裾野の市街へ。旧246に入りこれで文化会館へ辿り着ける筈・・が、なかなか見当たらない。心配になり大きなスーパーの駐車場の人に聞くと「地元の者でないので良くわからないが、この先は大きな建物はないので街中の方でしょう」と云われ、来た道を戻るが見当たらず。次に美容院に飛び込んで聞く。「来た道を戻り云々・・」と教えられ辿り着いたところは保健会館。途方にくれ会館の人に聞くと「その信号を左折するとすぐ左に見えます」・・・何のことは無い文化会館は例のスーパーの少し先だったのだ。行きつ戻りつで一時間半。会場に辿り着いたのは開演10分前。友人も心配して待っていてくれた。「あ~疲れた!」
 コンサートが始まり千住真理子さんのストラディバリが奏でる美しいメロディーも帰りの道のことが頭をよぎり上の空。演奏の合間、友人に帰り道のことを話すと判るところまで案内してくれるとの事。やっとコンサートを楽しむ事ができた。大好きなショパンのノクターン、ブラームスのハンガリー舞曲第5番、生の演奏を堪能した。帰り道は見慣れた日大通りを、ハンガリー舞曲の鼻歌で無事、家路へと辿り着いた。
                                   三島市  川崎 徳子(T・K)
           ~・~20年ぶりに訪れた思い出の地・・・ミネソタ~・~
2度目の?成人式を迎えた一昨年、この節目に何か足跡を残したい!・・・思い立ったが吉日、娘2人を連れアメリカ・ミネソタ州の小さな町、ホーレイを訪れた。学生時代(20歳頃)、ホームステイでお世話になったネルソン夫妻と20年ぶりの再会。お2人の懐かしい笑顔を見た瞬間、思わず涙があふれた。 
ミネソタ州はカナダ国境、スペリオル湖の西側に位置し全米で最も住んでみたい州に選ばれている。祖先をノルウエー、スウエーデンに持ち北欧色の残る文化や風習が大切にされている。広大なプレーリーと15000以上もある湖は、私をこの地のリピーターにした。360度広がる大草原と地平線。真っ青な空を泳ぎわたる雲を眺めていると、爪の先まで開放されて空へと吸い込まれていくようだった。  
初めて異国の地を踏んだ娘たちは、あたかも“どこでもドア”を開けたドラエモンのようだった。目の前の広大なパノラマは二人の瞳にはどう映ったのだろうか。 この果てしないミネソタの大地とネルソン夫妻の寛大なホスピタリティーを娘達とまるごと共有できたこと=「永久保存版」!!となった。
 現実はまだまだ厚~い言葉の壁をいつの日か乗り越えて、ミネソタを200%満喫したい!! そう願ってグローバル英語サロンに通うこのごろです。
                                      三島市     T・K
2007年7月
                       ~~旅情あふれる船の旅~~
 船旅に魅せられて、ライン河下りの起点スイスのバーセルから乗船、オランダのアーネム迄を十日間掛けて河の流れに乗ってゆったり過ごした日々は格別 なものでした。未だ多少寒くはありましたが、デッキで風を受けながら時の流れを忘れ、巡り来る自然のままの景色を眺め、時にはビールやワインを飲みながらのおしゃべり、読書等など。運河を通 過するたびに大きく水位が下がり、階段を一段ずつ降りるように河口に向け航行して行くその体験は好奇心を駆り立てられるものでした。
  部屋の窓から眺めていた小さな町にだんだんと近づいて上陸、アルザス地方の村を散策、ゆったりした生活のリズムは、ここでも感じました。その夜は船長主催の歓迎パーティーと夕食会、シャンパンで始まりお料理に舌鼓し、会話で盛り上がり楽しい旅を予感しつつ船室に戻りました。ストラスブールでは、コウノトリの巣が街路樹の天辺に幾つも有るのを見、その大きさを実感、街の中を飛びかっているその姿は、信じ難くも感動しました!
 コブレンツからモーゼル河に入ると情景は一変、河岸に立ち並ぶ家並みの美しさは風景画を見るような世界でした。そこに住む人々の生活の一部をかいま見る事も出来、サイクリングやオートキャンプ場でくつろぐ姿、そして互いに手を振り会って通 り過ぎて行く船旅の楽しさを味わいました。何度か旅をしましたが、旅情を味わった初めての思いで深い旅でした。                      三島市   H.H.
~~「ハチドリ計画」私にできること~~
  先日の朝日新聞に「買物袋持参」について、枝廣淳子さんのコメントが大きな写 真入りで載っていました。枝廣さんは、2年前のGIA20周年行事で、熱い講演をしてくださった方で、益々の活躍ぶりを見聞きする昨今です。
 その新聞に題された「ハチドリ計画」は、南米に伝わるハチドリの話を例に取ったもの。「あるとき森が燃えていました。森の生きものたちは、われ先にと逃げていきました。でもあるハチドリだけは、水のしずくを一滴ずつ運んで、火の上に落としています。そんなことをして何になるんだ、とみんなに笑われて、ハチドリは『私は私にできることをしているの』と答えました。」
 地球温暖化に対して、「私にできること」のひとつずつが、「ハチドリ計画」だとしたら、私自身は、買い物袋持参などに加え、最近あることを加えたのです。それは、雨の日にスーパーなどの入り口に置かれたビニールの傘袋を、再利用することです。それを教えてくれたのは娘でした。「私はいつも人の使ったのを使ってる。新しいのはもったいないし、第一あれ、どっちが上か下か開きにくいじゃない!」そうか!1度だけだれかが傘を入れた袋がくちゃくちゃっと捨ててある。それをもう1度使うことぐらい、今までどうして気付かなかったのか。以来、快適です。土砂降りの日にあのぴっしりとした真新しい袋を開くイライラがなくなって・・。かつ、それが「ハチドリの一滴」になるなら。        三島市 T.O.

2007年6月

        初体験、トラブル続きの海外旅行     水野幾子
 思いがけないラッキーチャンスと、戸惑いながらも飛びついてしまったスペイン、ポルトガル8日間の観光旅行。好天のなか、中世のひなびた町並みを始め、数々の世界遺産との遭遇は、ただ感動の一言に尽きた。重厚な建造物、内部に施された精巧な彫刻やモザイク、様々なタイル模様やステンドグラスなど、人間業かとその技術の高さに驚いた。宗教を介して人心を統一しようとしたのであろう先人たちの知恵とパワーがひしひしと感じられた。こんなに観光が楽しめたのに、実はトラブルにも悩まされた旅だった。  リスボンの空港に着いたのは夜の11時頃、ターンテーブルに乗ってくるはずの私たちのスーツケースは、ついに現れなかった。驚いた添乗員が英国のヒースロー空港に問い合わせたところ、すべて積み残しで明日の1便に積み込むとのこと。その晩は着替えの下着もパジャマもなく床に着いた。最近手荷物検査が厳しいので、化粧品など液体類はスーツケースに入れた人が多く、満足な洗顔も化粧もできず、次の朝は観光に出かけた。ホテルに戻ったが、届いているはずのスーツケースは10個だけだった。残り6個の中に私のも含まれていた。仲間の一人は薬が入っているので、それがなくては旅行が続けられないとも言い出した。兎に角、後は添乗員に任せ予定通 りファド(ポルトガルの民族音楽)付のレストランへ夕食に出かけた。日が長く8時半頃まで明るいので、夕食も遅く、終わったのが10時半ごろ。丁度そのとき添乗員から4個スーツケースが戻ったことが伝えられた。しかし、まだ2個足りない。「そんな馬鹿なことが」と私たち関係者は直接リスボン空港に行くことにした。タクシーを走らせ、ぎりぎりセーフで空港の荷物置き場のチェックを許可された。なんと残りの 2個もその中にあったのだ。一体これはどういうこと?何というルーズさ。ホテルに戻ったのは夜中の12時過ぎ、これでようやく全員のスーツケースが到着したのだった。  旅行最終日は、マドリッドからバルセロナまで新幹線で移動。昼時のバルセロナ駅は人数も少なく、エスカレーターに乗ったのは私達メンバーのみで私は最後尾だった。途中なんとなくバッグに触れられたような気がして振り返ると、大学生風の若い女性がいた。多分彼女がぶつかったのだろうと軽く考え、まさかスリとは思いもしなかった。レストランでチップを払うため財布を出そうとして、ないのに気づいた。ハンカチもなかった。新幹線の中では確かにあったのに。ユーロは小銭以外すべて使いきっていたので問題なかったが、カードが入っていた。急いで日本に電話し、カード会社に連絡をとってもらった。不 幸中の幸い、財布、ハンカチ以外に被害はなかったが、全く油断もすきもないと思った。こんな経験は添乗員やガイドさえも何回かあると聞いた。  無事帰国。成田ではスーツケースが出てくるものと信じていたのに、またもや英国で積み残し。全員の荷物は明日の便になるとのことだった。これまで10回以上の海外旅行経験の中、こんなトラブル続きは初めて。旅行社も往復同じミスがあったのは初めてと、深く陳謝した。トランジットにはくれぐれもご注意。2日分ほどの下着は手荷物に入れておくべき。治安の悪い国では「人を見たら泥棒と思え」くらいの心構えも必要かも・・・寂しいことですが・・・。やはり政治が貧しいということでしょうか? えっ、私がボケ?

2007年5月

                         エジプトへの旅
  2月にエジプトに行って来ました。ベストシーズンでしたが南のアブシンペルはとても暑くて、夏の暑さはどうなるのでしょうか。温度計は60度まで目盛があるそうです。観光に携わる人はみな片言であれ、上手であれ、数ヶ国語を話し、顔を見て使い分けているみたいですが、私達は時々ニーハオと言われ、私はコンニチワと返しました。
  エジプトのガイドのムハマドさんがいろいろ説明してくれました。イスラムにには五つの教えがあること。1.アラーを信じること 2.1日五回の礼拝 3.喜捨(豊かな人は貧しい人への施しをする)4.断食(ラマダーン)5.メッカ巡礼  彼は去年18日間かけて巡礼したとちょっと自慢そうに話していました。また必ず右手で食べる。トイレは左足で入り右足で出る。面 白いですね。エジプト人のサラリーは6万円位で、失業率も高く、結婚には沢山お金がかかるため貯めてからするので、女性は30~35才、男性は35~40才位 だそうですが、農家はお金はかからないそうです。砂糖キビは沢山取れ、甘党のエジプト人は日本の3倍の砂糖の消費量 だそうです。
  百聞は一見にしかず、で遺跡は想像以上でしたが、やはり人と少しでも会話でき、生活を見ることが出来たのが一番です。   三島市 S.U.
                 わが家のホタル
  今年の桜は満開になる直前寒さにふるえ、咲いたと思うと冷え、思い切り咲かずに散ってしまった。たぶん、佐保姫のご機嫌が斜めだったのでしょう。
  先日の4月8日の花祭りには、毎年本堂に置く花見堂の屋根を、桜、雪柳、れんぎよう、椿で一杯にし、お釈迦様の可愛い誕生仏に甘茶をかける慣わしですが、今年は桜、雪柳は散り、椿も残花で苦労しました。自然はまさに活きていることを実感。それでも日本の季節は確実に進み、あとひと月待つと、私が心待ちにしているわが家のホタルの登場です。
  思えば、約10年前の8月、三島を襲った豪雨で、箱根山に降った雨が土中を抜け、わが寺(玉 澤・妙法華寺)を鉄砲水のように襲い、境内は土で埋まり、自宅の裏の沢が地響きと共に杉の大木を巻き込み崩れました。小川も沢もすべて土砂に埋まり、大型トラックで土砂を何回運んだことでしょう。結果 、昔からそこに住んでいた100匹以上の源氏ボタルも茶花も全滅。思わず茫然と涙が止まりませんでした。自然が災害で壊れることはまさに一瞬でした。ようやくショックから立ち直り「環境を取り戻すため再びホタルを」と決意。
  塚田冷子さんの親切なご指導により、小川の復興から始め、幼虫の放流、餌になるカワニナを大量 に買い、川に流し、何年も努力を重ねました。他より頂いた成虫になったホタルは、いくら水のそばでも、ひと晩で1匹も残らず消えました。
  平成15年5月22日、来客を車まで送りに出た時、1匹ポツンとあかりが木の間に出現したときの嬉しさと感動は忘れません。その後、毎日数が増え、6月10日には80匹以上のホタルが乱舞、まさにホタルの楽園でした。雌ボタルは葉陰でじっとして光って、雄ボタルを呼びます。雄はその雌をめがけて飛び、2つの光が1つになり川岸に飛びながら降りていきます。寿命は1週間から10日。毎日「My 蛍」に声をかけるのが日課です。止まっていても手を叩いたり、呼ぶと必ず飛んできます。毎日、夕方になると天敵であるクモの巣を全部とり払い、カラカラのときは水道の水を流しホタルと共生。でも今年確実に現れるかは全くわかりません。今はたぶん、川底から土手を這い登り、やぶの下の土中に移動しているはずです。その時が来るのをわくわくして待っています。     
*寺奥の沢は浄土か蛍舞う  *葉陰より恋の明減 蛍の夜(自作 の俳句 2首)                        三島市 A.K.
2007年4月
十里木旧関所跡と三嶋暦師の館
裾野市の十里木にある関所跡へ行ってみた。標高900mということもあって、コブシの蕾はまだ硬く、吹く風も冷たい。十里木街道の道路脇にその場所はあって、「十里木旧関所跡」の石碑と説明板、石仏が忘れられたようにたたずんでいた。この場所に行ってみようと思ったのは、昨年、国の登録有形文化財に指定された「三嶋暦師の館」の建物があった場所だと聞いていたからである。その場所に立ち、「三嶋暦師の館」の建物をそこに置いてみると、いつもの見慣れた景色とは違って、目の前からせりあがる愛鷹山の山肌が玄関からも座敷からも見える。裃をつけたお役人達も毎日この景色を見ていたに違いないと、いっとき、江戸時代に戻された気分になった。関所跡にある説明板には建物のことは何も書いてない。1855(安政2)年に三島の今の場所に移築され、現存しているということを知ったら、きっと驚くだろうなと思いながら、そこを後にした。    
               三島市 K.N.
BERLINER MAUER
1989年11月に東西ドイツが統一され境界の壁が壊された4日後にベルリンを訪れた友人は「壁」をお土産に持ってきてくれました。その一片を見たときから私のベルリンへの思 いが始まり、昨秋黄葉したウンター・デン・リンデン通りに立つことができました。あのベルリンの壁跡は? 統一以前のベルリンの街はどんな位置に? かつて地図上では孤立 した島であった西ベルリンの人々の暮らしは?周辺の国々との交流は?と、気になる所。ガイドの説明では特別の列車や飛行機で西ドイツ(西欧)とをかなり自由に往来!? 物資 も西欧並みの物が入手!? とても不思議な感じがしました。現在のベルリン市内はいたるところで復興への工事が行われ、さすが美術館や音楽ホールなどの文化施設は国民性を 反映してキチンと整備されつつつありました。 東西分断の壁跡は一部イーストサイドギャラリーと名づけて残し、つらい分断の日々の記憶を留めるために壁跡ライン上に 「BERLINER MAUER 1961~1989」と記したタイルが埋め込んであります。私はブランデンブルグ門の前に立った時、あの解放の日々の熱気、歓喜を思い出しました。二度と戦争はしたくないとの思いと共に、、、、、。      三島市 M.S.
2007年3月
         若さの秘訣は姿勢を〈シャキット〉<思試四暫>と
先日新聞に姿勢の事が掲載されていたので、かいつまんでご紹介します。アンチエイジング(抗加齢)医学の世界に、「参勤交代」をもじって表現した「三筋後退」という言葉があるそうだ。加齢とともに腹、上腕、太ももの3箇所の筋肉が衰える現象で猫背になり、下腹とあごが前に出る老人の姿だ。こういう姿にならない為には「胸を張った姿勢」をする事が若々しさを演出するカギだという。 背筋を伸ばして胸を張り、あごは床と平行、下腹を引いてお尻をすぼめ、肩はいからせない。姿勢が良いと大きなお腹や肌のシミは視野に入らなくなるものと言う。姿勢を正すと体の中心部の体幹筋肉が鍛えられ、エネルギー代謝と血流も改善、健康度が増す。またリズムカルな深い呼吸を続けると、姿勢がシャンとし、まぶたや頬などの筋肉も引き締まり顔つきが若返ると言う。「姿勢と呼吸」は今若さ維持の重要なキーワードになっている。                   裾野市 K.Y.
                 ~父と三嶋大社~
はじめまして。昨年の夏からナタリア先生のスペイン語を受講しています。グローバル文化交流協会の存在を思いがけず知り、今ではナタリア先生、スペイ ン語のお仲間とともに楽しい時間を過ごしています。 富山から裾野へ越してきて10年になりますが、3年前に伯父からある話を聞き、三嶋大社が特別 な場所になりました。その話しとは昭和10年代、私の父が小学 生だった頃、親類が三島に住んでいたことがあり、一度家族で遊びに行ったというのです。その時に皆で三嶋大社へ行き、父はふざけて大社の池に落ちてし まったのです。普段無口な伯父さんは「あんたのお父さんはおかしな人だったよ」と言って父の3回忌の時、昔話をしてくれました。その伯父も翌年亡くな り、三嶋大社の昔話はもう聞くことができませんが、今では近くを通るたび父を思い出します。                                                裾野市 H.H.
2007年2月
                 アンニョンハセヨ!
平成18年11月に、本町タワーの4階で初めて開催された三島市のボランティアサークルの集まりの中で、国際文化交流を実践しているこちらのサークルの存在を知りました。現在、沼津を中心としたメンバーが多い青少年の健全育成を目指したYMCAの援助団体に所属していますが、地元三島市の団体にも参加してみたい思いがあり、いろいろと捜していたところでした。 仕事は県立高校の50歳代前半のひらの(平野)教員です。隣の長泉町で生まれ育ち、28年間三島市に住んでいますので、この地域のことはそれなりに理解しているつもりですが、地域の為にまた国際理解の為に、頭と体を使った活動をしたいという気持ちが年々強くなっています。海外にも何度か仕事(ホームステイ)あるいは個人旅行で出かけました。(残念ながらこの数年は家族の介護、看病で一度も海外に行けない状況にありましたが)特に好きな国、また行ってみたい国はイギリス、オーストラリアです。 「これから、同じ目的を持つ地元の皆さんと国際交流の活動をすることができれば、何か楽しみも増えて長生きができるかなと」思っています。平日は仕事がありまして自由な時間があまりありませんが、土曜日・日曜日を有効に使い、少しでもお役に立つことができればと思います。これからよろしくお願いいたします。        三島市 M.H.
                振り込め詐欺にあいかけた話
昨年の10月19日のことです。息子から電話があり携帯電話番号を変えたという。いつもより声が弱々しいが、しゃべりかたが息子そっくりでした。 その翌日また電話があり相談があるという。「昨日電話した時に言えなかったけれど、つきあっていた女と別 れ話がありもめているとき、相手が転び顔に怪我をさせた。相手の親が弁護士をたて慰謝料350万円請求された。慰謝料350万円で全部話しが終わるので、嫁にも言えず街金から350万円借りた。返済期限がきれており、今日決済を迫られている。男同士でお父さんに打ち明けた。今銀行にきている。すぐにお金を振り込んでほしい」。 「人生いろいろあるが350万円で解決するなら良かった。あまり落ち込まずに頑張れ」と励まして「相手の振り込み先に送金は危ないのでお前の口座に振り込む」と言ったら「直接銀行に振り込んで欲しい。街金の人と一緒にいるので振り込み確認しだい全額完済の書類をもらいすっきりして帰りたい」と言う。 声も話し方も息子と同じだし信用して銀行に振り込みに行こうとしたがもう一度確かめようと変更後の携帯に電話をし「振り込め詐欺の用心のためだがお母さんの名前をいってみなさい」といったら「多香」と答えた。「おばあちゃんの名前は」と聞いたら答えられなかった。次に「お前の弟の名前は」と聞いたらこれも答えられずに「そんなに信用できないならもういいよ。こんなに困っているのに助けてくれないならこの話はなかったことにしてほしい」と怒り出した。そこで「今からでもすぐに現金を持ってそちらへ行ってやる。明日でも良い」と言ったら電話がきれた。念のため携帯の前の電話番号にかけたら息子がでて携帯の番号も変えていないしそんな話しもないとのこと。三島警察署にすぐ電話をし、携帯番号と銀行口座を知らせた。 私の家内の名前までは調べてあったがおばあちゃんと弟の名前までは調べていなかったので嘘とわかった。また声がそっくりな奴が電話をかけてきたのにも驚いた。事前に息子の声を調べたのでしょうか。振り込め詐欺にひっかかる人を今までバカにしていたが一時すっかり信用して銀行に行きかけた自分が愚かでした。子供のことが心配の親ごころにつけこむ詐欺にくれぐれもご用心を。                                             三島市 福井善徳

2007年1月

         芸術、そして初めての個展
何年も前、私が働いていた小学校の美術室にこのような言葉が書かれていたことをはっきり覚えています。「すべての芸術家が特別 な種類の人間というわけではない、しかし、すべての人間は素晴らしい芸術家である」、これは真実です。私は今までかなり長い間、芸術に興味を持ち絵を描きたいと思っていましたが、実際描き始めたのはつい最近です。そして、今年11月三島市内において「Infinite Conscious-ness(無限の意識)」という題で初めての個展を開きました。絵を描くという過程こそが、私を探求の世界へ誘うものであり、興味深い体験です。自分の思考や感情を探ることで、自分自身の心と存在をよりよく理解できるだけでなく、私を取り巻く世の中をも深く理解できるのです。今回の個展に出品した抽象画の作品は私の人生、心理状態、抽象的概念、そして禅への関心を反映しています。作品はどれも最近6ヶ月間、特に大学の夏休み期間に、伊豆半島にある私の山荘で描かれたものです。もちろん、私の住む地域周辺の自然は絵画へのインスピレーションを与えてくれています。しかし、今までの私の人生におけるすべての経験が作品に表れていることも事実です。私がまさに今生きているという現実と一致する、偶発的なひらめきがそこにあるのです。        GIA英会話講師 R.M.
                  旅(至福の時)
11月初旬にクロアチアの旅に出かけ “アドリア海の真珠“と呼ばれるドゥブロブニクへ行ってきました。1991年の独立戦争の時、旧ユーゴスラビア連合軍の攻撃を受け、旧市街の70%以上が破壊されましたが、今ではすっかり復興し、美しい町並みを取り戻しています。数ヶ月前NHKの世界遺産の番組でドゥブロブニクを取り上げ、フルボエ・チカトさんという床屋さんが、戦争中の爆撃で全壊に近い被害を受けた店を何とか建て直して、近所の人たちが集まる場所にしたり、身寄りのない年寄りのために無料で散髪をしている様子を紹介していました。そこで彼に会ってみたいと思い、お店をそっと覗いてみました。 「テレビ番組で見たのですが・・・」と恐る恐る声をかけると、仕事中にも拘わらず「そうだ。そうだ」と笑顔で招き入れてくれました。壁に貼ってある取材時の写 真を自慢そうに見せたり、肩を抱きかかえるようにして一緒に写真をとってくれるなど、大歓迎してくれました。午後からは旧市街をぐるりと囲んでいる城壁の上を歩き、青い海とオレンジ色の屋根を見下ろしながら、満足感に浸ると共に、日本から離れこんな遠くに今自分がいることがとても不思議に思われました。                                         三島市 T.S.
                 チャレンジしたこと
今年私はいくつかのことにチャレンジしました。1つは、自分に似合う色を見つけたくてパーソナルカラーアナリストの勉強をしたこと、その中で分からない色のことを知りたくて、色彩 カラーの講座も受け2つの資格を取得しました。ここでは若い方たちと一緒に勉強できて、本当に楽しかったです。まだまだ始めたばかりですが、これからも自分に似合う色を着て、おしゃれにも関心を持ち続けたいと思っています。もう1つは、フラワーアレンジを習っていることです。この秋、娘が結婚しましたが、そのためにブーケ3つと髪飾り、ブートニア4つなど先生の力を借りて作り上げました。大変でしたが、娘も喜んでくれ、数年そのまま飾って楽しめるので、よい記念になりました。                 伊豆市 M.S.
2006年12月
       チャリティーコンサートによせて
GIAの皆様の何事にも熱心なのと、地域の事、地域の人々への関わりの熱い思いに触発されまして、今夏入会させていただきました。 ところで皆様の暮の音楽はどんなものですか、NHKの紅白、なにがなんでも第九とおっしゃる方、また今年はモーツアルトでしょうか。子供たちも学校を卒業し、所属していた吹奏楽や管弦楽団の演奏会がなくなった頃、東京芸術大学の毎年暮のチャリティーコンサート「メサイア」演奏会を知り、参加しはじめて今年で7回目になります。このコンサートは終戦直後始まり56回目です。これから世界へはばたこうとしている、学生の情熱と厳しく、温かくご指導なさる先生方との手作りの演奏会です。ある年は音が体にしみ込んでくる様に、ある年は荘厳な大聖堂で聴いているような緊張の年もあり、飽くことがありません。10月ごろからチケットを買ったり日程の調整をしたりそわそわしております。 チャリティーはGIAの皆様には私の勤めております、みしまプラザホテルのチャリティーステージに主催を続けていただいて、まさしくグローバルな演奏とあたたかい心をたくさん頂戴して感謝申し上げております。2003年に30周年事業として計画してから、様々な団体、企業様、演奏家様に支えられて、年に10回づつ開催できます事をとても幸せに思います。ご賛同くださる毎月100名から150名の地域の皆様のお気持ちに添えますようにと毎月快い緊張を感じながら楽しく開催させていただいています。今年は12月17日(日)チャペルルミエールクリスマスコンサートで1年の締めくくりです、来る年も皆様の心いっぱいのチャリティーステージが開催できますようご協力をお願いすることになりますでしょう。楽しみにしております。                                 清水町 H.O.
     英会話と英語による般若心経に参加して
こんにちは、今年6月からティム・ドナヒュー先生の英語のクラスを受講している内田です。私は、自宅で仕事をすることが多いので比較的時間の自由が利きます。図書館で英会話教室があることを知り、以前より興味のあった英会話を思い切って習い始めました。習い始めは、先生のほかは、女性ばかりで、緊張しましたが、ジョークが飛び交うとても楽しいクラスで、今では行くのを楽しみにしています。(仕事の都合で出席は半分程度です が、・・・)。また、皆さんの流暢な英語を聞き刺激を受けています。早く皆さんのように話せるようになりたいです。  ところで、グローバルに入会したことが縁で、英語による般若心経の勉強会に参加する機会を得ました。このお経に以前から興味を持っていましたが、この勉強会に参加して、「色即是空 空即是色」の意味が深く感じられるようになりました。どうぞよろしくお願いいたします。                        三島市 T.U.
           楽しい英会話教室
9月からティム先生の英会話のお仲間に入れていただいています。生活の中で、たまに外国からいらした方とお会いする機会があっても、思っていることがまだなかなか表現できず、また、ゆっくり、やさしくお話してくださる内容を半分も理解できないことに本当にもどかしい思いをしていました。何とか少しずつでも英語に触れる機会をコンスタントに持ちたいとおもっていたやさきに、お友達からここを教えていただきました。 私は日ごろからステキな人生の先輩を見つけることを楽しみにしています。そういう方を見つけると「私もああいうふうに・・・」とイメージして生活をしています。こちらにはそういう方々がたくさんいらっしゃいました。今では週に1度のこの時間は英会話だけ でなく、広く生活全般にわたって私を刺激してくれる大切な時間となりました。(今後ともどうぞよろしくお願いいいたします。)                               E.I.
           自由な気分を満喫 
9月に、11年間に及ぶNPO法人グランドワーク三島の事務局を退社しました。今、自由な気分を満喫しています。朝目覚め、今までと同じように仕事をこなしているのに、とてもゆったりとしています。同じように犬の散歩に出かけていっても、あたりの風景や空気が、なんだか違っています。時間に追いかけられなくなったからですね、きっと。なるべく家にこもらないようにと、フィットネスクラブに入会しました。体力をつけて、趣味のゴルフの腕を上げようと思っています。今がラストシャンス。かな? 押入れにしまいこんでいた、布地を部屋いっぱいに広げてパッチワークをしたり、荒れていた庭の手入れをしたり・・・疎遠になっていた、近所の友人と、週一回2時間ぐらいの散歩も始めました。そういえば、アメリカで生活していたとき、アメリカのシニアの友達が、カレンダーに予定をいっぱい書き込んで忙しそうでした。私も今、忙しくしています。              函南町 S.S.

2006年11月

~旅は道連れ~
日頃から、海外、国内と“行ってらっしゃい”と言って私を送り出す主人。常に別 々行動。偶には一緒に旅行する事もありますが、先方の都合で、今年の計画ではアメリカ、ヨーロッパが中止になりそれではと計画変更で即、夫婦揃って国内旅行を思い立ち只今実行中です。旅は道連れで、ご夫婦、親子さん達と“旅とも”になって一層楽しさが増し、良い思い出作りをしています。
でもその半面では北海道、石川、長野、岐阜県と国内の山間部を見渡してきましたが、自然災害、破壊など進み、人手の入らぬ 山の樹木は枯れ、大雨の為土砂崩れ、見るも無残な姿を目のあたりにしますと、これも地球温暖化で異常気象なのかと・・・又、人間自ら自然を壊している事は、本当に残念です。地球を守りたいと願いつつ主人と一緒に好奇心に駆られ少しでも見聞を広めようと次の目的地を目指す老年期の一歩手前の一組の夫婦なのです。(K.A) 
~現代おばば気質~
何って言ったって好奇心旺盛、何でも見たり聞いたり、色々経験もする。グループおばばが集まると「経験、継続、完了」の話で一日が花開く。人間の一生なんて文法の世界、ひとりがつぶやく「こんなに暢気で自由奔放で罰があたらない?」私が言う「いいのよ!私たちそれなりの修羅場くぐって現在があると思うから、神様のご褒美よ」「お金は無いけれど、踊っていれば楽しくてならない」と日本舞踊を踊ってくれる友もいる。「これからプラトニックラブして、マルグリット・デュラスみたいに死ぬ まで若い男を惹きつけて死にたい」と言う友もいる。意気軒昂である。愚痴らない、めそめそしない、前向き、そして良い意味の人生に対する諦念。
それは外見も内見もおばばですよ!けれども学ぶ事はちょっぴりでも、まだ、文学を語り毎日、本を手放さず、大好きな洋画を毎晩見て笑いそして泣き、たくさんおしゃべりして、運動も欠かさず、年をとるってたのしいですよ!!「良い時代に生まれたね」が私たちの合言葉である。“一病息災”人生を謳歌している、青春まっしぐら!! (S.A)

2006年10月

            はじめまして
 6月から仲間入りさせていただき3か月が過ぎました。10年前に始めた仕事も今年は節目の年を迎え、やはり自分自身もSkill Upしなければと思っていました。そこへちょうど岡本美保子さんからお声を掛けていただき現在、ティム先生の英会話を受講しています。  長男が小児ぜんそくを発症し、転地療養のために三島に引っ越してきて12年、次男もこの4月から大学生になり他県へ、私自身も長く関わってきた生活クラブの役員の任期が5月に終わり、自分自身の時間を楽しめる余裕がようやくできました。この時期にまた新しい出会いができ、とてもうれしく思っています。  グローバル文化交流協会については勉強不足で何も知らなかったのですが、ギアメールを読ませていただき、いろいろな活動を行なっていることを知りました。今は英会話教室への参加しかできていませんが、これから何かお手伝いできることがあればと思っています。よろしくお願いします。                                                     三島市 Y.M.
             朗報です
 ある環境フォーラムの講演“未来の為に出来る事”と題して書かれた記事を読んで、私は改めてぞっとした。それは子宮や胎児に悪影響のダイオキシンがヘアーカラーから発生している。---農薬除草剤より毒性の強いパーマ液や手染剤などの処理方法、それらの薬品を毛髪や頭皮につける顧客の健康について考える---という内容だった。  母親からしっかり受け継いだ白髪の遺伝子は若い頃から長い間私を悩ませていた。以前から毛染めが身体に良くないくらいは私だって知っている。でもどんなに良いとか大丈夫とか植物性だからとか言われ紹介されても、超弱肌の私にはどれも大丈夫なモノなど全くなく、仕方なく諦めていたのだ。まだ白髪のままでいられる年でもなく痛みとカブレと戦いながら毛染めを続けていたのだ。 それが先日、思わぬ朗報が飛び込んだ。私の体質も性格も理解している友人から偶然にも凄いモノ見つけたと連絡があったのだ。毛染めでも人身や環境に悪影響を与えないモノがあるという。あるはずが無いと思い込んでいる私は当然疑った。しかし思い切って恐る恐る一度だけ試してみた。---結果 は驚き“凄い!!”の一言。嘘でしょうー!!の連呼。痛くない、かゆくない、何でもないのだ。それより髪はしっとりツヤツヤ、サラサラになった。“こんなのあったのー!?”それも簡単で安全で安い。お手軽ヤッター!! それからは老若男女問わず、おせっかいおばさんにはまっている。友に感謝。                                          沼津市 H.T.

2006年9月

         ~最近、思うこと~
この数年、気候が変だな、と思う。今年も例年より、桜の開花が早かったし、五月は梅雨前のからっとした晴天が多いはずなのに、連休明けからどんよりとした天気が続き、梅雨入りしたのかと思われるような天気が続いた。梅雨入りしてからは、各地に被害が出た。そして梅雨明けが遅く、明けたのは七月下旬だった。翌日には赤とんぼが飛んでいたり、ヒグラシが鳴いていたり。赤とんぼ、ヒグラシは八月中旬~下旬ではなかっただろうか。私は自分の目や耳を疑った。 今、世界各地で異変が起こっている。地球温暖化の影響なのか…。地球の地軸が傾いた影響だと言っている人もいる。いろいろなことが、絡んだ結果 なのだろうか。気候だけでなく、嫌な事件が起こったり、食生活も不安だらけ…。私たちは何に気をつけ、どのように生活していけばいいのだろうか。 高校の頃、「物を粗末にする人は、人をも粗末にする」という話を聞いたことがある。今、物があふれ、物を大事にしない人が多くなり、その結果 、自然環境が悪くなり、嫌な事件が多発しているのかもしれない。グローバルのバイリンガル環境かるたにあるように、できるだけ環境に配慮した生活ができるように気をつけ、人や物に感謝をし、大事にしていくことによって少しでも環境がよくなることを期待したい。                                         三島市 S.T.

         ~この頃思うこと~
ご無沙汰していますが皆様お元気でいらっしゃいますか?この頃日本人が生きる力を無くし、夢を見なくなってきている気がして心配です。そもそも全てのものは目に見えないとても小さなクォークと呼ばれる粒で出来ています。クォークが集まり、元素になり、地球上の物質を作っているのです。つまり全てはクォークの密度が濃いか薄いかだけのことなのです。即ち「色即是空」…それなのに人間は生き、その中で泣いたり、笑ったり、怒ったり…本当に不思議ですね。長い生命の流れの中で、ほんの一瞬生きて死ぬ 私達…せめて生きている間は、皆で仲良く楽しく、より良い世界を目指して歩んで行きたいと思います。現実の世界は理想にはほど遠いけれど、でも諦めたら終りです。自分の出来ることをコツコツと継続して行動し、何時か世界中の人達が愛し合い、幸せに生きられる日が来ることを信じて、暮らしていきたいと思う今日この頃です。
「愛こそ全て」(All we need is love)
以上ビートルズエイジの夢見るおばさんのたわ言でした。では又、何時かお会いできる日を楽しみに…Good Luck!!!
P.S. 「色即是空」(般若心経より)『Form-it is, in fact, emptiness』
(by リービ英雄:万葉集を英訳。西洋人初の現代日本文学作家と言われている)         三島市 Y.K.

        ~スペインへの旅~
スペインの新幹線AVEでマドリッドへ。向かいの席はスペイン人の中年女性でとなりは老年女性。日本のキャンディと和紙の日本人形を上げたら喜んだ。英語が通 じないので仕方ないや、と思っていた。しかし交通公社のくれた小冊子に、基礎的なスペイン語がいくらかあるのを思い出し、簡単なところを、フリガナのとおりに発音してみたら、ちゃんとコミニュケーションが成立するのを発見し、だんだん笑い声が混じってにぎやかになってしまった。しまいには3人で肩を組んで写 真を撮った。 「秋元さん、国際交流やってますね」、添乗員の渡部さんが背中合わせの前の座席から立ち上がって、こちらを覗いて言う。彼女は出かけてきて、2人のスペイン人たちとお手の物のスペイン語で話をし、アルゼンチンに帰っていくお母さんを、娘さんの方が送っていくところなのだと私に告げた。添乗員の渡部さんが言う。「ほんとは秋元さんの隣の席はわたしだったんだけど、あの人たちが間違えて腰掛けていたのよ。その間違いのおかげでスペイン語をしゃべる機会が出来てよかったですね。秋元さんのスペイン語は上手だって言ってますよ」と言う。えっとビックリ。英語でなら、この程度の交流はいつもやっているが、話したこともないスペイン語で交流が出来るとは知らなかった。住所を書いてもらって、写 真を送る約束をした。若い方はイザベルという名前なのが分かったが、彼女はわたしのことをAmiga(トモダチ)と書いてくれ、抱き合って別 れた。                               長泉町 Y.A.

2006年8月

        今では三島が大好きに
皆さん、こんにちは。私が三島の住人になって、早くも1年2カ月になりました。長年横浜に住んでおりましたので、40年来の友人たちは「最後はこちらに戻ってきて」と言っていましたが、最近彼女たちも遊びに来てすっかり三島が好きになり、私が「終のすみかにするかもよ」と話したら、賛成してくれました。
10年前、足の悪くなった母と伊豆高原で一緒に暮らす事に。大切に大切に介護いたしましたが、降るような星がたくさん見える夜、最愛の母は旅立ちました。今でも星を見ると、涙がこぼれます。まだ、立ち直れないで3年になりました。 三島に住もうと思ったのも、なるべく母の側にいたいからです。また、三島を好きになったのは、少女時代に住んでいた雪国十日町市に似た雁木造が広小路から駅まであり、駄 菓子屋さん小物屋さんなど雨の日でも見て歩けるので、すごく楽しいです。いろいろと散策して廻って、最近知った柿田川公園はいいですね。往復歩いてもう3回も行き、今度友人が来ますので早速連れて行きます。
楽しい時間がもう一つ。Tim先生の英会話に、6月から行っています。弟が仕事の関係でハワイに23年住んでいましたので、ジャンボ機前からアメリカ旅行をしていますが、「主人と弟ばかり頼っていたのがいけなかった」と、主人が亡くなって勉強不足を痛感していました。今度の旅行で友人と「つくづくしゃべれないのはくやしい。英語を習いましょう」と約束しましたが、今のところ私だけ習っています。がんばります。        三島市 C.K.
             出会いは「グローバル草紙」  
はじめまして。この度、皆様のお仲間入りをさせていただきました尾沢淑子です。ミスター・ティムの英会話の教室に通 うことになり、入会いたしました。でも、ずーっと以前に、グローバル草紙のことを中日ショッパーズで知り、買い求めて以来、グローバル文化交流協会のことは、頭のどこかにありました。それからしばらくして、ECCの関係で白井さんにお会いして、彼女がこのグローバル文化交流協会で、皆様とともに多方面 にわたりエネルギッシュに活躍していらっしゃることを知りました。会話の教室でご一緒する方々も素敵な方ばかりで、心地よい刺激をうけています。この出会いを大切にして、少しづつでも、心の豊かな人間になりたいな、と思っています。  私は兵庫県出身で、社会人1年生、高校3年生、高校1年生の子供がいます。主人とは1つ違いですが、お互い歳を重ねるにつれて、血圧とかコレステロールで気になる数値がでて、できるだけ歩くように心がけているこの頃です。どうぞよろしくお願いいたします。                               沼津市 Y.O.
2006年7月
        もしも風になれたなら
去年、縁あって伊豆の山中に小さな家付きの土地を買った。古家に手を入れ、週末は夫と2人大抵ここで過ごすことにしている。今年のゴールデンウィークも親しい友人夫婦と合流する計画を立てていた。ところが5月2日、私の弟が亡くなり、それどころではなくなった。急を聞いて私一人、羽田から高知へと飛んだのが「みどりの日」だったので、まだ温かく息のある彼を見てから、死はほんの3日後のことだった。「肺炎さえ克服すれば もっと生きられる」とみんな口々に言ったが、そう信じたかっただけのことだろう。 今、ひたすら癒やされたくて伊豆に来てしまう。けれども日毎に緑を増す景色の旺盛さに圧倒される。もし弟が死んで風になれたのなら、そこのイタヤカエデの大木の梢でひとしきりザワザワと遊んで行って欲しいと思う。遠くて会えなかった互いの罪ほろぼしのために。              裾野市 M.O.
      8年間の東南アジア生活を経験
今年の4月からグローバルに入会し、ただ今英会話Cクラスを受講しています。私は、夫の転勤で97年7月からシンガポールに2年半、そしてインドネシアに5年半滞在し昨年の夏に本帰国しここ三島へと越してきました。8年間に及ぶ海外生活は非常に実りのあるものでインドネシア出国の際は、後ろ髪を引かれる思いでした。シンガポールでの2年半は、出産と育児であっという間に過ぎてしまいましたが、インドネシアに移ってからは、2人のメイドと運転手を従えて、家事から解放され、治安の悪さや、衛生面 、テロへの恐怖はあったものの、自分の時間が自由に使えるという点では夢のような暮らしでした。  ジャカルタでは、WIC(Women’s International Club)というクラブに入会し、ボランティアや国際交流、チャリティーバザーなどに参加し忙しくすごしていました。後半の2年ほどは、その合間をぬ ってジャカルタの大学で日本語を教えていました。学生たちはみな若く非常にパワーがあり、週に1回の授業でしたが、いつも情熱や若い力を分けてもらっていたような気がします。日本語学科の彼らの夢はさまざまで「日本語の先生になりたい」「日本の会社に就職したい」「日本人と結婚したい」「日本へ行ってみたい」等などで、日本へのあこがれが感じられるものばかりでした。現地では、日本の古いテレビ番組が放映されたり(おしんやバラエティーなど)日本の食べ物やテレビアニメ、キャラクターなどが人気で、文化面 でも日本の物がかなり浸透しているように思いました。チキン照り焼き、ギンダラ照り焼き、鮨、などは、質はさておき市民権を得ていたように思います。また、日本製のものは信用が厚く、「高くて丈夫」と思っているようでした。日本でのニュースを通 して見るインドネシアは、あまりいい印象ではないかもしれませんが、まぁまだまだ南洋ボケが抜けず、ちょっと変なところもあるわたしですが、どうぞよろしくお願いします。グローバルを通 じて国際交流を続けられればと思っています。      三島市 Y.F.
2006年6月
     東欧への旅 
       ~中世の町チェスキークロムロフ(チェコ)~
CESKYKRUMLOV(チェスキークロムロフ)の文字と、城と尖塔が浮き彫りになった小さな素焼きの鈴を振るたびに、さわやかな音色は私をあの中世の町に引き戻してくれます。2005年12月初旬、私は東欧5カ国への旅の途中、チェコ南部にあるチェスキークロムロフという町を訪れました。この町はスメタナ作曲の『モルダウ』で、日本人にもなじみのあるモルダヴ川の流れを利用して城を中心に建てられた城塞都市です。13世紀頃からの建造物が保存され、中世ルネッサンスの石畳が敷き詰められた旧市街地を散策するとクロムウエル白の淡いピンクとブルーの尖塔は町のどこからでも、その美しい姿を見ることができました。モルダウ川の畔には長い年月風雨にさらされたキリスト像が建ち、ルネッサンスの雰囲気を残しているオレンジ色の屋根の町並みは中世にタイムスリップしたかのようでした。      三島市 N.Y.
GIA 事務局のの福井善徳が3月にネパールを訪問しました。帰国直後に起こったネ大きなネパールの政変についての解説です。
             激動のネパール情勢  
街を行くとあちらこちらから「わいわい」となにやら叫ぶ声が聞こえる。何を叫んでいる声かと聞くと王制反対を叫ぶ大学生たちだと言う。今年の3月中旬カトマンズに滞在中の出来事である。  私の帰国後ネパールの政治情勢が大きく動いた。4月6日から4日間反王制主要7政党がギャネンドラ国王の強権政治に抗議するゼネラルストライキを主導した。  昨年2月にギャネンドラ国王が緊急事態宣言を発令し当時のデウバ内閣閣僚全員を罷免し自らが専制政治を始めたことに抗議するものである。  当初4日間のストライキと抗議デモはネパール全土に波及した。抗議運動はおよそ20日間におよび政府軍の外出禁止令を無視しカトマンズ市内でも10万人を超す群集が王宮に迫る勢いに発展した。デモ隊に対する政府軍の威嚇発砲などによりデモ参加者と一般 市民の死者はネパール全土で19名に達すると同時に数多くの負傷者がでた。デモはますます過激化し4月25日には数十万人規模のデモが予定されるにおよびギャネンドラ国王は事態を重く受け止めて主権を国民に返還することを認めた。すなはち2002年に閉鎖した下院議会を復活し7政党の代表であるネパール会議派(NCP)総裁で元首相のギリジャ・プラサド・コイララ氏を首相に任命すると発表した。この発表をうけて4月25日の大規模デモは中止され4月28日には下院議会が開かれた。  一方10年間続いているマオイストの武力闘争はゼネラルストライキ中もネパール全土で過激化し郡部の政府軍駐屯地の襲撃など泥沼状態を見た。  新首相に就任したコイララ首相はマオイストに対し和平交渉に応じるよう働きかけマオイストもこれに同意し武力闘争は現在休戦状態に入っている。マオイストは王制廃止を謳っており王制存続を考えているコイララ内閣がどのようにマオイストを説得し武力闘争を終結させるかが今後大きな課題である。  一連の政情不安の間中、ニュースの報道と現地の友人からのe-メールによる情勢変化の報告に息を呑む思いで注目してきたがようやく解決し民主化の道を歩き始めた。胸をなでおろした。しかしまだまだネパールの真の民主化は前途多難と言わざるを得ない。すなはちマオイストが武力放棄の上政治に参加するか、また政党の腐敗体質が是正されるのかなど問題は数多く残っている。

2006年5月

         引っ越しました
今年の3月末から東京都町田市に住み始めました。 夫の転勤を機に、義父母の近くに家を買い大好きな三島を離れました。私は前向きな性格だと自負していましたが、実は違いました。お世話になったたくさんの方々にきちんとさよならしてきたのに、富士山や徳倉の風景をカメラにおさめてありがとうを言ってきたのに、なぜか町田になじめなかったのです。買い物に行っても近所の方々と仲良くなっても「どうして私はここにいるの」と思ってしまう、望んで来た地なのに三島を懐かしく思ってしまうのでした。  ところが先週末、夫とジョギング中に真光寺川(しんこうじがわ)という大場川とそっくりの川を見つけました。思えば、日本も世界もすべて水でつながっています。そう思うと次々に源兵衛川、宮さんの川、桜川の流れが目に浮かび三島を近くに感じられ、この地にとても親近感が湧いてきました。やっと両足で着地できたなと思う今日この頃です。  三島での思い出を大切にし、これからも私らしく生きてゆきたいと思います。離れてはしまいましたが、今後とも仲間としてお付き合いよろしくお願い致します。               東京都・町田市 M.I.
    4月からGIA事務局に入りました
4月から事務局を担当することになりました。  2001年に出版された「三島アメニティ大百科」の編集にたずさわったことがGIAへ入会するきっかけでした。当時、「アメニティ」の編集室は芝本町にある眼鏡店の2階で、となりの「ゆうすい会」と簡単に間仕切っただけの狭い部屋だったのですが、いつもそこには熱気がみなぎっていました。  豊かな知識と前向きな行動力に最初は驚き、やがてそのパワーを自分の糧とするようになりました。この編集に熱心に取り組んでいた方々の多くがGIAの会員だったこともあってごく自然に入会したというわけです。その後、GIAの「パソコン教室」を担当させていただくことによって、多くの会員のみなさんとお会いでき、一緒に勉強できたことを大変うれしく思っています。  これからも事務局の一員として少しでもお役に立てるようがんばりたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。                                               三島市 K.N.
2006年4月
       宮本摩知さんのからだの話 3
          気セラピスト&エステティシャン
             「歩きましょう」
歩く効果は計り知れないものがあります。現代は子供時代からすでに歩く機会が本当に少ないと思います。故に足腰が弱く、根気が続かず、呼吸が浅く・・・・などなどマイナスが多いですね。 パソコンの疲れだけでなくテレビを見たり細かい仕事で眼が疲れたり、何だか息が続かない、根気が足りないと感じた時に、思い切って散歩に出るのです。あるいは足踏みや屈伸など、足腰を動かすととてもすっきりとします。 歩く効果は、他にも血行が良くなる、消化の助けになる、腕や肩が楽になる、足首が柔らかくなる、股関節がすっきりする、膝が軽くなる、歯が丈夫になる、呼吸器が発達する、ヒップアップになる、などなどきりなくあります。またその振動が全身に(顔や頭も)及ぼす影響も想像以上です。ですから歩かないのはデメリットです。これからは外出も楽しくなる季節ですから是非、歩きましょう。 *番外・・・しびれがきれた時は後ろ向きにちょっと歩くとすぐに良くなります。
4月からGIA事務局へ
よろしくお願いします 私がグローバル文化交流協会と出会ったのは4年前の夏。友人が英会話の講座を探してきて、一緒に見学に行ったことがすべての始まりでした。初めて足を踏み入れた教室には、人生経験が豊富そうな先輩方がずらり。中には私の母と同年代と思われる方も! ご一 緒させていただいてからは、更に驚きの連続でした。みなさん博学。歴史・文化・社会問題等、どんな話題も鋭い切り口で論じていくではありませんか。みなさんは高い問題意識を持っているだけではなく、努力家であることもわかり、私はただただ感動するばかり。身近に尊敬できる 先輩方がたくさんいらっしゃることを知り、将来の目標ができたような気持ちで、GIAのメンバーであることを誇りに思っていました。そこへ、事務局入局のお誘いが…。 自信はありませんが新人として仲間に入れていただくことにしました。GIAの活動を通 じて人生をより 有意義なものにしていきたいと思っています。よろしくお願い致します! 三島市 H.O.
2006年3月
          宮本摩知さんのからだの話し 2
             気セラピスト&エステティシャン
                温法 (部分入浴法)
いわゆる入浴というものが全身浴としたら半身浴があり最近は温泉処に行けば足湯の風情もあり、気持ちよさそうですね。部分入浴といって身体の一部だけをお湯に入れその刺激で身体の不快感を和らげる方法もあります。 代表的な <足湯>は ストレス、脳疲労、眼精疲労、腰痛、腹痛、冷え、生理痛、女性特有の症状、など・・・・・想像以上に効果 は全身に及びます。 他にも腰湯、脚湯、肘湯、手湯、指湯、のように色々なやり方があります。 疲れた時や、特に季節の変わりめにはこの温法(部分入浴法)を上手に活用すると、とても快適な身体で過ごせると思います。ただし身体に良いからといって長過ぎるのはいけません。(5~8分位 を目安に)お家で簡単にできますので、さっそくお試しになり、その気持ち良さを味わって下さい。
☆2月12日(日)に三島市内で行われた「新春開運初午ツアー」 毎年行事の実行委員長として活躍されている志村はじめさんより☆
           地口行灯と初午ツアー
火事と喧嘩は江戸の花と言われますが、稲荷と犬の糞も同じように多かったと伝えられています。稲荷神は字の如く五穀豊穣を願う神ですが、今では商売繁盛・家内安全など万能の神様です。その稲荷神の祭りが初午で、立春を過ぎて最初の午の日を初午と言い、四色の幟を奉納し祝ったものです。もう春が近いという期待の祭りであったことでしょう。 初午の日は、武家屋敷も開放され一般の町民が中に入り、稲荷神と共に飾られた地口行灯を見て大いに楽しんだということです。 さて、地口ですが、地=江戸、口=口合い、即ち江戸の言葉遊びのことです。洒落や語呂合わせと考えてください。江戸時代の地口は、ことわざ・歌舞伎・常磐津・物売りの声・清元等などあらゆるものを題材に地口を創って楽しんでいたことがわかります。 三島の現代地口には元句が書かれていますが、江戸時代は元句が書かれておりません。ですからある程度多くの人が知っている言葉でなければ通 用しません。と言うことは地口を理解し楽しめる江戸庶民の文化・知的レベルは高かったと推察できるわけです。 東京都下には地口行灯を飾る神社や商店街がありますが、何れも江戸時代のものをそのまま書き写 していて、三島のように組織的に創作地口を展開している例はありません。 初午ツアーに参加した明治大学教授によりますと、魅力が薄くなった商店街の地口のため、創作地口に取組む三島を訪れたとのことです。学生にも地口を作らせようと、資料づくりのデジカメ撮影をしていて、来年は学生に参加させると言っていましたし、ご自分が所属するお笑い学会でも地口の話と共に三島の地口行灯を紹介したいと仰っていました。 グローバルのメンバーには、静岡新聞の「大自在」にも取上げられたこの現代地口に関心を持って貰い、三島の新しい文化を盛上げて頂きたいものです。                                              志村 はじめ
               遠くの会員より
山梨に転居してから、近くに住む姉の誘いで近場の温泉巡りを始めた。姉から「温泉へ行こう」と最初に誘われた時は、「エーッ温泉?わたしゃまだそんな年じゃないわよ!」と思ったものの、見渡せば周りは山ばかりでコンビニさえもない場所に引越しして、「退屈だな~」と思っていた矢先だった。とりあえず、風呂の支度をして同行することに。  温泉場に行ってみれば、温度の高い湯からぬ るめの湯と浴槽が設けられ、寝湯に薬湯、露天風呂、サウナ、スチームバスなど等、一ヶ所で何種類もの湯が楽しめる。いくつか気に入りの湯を楽しみ終えると早くも一時間強が経過する。心地良い汗をかいた身体、湯上りに水分補給する。ややぐったり加減、気だるくて心地良く、何とも快感!!内心では気分は2~30才代よ!なんて思いつつ勝手に年を取るのを見送って来たつもりの私。 やっぱりネ~体力年齢は順調に重ねておりました。ハイただ今"楽温泉適齢期"真只中です。    F.S.
               温かいふれ合い
一年半前から二つの市の国際交流協会の一員になって、外国の人達に日本語を教えています。それぞれの市で組織や運営方法は違いますが、言葉で困っている外国の人達が日常の初歩的な日本語をできるだけたくさん覚えられるようにサポートするということと同じです。日本語検定の受検を目指す人、教科書の勉強はいやだけど世間話がしたい人など、いろいろな国の人達と出会います。 先日、一年間の研修を終えて中国へ帰るというTさんのためにみんなでささやかなお別 れ会をしました。とても上手な日本語でTさんが挨拶をしてくれました。お礼と感謝の言葉の後に、中国へ帰ったらいろんな人達に日本のことを教えてあげたい、そして自分は中国と日本の架け橋になりたいと涙ぐみながら話してくれました。私の隣にいた中国のSさんが「日本の人とても親切、嬉しい。」と呟きました。私は、「私達はあなた達と会っていろんな話をするのがとても楽しいんですよ。」と答えて胸が熱くなりました。 小さな地域での小さな活動ですが、近くにいる外国の人達を一人でも多く手助けすることができて一人でも喜んでもらえたら・・・いつもそんな思いで日本語教室に通 っています。                       S.F.
          菓子作りでさまざまな出会い
グローバルの皆様には、日頃から大変お世話になっています。総会をはじめ、グラウンドワークのイベント、フリーマーケットなどの行事に焼き菓子やケーキを出させていただいています。 現在、自宅及び自宅近くのサロンでケーキ教室を開設しています。生徒さんの「こんなに簡単に美味しくお菓子って出来るんですね!目からウロコの思いです」の焼き上がったケーキを前にした歓声に酔い、ハンドドリップのコーヒーと共にいただくひとときは、レシピ作りや計量 準備に追われた事も忘れ、充実した満たされた瞬間です。 お菓子は人の心を柔軟にするようで、教室の雰囲気もいつの間にか情報交換の場になり、先日も今流行の「岩磐浴」の話題で盛り上がりました。 「手軽に」「美味しく」は、家庭で作るお菓子作りのモットーですが、注文に応じて作るお菓子は材料も吟味して、「パリパリとねっとり」「サクサクとふんわり」など食感の違いがわかっていただけるような味わいに心掛けて焼いています。 人の集まる所に、暗中模索で習ったばかりのお菓子をせっせと焼いて食べてもらっていた頃・・・そして自分の好きなこと、やりたい事を「形」にすることができた現在は、お菓子作りとそれを取り巻く環境は宝物です。これからもこの宝物を、もっと磨いていきたいと思っています。                    沼津市 斉藤 紀子

2006年2月

新会員紹介     「心も身体も素顔で活き活き」       
初めまして、昨年12月に入会させて頂きました。野口整体を勉強し、研究し、実践しています。また日本の美容の草分け「山野愛子 どろんこ美容」のエステティシャンです。どちらも癒しのひととき、と喜んで頂けるよう仕事に励んでいます。 私の身体感は「信頼」そのものです。身体は日々の手当てや手入れが大切です。そこから自然な形で自分自身を信じる力が湧いてきます。身体は問いかけに必ず応えてくれる、身体は自分を裏切らない、ということを様々な経験から学んできました。自然治癒力が生かされる日常のお手入れのポイントなど機会があればこの紙面 にも投稿させて頂きたいと思っておりますので、よろしくお願いします。 「心も身体も 素顔で活き活き」 と 三島はそんな雰囲気を感じさせてくれる街です。この街を歩くのがとても気持ち良いです。またこれからは会員の皆様との素敵な出会いを心より楽しみにしています。どうぞよろしくお願い致します。           三島市 宮本 摩知
*宮本さんには、3回シリーズで「身体のお話」を書いていただきます。
《遠くに越された会員さんから》  通訳、翻訳の難しさ
時間が経つのは速いもので、三島を離れてから12年、翻訳、通訳の仕事を始めてから10年余になります。異なる言語を使用する人たちの「言葉」の橋渡しや、翻訳クラスの講師の仕事を通 して、言葉の使い方の難しさに改めて気づくことが多い毎日です。発言者・起草者の言外に込められた思いをきちんと表現するのは難しい反面 、それを表現出来たときはほっとします。自分の言葉を通して「出会いの場」を文章、あるいは話し言葉で演出する仕事は、一つの言葉の使い方次第で、その出会いの場を心地よいものにもし、また重苦しい場所にしてしまいます。また翻訳の場合は特に、第三者として見えない二者間の仲介をしているので、自分の解釈に偏りが無いだろうか、意訳は無いだろうかというのは気にかかる点です。疲れているときなど、その場の状況に合せて柔軟に表現することが難しい時もあり、自分もまだまだだなと感じることが度々です。 よくこの仕事は体力勝負と言われます。本来は運動嫌いで内向的、面倒くさがり、しかも人前に出ることに苦手意識を持っている私は、これだけ長い間この仕事に係わって来られたのを、自分でも不思議に感じています。翻訳、通 訳の仕事を選んだのは、GIAでの出会いがきっかけでした。いつも前向きで、何年か後にはこうありたいと思えるGIAの「素敵な先輩たち」からは学ぶことがとても多く、その時々の出会いが今に繋がっていることに深く感謝しています。 三島を離れてから10年以上経ち、距離的には離れていますが、時折メールを交換したり、お電話でお話ししたりする大切なグローバルの仲間たちと、これからもずっと繋がって行きたいと思っています。そして願わくは先輩たちのように「素敵に」年月を重ねて行きたいと思っています。 名古屋市  R.K
カナダ旅行
カナダ旅行で出会ったトロントのB&Bの女主人 昨秋、観光と友人に会う目的でカナダのトロントに夫と出掛けました。ネットで予約したB&Bは、なんと街のど真中にある高層ビルの中の一軒のマンション。笑顔で迎えてくれたオーナーは、70才の一人暮らしのカナダ人女性でした。 室内装飾や家具什器は言うに及ばず、朝食の見事さ!美味しさ!先客がホテルリッツ以上と書き残してある程でしたが、それより何より4日間の滞在中知った彼女の前向きなライフスタイルに心打たれました。 夫を母を姉をこの10年間に見送り、子供を持たなかった彼女は今やたった一人。二度の癌の手術。体調も万全ではないけれど、こんなことに負けてならじと自宅の2つの寝室のうち一つは自分用、もう一方を各国からの旅行者の宿として活用しているのです。  この事だけでも敬服なのに、宿泊客の私達にかかりきりでなく、早朝より友人に会いに出掛けたり、友達をランチに招待したりと、自身の生活も大いに楽しんでいる様子。 すべてに出来る限り自立して生きようという気持ちがオーラとなって、とても若々しく魅力的。それにお洒落でユーモアたっぷり。こんな方に出会えた幸運を思った旅でした。  三島市 Y.M.
会員の秋山可年子さんより 「小の久」 昔のとうふ屋さん 手作り豆腐・湯葉・料理 清水町に昨年の11月開店 ランチ  :11:00~14:00(30名限定) ディナー :18:00~21:00    ・予約のみの限定料理 定休日:毎週日曜日 営業日:8:00~18:00(売店のみ) TEL : 055-972-1163
英会話Aクラスを紹介します
★ 英会話“Aクラス”は、毎週水曜日の朝9時から始まります。私たちは朝の忙しい時間帯の中、遅れる人もなく皆熱心に、楽しくティム先生のご指導を受けております。先生は日本人よりも上手な日本語を話され、話し声だけでは先生が日本人なのか、それともアメリカ人なのか、時々惑わされてしまうほどです。“Aクラス”は私たちにとって楽しい楽しい50分間です。ただ一つの欠点は生徒がすぐ脱線することです。でも先生がやんわりとリセットしてくださいます。  (H.M.)
★ 英会話を始めたのは数年前。そしてこのクラスに参加させていただいて一年が経ちました。未だ会話のキャッチボールがスムースに出来ません。そのような時、ティム先生はいつも優しく、ユーモアを交えて教えてくださいます。クラスの皆さんは親切な方々で、 いつも和気あいあいとした楽しいクラスです。  (Y.S.)
★ 私は昨年の2月からAクラスに参加しています。授業はティム先生のジョークに笑わされながらも、真剣な質問があり“What’s new?”の先生の問いかけには、毎時間、様々なエピソードが披露され、とても楽しいえす。また授業の後のクラスの先輩方とのコーヒータイムも私の楽しいひと時となっています。是非、皆さんもAクラスに見学に来て見てください。楽しいですよ!
★ This class is make me confortable and Tim’sEnglish can be easy to understand.
★ まだ参加して間もないですが、とてもアットホームな感じが気に入っています。まだまだ皆さんの足を引っ張る状態ですが、頑張っていきたいと思っています。

2006年1月

初めまして 11月に入会させていただきました
きっかけは生涯学習センターでティム先生に出会ったことです実はその少し前に『外国の男性に出会って一緒にお仕事をする』という夢を見ました内心(夢の中の男性はワンレングスのおかっぱ頭だった・・・)と気にもとめていませんでしたが、翌週なんとティム先生は長い髪をバッサリカットされてご登場・・・!あまりに不思議なので見学からそのまま入会することとなりました
私の若い頃の上司や音楽仲間と友人でもある先生の”魅力”もさることながら輝いている女性と出会う場を地元で発見したこの嬉しさはどう言葉で表現してよいかわかりません
ですので、授業中はいつもへらへら笑っておりますが怪しいものではございません
生涯学習講座のヤングプラザでコミュニケーション講座を担当してます
よろしければのぞきにいらしてくださいね!(年齢制限がありますが皆さんお若くみえますので大丈夫です?!)
今後ともどうぞよろしくお願い致します        かめだ
アメリカのいちばん温かいところ
~ターシャ・テューダ-の写真集&絵本~
 最近NHKの番組で紹介され、そのライフスタイルが話題を集めているターシャ・テューダ-。残念ながら番組を見られなかった私は、「ターシャの庭」「ターシャの家」などの写 真集から、バーモント州の山奥の広大な敷地で、自然とともに生きる彼女の姿をうかがうことができました。実際に自然の中で自給自足の生活をする事は並大抵の苦労ではないと思うのですが、彼女の表情はとても穏やかで、元気付けられる気がします。
 彼女が描いた絵本にもその感覚は受け継がれ、「コーギビルの村まつり」では、コーギ犬や猫、やぎなどの動物が、田舎の村まつりを舞台に、ユーモラスなお話を繰り広げています。(写 真集の中に、その主人公のモデルとなった動物を見つけることができますよ。)以前私が住んでいたインディアナ州のとうもろこし畑の真ん中にある町でも、年に一度このようなおまつりがあり、普段あまり遠出をしない町の人たちは、家族や友人と移動遊園地で夜遅くまで楽しんでいました。この絵本のような、やぎのレースはありませんでしたが、家畜の品評会も行われ、賞をもらった豚や牛の柵には記章が輝いていました。ターシャの絵本が広く愛されているのは、アメリカ人の心の中のいちばん温かいところを描いているからなのでしょうね。
 「人を喜ばせ、人の役に立ち、自分もおもしろいと思う生き方をして来られたこと、これからもそのように生きていけそうなことを、嬉しいと思います」。そんな風にいえるように、生きていけたらと思いました。
渡辺靖乃
2005年12月
「新たな生活スタイルを求めて」      Y.H
平成4年、四国・高松でリタイアを迎えました。東京より単身赴任で関係会社の経営にあたり、忙しい日々を送る中にも、忙中閑有りの気持ちで、瀬戸内海の海釣り、八十八カ所巡り、陶芸家との出会いなど有意義な生活を送りました。単身赴任1年目、仕事帰りの赤提灯通 いだけでは能が無いと思っていたところ、家の帰り道にあった陶芸教室で楽しそうに粘土と格闘している風景に出会いました。これがリタイア後の私の生活スタイルを決める契機となったように思います。 埼玉に帰った後も、教室に通ううち、窯炊きで炎と格闘したいとの思いが募り、山、海、温泉という環境を考えて、伊豆韮山に工房兼男の隠れ家を構えました。平成6年の初夏でした。当初、家内は仕事の関係で長女一家と埼玉 の自宅に住み、折りを見て韮山に来たり、私が用事で帰ったりの生活でした。何となくこのパターンが定着し現在に至っております。 山での一人暮らしも単身生活が役立ってか、家事も少々の酒と共に結構楽しんでます。リタイア後の夫婦の関係は「熟年離婚」というTVドラマにもあるように、種々問題がある所ですが、私の場合ある距離を持ち、つかず離れず、お互いの世界を認め合うことで、或る新鮮さを保てているようです。リタイア後10年の60代は修善寺ギャラリーでの個展、ニュージーランドでの3カ月の英語研修等々アクティブに行動してきました。 さすが70代に入った今は、グローバルの英会話クラスで女性のパワーに圧倒されつつ、陶芸、英語、囲碁、散歩を生活の張りとして、伊豆の四季をエンジョイしてます。リタイア後のライフスタイルは人それぞれですが、常に好奇心を持ち、一人でできる趣味と人との交わりのバランスをほどよく保てば、充実できると思うのですが?いかがでしょうか。
がらくたはエネルギーを無駄に消耗させる? 友人から借りて読んだ英国人が書いた風水の本によると、家のなかでがらじゅたと呼ばれる物がたまっていると大事なエネルギーをそこで消耗させるそうだ。もう何年も着ていないのに買う時とても高かったとか、思い出があって捨てられない洋服など。その内整理しようと溜め込んである写 真の数々。ちょっと考えただけでも整理すべきものが何と沢山あることか! もっと居住空間をすっきりと広くしたい!自分自身の生活ももっとゆったり、シンプルにしたい!其の為には自分自身の生活ももっとゆったり、シンプルにしたい!其の為には自分の生き方も含めて見直しが必要となりそうだ。さてどこから取り掛かろうか・・・大変な作業になりそうだけど、やるなら今しか ないと思いながら日々がすぎていく。               長泉町 M.O.
 
 
 
 
 
 

2005年11月

「ガーデニング大好き」とGIAの活動に参加
グレゴリー・フリードマンさん
(三島市在住・アメリカ出身)
この夏、GIAメンバーが「沢地グローバルガーデン」で作業をしている時にヘルメット、サングラスのサイクリング姿で現れたグレッグさん。「ハーイ!この場所は何だろう?っていつも通 るたびに思っていたんです」と、私たちに気軽に声をかけてくれた。ここにあるグラウンドワークのロゴマークを三島市内の他の場所でも見かけたことが気になっていたそうだ。以来時々一緒に草取りや花植え作業に参加している。 「もともとガーデニングが大好き」というアメリカ・カリフォルニア州出身。現在は日大で英語講師を務めるが、来日は2度目だ。サンフランシスコ州立大学を卒業後、「外国に行ってみたい。日本の文化は面 白そう」と1993年に初来日した。広島と神戸で7年間英語を教え、その後再び国へ戻ってサンディエゴ州立大学でマスターを取得。英語、日本語という枠のみならず、専門としての「言語学」を深く学んだ。 「三島の街は水辺がきれい。いろいろな所へ出かけるのが楽しい」と、つねに地図を持って歩いたり、サイクリングしたり、と興味は尽きない。最近始めた和太鼓の練習にも熱が入る。
紹介します!英会話Dクラス(水曜日15:00-16:30)
*リチャード先生へインタビュー*
Q, When did you come to Japan? A. I came to Japan in 1984. Q. What made you come to Japan? A. From a very young age I was fascinated by Asian culture and Japanese culture in particular following a Japanese student's 2-month homestay at my house. I always felt closer to an Asian rather than Western mind. Then as I grew older my interests developed in Japanese arts, culture and philosophy/religion. Q, What are you interested in now? A. Everything interests me. I find endless fascination in the world around me, the interconnected nature of all things. An awareness in daily life and a sense of gratitude for all people and things that make up this world, gives me hope and contentment. Through my work, I am able to connect with many people in a way that is always interesting, meaningful and satisfying. Q. Give a message or advice to D-class members Your enthusiasm for learning English is always an inspiration to me. And each class is a joy for me to experience with all members of the class. Thank you for giving me the opportunity to spend time expanding the limits of your English abilities through stimulating and friendly communication. Q. Give a message or advice to GIA members It is a privilege to be part of GIA and contribute in a small way to your association. I believe that your activities truly help make our community a better place. There is no better cause than to participate in society in a way that is of service to others. GIA is doing that kind of service.

Q、日本へはいつから? A  1984年です。
Q、 なぜ日本に? A 小さい頃から、アジアや日本文化に魅かれていたのですが、我が家に日本人学生が2カ月ホームステイしてから、その気持ちがより強くなりました。 私はいつも西洋よりアジア的“心”を近 くに感じていました。 大きくなるにつれ、日本の芸術、文化、哲学、宗教にも関心を持つようになりました。
Q、今は何に興味がありますか? A 全てです。全てのものが関連しあう自然事象、私の周りの世界に限りない魅力を発見しています。日々の生活への気づき、この世界を作り上げている全ての人々と事物への感謝の気持ちから希望と充足を得ています。この仕事を通 して、興味深く有意義かつ満足いく方法で多くの人と交流できるのです。
Q.. D-クラスのメンバーにメッセージを。 A 皆さんの熱心な勉強態度は、いつも私にインスピレーションを与えてくれます。毎回、メンバーとの共有時間は私の喜びです。 刺激的かつフレンドリィなコミュニケーションを通して、メンバーの英語能力の境界を広げながら過ごす機会を与えてくれることに感謝しています。
Q.. GIAのメンバーにメッセージを。 A 皆さんがGIAの一部になって、少しでもGIAに貢献できるのは、ひとつの特権と言えます。GIAの活動が、私たちのコミュニティをより良くするのに役立つと信じています。他者に対する奉仕という形で社会に参加するのはすばらしいことです。 GIAはそのような活動をしているのです。
Members’ Voices 
(1)名前、イニシャル(2)お住まいは?(3)GIA入会年度(4)Dクラス参加年度(5)動機(6)先生へメッセージ(7)希望
(1)M.E. (2)長泉町 (3)(4)1985年 21年目 (5) 熱心で素敵なリチャード先生のもと、Dクラスは活発で楽しいです。みな話題が豊富で仲間から教わることもたくさんあって嬉しいです。 (6)リチャード先生が出版された”Different Options”を また読んでみました。いい本ですね。(私たちもちょっぴりお手伝いしたものですから) 英語を勉強する方にお薦めしたいです。 (7)英語で日本のことを話すとき、自分の知識のあいまいさにがっかりします。これからは外国のことと同時に日本のこともしっかり勉強したいと思います。 (1)M.K(2)清水町 (3)(4)2005年 0.6年目 (5)シュクリシュナさんの紹介で。今話題のニュースについて、先生と皆さんの様々な意見が聞けることが楽しくて勉強になります。(6)環境についてとても詳しくて、用意して下さる教材は興味深く、楽しいです! (7)語彙を増やすことと、リスニング力をあげること。ついつい字幕、二重音声の日本語ボタンに手が。
(1)I. M. (2)三島市 (3)1985年21年目 (4)(5)(6) 個性的なメンバーの多いこのクラスは、活発な意見が飛びかう。話題も豊富で中味も濃い。不勉強な私には良い刺激となっている。 (1)K.Serizawa (2)沼津市 (3)1999年(4)2000年 (5)水曜午後の仕事がなくなったので、午前も午後も受講しています。
(1)N.Y. (2)函南町 (3)(4)1990年16年目 (5)他の方の紹介で (6)私の拙い英語をいつも辛抱強く聞いてくださり感謝しています。ここまで続けてこられたのも先生のおかげです。 (7)BBC、CNNが聞き取れるようになりたい。 (1)Sachiko. M (2)三島市 (3)(4)1991年 15年目 (5)Classmates are friendly, textbooks are interesting, Richard sensei stimulates us much! I’d like to learn English as long as possible. Come to join us.
(1)Yumin(2)三島市 (3)(4)1992 年14年目 (5)わが子からの英語の質問に、スラスラ答えられるようになりたくて+海外旅行で英語を使いたい。 (6)博識で、誠実で、真摯な紳士。尊敬しています。 (7)課題はいっぱいで、ジレンマはありますが、学ぶこと自体を楽しみたい。 (1)Y.H.(2)伊豆の国市 (3)(4)2003年3年目 (5)昼間の英会話クラスを探していたのでこのクラスに。 (6)テキスト以外、種々の教材を使い、大変ですが楽しいです。 (7)海外でネイティブと十分コミュニケートできること。特にリスニング強化。
(1)H.O.(2)三島市 (3)(4)2002年  4年目  (5)友人に誘われて。最初は話題・語彙、共にレベルが高すぎてやめようと思ったことも。でも、あきらめなくてよかった。 (6)政治・経済から文化まで、何でも語れる先生ってスゴイ。たまに見せるおちゃめな一面 もナイスですよ! (7)自分の意見を的確に言えるようにすること。プラス、リチャード先生を英語で論破する。(ムリかな?) (1)T.H (2)三島市 (3)(4) 2004年3年目 (5) ListeningやReadingと違って、英会話は1人では勉強出来ないので、サークルがないだろうかと探していた時に、このクラスに出会いました。今は、人生の先輩方のパワーに、ただただ圧倒される日々です。 (6)色々ありますが、まずは、思っている事をスムーズに英語で伝えられるようになる事。

2005年10月

          お薦めの本
ピーター・タウンゼント著、間庭恭人訳「ナガサキの郵便配達」(早川書房1985年) この本は絶版となっていました。図書館などにあるそうですが、地下の書架に眠っていることが多いそうです。国語の教科書に抜粋の文が18ページほど掲載されており、高校生の間でも源本を読んでみたいとの希望があったそうです。 私はある奇縁で「『ナガサキの郵便配達』を復刊する会」を知り、幾許かの寄付をさせていただきました。今年の8月復刊本ができあがり手許にとどきました。折しも戦後そして長崎に原爆が投下されて60年の年でもあるため、各メディアであらゆる角度からの報道が飛びかっていたさなか、夢中で読み上げました。 著者ピーター・タウンゼントは英国空軍大佐で退役後ジャーナリストとして綿密な調査と取材を重ねて書き上げました。原爆投下が人類最大の過ちであることを強く訴える作品です。 小説仕立てのノン・フィクションです。主人公の少年は、被爆時16歳で郵便配達の途中で被爆しました。背中一面 焼けただれうつぶせのまま1年6ヶ月余、生死の間をさまよい、奇跡的に一命をとりとめました。その後、闘病生活を送りながら反核運動に身を投じ現在も核廃絶、世界平和を願い活動されているそうです。 この本を読みながら私が高校生の時に読んだ3册の本のことを思い出しました。早速インターネットで検索したところ嬉しいことに3册とも再発行されていました。永井博士は原爆で妻をなくされ病床の身でありながら如己堂と名ずけた2.5帖一間の家で2人の子供を育てられました。その本を紹介します。私ももう一度機会があれば読み返してみたい3册です。 「この子を残して」2005年8月発行「長崎の鐘」 1994年03月発行「ロザリオの鎖」(2003年07月発行「永井隆全集3」の中に) 永井隆博士については「書籍 永井隆」で検索かhttp://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/nabomb/nagai/nagae01.html に詳しく紹介されています。                          福井善徳
   伊藤久弘 ≪6月に入会されました≫
グローバル文化交流協会のみなさま、はじめまして。私は三重県の田舎で高校まで過ごし、大学時代は名古屋で 高分子物理を専攻していました。2003年4月に就職し、 昨年1月に三島へ越してきました。今は三嶋大社近くのアパートから富士市内の会社へ勤務しています。 私は留学や海外生活などの経験は全くありませんが無類の英語好きで、中学で英語の授業が始まってから今に至るまで、英語とはいろんな形で常に接し続けています。がんばって英語を勉強していると、外国から来た人と英語で話す機会がふいに訪れたりしたときでも結構楽しむことができて、それでますます味をしめて英語の勉強にもっと身が入る、という良い循環に入り込むことができます。グローバルを通 して三島での国際交流に参加し、いろんな方々との出会いを通して楽しみながら英語を使う機会が得られればと思い、この度グローバルに入会させて頂きました。自分の好きな英語を使って人の役に立てたら素敵だろうなぁとも思っています。もし私が力になれるような機会があれば是非お手伝いしたいです。 これから何卒よろしくお願い致します。
このカードを作ったときのエピソード あなたのゴミもの「も」の部分です。みなさんご自分のダイエットには、関心があるようですが、ゴミもダイエットしてスリム(減量 )にしてね。というメッセージが込められています。 外国の女性にこのカードを読んでもらうと、いつも「まったくそうだ!」。という感想をいただきます。 Saito Ayako
       軽くなった我が家のゴミ
生ゴミを簡単に堆肥に変えるボカシ(EM菌)の事を知ってはや十数年。以来、ふたつきポリバケツ2個とボカシで我が家の生ゴミはすべて堆肥に変えてきた。作り方は簡単、生ゴミをポリバケツに入れ、その上にボカシをかける。それを繰り返しバケツが一杯になったら、土に埋める。しばらくして花壇やプランターに使用。豊かな土は美しい花を咲かせてくれる。夫との二人三脚が効をなしている。お陰で我が家のゴミは軽くなったが・・・ 2人のダイエットは・・・??そううまくいかない。 水野幾子
ボカシ購入法 三島市社会福祉会館2階 1袋200円
         英会話サロンのA-2クラスをご紹介致します。
すばらしいティム先生を囲んで、9人の平均精神年齢35才の熟女ばかりのクラスです。
授業の始めに free talking をしますが外国旅行をする人が多いので旅行
をした事についての話、質問などで話が弾むことが多く、行った事がある場所、ない所、
経験した事のない話を聞いたり、写真を見せて頂いたりする事は大変楽しい物です。そのあと先生が用意して下さったプリントで会話、アクセント、文法の勉強等をします。先生の冗談を交えての解かりやすい、とても楽しい授業で、一時間はあっという間に過ぎてしまうのです。授業後の時間もまた楽しいもので雑学、情報交換などでマタマタ盛り上がります。それぞれの人が忙しい日々を送っていますが食事会、美術観賞、音楽会、日本の古典芸能観賞等の話になりますとまとまりが早くすぐに実行に及んでいきます。趣味を沢山持っている人が多いので、それを他の人にもその情報を教えあいながら皆で楽しく、『継続はちからなり』でゆったりやっています。   K.Y.

英会話サロン(水曜日13:00~13:55)メンバーのコメント
英会話を始めた動機は?もちろん外国の方々と会話を楽しみたいと思ったこと、それから 友達が欲しいと思ったことが大きな理由でした。レッスンは毎時間変化に富んで たいへん楽しいのですが、記憶力と努力が足りなくて 英会話は未だに足踏み状態です。けれども、見事に! 頼りになる素敵な友人たちに恵まれました。そして優秀でやさしい先生にも恵まれました。心豊かな方々との出会いは私の元気の素、大切な財産です。継続が力となって 英会話も身に付くと良いのですが? 
   K.I .

私は、今年の3月英会話サロン初級コースに入門しました。学生の時の、英語の勉強以来ぜんぜん縁が無い生活でしたが、勤めも終わり自由な時間が出来たので前から英会話を勉強し、兄弟と姪の眠るイギリスに行く事と、外人に会っても横を向かない為にと でもこの年齢で始めるのは 皆さんベテラン揃い会話もスラスラ、話題も豊富、私ときたら全然口から会話が飛び出さず、ただ解かった様な顔をしてにこにこ、でもやさしく素敵なティム先生や暖かく親切な方達、その内に皆さんの会話の中に入っていける事を楽しみに、頑張ろうと思っています。     M.A,

クラスのメンバーに参加させて頂いて何年か経ちましたが元来不勉強ですので、なかなか英会話と言うには程遠い・・・・・  でもマイペースで楽しく出席しています。
素敵なティム先生に教えて頂き、素敵な友に出会いアフタークラス?も授業以上にエンジョイし英会話と共に他の事も学ばせて頂いています。    N.S.

★なごやかでとっても楽しいクラスです。
★ 毎週 What‘s new? の話題に事欠かないクラスです。
★熱心でいつもやさしい心遣いをして下さるティム先生と生徒の奏でるハーモニーが素晴らしいクラスです。    K.N.

A-2クラスの魅力は何といっても和気あいあいとした雰囲気ではないでしょうか。気さくな先生を中心に毎回笑いがたえません。英会話の上達は・・・・・???ですが、楽しく続ける事が何よりだと思っています。「継続は力なり」をしんじて・・・    M.M.

ティム先生のほほえましいジョークを交えてwarming-upされ・・・・・こんな感じで午後の授業はスタートします。 リラックスした雰囲気の中でレッスンはまじめそのもの、ティム先生のジョークには思わず大口を開けて笑ってしまう事がある。又、クラスメートの方々が海外旅行や日本各地への旅の出来事、経験など What‘tnew? でよき思い出話(もちろんin English)を発表される。これらを聴かせて頂くことも楽しみのひとつです。クラス全体が とっても明るく まとまっており 皆で助け合っている・・・そんな感じがします。レディーの皆様の笑顔がステキ かがやいています。水曜日の午後のひとときを英会話で充実感を・・・・・。   K.S.

2005年9月

山田功(かつ)江(え)さん 駿東郡清水町出身
(裏千家茶道教師・山田宗功)
◆茶道を始められたのは・・・高校生の頃から「和」の文化に興味をもち、生け花、書道、茶道などを習っていました。卒業後、就職してからもお稽古は続けておりました。結婚し熱海に住んでいた間は、華道教師として、昭和53年(1978)に三島市に転居してきてからは、茶道教師として週3回教えています。茶道は日本文化の衣食住(茶室、着物、生け花、書道、料理、礼儀作法など)がすべて入っていると思いますのでとても奥深いです。
◆今後の茶道は・・・是非とも若い方に興味を持ってもらいたいです。今、裏千家の方針で、お茶に親しんでもらうために、三島市内の全部の幼稚園、小・中学校へ各先生方がお茶に親しんでもらうために出前稽古としてボランティアで出かけています。
◆学ぶ上で大切なことは・・・楽しく学びながらも基本はしっかり身につけること。基本が入っていれば精神的に余裕ができるので、考えなくても自然に体が動くようになります。
◆今とてもお忙しそうですが・・・10月7、8日(金・土)に三島市で開催される(三島市民文化会館ほか)(社)茶道裏千家淡交会 第38回関東地区大会の事務局・総務担当として、参加者の 方々の集計などを担当しています。関東地区というのは8県で16支部あり、各支部持ち回りです。今年は東静支部が担当し16年に1度の大事業ですが、それが三島市で開催されるのです。1年以上前から準備を進めてきましたが、いよいよ間近になってきました。全国から1800名以上の参加者と、お手伝いの人も580名に上ります。坐忘斎千宗室(ざぼうさいせんそうしつ)16代裏千家お家元様はじめ、全国からいらっしゃる皆様に、静岡県のよいところを、観て、感じていただけるよう心からのおもてなしをするつもりです。

Come estan senoras y senores ?
GIA 「スペイン語クラス」紹介
10数年前のこと、韮山でスペイン語講座をやっていると言うニュースに即反応。興味津々、見学に行ったのがこのクラスを始めるきっかけとなった。10名ほどの中高年男女が動作を交えてスペイン語を話している授業は、大変新鮮で楽しそうに見えた。GIAもこれから益々いろいろな人々と交流を持つためには、英語以外の言語を学ぶ必要があると言う結論に達し、早速、講師のナタリー福岡さんにお願いしてスペイン語講座を開くことにした。
最初は比較的簡単な会話から入ったが、学べば学ぶほど奥が深く文法も複雑。人称や時制による動詞の変化の多様性には閉口した。英語の文法がひどく易しく思えた。最初10名ほどのメンバーもさまざまな理由から減り、現在では非常に勤勉な男性2名と底抜けに明るい女性3名で定着している。自由に発言できる授業は明るく楽しい。継続は力なり、会話はなかなかスムーズにはいかないが、読むほうは辞書を片手に読めるようになった。
現在の授業内容は、簡単な日常会話、文法、それにスペイン語の新聞や雑誌から取った記事の読解である。スペインに侵略されたペルーの歴史、滋養強壮剤として日本人が開発しているペルーのコカの話、日本特有の招き猫の由来、地球温暖化、快眠のためのさまざまなグッズの話など、内容は多岐にわたり興味深い。しかし、一般に文章が長く、複雑な構文を分析するのに苦労している。
勿論、語学を学びながらペルーの文化も学んできた。忘れられない思い出は、GIA10周年記念の時に挑戦したペルーのダンスである。一見簡単そうに見えたダンスの足の運び、かかとからすり足で前進するのであるが、それに体と手の振りをつけて進むのは至難の技であった。本番は豪華な衣装で何とかごまかせたが、今となっては懐かしい思い出である。また、日本でもポピュラーになっているラテン音楽やスペイン語劇にも挑戦してきた。これからも時には厳しく、時には楽しく学びながら、多くの人との相互理解を深めるのに役立てればと思っている。
なお、参加者は常時募集しています。現在のクラスを希望される方、また、数名集まれば、初心者クラスを設ける事も可能ですので、興味のある方はお問い合わせください。
問い合わせ先 水野幾子
講師紹介
ナタリー福岡さんは、ペルー出身。リマで小学校の先生をしていたが、日本人男性と結婚し来日、18年になる。以後スペイン語を教えながらペルーの文化をいろいろな所で紹介してきた。数年前から函南のさくら保育園に保母として勤務。
保育園児にも遊びのなかで日常スペイン語会話や歌など教えている。
メンバーの感想あれこれ
私とスペイン語との出会いは極めて簡単である。深く考えた理由もなく、ある時グローバルのバス旅行に誘われ、ついその話に乗ってしまったのである。女性に誘われると弱いんだなあー。以来今日まで良く続いていると思う。その理由はスペイン語サロンの雰囲気がとても良いことである。明るく開放的で笑いが絶えない。それと女性の魔力のせいかもしれない。暇に任せて勉強しているのであるが、今では生涯学習の紛れもない糧となっている。少人数なので個人教授のようなもので、実力のつくこと間違いなし?ニューフェイス大歓迎。先生からいつも言われるのは「Hable, hable en espanol」である。いつの日かアンデスの麓へ!コンドルは待っている。(Oishi Takashi )

ブエノスアイレス在住の友人の息子が、父親の代わって私に手紙をくれるようになった。当初は英語でのやり取りであったが、スペイン語で書きたくなり、スペイン語講座に入門したのが6年前のことである。今はe-mailで近況を知らせているが、辞書を引きながらでは長い文章にならず、彼から見れば子どもの文章のようだろう。それでも彼の文章を読むのが楽しみだし、ボキャブラリイを増やそうと苦労するのが、ボケ防止に繋がると思い頑張っている昨今である。(Nanba Keisuke)

「スペイン語クラス始めるので入らない?」と誘われたのはもう10年以上も前のことである。スペイン語の響きが好きで、その昔ラテン音楽を聞いていた私は、即座にOKした。英語関係の仕事をしていて英語には食傷気味だったし、何か他のことをしたいと思っていたことが引き金となった。最初の頃、片言のスペイン語ながら和気藹々と笑いの絶えない楽しいクラスだった。その後多少スペイン語の分かるフランス人のパランパラさんなども参加し、ややハイレベルになったかに見えた時期もあった。また、若い人達の参加で生気溢れた賑やかな時もあった。そして、数年前とても熱心な男性2人の登場でクラスは ややアカデミック(?)になった。今、スペイン語の新聞や雑誌の面白そうな記事を読んいる。毎回ややこしい表現に「ああでもない、こうでもない」とワイワイガヤガヤ・・・・・飛び交う日本語に先生は目を丸くして「スペイン語でどうぞ!」この一言にシーンとなるこの頃の授業風景である。(Kimura Hiroko)

スペイン語の音が好きで、かれこれ10年以上も前からTVのスペイン語会話を見ていた。縁あってこのクラスに参加してもう5~6年になる。ナタリー先生は少し日本語が苦手のようで、私たちは訳もわからず辞書を頼りにスペイン語の新聞や雑誌を読み進む。そして、少しスペイン語をまぶした程度の日本語でおしゃべりを楽しんでいる。おしゃべりにつれて、思いがけない文化の違いに気付いたり、面白い言い回しを教えてもらったり。遊び半分のクラスが私には丁度良いようだ。(Hirasa Nanae )

 
 
 

2005年8月

グローバル文化交流協会20周年記念事業 TOPICS
2005.6.28
多くの方のご協力で大盛況!ありがとうございました。
★講演会講師の枝廣淳子さんから翌日事務局に届いたメールです。
昨日は本当にありがとうございました。会の節目となる貴重なときにお招きいただき、感謝しています。温かい雰囲気で、楽しく過ごさせていただきました。どうぞみなさまにもよろしくお伝え下さい。
またお目にかかれる機会を楽しみにしています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
★枝廣さんのブログ、ダイアリーより。
28日の三島は、グローバル文化交流協会の20周年の会だった。とても温かくて素敵な笑顔がいっぱいで楽しかった。
さて、今日は7月1日である。今年の折り返し地点ということで、今朝は、半年のレビューをおこなった。・・・中略
というわけで、後半の「勉強するための戦略」を立てた。今度はどうだろう? 
「でも、そのまえに、部屋を片づければ~」とハムスターのプチが言う。でも机の上はきれいなのである。三島でもらった花かごのなかで、ハーブや紫陽花が涼しげでしょ。
というわけで、後半の「勉強するための戦略」を立てた。今度はどうだろう? 
●アンケートより
「バイリンガル環境かるた」で○○○を送受信 あなたならどんな言葉を入れますか?
もったいない/「できることを少しずつ」という思い/地球への愛/環境に対する意識
地球をいたわる心/子供たちの際限ない夢/人類の知恵の見せ所/大事なこと/地球の大切さ/未来の地球からのメッセージ/世界が変わる/4R/感動/地球にやさしい/愛/身のまわりからエコ/いのちを想う(慈しむ)あたたかさ/普段を見直す気持ち/行動力
/気配り/ガレージセール/環境は皆の心で変わるもの など
当日アンケートより
講演会、シンポジウムともに、ほとんどの人が「良かった」の項目に○をしてくださいました。講演会では「よく伝わり、考えさせられた」、シンポジウムでは「いろいろな意見が聞けて良かった」などの感想が多く、以下一部をご紹介します。
1 講演 枝廣淳子さん
「なりたい自分」になるために~エコから学ぶ「自分マネジメント術」~について
・とても刺激的な話で、今の自分にとても参考になりました。私もこれからビジョンを描いて進んでいきたいと思います。なにか目がさめた気がします。(50代女性)
・納得のいくお話ばかりでした。今後の生き方を考えさせられました。(50代女性)
・自分の中に「しめきり」を作ることの大切さを学びました。(20代女性)
・すぐにあきらめないで目標を定めて英語をやってみようと思います。(60代女性)
・ 好き×得意×大事=天職この言葉は今後の自分の将来につながると思いました。「目的と手段を間違わない」現在の自分にも言えることだと思いました。(20代女性)
・今自分が何をすることができるのか、考えるきっかけになりました。(10代女性)
・ 濃い時間を増やすこと、私にとってやりたいことをじっくり考えたい(40代女性)
・ 枝廣さんのお話を聞きたくて参加したので、とても満足です。(30代女性)
2 シンポジウム「バイリンガル環境かるた」で○○○を送受信 について
パネリスト 小池政臣(三島市長)、ロバート・イエリン(陶芸評論家)茅野 剛(日本大学大学院) 水野幾子(GIA)
アドバイザー 枝廣淳子     
コーディネーター 大野多恵子(GIA)
・「もったいない」をキーワードにパネリストの想いがいろんな形で伝わって、しっかり心に残りました。(40代女性)
・ 短いがパネリストの思いのこもった発言で、聞き手はいろいろ考えさせられた。啓蒙的な効果をねらっているのでこれでもかなり良い結果をもたらしていると思うが、会場の参加者の声も取り上げるゆとりがあったら、なお良かった。 (60代女性)
・ かるたの内容からそれぞれ掘り下げての話を聞けて良かったです。中学生の方の意見はとてもすばらしく、同感しました。(20代女性)
・ 各人の年齢や経歴が異なってそれが面白かった。時間が少ないと思った。(40代女性)
・身近なものを大切に活用することに気づかせていただきました。(50代男性)
・ 「もったいない」はこれから心にきざんで生活したいです。(10代女性)
・皆さんの意見を聞いて、環境に対する意識が高まりました。(50代女性)
・ 日大の学生もパネリストというのがよかった。「もったいない」が印象的(40代男性)
3「バイリンガル環境かるた」についての意見、感想
・言いたかったこと、表せなかったことが調子よく、小気味よく表現されていてすっきりしました。(60代女性)
・絵もフレーズもとてもなじみやすくて良い(50代女性)
・遊びを手段として、強いメッセージを発信していると思います。(50代女性)
・実演ができて良かった。楽しかった。子供にもやらせたい。 (30代女性)
・手作りのていねいな絵がとても好感が持てます。初版のままでなく、改訂しながら世の中の状況に合わせて変えていくのは素晴らしい努力だと思います。(50代女性)
・楽しみながら記憶できるところが良い(50代男性)
4食事&交流会についての意見、感想
・おいしかったです。皆さんの意見や考えが飛び交い、笑いのある交流会。(20代女性)
・ピラフは作ってみたいと思いました。ケーキ、ジュースも美味(40代女性)
・私の一番好きな標語が「袋の味よりおふくろの味」なので、グローバルさんらしい食事会だと思いました。(20代女性)
・おいしい、うれしい。地場産品をすすめていきたいですね。(40代男性)
・地場産のメニューが最高!まさにグローバルの主張がつまったお食事に感激。
***GIA梅ジュース***
交流会での乾杯用に、会員が手作りした梅ジュースからいろいろな話が広がりました。
作ってくださった方々、砂糖を寄付してくださった方、ボトルを心配してくださった方
ありがとうございました。酸性の飲みものとして、夏に汗をかいた時にいい、冬、風邪をひきにくくするなどの利点があります。
(作り方) 梅1Kg、砂糖850g~1Kg
1 梅を洗い、水分を取ってヘタを楊枝で取り、表面になどでキズを付ける。
2 消毒済みの容器に、砂糖1/3を入れ、次に梅1/3を入れる。
32を繰り返し、水が上がってくるのを待つ。全体がなじむように容器をゆする。
41週間ほどで梅が浮くほどになるので、水分がからむように時々容器をゆする。
52週間を目やすに、ジュースの出来上がり。3~4倍に薄める。
その後の拾い話
・ジュースを作る時、酢を1000ccほど入れると体にも良く、カビや発酵を少なくする。
・ジュースを作った後の梅は捨てずに、お茶うけに。煮ればジャムに。また細かく刻んでパウンドケーキなどに入れると、砂糖のしみ込んだ梅の香りがする。
                          (GIA事務局 青木峯子)

2005年5月

我が家ではこの春から、息子に続いて娘も地元を離れて学ぶため、主人と私の二人だけの生活が始りました。とにかく久しぶりのことなので、「どうなるのかなぁ。」と心細く
思ったりもしましたが、先日のある集まりで、長泉町国際交流協会の中村会長からいただいたコピーにうなずきました。
 「楽しい新婚生活は何時も奥さんに優しく・愛してるよ・きれいだよ・美味しいものを食べに行こう・手伝おうか・ごめんよ・の五つの簡単な言葉をかけるだけでできますよ。」
 シンプルに書かれた人生の先輩の言葉に、「新婚じゃぁないけれど、夫でもないけれど、トライしてみようかな、お互いの幸せのために。」そう思ったりしているこのごろです。
                             長泉町 M.Y.
金魚とカブトムシとザリガニより大きな小動物を初めてて飼った。
ミニウサギのトム。昼間ベランダで遊ばせている。
5月ごろ抜け毛がものすごく下の階の奥さんに飛んでくるからなんとかしてと言われた。楽寿園か小学校に頼めばとも言われた。トムの生きる道はこうするしかないと、100円の雨ガッパを着てぎゅっとかかえて散髪用のハサミで丸刈りにした。おとなしく動かないでいてくれ かわいそうで涙がでた。
かわいい薄茶色のピーターラッビットが 白い子ブタになってしまった。
あれから二ヶ月、もとにもどりつつあるが 白と茶と黒のブチ猫になった。
                             三島市 M.I.
2005年4月号
昨年の6月より毎号楽しくLINKリンクを読ませて頂いております。他の方々の達筆な文章を読むにつけ、「自分の番が回って来たらどうしよう…」と、いつも恐れおののいておりました。典型的な、やまとなでしこ(!?)で自己表現が苦手な私ですが、英語を通じて色々な人との出会いに恵まれ、良い刺激を受けながら、日々精進しております。これからもよろしくお願い致します。
                             三島市 T.H.
新聞より新書が好き。新しい見聞より新しい知識が手軽に得られる書が好き。そんな新書を2冊読んだ。齋藤孝著『座右の諭吉』『座右のゲーテ』面白くて、楽しくて、感心。心動いて、身が軽くなった感動。著者の齋藤さん世に出るまで福澤諭吉に親しみ、ゲーテに学んできた、だから今が在ると言う。私はこの書を通して福澤諭吉を知り、ゲーテに驚いた。この2書、人生に右往左往したときの良き相談役になりそう。名付けて「左右の書」。ゲーテの実は制御された情熱、諭吉の行動規範、齋藤さんの情報力に感謝。
                              三島市 T.W.
次女は今、2才3ヶ月で、本や歌が大好きです。特に今気に入っている曲はバッハのメヌエットです。この曲は私が子どもの頃、弾いたことのあるきょくなのですが、妊娠8ヶ月頃からよく弾いていました。出産後忙しくてピアノを弾くこともなかったのですが、次女が2才になる少し前から、長女がその曲を練習するようになりました。だんだN上達するにつれ、次女は一生懸命聴くようになり「好き」と言ったり「あの曲を弾いて」とお願いしたり、自分で「タンタラタラタタタン‥‥」と歌いながら弾くまねをすることもあります。胎教の話を聞いたことはありますが、意識してバッハを弾いたのではありません。でも今の次女が、あんなにこの曲を気に入っているというのはおなかの中にいた時から聞いていたんだと確信しています。     三島市 T.T.

2005年3月号

昨年11月よりメンバーに加えていただくことになりました。結婚・出産を機に勤めていた会社を退職しましたが、突然社会とのつながりがなくなってしまうのもつまらなく、興味のある英語関係の団体に参加したいと思い入会いたしました。
娘は2歳半になり、赤ちゃんの頃に比べると随分手もかからなくなりました。少しずつ自分の時間もとれるようになってきたので、これから行事にも参加できたらと思っています。毎月のお便りもとても楽しみにしております。どうぞよろしくお願いいたします。         沼津市 A.I.
娘たちの通う小学校に、本を読むボランティアに行ってます。本読みデビューは去年の秋・・・。ドキドキしたけれど、子供達の目はキラキラ輝いていました。考えてみると、上の子には、毎晩読むのがお約束だったのに、下の子はなんとなく忘れがち・・・。2年生でも、読んで欲しいものかしら?と思いつつ声をかけたら、けなげに本を準備して待ってました。今の彼女のお気に入りは、「魔女の宅急便」。魔女の女の子、キキが夢と希望を持って、知らない町でひとり立ちをしていくお話です。布団の中で、おでこをくっつけるように聞き入っている姿はなかなかかわいいもの・・・。昼間の憎まれ口も、うそのようです。もう少ししたら、だまっていてもキキのように、ほうきにまたがって飛んで行ってしまうのでしょう。ボランティアが思いがけず、幸せな時間をプレゼントしてくれたのでした。                                           三島市 M.T.

H.15,16年度、小学校のPTA会長を務めています。この2年間は県PTAより研究実験委嘱を受け、「人権教育」を主題として活動しました。1年目は人権を「身のまわりの人たちに思いやりをもって接すること」と捉え、これまでの活動にあいさつやふれあいを意識して取り入れることから始め、2年目に全保護者による「あいさつ運動」や、役員以外のボランティアスタッフによる「親子イベント」を通じてふれあいの機会を持つ形に発展させました。この間、三島市PTA研修会、県PTA中間発表会、関東ブロック大会分科会、県PTA(最終)発表会等、様々な会議や発表会にも参加し、大変良い経験をさせていただきました。5年間に渡るPTA活動もいよいよ卒業と思っていましたら、来年度は子供会会長のお役目をいただき、やれやれといったところです。                       三島市 Y.W.

2005年1月号

先日(11月28日)孫の七五三を祝いました。5才の健祐には息子の羽織、袴を着せました。3才の南都には宮参りの着物の袖を直し、市松模様の被布と巾着を作り着せました。30年前には現在の息子たちの気持ちだったと思いますが、孫ともなるともっともっと可愛いです。健やかな成長を祈念して、三島大社に行きました。                       沼津市 A.M.
いま、会いにゆきます(市川拓司ベストセラー)一気に読み、2,3回読み返しました。現実ではありえないけれど、6週間雨の季節の愛の奇蹟、物語の中の一年生の祐司くんと孫の大河と重なり、感動の涙、涙。映画ロードショーにも早速夫と出かけました。(本屋さんではベストセラー人気No.1品切れ)そして小椋佳歌談の会(御殿場市民会館)、心にしみるメロディー、歌声、美しい詞、情景が目に浮かびます。何といっても温かみのある澄んだ声。 そして今朝スペインに居る孫からのメール、写真(人間の塔の練習に行った、との事)スペイン、カタルーニャ地方の伝統行事で一つの塔は100~200人で作られ農作物の成長を願う意味も込められている。うれしい11月でした。                                                裾野市 T.Y.
先日、高校時代の同窓会の集まりが東京でありました。
小学校の卒業式の数日前に父親の転勤で泣く泣く神戸を離れ北九州のはずれに転校しました。12歳といえば、もう自分の中にしっかりアイデンティテーが確立されており、新しい土地や気性の違う人たちになじむのは大変でした。
中学はそれでも部活に救われましたが、高校になると進学校で勉強に追いまくられ、旧制中学で女子が少なくてやっと出来た仲の良かった友人はその後自殺してしまいまいた。加えて、瀬戸内海式気候の明るい土地で育った私には、裏日本式気候の冬の空がどんよりと曇っているのは耐えがたいものがありました。
そんなわけで、北九州での数年間は私の記憶の中では何となく灰色の生活で、その後北九州を離れた私にとって、記憶の1ページから消し去ってしまったようになっていました。
そして、3年前に誘われて卒業後30年の同窓会に出席したのがきっかけで今回の運びとなりました。顔ぶれを見回すと、当時あまり交流のなかった人が多くて少し心配でしたが、それでも顔なじみを見つけてホッとしました。最初は、緊張と、何を話していいのかわからず戸惑いましたが、親しく話し掛けてきてくれる仲間に勇気づけられてだんだん当時の友達気分にもどり楽しいひと時を過ごすことができました。皆にも、なじめなかったいきさつなど話したことで長年のトラウマからやっと解放されました。これからは愉快な同窓会世代の仲間入りができそうです。          三島市 K.O.
小さな調剤薬局で働いています。
最近の薬剤師さんはお薬を袋に詰めて渡すだけでなく飲み方の説明はもちろんのことお薬がその人にあっているかどうか、同じ作用のお薬をほかの医者からもらってないかなどを
患者さんとの会話の中から探し出すのも仕事のひとつです。
毎日、患者さんとの会話の中に人生のエッセンスのようなものを
発見することが多々あります。
一人暮らしのおばあさんは「みんなに嫌われないようにと気をつけて生きてるよ。」と背筋をピンと伸ばしておっしゃいます。
90歳に近いおばあさんが「私は、64歳のときに骨折して入院した時にあの婦長さんが石膏で固めて動けない足の爪に赤いマニュキュアを塗ってくれたことが今でも忘れられないのよ。」とお話されます。
連れ合いを亡くされた同士のカップルが毎回楽しそうにおしゃべりしながら来局されるのもなんとも微笑ましく「人生って幾つになっても捨てたものじゃあないな...。」なんて思ったりして...。
                          長泉町 bilingual human pharmacist  H.S.
わたしは過保護に育てられ、よくいえばおっとり、悪く言えばぼーっとしてました。しかし長男の嫁となると、それではものの役に立たず、次第に自分を表現することを覚えました。中年になり経験した腰痛のため体操のクラスや水泳教室に入ったら肩こりまで簡単になおり、山歩会にも入って健脚向き以外は出かけます。今が一生のうち一番自分の体をコントロールするのがうまいようで、何で私こんなに丈夫になっちゃったのかなと思います。
 物好きでどこへでも出かけ、GIAパソコン教室の常連で、夫とともに作っているアマチュア物書きの会「若草」の30周年号を元にしたホームページもできてしまいました。
http://www.geocities.jp/yokoakimoto2000/ よろしく。
去年はエッセイ集「モバの小夜曲」が文芸フォーラム静岡から500円で出ました。短眠熟睡わりと元気な76歳です。                       長泉町 秋元陽子 Y.A.
さて、今年の日本、世界はどうなるのでしょうか?何だかますます弱肉強食の時代、そして、心の豊かさがなくなってゆくのではと心配です。でもnever give up !諦めず、希望を持って自分のできることをしたいと思います。
もし興味があれば ”九条の会”(井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木暁子、Tel 03-3221-5075)や ”アフガニスタン義肢装具支援の会”(Tel 0742-62-7979)をチェックしてみてください。
世界の平和を祈り、アメリカのポチになる事にはNO!と言いたいと願う今日この頃です。                                    三島市 Y.K.
 

2004年12月号

何かと忙しく過ごした2004年も残すところわずか1ヶ月余りとなりました。今年は,例年になく国内をあちこちと旅に出かけた年でした。中でも京都で、人生の想いでに(?)舞妓さん変身したことは、少々無理があった気がしないでもないですが、今でも作って頂いたポートレートを見て楽しんでいます。そして、9月末~10月は、父の病気後、気になっていた介護の講座に通い、障害者(児)ホームヘルパー2級を得ました。これからは、多少知識を得たことで、両親の生活の手伝いの上で役立たせていきたいと思っています                             伊豆市 M.S.
十月の雨の日の午前中、通りを歩くと、金木犀の香りがしました。その香りがすると、その香りのもとをさがすくせがあります。あたりを見回すとやはり、その木がありました。
その広い庭のある家の老婦人は、ひとり暮らしで、しっかりした方なのですが、先日会った折、「私の姿を見かけなくなったら、施設へ入ったと思ってね」と本気とも冗談ともつかない静かな調子で言いました。木犀の香りと、その人の凛とした静かさがひどく合っている感じがしました。秋の雨の日は、なんだか人を物思いにふけさせます。                 大仁町 H.U.
病気にかかるということは、患者本人もそうだが周りの人間も同じようにかかっていると錯覚していた。そんな私が、医療に対して不思議なそして貴重な経験をさせてもらった。母が「がんセンター」にお世話になった。そこでの医療方針がまさにそうだった。患者に対しての徹底した治療だった。付き添いで行く私が“疎外されている”と勘違いするくらいだった。新しい医療というのはこれかと実感した。今年の春、同じ病院内の緩和病棟にお世話になった時には、完全な治癒目的から完全な安楽への医療に変わってしまった。勿論、「患者に対して」という姿勢は変わらなかった。同じ病院内で生と死が線引きされているそんな感じだった。「家族」(身内)というありかたを常に問われているようで、つらかった。しかし、患者である母が、安らかに、周りの方々に感謝して逝けたことは、とても有り難かったと思う。がん患者は年々増えている。見守る立場であったが、自分が患者だったらどうだったろう。別れがあるたびに勉強させられ、いろいろと考えさせられる。母を送ったときには、周りの方々に感謝しきれないほどお世話になった。GIAでお世話になっている方にも、この場をかりて改めて御礼を申し上げたい。有難うございました。                            三島市 Y.S.
女性なら誰でも、いつまでも若くありたいと思うもの。効くと聞けば何でも試したいと思うのが人情です。では、私からもひとつ。若い頃にしていた遊びをする、好きだった歌を聞く・歌うなど、昔の体験を再び試すんだそうです。なるほどと思い、高校時代に夢中になっていたバンドの曲を静聴…、おぉっ!ナント心の中に当時のトキメキ・キラメキが湧きあがってきた!!うわーっ、なんだかくすんでたハートに息をハァーっと吹きかけて、ハンカチでキュッと磨いたみたい。いつもより輝きが増した気がするから不思議。ただ、忘れたかった切なさまでがよみがえったのは、悲しい副作用のようです。                                        三島市 H.O.
昨年の10月に中学の同期会があったのを機会に、50年も会っていない小学校の同級会を来春に予定し、その準備にかかりはじめました。戦後の東京、新宿のマンモス校で遊んだ友達です。2/3の住所もわからず、大変な作業になりそうですが昔の顔を思い出しながらたのしい気持ちになります。その中の一人が歌手で活躍していて、12月にクリスマスコンサートを開きます。私も行こうと思います。きっと楽しいクリスマスになることでしょう。             三島市 R.N.
息子、娘が12,15歳で10代という多感な年代を過ごしていく中、この子たちの生きている時代背景を考えると、親の価値観そのままで、子どもに教え諭すことは難しい。10代の若者を探りたい思いで芥川賞最年少作品2つを読んでみた。きっと作品として勝れていると思うが、社会への影響は?同世代の若者への影響は?と考えてしまう。子供の学校からいただく保健だよりで、10代、20代の性感染症、エイズの増加記事が載せられていた。現代が生み出す複合的問題と思う。この時代自分の精神、身体を大切に守る事、周囲の人たちへの配慮、影響を教えていく事は親として、大人として責務と感じている。子育ては大変です。同時にこれからの未来社会が心配です。    三島市 N.F.
東海地震の問題が日経サイエンスに掲載されたのが、わが家を建てる数年前。そこで、基礎は2階家並で平屋建て、屋根は少しでも軽くとカラーベストとした。そして25年、まだ地震は来ない。今年、耐震診断をお願いしたところ、こんな点数は初めてと診断士に誉められ一応安心したが、新潟中越地震のように、足元の地面が流される危険性はかなり高い所に位置しているので安全とは言い切れない。東海地震が少しでも弱い揺れであって欲しいと願うこの頃です。     三島市 E.G.
GIA会員の皆様今日は。 私はこの2月から会員に加えさせて貰いました。会のこともいまだ良くわかりませんが、何か寄稿せよとの事で些か参って居ります。元々、暇つぶしとボケ防止の為と言う不真面目な目的で?、英会話教室に入会しましたが、Young lady(?)達と結構楽しく勉強しています。
最近読んだ本で、山本音也著”コロビマス”(図書館にあります)に痛く感動しました。
私の生まれ故郷でもあります天草、それに島原、長崎のキリシタン弾圧の凄まじさを書いたものです。”夢の島天草”と白秋、吉井勇等詩人、文人に謳われたロマンの島も悲しい悲惨な殉教のページが有ったのですね。
                             三島市 S.M.
2004年11月号

境川・清住緑地(朝比奈トンボの里)ってご存知ですか?駿河と伊豆の境を流れる境川。その流域周辺は谷戸と呼ばれる自然豊かな田園風景が広がっていました。昔から富士山からの湧水があふれ、田んぼがあり、人々の生活の場であり、子どもたちの遊び場であり、トンボを始めとするたくさんの生物達が共に生活する場所それが境川・清住緑地でした。田んぼが使われなくなり荒れ果てていた緑地を行政、NPO(グラウンドワーク三島)、地域の住民で整備し再び昔ながらの風景を取り戻しました。現在、地域の住民組織、「境川・清住緑地愛護会」がボランティアで草刈やゴミ拾い、整備等の維持管理を行っていますが、夏場は草との闘いです。
行政がやってしまえは簡単ですが、「地元の環境は、自分達で守りたい」という思いから引きうけています。私も時々参加します。農業とは縁のなかった人生でしたが、後半?にさしかかって一気に田植えや稲刈り、鎌を使っての草刈、餅つきと初体験を繰り返しています。文字通り自然との共存です。田んぼに入ったことありますか?この感触は経験しなければ分かりません。一生知らずに過ごすことってたくさんありますね。でも、チャンスがあったら経験したいものです。子どもたちが泥んこ遊びに夢中になる気持もきっと分かります。作業や活動に参加希望の方はご連絡下さい。                      函南町 S.S.

電話 055-983-0136 メール gwmisima@shizuokanet.ne.jp

毎日痴呆のお年寄りの介護をしていると自分も段々近づいていくような錯覚に陥る。錯覚ではなく実際近づいているのかも?今話した事を5分もしないうちに繰り返す。自分の部屋、トイレの場所も忘れてしまう。そして被害妄想が強く、毎日何かが無くなり、盗られたと言う。かたや100歳、101歳にして現役のスキーヤー、長距離ランナーとして頑張っているお年寄りもいる。102歳で日本舞踊を教え、なお且つ70歳のお師匠さんのお稽古を受けている元気な方をテレビで見た。私にとって頑張る目標が出来た。私も102歳まで踊っていたい。これを言うと皆に笑われたが、自分の人生に目標を持つことは大切な事、ボケないためにもいつも何かに挑戦していく気持ち、努力が必要だと思います。
                           函南町 Y.K.
「北上くらしのサロン」の冊子のご紹介
グループが発足したのは、グローバル文化交流協会と同じ頃ですので20年経ちました。北上公民館を中心とした女性たちの、年毎の活動をまとめた冊子の報道記事とメンバーの写真を基に製作いたしました。内容の概略。下記北上のむかしから、いまに・・・・・。
「北上郷の伝承集」「北上郷の心と体の伝承集」「みしま梅花藻の里」「悠遊ライフ心と体の健康集」「親子ふれあい暦」北上のあしたへ。未来のくらしよい街づくり「こんなに必要?自動販売機」「北上のみらいマップ」食べ物文化「健康を守る、お母さんの手作りおやつ」「豆腐づくり伝承集」「純正食品思考集」「食品添加物の新しい表示」「親子のふれあいOK料理集」以上 三島市委託事業「純正食品委託事業「おふくろの味」「続おふくろの味」「お天気メニュー」「続お天気メニュー」「北上ふるさとの味」「スモークハムの作り方」東海道三島宿本陣料理の再現「樋口家本陣料理」「樋口家大名料理」「蛍と水と緑の俳句&トーク」「樋口家大名料理千秋万歳」「第10回東海道シンポジュウム三島宿大会」東海道400年祭エントリー「東京やなぎ句会&三島宿樋口家本陣料理」 冊子「ふれあいの中で」を実費1200円ですが、ご希望があれば1000円にて、お申し込みください。
               前北上くらしのサロン代表 三島市 M.S.

2004年10月号

おばあちゃんのつぶやき
今年の4月から、私は週1回孫と生活を共にします。‥‥‥というよりお手伝いに行くのですが、これがなかなか大変です。
3歳と2歳の女の子で、成長も良く、活発で、わが孫ながら‥‥‥と、思うのです。先ず、保育園に行って、さまざまな持ち物をもって、2人を連れて帰り、夕食、入浴、そして就寝前の本読みと、どこの家庭でも行なわれている光景です。この過程がスムースに、
いけばよいのですが、わが子をいいかげんに育ててきたツケが、今私の神経を刺激し、怪我のないようにとか、風邪を引かせないようにとかそれはそれは気を使います。1晩泊って、翌朝朝食を済ませて8時30分までには保育園に2人を連れて行くとほっとします。
会うたびにさまざまな新しい事を覚えて楽しみですが、その対応にドッコイショと思うことたびたびです。孫はかわいいけれどわが子とは違い、接し方が難しいですね。何か良い知恵があったら、教えてください。
                              三島市 M. S.
三嶋暦の版木を見て、その細かさに驚いたのが3・4年前。 それから印刷体験等を通して 三嶋暦を知り、今「三嶋暦師の館」ボランティアとして講義を聴いたりしています。知らない事ばかりで 暦はあまり理解できていないのですが、彼岸花が咲いたなとか金木犀が香り始めたけれど今日は旧暦の何月何日だろう、とか月を見ることが多くなったり等、いままで以上に自然が気になるように なりました。 来春「暦師の館」が公開されます。そのときはお出かけになってみてください。
                               三島市 K.U.
花博ボランティア・リーダーの養成講座を受けてから3年、今年の夏は本番でした。
会場内の浜名湖わんおあく村のキャビンハウスで、7月に木の実や野菜の種を使った壁掛けづくりを2日間、8月に、わらで作る小動物を3日間のワークショップ(体験教室)を担当し、おおぜいの子ども達と触れ合うことができました。 特に、東部地区の子どもの参加が少ない中で、7月に三島市玉川の子供会の子供達が参加してくれたときはとても嬉しく、力も入りました。
共に学んだ仲間と寝起きを共にし、ポジティブな考え、情熱、パワー、そして新しい友情も芽生えた花博ボランティア・・・・素敵な体験をありがとう。
                              函南町 S.I.
誕生日・三島梅花藻・朝鮮通信使・冬ソナ・カンさん・崔さん・美しき日々家族は、皆暑いとき生まれ。誕生日順に、長女は7月5日、私は8月2日、長男は8月4日夫は9月20日。三島梅花藻は、今年の猛暑でぐったり気味だが、韓国とは梅花藻交流が続いている。
私は、朝鮮通信使再現パレードの三島側受け入れ実行委員長をしてから、韓国への興味津々。ハングル語をかじり、『冬のソナタ』も2回{20話×2=20話分)見た。何度も来日しているカンさんは、笑顔が私の弟の一人に似ている。びっくりしたのは、韓国を訪れた時に通訳を務めてくれた元大学教授の崔さんだ。実は彼は三島市立公園楽寿園の楽寿館に小松宮彰仁親王の次に住まわれた朝鮮最後の李王世子垠殿下の奥様・梨本宮方子さんの秘書をされていたというのだ。三島北高の郷土研究部が、朝鮮通信使のことで聞きたい
ことがあるというので出向いた折、崔さんのことにまで話しが及んだ。『美しき日々』は、すでに1回(20話分)はみた。それぞれの誕生日を迎えるたびに、「過ぎてみてば皆『美しき日々』」を、感じ入っている。
                             三島市 Y.K.
警察110、消防救急119ですが118があるのを今日知りました。海で人が溺れていたり、波にさらわれたりした場合に電話すると運用指令センターにかかり、近くの海上保安部や巡視船が捜索や救助に向かうそうです。海難事故や密航、密輸事件の緊急通報がしやすいように2000年5月から導入されたそうです。
娘が購読している毎日小学生新聞は、おもしろくて勉強になります。作文、漫画、おたより、相談コーナーでこども目線になれます。大きめな字と丁寧でわかり易い記事はまさに私の頭にピッタリ。とても気に入っています。
                             三島市 M.I.
最近読んで興味深かった本を紹介します。
人生100年時代の「生き方健康学」佐藤富雄(著)日本は平均寿命が世界一と言われていますが、寝たきり老人がアメリカの約5倍で喜んでばかりいられません。というのは健康に対する意識が日本とアメリカとはずいぶん違いがあるそうです。「元気で百歳まで生きられる方法」と言うサブタイトル付き、知識があれば元気に生きることが出来るという内容で、その基礎になるのが60歳から80歳の20年間。60歳からが「人生これからが黄金期」、100年時代の最も充実した時期にできると著者は書いています。しかしそれには4つの条件があります。
(1)適切な運動(一回が45分程度で週3階の散歩)これは脳の衰えを防ぐそうです。
(2)心を「快」の状態に保つ  ③摂取カロリーの制限  
(3)抗酸化サプリメントの摂取を挙げています。文章が大変読みやすく色々興味深い事が書かれていて面白く読めます。
                             裾野市 K.Y.

2004年9月号

先日、パソコン関係のマニュアル本を探しに、初めて三島市内の《BOOK OFF》という
古本屋さんへ行った。私のパソコンはWindows98というかなり古いタイプなので、普通の書店ではもう売っていない。私が読みたいのは、簡単な操作方法なのだが、じっくり読んで理解したくて探していた。「あった~」定価2300円が、なんと105円で買えた。古本というと、私のふるさと神田神保町の古本屋さんをイメージしていた私。でも、ここは手入れをした清潔な本を売っているし種類も豊富で嵌りそう。私はふっと、以前英語の先生に習った「ホワイトエレファント(白い象)」という言葉が頭に浮かんだ。「白い象」とは、とても珍しい貴重なもの。でも、今の自分にとっては不要品。しかし他人にとっては貴重なものかもしれない。そんなことから、アメリカではリサイクルバザーの代名詞になっているとか。まてよ、「白い象」は私の家にも居るかもしれない。この秋こそ「心掛けよう あなたのゴミも ダイエット」                                       三島市 A.S.
6月12日から15日にかけて、妻と「利尻島・礼文島トレッキング」に行ってきました。目的は、さいはての島を花を求めて歩いてみようということで、特に写真でしか見たことがないレブンアツモリソウを実物で見たいと思い、時期を6月中旬に決めました。ところが、いざ出かけてみると、レブンアツモリソウは5月中に咲いてしまって、群生地にはもう無いという情報でがっかり。年々少しずつ早くなっていて、今年は随分早かったとのこと。ガイドに聞いても「うーん、何処かに残っているかなあ」と頼りない。期待と不安の複雑な気持ちで現地に行ってみると、遠目に白い玉が幾つか。有った、少しだけど見れる。群生とはいかないけれど、良かった。クリーム色のふっくらとした、なんとも愛らしい。ためつすがめつ、早速写真を撮ったり。一緒に行った人たちの顔もみんな明るい。この旅行では、本州では2~3000m級の山でなければ見ることが出来ない高山植物が沢山咲いていて、レブンコザクラ、ハクサンチドリ、ミヤマオダマキなどに加えて、7月でなければ見られないはずのレブンウスユキソウ(エーデルワイス)を発見、歓声を上げました。
好天に恵まれ、雲間の夕日に照らされて、刻一刻と色を変える利尻富士も見ることが出来て、幸運だったな、と二人して神に感謝しました。
ただ、花の咲く時期が随分早くなっているのが気になります。高山植物もどんどん高地に追いやられていると聞きます。三島湧水の一つである竹倉の水も心なしか勢いがないように感じて、気になる夏です。                    三島市 T.O.
 暑い夏のせいかビールが(も?)好きになってきたこの頃、お酒のことにちょっと興味を持つようになりました。お酒を造るには微生物の力が必要です。食料品だけでなく医薬品や環境などにも微生物が大活躍。また、世界のいろんな所に発酵による食品が存在し、人間って場所は違っても同じような事をするものだと改めて面白く思います。人は異質なものをとかく排除してしまいがち。でも異質な存在と仲良く助け合ってものを造る、そういうことがなんだか素敵に思えます。人間同士でも異質なものと敵対することの多い世の中…グラスの中の世界を覗きながら虫の声を聞く夜です。                   沼津市 N.K.
 ビュフェ美術館で、「あなたの想い出の絵本は何ですか?ドクター・スース絵本の世界」という展覧会が9月28日まで開かれています。アメリカで大人気の絵本作家、ドクター・スースの版画作品を中心に構成されています。以前、グローバルで活躍してくださったロバート・イエリンさんも、子供の頃よく読んだ本でとても懐かしいと見にらしていました。
 楽しい絵の中に含まれたユーモアやメッセージは、とても深いものがあり、子供の本とはいえ、大人の鑑賞に耐えるものです。アメリカの絵本の定番を通して、その国を理解する手懸りになるのでは?                       三島市 H.K.
 函南から韮山にかけての風景が気に入って、ずっと住みたいという思いが実現しました。家のすぐ横にある苺畑では、小さなおじいさんとおばあさんが、毎日苗の世話をしています。猛暑の中、一本一本の苗に、まるで優しく話しかけるように水をやったり雑草を抜いたり、大変な重労働です。見ていて本当に頭が下がる思いがします。
 夫は、愛用のバットを持って、近くの農道でバットの素振り、ご満悦の様子。小さな庭の片隅に蒔いた野菜の種の芽が出て、元気に育っています。第三の故郷になりつつあるここ韮山が、もっともっと好きになるように、これからいよいよ活動開始です。                                         韮山町 S.F.
 クレマチスの丘に新しく出来た日本料理のレストランBASARAに行き、一汁三菜というランチコース(2800円)を食べました。釜炊きの御飯や、地元の野菜や魚を備長炭で焼いた物等、うす味で、目でも、舌でも、楽しませてくれるおいしい料理の数々でした。建物は、コンクリート、石、ガラスを使ったモダンな造りで、一階は、軽食(巻寿司etc)、お茶、コーヒー、デザート等が楽しめる茶店で、レストランは二階にあります。今、私の中では一番のおすすめ店(水曜定休)です。29日の夜も行くことになっているので楽しみにしています。(詳しくは、TEL989-8778か、クレマチスの丘のホームページで)       三島市 T.S.
●陶芸 
習いはじめてますます面白くなり、今なお夢中。今月末いよいよマイ電気釜が我が家にはいる。現在三島茶碗を研究中。
●トレーニング
芙蓉台に8月初めオープンの高齢者向け総合トレーニングセンターでトレーニングを始める。専門医療スタッフによる健康チェックを受けメニューを作ってもらい、週2回高齢者向けトレーニングマシン8台とプールでトレーニングに励む。まだ3回しか通っていないが身体のあちこちに筋肉がついてきた?。
●家庭教師
伊豆長岡町にある東京伊豆長岡学園の中学3年男子生に勉強(数学)を教えはじめた。東京都の施設で家庭的に問題のある児童の収容施設で幼稚園児から高校生までの41人が寄宿制で生活し地元の学校に通っている。全くのボランティアで交通費他一切出ないのは驚きだが週1回の指導を楽しみに通っている。
                            三島市 福井善徳
 

2004年8月号

庭にナスを2本植えました。濃い紫の枝、薄紫の花、毎日の成長を眺め元気をもらっています。
また、教職を退き、農作業を手伝っている方と話をしました。「農業は天候、さるや猪の害など自然の様様な影響を受け、奥が深くて勉強することが多い、農業を経験してから、先生になっていたら、良い教育が出来たとしみじみ思うよ」と言っていました。
ここ数年、休耕田で少しばかりの野菜を作っていますが、 作業をしながら、野鳥、チョウチョ、トンボ、沢蟹、野草の花など季節折々の出会いを楽しみ癒されています。        
                         三島市 H.H.
 浜名湖花博の舞台裏から「やすのりバンド」の花博「水辺の劇場」での演奏会を、無事に行なう事ができました。会場では1000人満席のお客さんの前での演奏となり、メンバーにとっては1年半前からの夢を実現し、喜びと共に自信につなげる事が出来たと思います。当日参加して下さった皆様、ありがとうございました。花博では、国際花の交流館に於いても、短期展示ブースで造花のアレンジを展示しました。5月の連休と2回の出展を行ないましたが、ブースの前で記念写真を撮っている方も多く、喜んでいただけたのではないかと思い、出展できて良かったと思っています。短期展示会場は、9日ごとに展示をすべて入れ替えます。中には何日も掛けて飾っている人達もいます。準備していて、「皆さんと一緒に盛り上げていく」という参加者の熱い思いを感じました。花博は、出展、出演、管理している多くのボランティア参加で成り立っている一面もあります。「お客様にも私たちの思いが伝えられたら・・」と思いました。これから、お出かけになる皆さん、楽しんできてください。
                         三島市 R.N.
 近頃新築の家が目に入る。
すると表札が、二枚肩を並べて玄関の右側に掛かっている。
息子夫婦の希望で二度目の新築(二世帯住宅)が実現の運びとなり晴れて二人の孫と一緒に一つ屋根の下で。
四日間で、壊した我家、その時涙が込み上げて、三二年間ありがとうと感謝の気持ちで胸が一杯になり、完成は十月上旬とか。今は不自由な暮しに我慢の日々ですが、核家族から若い御夫婦が、家族の絆を求め同居が増えているように感じられる昨今です。
                         三島市 K.A.
昨年末に父が亡なり、80を目前にしたは母は、生まれて初めて一人暮しを始めました。子供が独立して以来夫婦二人暮しを続け、今さら二世帯同居もわずらわしいと、元気なうちは1人で暮そうと決めたようです。近頃は、時間があるからコーラスでもはじめようかと新たな趣味をめざし80才にして 初体験がいっぱいです。 先日永平寺の104歳になられるご住職のインタビュー(NHKスペシャル)で、悟りとは平気で生きることとうかがいました。母の姿を見つつ寿命の限り平気で生きるのは本当に大変そうだと頭がぐらぐらしている気分です。
                         三島市 N.H.
 
 

2004年7月号

 我が家に待望のヨークシャーの子犬「ジェミ」がやってきて、早2年8ヶ月当初は犬の飼い方の本をよく読み、「よーし。 食事はドッグフードにキャベツを少々与えるのみ。 ベッドは共有しない。 散歩中は犬の好き勝手にはさせない。」と固く誓った。それが今や総崩れだ。 「そんなに長生きしなくてもよいから、少しぐらい欲しがる物を与えてやろう。会話が出来ないのだから、散歩の時ぐらい 道順は彼に任せてやろう。夜は、夫のベッドで寝息をたて安眠しているのを妨害する必要はないだろう。」という理論になってしまった。
 複雑な人間の社会生活のストレスを埋めてくれ、感動を与えてくれるジェミ。食事と散歩と、夫婦のどちらかがいれば幸せなジェミ。夫婦の旅行はなるべく避けるから、一生を全うするまで面倒を見るから、これからも我々に元気を与えてほしい。
                                函南町 H.S.
 GIAイベント「大使館めぐり」の一回目「トルコ大使館ツワー」に参加。その日は「一日まるごとトルコ}と言った感じで、エキゾチックなモスク見学に始まり、世界三大料理の一つ言われるトルコ料理に舌鼓を打ち、情熱的なベリーダンスに心ときめかせ、最後にトルコ大使館を訪問した。大使はなんと女優さんかと思われる素敵な女性。外見ばか
りではない。熱の入ったその話しぶりに中身の充実さを感じた。同じイスラム教の国でも、女性の社会的地位の高さはトルコが抜群。その理由は、建国の父と言われるケマル・アタチュルクが早くに民主主義を取り入れたため、女性も平等に教育を受けられたからとのこと。コーランにも「女性と男性は平等、社会の半分は女性。パラダイスは女性の足元にある」との説明にただひたすらに感動!!
                                三島市 I.M.

ハマボウフウ
友人はメールに、見慣れない植物の写真を添付してきた。文面には「海岸の散歩道の脇に浜昼顔や浜エンドウといっしょに1株だけ見たこともない植物を見つけた。名前がわかったら教えてほしい」とあった。その植物は、私にとっても初めて見るもので、当然名前はわからない。「海岸、浜」をキーワードにネットでさがしてみた結果、その植物の名はハマボウフウ(浜防風)で解熱や鎮痛などに効果があるため採取者が多く、激減している植物だということがわかった。数日後、謎から解き放たれたような喜びの声が電話の向こうにあった。                      三島市 K.N.

 ついこの間までの我が家の朝は戦場でした。一分一秒を争い時間差で出かける夫と息子の朝食とお弁当作り、締めくくりは息子を駅へ送ること。ほっとした気分は帰りの車の中で味わい、帰宅して台所を片つけるともうあっという間に九時だぁ!
そ、それが、今は!!・・・息子は大学生となって巣立ってしまい、夫を送り出した後の
空虚な気分!時間はまだ6時台!・・・今まで無かった時間の余裕・・どうする??
そこで、今までやったこともなかった愛犬の早朝散歩が始まったのでした!これが又、実に気分がいいんですよね! 我が家周辺は一歩奥に入ると畑や山道が広がり、あたりの自然を楽しみながら,のんびりと散策できるんです。うぐいすの声が辺りに響いていました。今は名も知らぬピーピー鳥が鳴いています。野苺や蛇苺の鮮やかな赤に目を見張りました。この頃は蛍袋が可憐な花を風に揺らしています。収穫されないままのキャベツ畑ではモンシロチョウが吹雪のように乱舞していましたっけ。愛犬ちゃんはもっぱら地面ばかり見つめては嗅いでいますが、時々草を食しては自然を満喫している模様です。こうやって人間は年とともに自然に帰ってゆくのでしょうか・・シミジミ。
                         三島市 T.U.
 
 

2004年6月号

 『恩地は観光省を出て、車を運転しながら満開のジャカランタに目を向けた。大きな枝に紫の小花を一杯似たつけ、遠目には日本の桜に似ていた』会員の水野さん宅で見せていただいた花、”ジャカランタ”。Seeing is believing ! 山崎豊子著「沈まぬ太陽」一巻アフリカ編の一節である。ケニアの大地に咲く花が目の前に浮かんでくる。数年前友人からいただいた花が、古代ギリシャを起源とする花と知って以来、美術、建築など見る視点がぐっと広がった。その花はアカンサスナナス。幸いにも家の庭にその大きな葉を広げている。もちろん私の絵の貴重なモデルでもある。『・・・神の怒りに触れて逆立ちさせられた伝説のあるバオバブの樹が‥‥(前著)』浜松花伯博での出会いを楽しみに‥‥‥                                     長泉町 S.T.
 迷いに迷った末の家の立て替え。長年住み慣れた家を取り壊すのは精神的にも肉体的にもシンドイものだった。借家への引越しと、新築の家への引越し荷物の多さに閉口。買い過ぎに注意、捨てる勇気を持とうと反省。秋には長女が米国の人と結婚。婿さんの両親が来日。英語の必要性が骨身に沁みた。長男の就職試験と本採用決定。次男の大学進学。昨年度は町内の班長でもあり激動(!!)の一年だった。新しい経験は学ぶことも多い。支えてくれた方達に感謝。       裾野市 T.S.
            ★ 2004 June★雑感
★ 週2日の「小学校英語の先生」2年目の夏。「慣れ」と「マンネリ」はいけませぬ。CD聞いて英語モードに入る通勤車!
★ 今まで、何度も投げ出した大江健三郎。日大聴講生の宿題で「万延元年のフットボール」読むことに。やはり、途中は結構つらい。が、完全読破後は、感動が湧き上がる。強制読書も時には必要?英語レポートもA++(かなりオマケ)で、先生ありがとうございました。
★ 部屋の「コーヒーの木」に赤い実2つを発見。花が咲いたことも気づかなかった。ごめんなさい。
★ 我が家にパピヨン犬来たる。ただ、ただ可愛い孫のよう?(まだいないけど・・・)
                              三島市 Y.S.
 
 

2004年5月号

 中高年向きの雑誌をとっている。そこでのテーマはいかにものを少なくしてスッキリと暮らすかである。知らず知らずの内にたまってくる洋服や食器や身の回り品。そしてちっとも片付かない、狭いと嘆く。豊かさとして意識されるようでも、むしろ空虚さを感じてしまう。もののない時代の方がものを慈しんで使っていた。一生使わないかもしれないもの、着ないかも知れないものを片付けてスッキリ暮らしたいと思う。その第1歩は毎日15分、要らないものを間引く感じで捨てることだという。これなら出来そうだ。                                韮山町 H.Y.
 春爛漫、今が季節の中で一番好きな時です。花がいっぱいで、次々と色とりどり、毎日今日はどの花を見に行こうかと、天気のいい日など胸がわくわくです。私もやっと子育ても一段落といったところです。今年は河津の桜を観に3回も行ってしまいました。三嶋大社も2、3日前に行ったのですが、何かいつもの年と違っていましたのでちょっとがっかりです。天候の違いと言っていました。これからも、熱海の花博、浜名湖花博などを何回行こうかしら?毎日楽しみが多くなりそうな年です。                                             三島市 A.I.
 お花見!今年の天候は気まぐれ、晴天と思えば雨天、強風、花々の蕾も戸惑っている様子だ。花といえば春は桜、現在はやや満開を過ぎた感じ。
 花見の歴史をひも解いて見ると江戸時代に遡るということだ。花見は日本独特のもので、他国ではあまり見ないようである。大勢で車座になって飲む、食す、歌うの花見。貴族社会においてはご馳走を神々に供え、農民は作物を供え、来年の豊作を祈り供え物をいただく。その両者が合体し、江戸時代の花見が始まったといわれる。長い歴史、文化を背負っての花見である。こんなことを考えながら、また、来年の花見が今から楽しみである。                      沼津市 T.S.
 先日、日本の大学で学んでいる、アフガニスタンのカブール大学の留学生の方々に三島を案内する機会がありました。若い方ではなく、教授や講師の方達ばかりなのですが、皆さんが一様に口にするのは、かつては自分の国も水と緑の美しい所だった、ということです。後で昔のカブールの様子を写したフィルムを見せて頂き、それがよくわかりました。街の中心にはゆったりと河が流れ、その回りの豊かな緑と美しい街並みは、おとぎ話を思わせるような素晴らしさでした。続いて写し出された現代の様子とのあまりの違いに、長い間戦時下にある国の悲惨さと人々の心の痛みをひしひしと感じました。「戦後日本がそうしたように、われわれも美しい祖国をもう一度作り上げたい」と言っていた彼らの願いがかなうよう、祈らずにはいられません。                        三島市 M.M.
 トム・ハンクス&メグ・ライアンの「ユー・ガット・メール」と、ディズニーの「リトルマーメイド」を、DVDの日本語吹き替えで観た。トム・ハンクスとエリック王子の声優は、ともに井上和彦さん。娘の通う声優教室の「先生」だ。声の良さのみならず、「明るく、楽しく、元気よく」と、後継者育てにも素晴らしい指導力を発揮する井上先生。ストレッチ、心の開放、深い表現力など、どんな生活にも役立ちそうな授業の内容を聞くにつれ、こちらまでわくわくしてしまう。村上龍の「好きなことを仕事にしよう」という「13歳のハローワーク」が売れているらしいが、娘にとって「10歳のハローワーク」だった声優への道。前回この欄で書いた「20歳の誕生日」から、悲喜こもごもながら、その変化に私の生活全般も揺れた1年だった。
 映画は原語でなくっちゃ、語学の勉強も兼ねて、と考える方は多いだろうし、私自身もそう思ってきたが、吹き替えでまた新たな世界を探る楽しみが増えた。DVDでは、英語、日本語、字幕のある、なしと、選択の自由度もぐんと広がったことだし。               三島市 T.O.
 3月に初孫が生まれ、いよいよおばあちゃんになってしまいました。自分では、いつまでも若い?つもりでいても、体も現実も 着実に年をとっているのを思い知らされます。去年は腰痛に悩まされました。目も悪くなっているので確かにおばあさんになりつつあるのですが、それでも「おばあちゃん」と呼ばれるのに抵抗があります。友達は何人も既にお孫さんがいます。でも、名前など呼ばせて「バアバ」と言わせないと頑張ってる人もいます。 
 こんな私が4月から事務局に加わることになりました。頭も体も老いに向かっているのに人の役に立てるのかしらと、とても心配です。                   大仁町 M.S.

2004年4月号

 松香フォニックスをご存知ですか?
 みなさん、MPIをご存知ですか? 今年創設25周年を迎える、松香フォニックス研究所のことです! その基本3理念は、国際化に即したコミュニケーションのための英語教育、英語を英語で教える指導法、そしてフォニックスの指導です。英語教育に携る方なら、一度や2度はその指導者セミナーに出られたことがあるかもしれませんし、わかりやすくて楽しい英語教材を手にされたこともあるかもしれませんね。・・・ではその松香の全国地区研究会の一つが三島にもあることをご存知ですか? 昨年2月の松香洋子先生の講演会を期に有志が立ち上げて、夏には出張セミナーも当地で行いました。当地区の研究会員同士が英語指導上の工夫や悩みを分かち合う会合も定期的に開いています。またMPIの優れた教材をさまざま取り揃えた展示や、いろんなレベルの指導に役立つセミナー案内もしています。興味のある方は是非お問い合わせくださいね。
                           三島市 Y.U.
ご近所のお嬢さんの作品展をご紹介します。
ご両親のことば・・・・ お花が大好きで!そんな大好きな仕事を頑張っていた娘が交通事故に遭い、8年が過ぎました。
 車椅子さえも無理だといわれた娘も、たくさんの人達にたすけられ、励まされて、左手で絵を描けるまでになりました。  
 お母さん、私の人生っていったい何?
そんな娘の切ない気持ちを、たくさんのやさしい手でそっと背中を押していただき、今日この作品展を開く運びとなりました。
 つたない絵ではありますが、皆様とのふれあいを楽しみにお待ちしております。
日 時: 2004年4月1日(木)~6日(火)
10時~18時(最終日は17時まで)  
会 場: ギャラリー701(三島広小路駅3分・Via701 2階)
      ℡055-976-0038
作 家: 恒次 美帆(つねつぐ みほ)  
美帆さんは、毎日会場に車椅子で来ています。是非、会ってください。   
                          三島市 R.N.
ことばの泉
テレビを見ていたら大江健三郎氏が出ていて、おもしろいことを言っていました。「ことばは自分のうちから湧き出てくるものではなく、外から与えられたものが一旦は忘れたように思えても、奥深いところに沈み熟成されて、それが機会を得て出てくるのです」と。
 そうなんですか!?てっきり自分の中から泉のごとく湧き出るものだと思っていたので驚きました。それで、この泉を満たしておくにはどうすればいいのかと考えていたら、またもやテレビでNHKの山根基世アナウンサーが「ことばほど美味しいものはない」という本を出したと言っていたので読んでみようと思っています。
                           三島市 K.O
 数年前のことである。知合いの韓国人に頼まれて、ベルギーのとある町の自転車屋へ一緒に行った。彼女はママチャリが欲しかった。しかし、ベルギーにはそのようなものは存在しておらず、ひと昔前のデザイン?と、思わせる丈夫そうなものしかなかった。値段はどれも6万円以上。標準品は約7~8万円。とても高い!驚きを隠せなかった私達に、店員は「これらはどれも30年間は使えますよ。」と。再び驚いてしまった。30年?!築25年のアパートを「わりと新しいわね」と言う国では、流石ものを大事にする。最終的に彼女は、ママチャリ風に籠と鍵を取付けてもらい購入した。 その後、警察が不定期に放置自転車を売るときいた。1台2000円とか・・
皆さんは、物を大事(長年)に使うタイプですか? 
                         長泉町 N.Y.
 

2004年3月号

 昨年は印象に残った料理が2つありました。 1つは11月に期間限定、1日20食限定の「修善寺御膳」という精進懐石料理です。肉、魚を使わず、自然な野菜、豆腐などを中心とした食事で、1品1品がとても丁寧に作られていて、紅葉の美しい修善寺を散策した後、おいしく頂くことができて、体の内から元気になった気がしました。
 もう1つは、南箱根ダイヤランドにある、食事のできる山荘「メゾンドリー」です。1日1組だけで、ゆっくりと食事のできる所で、その料理は、今まで味わったことがないものでした。和風フレンチといった感じですが、おいしいものがお好きなかたには、お勧めです。今年もおいしいものを、求めていきたいので、情報をおもちの方は、教えて頂きたいと思います。
                             大仁町 M.S.
 昨年の12月半ばに女友達3人と東欧へ行ってきました。プラハ プラチスラバ ブタペスト ウイーンを巡りました。どの街も長い歴史を感じ、その石の建物には圧倒されどうし。クリスマスの市が賑やかで、イルミネーションも美しく、この時期を選んでよかった。ハイライトはウイーンオペラ座での”ラボェーム”鑑賞。本物にふれ感激。人気のオペラで、観客は舞台に陶酔し、大人の男女が装いをこらし心から楽しんでいる様子。旅はいいですね。今もその余韻に浸って 元気に過ごしています。
                             三島市 R.N.
 昨今国内外共騒がしい世の中になったものだ。グローバル化の波の中で、治安も暮らし方も大きく変化してきている。それにつけても日本人の社会的モラルの低下はひどい。年末年始のゴミ収集の日程表が張り出されても収集日も、分別も守らずゴミを道路に放置する住民、タバコの吸殻、空カンのポイ捨てを平然とする大人。自分さえ良ければという身勝手な日本人が増えた。すべてこのような国にした戦後の大人の責任は重い。若い人たちの行動を批判する資格はない。
 シンガポール、パース、クライマトチャーチなど滞在した町の綺麗さに、そこに住む住人のモラルの充実に感服する。自戒を含めた1月の雑感。
                             韮山町 Y.H.
 このごろニュースを見るたび中学生のj時の社会科のテストを思い出しています。それは交通機関が発達すると(1)世界は広くなる。(2)世界は狭くなる というものでどちらかに○をつけるものでした。クラスで正解はたったの1人、(1)世界は狭くなるでした。50年前の話です。今まさに世界は本当に狭くなったと思っています。BSEにしても鳥インフルエンザにしてもあっという間に、世界中に広がって、あのときのなるほどと思ったことを思い出しました。こらからますます世界はせまくなるでしょうね。
                             三島市 S.T.
 昨年4月、34年間勤めた仕事をやめて早11ヶ月。暇でしょう? といわれますが、まったくその心配なし。長年身についた習性かのんびりできず、朝8時までにはすべて家事は済ましてしまい、その後はやりたい放題。うちにじっとしているのが嫌いで、外に出たがるタイプ。先日ダンスの発表会では、案の定ミスってしまったが、プロでないからと自分を慰め、また性懲りもなくレッスンに励んでいる自分。新築中の家の現場へ朝な夕なでかけ、こんなに来る人はいないと大工さんにほめられ、いろいろと注文してくる。のんきな人間に見えますが、家の事ではだいぶ神経を使い、あさって、胃カメラの検査が控えています。なんだかんだと多忙な毎日を送っていますが、もうそろそろ人様のお役に立つ仕事をしたいと考えています。
                             富士市 S.W.

2004年2月号

 引っ越して以来ずっと家に引き篭っていた私は、日々、暗い顔をしていたらしい。そんな私を見かねた娘が「お母さん、仕事を見つけて外に出掛けたらいいんじゃない!」。と一言。その言葉に後押しされて、リサーチ開始。専業主婦で過ごしてきた私には「通勤?」、「本当に働き続けられるかしら?」顔に似合わず不安になった。周りからは、「年齢的に無理よ!」。そう自分も思っていたが、ラッキーなことに最初に電話し、面接に行った所に、無事就職できた。通勤時間1時間、実働6時間。月のうち16日間勤務。
少々、暇を持て余し気味のデスク周りでは、我が子と同年齢の若者たちに囲まれて、ルンルン!おばさん一人頑張っています。 
                            大月市 F.S.
 すっかりインターネットが毎日の生活に入り込んでしまいました。我が家でも光ファイバーに接続するかどうかを検討中。もちろん料金は大幅にアップするのは間違いありません。果たしてそれだけの価値があるのかどうか、そもそもそんなに大量の情報が必要なのかどうか、ふと考えてしまいますが、結局時代の波に乗っていくことになることでしょう。数年前迄のアナログな生活を思うと、この短い間のすさまじい変化にはただただ驚くばかりですね。 ところで、前回のこの欄で私が「壬生義士伝」について書いたのをきっかけに、会員の加藤さんがこの本を読んで下さったとのこと。とても嬉しかったです。今年はNHKの大河ドラマも「新撰組」。じっくり見ようと思います。
                            三島市 M.M.
 今年のお正月は、主人の両親が金婚式ということで、久しぶりに親戚が集まり、楽しい時を過ごしました。結婚50周年だなんて、私には夢のようです。
山あり谷ありの人生だった・・・というお話でしたが、こうしてお二人とも健康で、孫たちに囲まれている様子は感慨深いものでした。私達も、こんな日を迎えられたらいいなぁ。まずは、家族仲良く健康で1年をすごせますように・・と美しい富士山にお祈りしました。
                            三島市 M.H.

 昨年は印象に残った料理が2つありました。
1つは11月に期間限定、1日20食限定の「修善寺御膳」という精進懐石料理です。肉、魚を使わず自然な野菜、豆腐などを中心とした食事で、1品1品がとても丁寧に作られていて、紅葉の美しい修善寺を散策した後、おいしく頂くことができて、体の内から元気になった気がしました。
もう1つは、南箱根ダイヤランドにある、食事のできる山荘「メゾンドリー」です。1日1組だけで、ゆっくりと食事のできる所で、その料理は、今まで味わったことがないものでした。和風フレンチといった感じですが、おいしいものがお好きなかたには、お勧めです。
 今年もおいしいものを、求めていきたいので、情報をおもちの方は、教えて頂きたいと思います。                          大仁町 M.S.

 今年のお正月は、主人の両親が金婚式ということで、久しぶりに親戚が集まり、楽しい時を過ごしました。結婚50周年だなんて、私には夢のようです。
 山あり谷ありの人生だった‥‥というお話でしたが、こうしてお二人とも健康で、孫たちに囲まれている様子は感慨深いものでした。私達も、こんな日を迎えられたらいいなぁ。
 まずは、家族仲良く健康で1年をすごせますように‥と美しい富士山にお祈りしました。                              三島市 M.H.

2004年1月号

 真っ赤な表紙の小さな赤い本を出しました。タイトルは「モバの小夜曲」。モバってモダンバアサンのことで、わたしの造語なんですヨ。
 小夜曲(セレナーデ)とは、男性が思いを寄せる女性の窓辺で奏でる曲のことですけど、比較的軽い性格の多楽章の組曲のことでもあるんですって。軽いタッチのエッセイを集めたので、読んだ方から「おもしろくて笑っちゃった」と言われます。物書きオバサンの同人誌を29年やって今271号目ですが、文芸フォーラム静岡の「おもしろ文学塾」に行って刺激を受けています。友人知人だけでなく不特定多数の人にも読んでもらおうという「ふじのくにの文芸」シリーズ第一弾4冊の企画に乗ってみました。静岡市江崎書店のまん前のワゴンで派手に売られています。わたしのには「これはスゴイ老人文学だ!!秋元陽子のモバの小夜曲」なんて大きなビラが貼られていました。昭和3年生まれだから老人文学でも何でもいいから、年はとっても元気ダゾーで行きましょう。定価500円。沼津マルサン、三島盛堂にもあります。売り切れの場合はクロネコヤマトのメール便160円持ちでお送りします。おしらせください。
〒411-0943 長泉町下土狩1050-3 秋元陽子 T&F 055-986-8177
Email:yokoakimoto2000@yahoo.co.j

 2003年夏、年齢を感じた年でした。
 夏休みに沖縄にいる祖母のカジマヤーのお祝い(97歳の祝い)で踊るため、久しぶりに娘(高2)と共に琉球舞踊の稽古に通いました。
長寿の祝いの踊り「鶴亀」という新しい踊りに挑戦したのですが、覚えの悪さと体力のなさで自己嫌悪の日々でした。
 夜、家族が寝静まってからビデオを見ながらのおさらい、仕事の合間に隠れて練習したにもかかわらず、二人で手合わせをすると間違えるのはいつも私。娘に呆れ顔されながらも無事、本番の舞台では拍手喝采を浴び、親戚やおばあちゃんによろこんでもらえて本当に良かったです。
最近娘の成長に嬉しく思う反面、若さと踊りのセンスのよさにちょっぴり嫉妬・・・かな。                                  沼津市 M.K.

 遅ればせながらパソコンを習っております。メカの弱い私は大変です。
 今日11月27日は年賀状を作っています。とにかく言っていることも解りません。 ファイルをクリックして次の画面が出たらどうたらこうたら、何かをクリックしてお かないと今までがんばってきたのに一瞬のうちにパーです。なんということでしょう。 私は一枚一枚手で書いたほうがいいとさえ、今日は思いました。あと2回学習するチャンスがあります。それまでに気持ちが変わるといいなあと思っております。
神様~!私に自信を!                   沼津市 M.A.
 リフォームやリサイクルブームのこの頃です。不要だけど捨てられない物ってありますよ。例えばきれいなお茶の缶、大きさが揃っていたり、柄が綺麗なので何かにしようと取り置いてあったのですが、結局 先日大部分を処分しました。まだ少し残っているのですが 何かいい利用法があったら教えて下さい。                          三島市 Y.U.

2003年12月号

 選挙が終わりました。今までと違って、少し変化が起きた気がします。人間は権力の座に長い間座っていると悲しいかな、ついおごりや馴れ合いが起きるようです。その点、悪いことをすれば政権を奪われるという緊張感はあった方が良いと思います。
 三島では、予想以上に細野豪志さんが頑張り嬉しかったです。私の心情としては、土井さんの社民党に伸びてもらいたかったけれど、現実には効果 の無い票(死に票)にする訳にはいきませんでした。何しろ折角の民主主義・・・我々国民がしっかり責任を持って、よりよい世界にするために、少しでも出来ることをしたいと思う今日この頃です。              三島市 Y.K.
 昔の同僚が長年夢に見ていた養護老人ホームでの琴の演奏会が実現し、それに花を添えようと、茶道クラブの有志が お抹茶の接待をすることになった。 久しぶりにホームを訪ね、お年寄り達が琴の音に合わせ楽しそうに歌う姿を見、さまざまな苦労の末に、ここが安住の地となったことを改めて感じさせられた。
 それにつけても老朽化のひどいこの建物の改築計画、基金条例を発足させたのが10年前、お年寄りにいつまで我慢してもらうことになるのか、心の中で力不足ごめんなさいと言いつつ帰途についた、ある秋の日の出来事でした。                     三島市 E.G.
 秋ですが 今年は雨が多いですね。紅葉見物はなかなか情報がなかったですがグローバルのインターネットに学び皆様に迷惑をかけながら少しですが「I T」に入ったかなあと思うのです。終わってから家ですこしづつ情報(主に旅行)を楽しんでいます。時々息子に聞きながら。 これからもいろいろ頑張って行こうと思っています。                     三島市 A.I.
 一昨年の町内福区長会計職から、今年四月 区長に任命された主人です。 選挙で満票のため決定したのだと。しかし満場一致ではやむを得ないのではと主人の立場を考え「町内に住んでいる以上はお世話になっているのだから」と主人の私への返事でした。受理し半年やっと過ぎこんなに忙しく気を使うとは夢にも思っていませんでした。 でも又、一年後に再び福区長と組長が回ってくるそうです。何時になれば身軽になるかしら。老体にムチ打って現役の主人には負担で私もお手伝いしておりますが私のほうがストレスが溜まってしまいちょっと息抜きにスペインへ。七度目の海外ですが今回はどんな収穫があるかなと。主人よりお先に行って参りますのでお留守番よろしくねと・・・・                                             三島市 K.A.
 今年3月、三島市のニュージーランド・ニュープリマス市への小中学生派遣事業に、指導員として参加しました。ニュープリマスでは公式歓迎会や小学校での授業に出席し、NZの人々がその土地のルーツであるマオリの文化を大切にしようとしている姿勢に心を打たれました。(もちろん複雑な背景があることもまた事実ですが。) 彼らが「人が人らしくあること」にプライオリティを置いて生活していることにも気付きました。旅行パンフレットの「人生観が変わる国」というフレーズは、本当です。                                     三島市 Y.W.
微笑みの国ミャンマー6日間の旅
  ミャンマーは、インド・中国・ラオス・タイ・バングラデシュ・の5カ国に囲まれ、135の民族が居住しています。国民の85%が仏教徒で、仏教の心を持ち、親切で素朴な人柄でした。パガンは世界三大仏教遺跡の一つです。イワラジ川のゆったりとした流れと、広大な緑の大地に点在する2200以上もの大小のパゴダは往時の仏教の豊かさを物語り、古き良き時代の日本を彷彿させる気がしました。その地で馬車にゆられて見た夕陽の美しさは忘れられない思い出です。最後の王朝が置かれたマンダレーのマハーガンダヨン僧院では毎日托鉢の風景が見られ、訪れた日も1200人の僧侶(小僧さんも)が、一般 信徒様から供養(御飯大ボール1パイと日用品・お菓子等)を一人づつ受けている所は壮観でした。首都ヤンゴンの象徴「聖なる黄金の塔」シュエダゴンパゴダでは、多くの人が熱心にお祈りしている姿が印象的でした。15世紀以来、歴代の王や王妃は自分の体重と同じ重さの純金を箔に加工して、巨大な塔に貼り付けるのを習しとしていました。まばゆいばかりの輝きを見せる黄金の塔は高さ99.4m・基底部の周囲は443m・使用されている金箔8688枚・塔の最頂部には1個76カラットのダイヤモンドをはじめ、総計5451個のダイヤモンドと1383個のルビーやヒスイ等の宝石がちりばめられているそうですが、すべて寄進によるものと聞きこの国の人々の信仰の篤さが偲ばれました。パゴダ見学は土足厳禁で、すべて素足です。大理石の上を素足で歩くのも帰る頃には 心地良いものでした。                                                 三島市 T.S. 

2003年11月号

 8月下旬に娘に女の子が生まれました。結婚はしない、子供もいらない などと言っていたので、孫を見る事はないだろうと思っていたら、アッという間に結婚して、子供が出来ました。最初はあまり実感がありませんでしたが、病院から我が家にやって来た途端、そのかわいい事といったらありません。(美人というわけではなく、私の気持ちとして)何かと理由をつけて抱いてみたり、お買い物に行くとついベビー用品に目が行ったりとすっかりババばかです。おっと・・・おばあちゃんとは呼ばせないと思っていたのに、自分で 言ってしまった!!            三島市 T.S.
「木犀の夕べ」に参列して  三嶋大社の樹齢1200年を誇り、三島の街を見守り続けた金木犀の夕べ。当夜は風も無く、静かに金木犀の香に包まれた舞殿の前、おごそかな神事に心が洗われる思いでし た。  お大社によると、戦争のあと人々の心が荒んだ時代に、人々の心を癒すためこの歴史ある木を守っていこうと、この会が始まったということです。  篝火が焚かれる中、天竺の祇園寺の供養の日、極楽に住むといわれる迦陵頻伽という霊鳥が飛来した時、妙音天が奏でたという雅楽の調べが境内に響きわたりました。続い て、才知武勇に優れ、美男すぎるが故に軍の士気が上がらず、やむなく戦いの時に恐ろしい面 をつけたという蘭の陵王が悠久の時の流れを越え、私たちの前に現れました。雅 な中にもきりっと筋の通った舞の世界に陶酔してしまいました。舞人は東儀秀樹氏。素顔もクールで素敵な方でした。最後は琴と尺八による「嵯峨の秋」。 日本人である喜びの感性を呼び覚ましてくれた宵でした。                                     三島市 A.K.
 K.Sのおっ夫夫(とっと)です。おっ家内(かない)の一言で私が書くことになりました。  先日、グローバルが参加した「ウオ-クぶらり~・三島物語」の手伝いをさせてもらいました。集まった顔ぶれは、すごいすごいの一言です。かよわき乙女のどこからあのパワーが出るのでしょうか。会員さんの手作りのム-ム-を着て踊るフラダンス。とても素晴らしい!普段なかなか見られない一面 を見たような気がします。  逃げ腰だった私は背中を押され、きりんちゃん(人形)を持って道案内に道路の方へ行き微(び)声(せい)?を張り上げました。人形っていいですね。心を和ませますね。楽し い1日を過ごしました。                              三島市 T.S.
 小学生の頃、早くティーンエイジャーになりたいと思っていました。毎日毎日、待てど、~ティーンがつく13歳~14歳~は、なかなか来ませんでした。しかし、近ごろは一日一日過ぎて行くのが早過ぎて、このままでは困ると思うようになりました。  1年半前、沖縄県出身の岸本美代子さんの、アジアン&沖縄のお店「南来流(なんくる)」に職場を移してからが特に忙しい。なかなか友人とランチやお茶もできなくなり寂しい反面 、新たな出会いが楽しみでもある毎日です。最近持ち物の中にイカット地が増えアジアンテイストなマイブームがとても気に入っています。  沼津市 J.O.
 70の手習いで陶芸を始めた。四国八十八ケ所の歩き遍路にも挑戦してみたい。幾つになっても新しいことにつぎつぎと好奇心が湧いてくる。というのも陶芸はボケ防止、歩き遍路はひょっとして持病の糖尿病が治るかもと知らず知らずのうちに趣味まで自分の健康面 に配慮する形になってきたのには自分でも可笑しみを感じてしまう。  常日頃好奇心を抱きながら生活するのが、いつまでも若さを保つ秘けつと物の本に数多く書かれている。いつまでも恋をするのが大切だとも書かれている。ただしこれは願い下げる。もう面 倒臭い。これは助ベい爺におまかせしておく。  いずれにしても政治やその他もろもろをを、若い世代に委ねて、悠々と自分の余生を楽しんだほうが世の中のためにもなるというもの。そうは思いませんか?世のため人のためと、大義名分をかかげて行動しているがその実、老害を蒔き散らかしている頑迷固陋のお爺さんたち!                三島市 福井善徳

2003年10月号

 冷夏、長雨だった今年の夏。でも、嬉しいNEWSがひとつ。  “水の都・三島”の名のとおり、「湧水復活」。情報を仕入れた私は早速、子供とそのお友だちを連れて、楽寿園、源兵衛川へ水めぐりに出かけました。子供たちには、ちょっとしたガイドさん気分の私。水のせせらぎ、水面 のきらめき。そして、目の前をトンボがすーっと往き過ぎていく風景を目にして、倖せを感じました。子供たちのはしゃぐ姿や、笑顔につられ、日頃、「こわーい、おかあさん!」もつい、返上の夏の一日でした。ゆうすい、ありがとう!                       三島市 Y.U.
 数年前に、生ゴミにぼかしを混ぜて作った堆肥で育てたミニトマトをご馳走になりました。それを思い出し、挑戦しました。  デルモンテの苗を1本買い、半坪にも満たないミニ菜園を庭の中ほどに作り植えました。とても良く育ち、8月の始め頃には100個以上を収穫しました。粒も大きく美味しい ので8月中旬に帰郷する息子に見せたいと、追肥を施し楽しみにしていましたが、今年は帰れなくなったのでごめんねとの電話!!  トマトの方は、今も元気で実をつけています。全部で、200個以上の収穫になりそう。来年もがんばるぞ!!                 伊豆長岡町 H.H.
 シロは、推定で16歳になる犬の名前である。雑種で、からだ全体が白と黒と茶のブチで覆われているが、白い部分が多いためシロという名にした。近頃は歩くのもスローペ ースになってきて、たいした距離でもない、朝、夕の散歩もかなり時間がかかる。  ゆっくりとしか歩けないシロにあわせて、僕も気長に歩調をあわせる。そんな姿が気になるのか、行き交う人が声をかける。「何歳ですか?」と聞いてくる人、「シロ、がんばれ!」と励ましてくれる人、「ちょっとまってて」といって食べ物を持ってきてくれる人。歩きがゆっくりになったことにより得られた心のふれあい。シロに感謝しな くっちゃ。                                三島市 K.N.
 冬の始まりのある日、空を飛ぶ蜘蛛の子たちがいることをご存知ですか。東北ではこの蜘蛛の子の習性を「雪迎え」と呼ぶそうです。最近、宮本輝氏の「約束の冬」という小説を読みました。「空飛ぶ蜘蛛の子」が創り出す健気な生命のイメ-ジが作品全体をほんわりと覆っているような気がしました。  一見、ごく普通の人に見えるけれども、あの子蜘蛛たちのように懸命に誠実に真剣に生きている登場人物。人との約束を果 たすこと以上に自分自身との約束を守る努力を惜しまない人々が「子蜘蛛の飛翔」と共に、私に爽やかな感動を与えてくれました。         修善寺町 S.I.
 先日、生涯学習センターで行われた「夏休み子供センター」の中で、国際交流のコーナーを担当した。グローバルな時代に英語ばかりでもあるまいしと、今回はスペイン語圏のペルーからケイラさん(グローバルスペイン語講師ナタリーさんの娘)にお願いして、自国の紹介や簡単な遊びや歌での交流をした。最初はシャイな子供たちも、彼女の上手は誘導でスペイン語での挨拶ができるようになるにはそれ程時間がかからない。子供の五感はすばらしい。歌も上手に唄う。土曜日だったせいか、父親の参加が目立った。かなり熱心な様子を見て、父親の存在の大きさを感じ、育児への積極的な参加を期待したいと、ほほえましく思った。                 三島市 H.K.
 最近、お気に入りの映画のDVDがやっと手に入りました。以前劇場で観てからも何回かビデオで見ていたのですが、どうしてもDVDで欲しい一枚でした。ご覧になった方も いらっしゃると思いますが「大河の一滴」という邦画です。  この秋オススメの1本です。ストーリー等は観てのお楽しみ?ですが、決してハリウッド映画のようなハデな作品ではありません。ただ一生つきあっていける映画になるかも?!  今だに予告編(DVDには入ってます!)を見ているだけで涙があふれてしまいます!!ああ‥‥‥もう秋か‥‥‥                      三島市 T.H.
 八ヶ岳湧水池である「三分の一湧水」を見学する機会を得ました。戦国時代水利権の争いを静めるため、三方の村に平等に分け与えるため均等に分配したことから”三分の一”の名前が付いたそうです。水はひんやりと冷たく、勢いよく流れていました。林の中で、しばし爽やかな時を過ごしました。  小説家でもある椎名誠さんの番組でその特集記事を目にしました。彼は次のようにコメントしました。「世界には三種類の川があることに気付いた。ひとつはたくさんの命を育てている川。ひとつは住民や政府に守られている川。もうひとつは化学物質に汚染された川。」日本の川は飲めないきれいな(色が)水だそうです。映像を見ながら、今年の5月に行った四万十川を思い出し、メコン川とは異質のものであることに今さら気付かされました。日本の川は風景の中にあってのものなのかもしれません。  「三分の一湧水」の辺りは、資料館が建てられ、道路も整備されつつありました。”湧水詣で”が増々盛んになりそうですが、先人の知恵に感謝することを忘れてはいけないと思った次第です。                                     長泉町 S.T.

2003年9月号

 宮城県北部を震源とする地震災害の様子が 連日報道され、被害に遭われた方々の恐怖感が伝わってくるようでした。中央防災会議も、大きな被害の予想される東海地震について、様々な検討会議が行われている様子ですが、浜岡原子力発電所の安全確保に最大の注意を払ってほしいと切望します。我が身を省みると、高い所までぎっしり詰まった本棚、ガラス扉の食器棚、ピアノ、テレビ、いつのまにかたくさんの物があふれる戸棚の上、飲料水の確保など、すっかりなおざりです。私自身も もう一度初心に返って、地震対策を考え直す時のようです。            清水町 K.I.
 我家には2才半になるハムスターがいる。雄で、とても人懐っこく名前を呼ぶとケージに前足を掛けて来る。この仕草が何とも言えずとても可愛らしい。今年の冬、私は朝起きて何時もの様にハースケのケージの所に行き名前を呼んだが出て来ない。どうしたのかしら? よく見ると巣の真中に銀杏が一個置いてある。銀杏など誰も与えていないのに「どうして?」そしてハースケの姿が無い。扉が開いている。あっ私が夕べ餌をやって鍵を掛け忘れたのだ。 とにかくハースケを探さなければ‥‥ ハースケ!!  ハースケ!! 呼ぶと食堂からトコトコ走って来た。それにしても台所にあった銀杏をくわえて巣に持って行き、又出てきて遊んでいたのに違いなかった。今夜もお気に入りの回し車をカタコト回している。                              裾野市 K.Y.
 7月31日のグローバルサロンに参加しました。ハワードカツヨ先生の名調子につられて、にぎやかに話し合った結果 、自分をあらためて認識したり、周りの人達の性格が 思 いがけないものと気づいたり、大変面 白く、興味深い経験をしました。ありがとうございました。  いささか出不精ぎみで、語学サロン(スペイン語)以外の活動に参加することが少な かったのですが、これからは選り好みせず、色々なことをみて、感じてみようかとい う気持ちになっています。     三島市 N.H.
 夏休みに尾瀬の燧ケ岳と会津駒ヶ岳に登ってきました。燧ケ岳からは、尾瀬沼に下り湿原に咲く山野草を楽しみ、高原を吹き抜ける風の中で夏の一日を満喫しました。「三島発勝手に花の百名山」と称して1997年4月の天城山から始めた山行も181回を数えることになりました。(深田久弥氏の日本百名山42山を含む。)ほんとうに、健康バンザイ」です。  ところで、今回の桧枝岐村の宿が結構良かったのです。オーナーはガイドとしてTVにも出ている人でした。そこでサンショウウオの天ぷらや「はっとう」という蕎麦料理が 出ました。サンショウウオは、4本足が見えていてとても食べられませんでしたが、はっとうは大変美味しい郷土料理でした。              三島市 K.N.
 私の夏の思い出は、やはりスイスである。今夏はヨーロッパ全域が猛暑に見舞われスイスも例外でなく日中30度を越す程、少雨のこともあり牧草地もかなり枯れていて、地元の人に聞くと今年は特に暑いそうだ。やはり温暖化の影響か?スイスは九州程の小国だが、花の旅を続けると意外に広い。それも山岳の自然美のスケールが大きいのかも知れないが、住む人達と自然がうまくかみ合っているのだと思う。そんなスイスが私は好きだ。いたる所にリフトがあり、トレッキングルートも完備しいているので安心して歩ける。4,000m級の残雪の山々を展望し、足元の可憐な花々の短い命を感じながら考えさせられた。キレイな富士山は果 たして実現するのだろうか?       三島市 T.O.
イタリアの田舎が素晴らしかった!
 当英会話Aクラスに入ったのが1999年2月でしたから既に4年半たちました。「努力を持続できるのが才能」というある人の言葉を信じて、しかし必死にもならず楽しみながら続けてきました。
 今働いている会社のTOEIC400レベルの通信教育も終わったのでここら当りでどこか英語圏に旅行して見ようかと思っていた矢先6月に中部イタリアの田舎に8日間滞在する機会があって中世の都市国家がそのまま今も機能している「石の文化」に圧倒され続けました。
 ところで目的の英語はホテルフロント、現地のガイド、商店の主人、我々と同じ観光客の中にも英語を理解する人はいましたので、主語述語の構文がしっかりしておれば私の英語でも十分わかってもらえることを体験し、イタリアでもよかった。イタリアの方がよかったかもと、今思っているところです。そして英語は「地球語」なんだなあと思わされる旅でした。   三島市 Y.T.
 紺碧の空が海と一体となり、やがて星が一つ二つ見え始める頃、大・小の鼓の音があたりに響き渡る。
 かがり火に照らされた舞台では、朗々と謡う地謡にあわせ、ひときわ美しく舞うシテの姿。幻想的な世界に引き込まれ、しばし時を忘れ酔いしれる。この夏初体験した薪能の真夏の夜の夢のようなひとときでした。
                              三島市 T.Y.
 昨年の秋から思いおこすときんかんの甘煮、寒風と日光のもと切干し大根作り、年が明けてふき味噌、甘夏でマーマレードづくり、ワサビの茎の酢漬け、イチゴのジャムやシロップづくり、カツオの佃煮、梅酒とらっきょ漬け、新生姜とみょうがの甘酢漬けめぐりくる季節のもので保存食づくりを満喫している。そんな時五感はいきいきと働き日本の四季のすばらしさを思う。手が動くかぎり食べることができるかぎり続けたいと思う。食を通して楽しみの引き出しが年ごとに増えてくる。さて娘たちはいつか春には竹の子をぬかであくぬきし、秋には里芋の皮をむいて煮物をする時がくるから‥‥?この秋はベリーAで美しい色のジャムをつくろう。ほうろうのおおきなボールで。         
                              三島市 R.I.

2003年8月号

 4月から、小さな小学校で英語を教えるようになりました。3、4、5、6年生の週一回ずつの授業で、持ち時間は週4時間。決まった教科書は無し、何をやるかは全て任されています。ご縁があって受けたものの、責任重大。プライベートの英語教室などの経験はあるものの、改めて児童英語の教材を大量に買い込み、セミナーにも積極的に参加しています。うまくいったと思う日と、落ち込む日と・・。職員室に机を持たせて頂いていますが、何やら落ち着きません。先生方の大変な一日も垣間見てしまいました。 世の中の変化で要求されるものは多いし、「個性尊重」と言う指導の難しい時代です。でも、もちろん子供たちは可愛い!!楽しい!!
 同時に4月から、昨年の鈴木美恵子さんのリンクの記事に刺激されて、通信教育で母校の科目履修生になりました(卒業率は5%といいます)。通信はレポートと試験ですが、甘いものではありませんでした。締め切り間際にいい加減に書いたレポートにそれなりの評価で返ってきて、落ち込んでいます。頑張ろうというより、やる気をなくしてしまいました。(やはり子供はほめて育てるべきという由縁?)当初の2年卒業計画は不可能と悟り、生涯学習のつもりで次の未年までには・・・くらいのつもりで取り込むことに軌道修正しました。夏休みはスクーリングに出かけます。孤独の勉強よりもきっと楽しいですよね。                              三島市 Y.S. 

 昨年から英会話サロンに入れていただきました。自営であり,近年は子どもの関係やいろいろな役員が重なり、毎日手一杯です。英会話をお休みする事も多いのですが,水曜日のサロンにいける日は気分転換にもなり、そのうち充分時間が取れるであろう事を励みに、その時を楽しみにしております。
 そんな私ですが、夫婦で40代になり最近は主人が高血圧気味である為、急に健康に気を使っています。ちまたでも評判の”ゴーヤ茶”、毎日飲んでいますが気のせいか,体調もよく血圧にも良いようです。是非お試しくださるといいのではと思います。
                           三島市 M.Y.
                  夫の本
 実験の失敗をノーベル賞に結びつけた田中耕一さんとは、月とスッポン。
我が家には、長年、ケミカルエンジニアとして失敗が失敗だけに終わった夫がいる。
 そんな夫が後輩達に自分の失敗から何かヒントをと、一念発起。
深山好夫著 ”技術屋の独言”を化学工業日報社から出版する機会に恵まれた。
 地味でコツコツ華やかさ欠けるイメージのためか、若者の理系離れがいわれて久しい日本だが、技術屋さんよ声高に叫ぼう!技術の力無くしては、今山積する環境、エネ ルギー、生産の諸問題をクリアできないと。
 この欄で今回は夫孝行しよう。
                           三島市 S.M.
                20歳の誕生日
 娘が三島を離れて、東京の祖父母の家(夫の実家)で学生生活始めたのは、昨年のこと。ジジババに可愛がられ、すっかり快適生活なのか、ちっとも三島には帰って来ないなあ~と・・・
 しかし、この5月元気で優しい祖母が突然クモ膜下出血で倒れた。娘の20歳のバースデープレゼントを買いに行った翌日だった。それから6日後に逝ってしまい、6月1日の娘の誕生日が通夜の日となってしまった。皮肉なことに、プレゼントのパールのネックレスを初めて身に付ける日が、その日になろうとは。一緒に救急車に乗り、医者の宣告を聞き、残された祖父の様子を見てきた娘にとって、大きな試練が、本当の意味で大人へのスタートになるのかどうか?
 夫や私にとっても生活の拠点を考える大転換期となった現在、三島、東京間の往復で「家族」を考えている日々です。
                           三島市 T.O.
 「東海大地震はいつ起きてもおかしくない」と言われて何年にもなる。
 かねてからこの地震と浜岡原子力発電所との関連については気になっていた。
 数年前の視察の際、ここは固い地盤なので絶対安全だという説明を受けた。しかし、施設は老朽化し、検査の結果多数のひび割れが発見されている。現在稼動中のものと検査、修理中のものがある。もし東海大地震で破壊されたら、放射能が漏れ出し大惨事になることは一目瞭然だ。東大の地震学者も浜岡の危険性を指摘している。としたら、GIAサロンで小長谷氏が語ったように、少なくとも、地震が終わるまで原発を停止させておきたいものだが、どのようにしたらそれが可能になるか・・・・・手段が難しい。
                           三島市 I.M.
 昨年春、ネパール・フォト・コンテストで入選した1枚の写真が縁で、ネパール人青年サキャさんと知り合って1年が経った。
 彼は、掛川で日本語講師をしていましたが、昨年末帰国し、ネパールでは木彫りの村として有名な自分の村に小さな日本語学校を設立、習熟したパソコンを使って現地の人に日本語を教え、日本とネパールの架け橋になりたいと頑張っています。
 あれから1年、ネパールはトレッキングの方が行くものと思っていましたが、サキャさんから「学校と私の村を見に来ませんか? カトマンズの観光案内もおまかせ・・」というメールが入り、夫と2人でカトマンズから東南へ7キロのブングマテイ村を訪問、外国人では初めての木彫り体験など、とても珍しい異文化交流をしてきました。
 帰国の日、夫が体調をくずし、大変な思いもしましたが異国の地で人の優しさにも触れ心に残るたびでした。
                          函南町 Y.I.

 “国際的な文化交流のためにも英語が出来たらな”、と思う方はたくさんいらっしゃるでしょう。でも、実際にそういう機会が1年に何回あるでしょう?自分から海外へ飛び出すか、知人・友人に外国の方でもいない限り、ゼロに近いのでは?私自身もチャンスゼロの中の一人。勉強しても利用する場所もないし・・・、と思ったりもしましたが、ちょっと視点を変えたら、「あら!?」、英語がきっかけでできた日本人の友人・先輩方が、なんとたくさんいることでしょう!
だからこそ、 I'll keep on learning.
それに、I still have a long way to go!
                          三島市 H.O.

2003年7月号

アボカド
  私が初めてアボカドを食べたのは、27年前のアメリカでのことでした。濃緑色のそれは果 物のように見えましが、一口食べたら、塩気の無いチーズみたいで「何これ?まずい!」。先入観で、果 肉がバナナのようなクリーム色だったので、勝手に甘いものと想像していたのでした。後で、義妹がサワークリームと練り合わせて、コーンチップスと一緒に食べさせてくれて初めて美味しいと感じたものです。それが、今ではワサビ醤油を付けて食べるとトロの味。好きな食べ物の部類に入りました。日本では1個100円くらいですが、先日ロスへ行ったら1個1$69¢。日本より高いじゃありませんか。聞くと最近は食べころに熟れた庭のアボカドをごっそり盗まれたというニュースまであるとか。肌がツルツルのとシワシワのと2種類あるって知っていました?そしてシワシワのほうが美味しいのですって!                                  三島市 A.S.

 函南町に移り住んで1年。富士山の雪が縦縞模様になってだんだん解けていくのに 驚いたり、近くの川の小さな水の流れを眺めてホッとしたり、都会では触れることの できない自然を体中で感じる満ち足りた毎日です。近くの田んぼでは、耕し始めたか なと思う間に、小さな稲が整然と植えられ、人間の力の逞しさを改めて感じます。我 が家のベランダの枯れかかったパンジーの鉢の中に、どこから来たのか雨蛙が1匹住 んでいます。花を片付けられず、毎日水をやると喜んで元気に鳴いています。家の前 の広い駐車場では、異年齢の子ども達が毎日大声を出して遊んでいます。必ずといっ ていいほど、もめ事が発生。いつも誰かが泣いています。これも、人間の自然の営み。すばらしいことです。                                         函南町 S.F.
    「人面墨書土器よもやま話」、聞きに行こう!見に行こう!  
  平成13年、三島市安久にある箱根田遺跡から、奈良・平安時代の墨で人の顔が描 かれた土器が発掘されました。これらの土器は、当時の人々の生活を知る上で、貴重 な資料だそうです。同類のものが他所でも発見されていますが、特に三島の物は価値 があると聞きました。この土器、明るい所に出しておくと、墨が消えてしまうそう で、普段は暗所に保管してあるそうです。7月16日の「古代祭祀へのいざない」と 称し行われる講演と合わせて、郷土資料館でも、三島市文化財紹介展で展示します。 ぜひ、聞いて見てください。                                三島市 Y.K.
 スーパーで、七味やコショウを買いついでに、タイム、オルガノなどのハーブを ちょこちょこ揃えて楽しんでいます。特にバジルは子供達にも人気です。ピザ・ミー トソース・粉ふきいも・チキンの料理にじゃんじゃんふりかけています。  生のバジルを育てたくて、先日、富士急ハイランドの帰りに河口湖ハーブ館に寄り ました。種々のハーブや花の苗が、4つで1000円。バジル、イタリアンパセリ、 ワイルドストロベリー、ラベンダー。キッチンでかわいがっています。  今、子供は、12、8、5歳。小さい頃は手のかからないサボテンや観葉植物でし たが、今せはベランダの植物もいろいろ増えて、このごろ畑をやってみたくなりまし た。土に触れたい気持ちです。       三島市 M.I.
                 最近の出来事  
  平成13年から胸に異状を感じ、定期的に検診を受けていました。5つくらいの検 査の中で、心電図のみ異常があり、2年が過ぎました。息苦しさが増し、がまんも限 界と感じ、先生に御相談したところ、カテーテル検査が必要との事。私はギョッとし て一度はお断りしました。でも、考えなおし、先生にお願いしました。危険性も知っ ていました。カテーテル手術の途中でトラブルが生じ、血圧が下がり、酸素マスクの お世話にもなりました。狭心症でした。2時間後に終了し、I.C.U.へ入れら れ、その後、どのくらい時間が過ぎたか記憶がありません。体には十分気をつけてい たのですが、この様な事になり、どうして?と思いますが、これも、人生と思い、今 後、更に健康に留意しながら生活しようと思っています。                         沼津市  T.S.
                 旧知と新知
 この春、旧知のオランダ人女性が、突然我が家を訪問した。沢地幼稚園に通 ってい た娘さんも、今や素敵な23歳のお嬢さん。写真を見せてくれた。  この秋、全国から応募された方々とオーストラリアに研修に出掛ける。文部科学省 がらみの「男女共同参画アドバイザー海外派遣」である。新知のメンバーとの出会い が楽しみである。GIA初期の頃に実施したオーストラリア・NZ研修で、ペンパル 家族が会いに来てくれたのを、懐かしく思い出している。                        三島市 Y.K.

2003年6月号
 桜花爛漫の好季節、リタイヤした、フランス人トラベラーを2泊3日で受け入れた。夫はセネガル出身の黒人、妻は生粋のフランス人である。当初駅で初めて会った時は少々びっくりしたが、その後、2人の仲のよさ、礼儀正しさに接し、異質な感情をもった自分が恥ずかしくなった。  そもそも私が入会しているサーバス組織は、一面識もない外国のサーバストラベラーをホームステイさせ、国際理解を深めることが目的であり、どんなトラベラーがリクエストしてくるかわからない。日本は随分国際化され、外国人を見かける事も多くなってきたが、髪の毛や肌の色、宗教の違いで、人種的な偏見を持ちやすい。異質なものを排除しようとする傾向は根深く残っているのは歪めない。私も異文化理解に今まで以上に努力する必要があるだろう。                   函南町 H.S
 新米の民生委員を始めて1年半になりました。  何も知らずに引き受けたのですが、その守備範囲の広さに、それらに対する知識の無さに、今さらながら驚いています。  最近の風潮でしょうか、「離婚したから母子家庭の証明をしてください」と言って来る若いお母さんの何と多いことか。「まだ仕事も見つかっていない」などと聞くと、小さな子供をかかえて、どうして生活していくのだろうか、などと、考え込んでしまいます。  理由を聞くと、「夫の暴力」、「夫の借金」とか。不幸な結婚生活を続けないために、それはそれで止むを得ないのでしょうが、結婚する前に分からないのかなあ、などと思ってしまいます。  でも、どのケースも、お母さんが明るくて、あっけらかんとしていて、救われているというか、とまどってしまうというか。そんな状況です。     三島市 T.O.
ザーサイ
 私がザーサイを食べて美味しいと思ったのは10年位前からだが、この癖のある香りのお漬物はなんともエキゾチックな味がする。中国の人は、拳骨様のこの食材を一晩水につけて何度もその水を変えながら塩抜きをしてから、スライスして料理に使うそうだ。大きいものは薄くスライスすると鮑の食感だと言うがそう言われてみればそうかもしれない。
 ○○屋の瓶詰やお惣菜売り場で売っているものを使ってサラダにするとこれからの蒸し暑い季節の美味しい一品となる。(冷やしてそのまま食べても白いご飯が進むが…。)
 鳥のささみを塩と酒を少々いれた湯で茹でて、そのまま冷ましたものを食べやすい大きさに裂いたものにキュウリの千切り、ザーサイのスライスをだいたい1:1:1の割で混ぜて冷蔵庫に冷やして一時間ほどしてからいただくとYUMMY!好みで少々の醤油とゴマ油で味付けしても良いかも…。ザーサイの変わりに「味付けクラゲ」を使ってもGOOD!
 夏になると食欲減退気味の私は、今年はこれとゴーヤ料理(庭にゴーヤ苗を4本植えました。)で乗り切ろうと思っている。           長泉町 H.S.   
先月、藤の香りに誘われて、足利市のフラワーパークに行きました。 観光客の多さもさることながら、紫、白、黄のふじ群。そしてその香りは圧巻でした。都市化の波の影響で移植された樹齢80年のおおふじ。1.6メートルに及ぶといわれる花房には残念ながらお目にかかれませんでしたが。
 このおおふじの引越しを成した女性日本樹木医一号の塚本こなみさんのコメント。―― 私には、この木がそんなに無理しなくてもいいよといっているように感じる ―― 
もう一度ゆっくり訪れたいと思いました。        長泉町 S.T.
  お勧めの一冊
  3月に出版された、「斎藤みづ江 葉画木絵の世界」を面白く読みました。 彼女は親業訓練講座のインストラクターを始めて20年目をむかえる。その傍 ら習い始めた、はがき絵にこれまでの悪戦苦闘の彼女の人生の一こま一こま が凝縮された言葉となって書き記されている。 一枚一枚の絵とことばに共感 したり、勇気づけられたり、くすっとしたり、いつのまにか元気をもらっています。  親業訓練講座というものがあることを、初めて知りました。 もう今からでは 遅すぎるけれど、どんなことを学ばせてくれるのか、ちょっと覗いてみたい気 もしています。先日、静岡新聞でも紹介されたそうです。 購入されたい方は 乙部まで御連絡ください。                   長泉町 M.O.

2003年5月号

 春まだ浅い一日、早くも庭に出て草を取る。好天とは云うもののやはり風は冷たい。土の表面 にツンツンと芽を出しているのは多いが、この時期どれが雑草なのか花の芽なのかを見わけるのが難かしい。 うっかり見落として足を動かすと若芽をふんづけてしまう。 「せっかく芽を出したのに痛いよ―」と云っているようだ。日々変り行く庭に立つのが嬉しい。 句を捻り歌を詠む。わが人生 日々是好日。                                       三島市 H.T.
 我が家の近況です。
・娘は新制度となり大変でしたが、無事高校合格を果たしました。
・息子は、せっかく決まっていたワンガヌイ短期留学生派遣が、直前になってブッシュ大統領の「48時間後の宣戦布告」の発表の影響を受け、中止となってしまい「オレは何と不運なやつだ」と嘆いています。
・私はと言えば、アルバイトに何となく追われながら、今年はシンプルな生活をしたいと思い、まずは家の中からと、せっせと物を整理し処分している毎日です。気持ちだけは豊にしたい。今年はできるだけグロ-バルの行事に参加したいと思っています。            長泉町 M.I.
 私は三島ホタルの会の会長をしていますが、グローバルさんとは「花とホタルの里」づくりにご協力頂いた関係から、何回かの例会に参加した事があります。今回ボイスQの放送で斎藤会長が、特に外国語を話せなくてもOKと話されたので、安心して入会させて頂くことになりました。
 小さなことでも、自分の為だけでないことを行う事が、この世に生を受けた者の役目だと思い、「社会貢献を一生懸命」を信条にしています。元気なGIAの皆さんと一緒に活動できることを楽しみにしていますので、よろしくご指導願います。                三島市 S.H.
 赤ちゃん産まれました!  Baby was born on 7th/Feb.
 結婚して三島に引っ越してきてから、友人ゼロだったのですがGIAで気の合う友人が沢山できて楽しんでいましたが、1月より里帰り出産のために横浜に帰り、英会話をお休みしています。2月7日に男の子が産まれました。 優輝(ゆうき)です。英会話のクラスで知り合った妊婦さんも赤ちゃん産まれたので皆で会うのが楽しみです。
 ゴールデンウイークに三島に戻る予定なので、早く水曜の英会話クラスにも復活したいです。
                                 三島市 E.K.
 三島市大社町にある総合防災センター(市役所大社町別館)3Fのコミュニティラジオ局FMボイスキューで毎週月曜日~水曜日AM11:00~PM1:30生放送を担当させていただいています。仕事柄、いろいろな方と出会い、さまざまな場所に取材に出かけています。最近では修善寺ホテルYUTORIANの杉山照子社長の女性ならではの心こまやかな温かい人柄に感激。ランチのココナッツジャワカレーはおススメです。また伊豆高原にある野坂オートマタ美術館は、珍しい機会仕掛けの人形が数多く、実演もあって楽しめます。皆様からの情報もお待ちしています。
                                 裾野市 T.S.
 予想に反し寒い春のお陰でしょうか、ゆっくりと満開になった2003年の桜でした。前回、このコーナーで教育実習について書かせていただきました。3月19日晴れて卒業式を迎え教育免許取得にいたりました。編入から2年間、なんと色々な事が有ったでしょう!昨年10月、実習1週間前に父が脳内出血で緊急手術。お陰さまで3月15日、杖ナシで歩ける状態で退院しました。私にとってこの3月は良い事が重なった月と云えますが老齢の母の片腕として、また歩きの安定しない父の介護に頑張っています。
                                 修善寺町 M.S.
 今年は桜の美しさを十分に堪能した気がしています。それだけ外出の機会が増えたということになると思います。もともと家の中で本を読んだりして自由にしているのが好きなのですが、一昨年の夏ごろより英会話を始め、ちっとも進歩しないのを嘆きつつ、どうにか続けています。記憶力の衰えを図々しさでカバーをし、少しでも覚えようとがんばっています。そういう中で、たくさんの出会いや発見をみつけることができました。まだまだ、がんばり(がんばれ)ます。
                                 三島市 M.I.

2003年4月号

 私の三大趣味は、字幕なしでアメリカなどの映画を観ること。次は、ノラ・ジョーンズ、インディアン・アリー、エミネム、フェイスヒル、カサンドラ、ウイルソン等の英語の歌をCDで聴いたり、コンサート会場にまで行くこと。そして、英語の話せる外国人と、英会話教室、レストラン、喫茶店、汽車、バスの中などで主に文化的な話をすること。英字新聞、雑誌、本などよく読んで、各国の歴史、気候、ニュースや、今(3月)私の次女夫婦はオーストラリアのパースに行っているとか、長女の夫が、2月~3月にかけヨーロッパへクラシック音楽のコンサートを聞きに行っているとか、まぜこぜに話します。楽しい話題は多くて尽きません。この6年ほど英語三昧!人生ってワンダフル!                                              三島市 K.I.
 私が今より少し若い頃、よく外国人アーティストのコンサートに行きました。TOTO、ジェネシス、デフ・レパード、マドンナ…etc。彼らのコンサートでちょっと困るのが、曲と曲の間の英語のごあいさつ。「Hello,Tokyo!」レベルならいいのですが、長い話をされると一部の外国人オーディエンスを除き、「し~~ん~」と静まり返ります。これはマドンナのコンサートでの有名な話です。彼女が客席に"Do you wanna go home?(家に帰りたい?)"と叫ぶと、日本人オーディエンス、訳もわからず、とりあえず"Yeah~!(もちろ~ん!)"と返事をしたそうです。こんなのさみしい‥‥。2時間のステキなコンサートを、アーティストのメッセージまでとことん楽しみたい!これが私の英語学習の動機のひとつです♪                                     三島市 H.O.

 3月に入り暖かな日はもう春を思わせる陽気です。これからは木々の芽ぶき、色とりどりの花々、眠っていた大地が少しずつ眠りからさめるように動き始めます。少しずつやり始めた仕事でいろいろな方と出会うチャンスに恵まれ人生の先輩達にいろいろ教えて頂いたり、元気の素をもらっています。
 70才を過ぎて5人家族の家事をこなし畑を耕し、旅行に行き、グランドゴルフを楽しんでいる方、65才で免許を取り、月に一度は秋田から東京まで車で行かれる方、人生の先輩達はアクティブですてきに年を重ねておられます。そういう出会いは、私もがんばるぞと、すごい目標になります。
 昨年りんく・・で水島さんが紹介して下さった壬生義士伝、感動しました。図書館で借りた時には厚さに不安でしたが、読み始めたらすっかりひきこまれ途中からは涙ポロポロ
でした。ありがとうございました。           三島市 K.K.

 さて、何を書きましょう…最近夜遅くまで起きているので、まだ頭が回転していません。どうやら今日も一日良い天気になりそうですね!!このような日は、自転車でのんびり走るのがなんと言っても最高です。よし、今日は休みだから大社にでも寄っていこう!!桜も早いものは咲き出したし…花の香りは人の心を豊にしてくれるので大好きです!!街で突然出会う香りは、数々の想い出を蘇らせてくれます。最後に、この会を紹介してくれた大切な友人に感謝の言葉を送りたいとおもいます。ありがとう!!
                           三島市 T.H.
 訪問看護師として、在宅で医療ケア(看護ケア)を必要とする方々の所へ訪問して、仕事をしております。どんな方が対象かというと0才児~年令を問わず医療保険、介護保険に加入されいて、主治医の指示書を出して頂けるのが条件。65才以上、介護保険に加入、介護度を頂いている方が殆どです。病名としては脳梗塞後遺症、マヒがあり、リハビリも必要、高令で寝たきり、床ずれがある、老衰で寝たきり、終末ケア、癌の末期、残された命を住み慣れた家、そして家族と過ごす。様々な患者さんを訪問しています。…最近は訪問している自分もこういう時期が来るであろうと思い、少し淋しい気持ちになる事がありますが、仕事を始めてしまうとそんな事は忘れ、24時間ケイタイ電話を持ち、何時でも対応できるようにしています。
                           沼津市 M.K.

 昨年、函南町に引っ越ししてきました。おいしい水と空気、そして富士山、伊豆の山々、そんな中で毎日暮らせる幸せを噛み締めています。温暖な気候だけでなく住んでいる方々の温かさも素晴らしです。
 35才を過ぎた頃から、毎年何かひとつ新しいことにchallengeしようと決めました。何でもいいんです。自分の生活の中にそれまでなかったものを取り入れるのです。スキー、ワープロ、車、パン作り、水泳、電車通勤、司馬遼太郎の作品、パソコン、一輪車、通販、イタリア料理などなど…。昨年3月に仕事を辞め、専業主婦となった一年間でしたが、いろいろなところで、中高年の方々のpowerの凄さに驚かされました。私も何とか仲間入りをしたいと思っています。さて今年は何ができるかな。                       函南町 S.F.

 二年ほど前から約1アールほどの畑で野菜作りをしています。畑に行くときはすっかり農家のおばさんスタイルになり、周りの風景にすっぽりはまるようにします。
 育てている野菜は大根、ほうれん草、なす、ピーマンなどスーパーでは一袋百円ものばかりで形も悪いのですが、味だけは素晴らしい。「甘いね」というのが夕飯時の我が家の会話NO.1です。
 畑仕事をしてみて思うことは、野菜作りを10で表すと6が草取り、残り1ずつが耕したり種を蒔いたり支柱を立てたり収穫したりすることだなということです。
 消毒もしないので時々虫を育てているのかと思うこともありますが楽しく畑通いをしています。                           三島市 I.O.

2003年3月号

 NHKテレビ50周年ということで、NHKテレビを見ることが多い。かつて我が家にはTVというものがなく、子供たちは成長期にはずいぶんつらい思いをしたそうだが、私 たちはそれぞれに忙しく、また、教育上にもよくないなど勝手な判断をしてTVを置かなかった。ところが、三島に引っ越してきて(子供たちはすでにそれぞれの生活を始めていたので)まず居間にTVを据えた。 そして、この2週間かつて見たこともなかっ1970-80年代に放映されたシルクロードのさまざまな遺跡を見たのです。改めてTVの不思議な力に魅了され、すっかりTVファンなりました。けれどもTVは一方通 行なのですね。黙っていても画面が次から次へと変わってくれますから、見ている私は何も考えることがないのです。楽しいけど、ちょっぴり恐ろしいものだとも思いました。                               三島市 S.M.
 連日テレビはイラク情勢、北朝鮮情勢を伝えています。「戦争」という言葉は20世紀 のものだと思っていましたのに、人間はまたもやおろかな過ちを繰り返そうとしている のでしょうか?  過日、私はまったく個人的な思いつきから反戦を願う人達の署名を集めようと往復ハガキ100枚印刷してしまいました。友達から[ちょっと待てよ」言われてしまったのですが、私たちのこの会で平和について語り合う場を持ったり、反戦への声をあげることはできないのでしょうか。私たち一人一人は何の力もありませんが、思いだけは皆ふくらんでいるはずです。戦争を止めるために、私たちに出来ることは無いのでしょうか?             御殿場市 T. S
 Globalのお仲間に入れていただき、約10ヶ月。週1回の英会話クラスを楽しんでいる。 nativeの先生も興味深いけど、楽しみなのはクラスメートの方々。私も含めてだが、英語 のおしゃべりは、その人となりがうかがえて楽しい。一つの話題でこんなにも笑えるもの なんだ!ということを改めて教えてくれるあの方。(私の大先輩だ!)マニアックな単語をポンポン口に出すあの方。(一度じっくり勉強方を聞いてみたい)jokeのテンポが速すぎて私には着いていけないあの方。(合いの手を入れようと思ったら、もう他の話題に移っている)他にも私の好奇心をそそり、かつ人生のお手本にすべきか方々がたくさんいる。 私は今Globalにハマっている。最後に関係ないが私の好きな一言。 "The only way to have a friend is to be one. " Ralph Walda Emerson                                           三島市 Y. M..
 テキパキという掛け声がいつも耳元で囁いていた生活にキリをつけ、2002年から自由なアットランダムのスケジュールで過ごしています。ゆったりと落ち着いたペースにしようと、左手で箸、字の練習中です。  最近の出来事から。家族ぐるみでお付き合いしていた友人が肺炎で亡くなりました。48歳でした。生き物として死は必ずあり、明日生きているかどうか分からないという普段の思いとは別 に、年齢的にそれは現実として目前にある事。限られた時間の過ごし方を問う時期に入っているのを実感している今日この頃です。        函南町 Y. T.
 昨年の6月後半以来、すっかり体調をくずしてしまいました。娘一家が海外に赴任して からの寂しさ?「ほっ」とするやら、相変わらずの週末の埼玉入間への往復お稽古、講習、病院通 い、引越し等、諸々(年齢のことも)で超多忙がたったのでしょう。夫が退職したらお湯のやさしい温泉にゆったりと、そしてお正月は孫に会いにバルセロナにて迎えるつもりが、すべてかなわずじまい。やっと2月に入って少しづつ不安感もなくなり元気を取り戻しつつあります。花の咲くく頃には大河くん(孫の名前)に会いに行けるよう、いや、絶対に行くつもりです。                                       裾野市 Y. T.
 両親の介護でここ数年守りに徹した生活を送っています。 我が家は要介護者を2人抱えて手代わりがないのが現実。 やがて行くわが身の振り方を今まさに学んでいる毎日です。
 人並みに行き詰まりや危機に直面することはありますが、今まで趣味やボランティアで引き出しを増やしてきたことが心の支えになっていることに気づきました。
 何と言っても介護は独りで頑張り過ぎないのがコツ。
サービスを上手に利用し、「あぁ良い人生だったなー」と思えるような生活を心がけていきたいものです。
                           三島市 M.H.
 アマチュアもの書きオバサンの「若草の会」というのを、4分の1世紀と3年やってます。今会員25人ですが、このごろオジサンも7、8人いるせいか、社会的な視野の広いものもあります。文学の匂いのするものから、楽しいもの、主婦のつぶやきに至るまで、短編・随筆・詩・短歌・旅行記・感想の形で、なんでも自由に書けます。ワープロやパソコンのフロッピーに入れて送ってもらい、隔月に100頁内外の本を郵送し、その合評会を毎回していますが、これがまた楽しいです。グローバルは個性的な女性の宝庫ですよね。Please join our amateur writers group WAKAKUSA.
T&F 055-986-8177
E-mail:yoko-aki@infoweb.ne.jp
 関心のある方には、266号(木立の向こうを牧歌的な馬車の行くカットのある表紙。ちょうど100ページ)を at free でお送りします。             長泉町 秋元 陽子
 去年の春と秋、2回に分けて「四国八十八ヶ所巡り」に妻と行ってきました。朝早く、マイクロバスに乗り込み、富士川サービスエリアでもう1台のマイクロバスと合流。東名、名神、明石海峡大橋を走って徳島県に入り、第一番札所「霊山寺」からお参りを開始しました。
 お参りは、まず本堂で、当番がローソクと線香を上げ、各自がお賽銭を上げ、お札を納めた後、全員で声を合わせて「般若心経」を唱えます。次に、太子堂でも同様にして「光明真言」「御宝号」「回向」を唱える、というやり方で、二人とも戸惑いながらもだんだん慣れていきました。
 苦行の場と言われる山上の寺や、次の寺まで数十キロという道程を徒歩で巡拝している人を見ると、自分はこんな楽をして、春は桜、秋は紅葉を愛でながらの巡拝でいいのか、という想いが頭をよぎりましたが、妻と共に八十八ヶ所全部のお寺を参拝できて、最後に高野山・奥の院で弘法大師にお礼のお参りが出来た時、達成感、満足感と共に、健康で生きている事に感謝の気持を感じました。                         三島市 T.O.

2003年2月号

 昨年11月3日に長男が結婚して、それまで何かとバタバタしていましたが、ほっと一息といったところです。 今年のお正月には2人揃って年始に帰ってきました。 男の子ばかりの我が家では、お嫁さんと一緒の三ヶ日が いつもより華やいで、新しい年をより感じたお正月でした。 今はまたいつもの生活に戻って何か「ほっと」と「さみしさ」 が入り混じった感じがしています。 三島市 A.I.
 中伊豆のワイナリーに、バスと電車を乗り継いで出かけた。修善寺駅前からバスで15分。1階の無料テイスティングのカウンター前は、すでに観光バスの客でごったがえし ていた。隙間を見つけて滑り込み、一番高そうなやつを2種類頼んで味見をしたが、どうもいただけない。そこで、2階の有料テイスティングを試すことにする。ここは、千円~三千円の3コースがあり、グラス3杯まで試せる。二千円のコースにトライ。“マイナー”の白。白のわりにはコクがある。“シルバー”の赤。喉越しの香りが、松脂のようだ。“ジョーダン”の赤。香りもいいしコクもある。そのとき、フト、1万円のラベルのついたボトルに目が留まった。口にできるチャンスは滅多にないと思うと無性に試してみたくなる。グラスで1300円。銘柄は“レガシー”の赤。香りがイイ。洗練されていて一口含めば、「今までのは、何だったの?」と思うくらいスッキリしていて雑味が無く、それでいてコクがあり、まるでワインの蒸留酒だ。美味しいのを飲むとついそれが欲しくなる。1階の売店で2本ほどお土産に買った。ワインでほてった体を2階の喫茶室で休めることにした。天気は快晴、目の下にはブドウ畑が広がり、前方には富士山が何物にもじゃまされずに雪をいただいた姿を惜しげも無く見せている。今日のお出掛けは成功だ。
                            三島市 K.O.
 今年、85歳になるS先生(女性)は、毎朝目がさめると、きょう新しい自分が生まれたと思うそうである。そして目が見え、耳が聞こえ、すでに歩けることに感謝し、自分自身をほめおだてるそうである。絵を描けば、こんなに上手に描けると自分をほめてあげる。一方で、足が言うことを聞かない時は、「しっかりせい」と足を叱咤する。彼女の腹筋がすごい。手を使わず、何回でも軽々と仰向けから上体を起こす事ができるのである。「訓練したわけではないけど自分でも不思議」とおっしゃる。  彼女の描く絵は、いつもエネルギーがあふれ出ている。躍動している人物の一瞬を見事にとらえ、勢いのある筆線によって生きいきと描かれている。観る側は、そのエネル ギーのお裾分けに預かる事が出来るのである。  先生との楽しい会話は、固定観念に縛られない柔軟な発想や新鮮な気持ち、感動を受け取る心の受け皿のありようを、私におしえてくれる。まだまだずうっとお元気でいて ほしいと願っている。                                         長泉町 O.M.
 朝ラジオ体操に参加するようになって2回目の冬になりました。夜型だった私には体育館までの道程は新しい発見がいっぱいで、日毎に変わる夜明けの変化、道野辺の植物の営み、小鳥たちの目覚め、そして先輩たちとの語らいに励まされて続いています。  今は、紫紺色の空に輝く星や月の軌道の変化に「私も天体の回転と共にいる!」と実感したり、冬木立と家並みにぽつぽつと灯る窓の明かりが藤城清治の影絵の中を歩いているような気分にしてくれます。  もうじき鳥たちが元気に目覚めて活動を始める夜明けが共有できるでしょう。そして去年、沢地川で巡り合ったカワセミの夫婦と再会できるか楽しみにしています。 最近読んだ本 三宮麻由子著「鳥が教えてくれた空」NHKライブラリー                                           三島市 M.O.
 私には俗に言う“ハマっている”物がない。飽きっぽいのだ。でもそんな私が唯一続けている事がある。それは語学。もともと語学関係の仕事をしているので、これを趣味 とか“ハマる”と表現することは烏滸がましいし、寂しくもあるので、そうとは言いませんが。昨秋13年振りにTOEICに挑戦。日常生活にはない異常な緊張感と苛酷なと も言える集中力が要求され、終了と同時にヘトヘト。日頃いかにダラけた生活を送っているかと再認識した。NHK英会話講師の杉田敏先生は「語学上達の為にはcomfort zone(快適帯・安全帯)を離れる必要がある」とおっしゃっている。なるほどと頷く。今年はダラけた生活(=my comfort zone)を少し抜け出すつもりだ。         三島市 E.A.
*TOEIC 国際コミュニケーション英語能力テスト
 御殿場市で行なわれている「スペイン語・ポルトガル語による生活相談」のお手伝いを始めてからもう7年が経ちました。私のスペイン語など何の役にもたっていないのですが、いつも心がけていることは、もしも日本人が彼らの国で困っていたら、私が日本で彼らにお手伝いしているのと同じようにしてもらえたら嬉しいという思いです。相談に来る人たちの姿から「人はどんな国へ行ってもそこの人たちと交流すれば生きていける」ということを学び、いつもそれを日本の若い人たちに伝えたいなと思っています。 ボランティアは自分のためにしているというのが私の考えですが、一緒に相談しているセニョーラにもたくさん感謝しています。                     御殿場市 M.S.
 御殿場市で行なわれている「スペイン語・ポルトガル語による生活相談」のお手伝いを始めてからもう7年が経ちました。私のスペイン語など何の役にもたっていないのですが、いつも心がけていることは、もしも日本人が彼らの国で困っていたら、私が日本で彼らにお手伝いしているのと同じようにしてもらえたら嬉しいという思いです。相談に来る人たちの姿から「人はどんな国へ行ってもそこの人たちと交流すれば生きていける」ということを学び、いつもそれを日本の若い人たちに伝えたいなと思っています。 ボランティアは自分のためにしているというのが私の考えですが、一緒に相談しているセニョーラにもたくさん感謝しています。                     御殿場市 M.S.

2003年1月号

 12月に入り地球上のあちらこちらから届くクリスマスカードに友の近況を知り幸せを喜ぶ季節になった。 20年間、クリスマスの挨拶を交わしている仲間たちがいる。アメリカでの生活で一緒に子育てを楽しんだ仲間たちだ。毎週水曜日の午前中にパサデイナ市のグランパークという公園で子供たちを遊ばせながら、お茶と手作りのお菓子を持ち寄ってお国訛りの英語でおしゃべりを楽しんだ。私もまだ歩き始めたばかりの長男を連れて参加していた。  お互い同じような年頃の子を持ち異国で出会った家族の近況を一年に一度知らせ合ってきたが、3、4年前からちょっと様子が違ってきた。子供たちが大学生や社会人になったりして家から巣立ち、家族の集合写 真が撮れないという。そして、昨年の炭素菌事件では、カードではなくメールでのクリスマスカード交換となった。印刷をしてみたが、家の中に飾るカードではないので淋しいし、個性のある手書きの文字でないゴシック体ではほんとに味気がない。そういう私も早いし便利だしとメールにはメールでと近況を書いて送ったが、今年はやっぱりカードを送ろうとJapanese tasteのカードを買って筆ペンで書き始めたところだ。そしてきれいな日本の切手を貼ってポストに入れよう。                              長泉町 H.S.
「癌センターボランティアに参加して」
 9月より長泉町に開院した県立癌センターで、ボランティアとして関わっています。開院前の8回の研修を終了した73名がボランティアとして登録し、活動を始めました。東部地区の人が多い中で、靜岡から月に何回か通 ってくるひとも何人かいます。まだまだ研修途中のような状態ですが、それでも患者さんや家族の方との関わりの中で、少しずつ私たちの活動も認知され、活動も病床訪問など広がりを見せています。 公立病院としては、開院当初からのボランティア受け入れ・・・という先駆的な試みのようですが、病院スタッフだけでは受け入れきれない心の「癒し」の部分を、ボランティアが少しでも援助できるようになればと考えています。 今後もボランティア研修の募集があると思います。関心のある方は参加して下さい。                           三島市 R.N.
 三島のコミュニティラジオ局”エフエムボイスキュー”のパーソナリティ(と名乗るのはおこがましく、恥ずしいのですが)を務めています。早いもので開局して6年目になりました。番組の中で、地域のお店の紹介やゲストをお招きしてのインタヴューなどありますので、お店の情報や活躍しておられる方の情報をお寄せください。よろしくお願いいたします。  今年の秋には思いがけずグローバルのメンバーと共にルーマニアへ行き、メンバーの方たちの気持ちのやさしさ、人柄の良さに救われ、何よりも笑いの絶えないその明るさは、圧巻でした。今後とも末永くよろしくお願いします。                                            裾野市 T.S.
 次男の嫁が行き深い山形の実家で帰省出産。  孫の誕生を祝うため、タイヤをスタッドレスに替え、チェーンを用意して出向きました。12月7日 その日の山形は久しぶりに、お日様が顔を見せてくれたということで晴天の1日。  母子ともに元気な様子に安心、感激したところに、修善寺から「近所の人が突然亡くなった。」という連絡。速攻で高速にのり帰宅。帰宅したとたん東京あたりはめづらしい12月の大雪 人の営みは大きな自然の中のささやかな出来事課も知れないけれど、それでも大切に愛しく思いたいと感じているしだいです。                   修繕寺町 S.I.
 こんにちは!!! 皆様、お元気でお過ごしの事と思います。読んでいただきたい本に出会ったので、お便りします。18年にわたってアフガニスタンで支援活動うを続けている「ペシャワール会」の医師、中村哲さん(55)が去年12月に京都で行った講演の記録です。朝日新聞の天声人語に紹介されたので、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、とても感動しました。”読み始めたら止めらない楽しく分かりやすい哲学書”(駄 洒落ではありません?!)だと思います。もし興味のある方は水野さんが持っていらっしゃので借りて読んでみて下さい。  ご自分でお買い求めになりたい方は「ピースウォーク京都」に郵便振替口座(00990-7-54965)で700円(1冊分)送金なされば本がお手元に届きます。 (詳しくはHP [http://www1.odn.ne.jp/~ceq25780/pw.htm]をご覧ください。)         三島市 Y.K.
 11月半ばから12月初め、晩秋から初冬のこの季節が私は1番好き。庭の苔が1年で1番美しくなるし、つわぶきの黄も一段と冴える。夜も長い。読書もいいが音楽もいい。5年に1度のショパンコンクール、西暦2000年の優勝者は中国人初のユンディリ。その風貌が好みでないと、とんでもない理由でCDを買わないできたが、ある時、BSで見て、大げさでない自然な演奏スタイルとその音色に魅了された。ドイツグラモフォンから出ている「ショパンリサイタル」のCDはお薦め。ショパン特有の多湯多雨酔うな上官と、宝石を転がしたような一粒一粒の音色の美しさ、タッチの正確さ、鋭さ。これはたまらない。                                  韮山町 H.Y.
モロッコ 旅心へのいざないは映画「カサブランカ」などを通してのイメージと、中世紀前のベルベル王朝がイベリア半島までを席捲し、スペインのグラダナには壮麗なアブハンブラ海峡宮殿を残しているなど、ベルベル人回教国・モロッコの異色文化への興味からだった。  エールフランス航空でパリ・オルリ空港経由でマラケッシュに着く。 美しい王宮、高さ64メートルのミナレット(尖塔)のあるクゥトゥビーヤモスクと、緑鮮やかなオリーブと糸杉の木々の庭園を見て、メディナ(旧市街)の中心ジェマ・エル・フナ広場へ行く。上のカフェからハッカティーを喫しながら見るお祭り広場の大道芸や物売りの雑踏は、世界一有名で眺めていて見飽きない。  カサブランカはフランス人植民地時代よりの商都で、迷路のようなカスバ、メディンアには銅や真鍮細工物、革製品、色美しい絨毯(じゅうたん)をつるした店が並び、通 貨は1米ドルに対し8ディルハムだった。市街は欧風系な白い高級住宅が大西洋を背に続き、メディナの住民との貧富の差を印象的に感じる。  翌日は政治の中心、首都ラバとへ向かう。モザイクタイルも美しいハッサン一世の廟やハッサン五世の王宮など市内観光する。ホテルは5ツ星のツァーハッサン。クラシックで豪華なホテルだ。夕食はシシカバブを中心に盛りだくさん。ショーはベリーダンス。三味線に似たゲンブリやカマンジェの弾き語りは哀愁に満ちていて旅情を深める。                                              三島市 M.S.
  90歳のウェディングドレス
 まだまだ元気、明治生まれの義母に、ウエディングドレスを着せて‥‥みたい!!
 途中同居して早や10年、津軽弁もいつの間にか静岡弁になり、すっかり伊豆の人になった義母と私達夫婦を東京と川崎の義姉が熱海のホテルに招いてくれた。 そのホテルでのこと、大ぜいの泊まり客のご婦人方がそれは素敵なウエディングドレ スを身につけウロウロしている。これは、いったい何‥‥? 
 “旅の思い出に、ウエディングドレスを“ なんと、レンタルドレスでの写真撮影の順番待ちだったのだ。100着以上?とにかく、数多いドレスの中から自分の気に入ったものを着て頭にはティアラ、首にはダイヤモンドのネックレス、イヤリング、ブーケ、ロング手袋、靴まで‥‥全て揃って2000円(^^♪(^^♪“ これは90歳の記念に義母にピッタリ‥‥。
 迷う義母に”私たちもトライするから‥‥と説得“ お酒が入って、夫が寝ている間に女4人大変身。衣装選び、着付け、撮影、たいへんだったけれど‥‥トニカクほんとに楽しかった。
 翌日、写真を手にした義母は、自分のウエディングドレス姿に大満足、額に入れて飾っている。ちなみに、義母は卒寿祝い、義姉は、還暦祝い、私は結婚30周年記念に良い思い出になった.
P.S I showed it to my English classmates. So, almost all of them wanted to try it.
I’ll recommend it too. Let’s try everyone.
                              函南町 S.I.

2002年12月号

 ボランテイアとして色々活動参加させて頂いたグラウンドワークの10周年の記念行事が終り、ホットしている間に、もう11月の半ば。お陰様で、今年も一年が過ぎるのが早く感じています。  それにしても、10周年誌に御手伝い頂いたグロバール参加の女性陣のパワーには、ただただ頭の下がる思いです。いつも圧倒され、仕事中、先ず休憩を要求するのは、私でした。これもあれもと感謝しています。
ありがとう!                        三島市川原ケ谷住人 YK
 秋色雑感:今年もあと僅かとなった。1年を振返ると腹立つ事ばかり。不良債券に明けて未だ実行不能。バブルを作ったのが政治なら、その後始末をすべき。10年余り中央官僚と共に逃げ廻り、従来の権限死守、全く危機感がない。勇断を以て実行あるのみ。長年の腐敗したシステムを変えるのに犠牲を恐れていては駄目だ。隣のコリアは思い切って金融システムを変えるに成功したではないか。どうして、日本に出来ないのか。早く長老議員に引退してもらい、若手に登場してもらってはどうか。等々色々考えると血圧が上がる。                      三島市 T.O.
 もう一度行きたいと思っていたプラハの街が泥水の中に沈んでいる映像を見て、鎖橋の上でヴァイオリンを弾いていたおじいさんはどうしているだろう、橋の袂のレストランはどうなったろう、無事でいてほしいと願った。そんな私は、日本の文化の一つである陶芸の窯元の唐津、鍋島(御庭焼・今右衛門)、柿右衛門を巡り、高嶺の花をたくさん見、今右衛門からは直接苦労話を聞き、柿右衛門の工房を見学するなど、心豊かなぜいたくを楽しんできた。心の財産がふえた感じがし、もう一度行きたい所がまたふえた。ともあれ元気なうちが花と、次はどこへ行けるか、小さな頭を悩ませている今日この頃です。
                             三島市 E.G.
 江本勝の「水は答えを知っている」を紹介したいと思います。三年前にベストセラーとなった写真集「水から」にその後の作者の伝えたいことも書き加えられた本です。水は氷結すると結晶を見せますが、水の状態の時に、様々な状況 ―水道水だったら?音楽をきかせたら?ことばを書いた文字や風景写真をみせたら?― と、その結果様々な姿を見せます。印象深かったのは、どの国の文字でも「愛・感謝」は、殆ど完璧な、形と美しい結晶を結び、反対に“むかつく”“殺す”“バカ”、強制的なことばでは、形が崩れたり、結晶を結んでいないことです。対象にそのまま反応するかのような結晶 ―「本来とは?」「真実とは?」― と感じ、思いました。不思議さと共に、何か厳粛な気持ちを覚えた一冊です。
                              函南町 S.M.
 今回は私の従姉妹のSさんについて書きました。Sさんは柿農家の主婦です。今は収穫の農繁期、広大な畑に数え切れないほどの柿の木。たわわに実っています。収穫後は肥料を与え、剪定、消毒と私たちの知らない仕事が冬に向かって待っているそうです。新しい種にもチャレンジし品評会では金賞、銀賞をいただくとのこと、感銘いたしました。Sさんは婚家で初めて農業に従事し、最初はとても務まらないので離婚まで考えたそうですが、思い止まり、現在にいたっているとのこと。<石の上にも3年>という諺に思いをはせ私自身を見つめ直したいと思いました。        沼津市 T.S.
 先日、「もみじ湖」という名前に惹かれて出かけてみた。まだ、若木であと4~5年先になるだろう。しかし、途中でバスから見た、八ヶ岳、アルプスの眺望は素晴らしいものでした。帰りにリンゴ園に立ち寄り秋の味覚をいただいた。やはり旅行は天気のよいのが一番ですね。   三島市 K.N.
 5月NATO(北大西洋条約機構)関係会議に出席の夫に同行して、ブルガリアのソフィアを訪問。NATOの行事は参加各国の方々とも交流し、また同時期、法皇パウロ2世も同国を訪問中で厳戒の中、私も法皇歓迎会に出席。空港で福山でのバラ祭りからの帰りという、ブルガリアの昨年のバラの女王と同行の女学生に「日本の方ですか」ときれいな日本語で話しかけられた。学校での日本語学習の様子を聞く場面も。
 10月23日、日韓女性親善協会の総会が常陸宮華子様をお迎えして開催された。前夜は韓国からのお客様のウエルカムパーティ。また、同夜は、ハンガリー大使館での、ハンガリー国家記念日前夜祭として、本国よりヤーノシュ・シェベシュチン氏を迎えたピアノリサイタル。「さくらさくら」と宮城道雄作曲「春の海」のテーマによる即興演奏もプログラムにおり込まれていた。各国の在日のお客様と懇親、25日には日韓のフェアウエルのバス旅行。富士山に感激(忍野八海と美術館めぐり)。
 11月9日、静岡のアザレアでの3回シリーズ「これでいいの?日本の選挙制度」第2回。11日、防大卒業のタイの留学生の10年後のホームカミングの行事に合わせて、例年の懇親会主催。また、10月には東京都内での11カ国参加の初の国際観艦式と茨城県百里基地での航空観閲式に出席。  静岡市 T.S.

パソコンとデジカメで遊んでいます。
 子供が学生時代に買ったデジカメを2年ほど前にもらいました。
 草花、鳥、蝶などや、珍しい物がすきな私はどこにでも持ち歩いています。最近の写真は、通勤途中の、沼津市東郷の国道沿いの懸崖を作っているお宅で、入り口はアーチ型の赤、白、黄色の菊の門、奥の二階の軒下まで届く扇型で下から白、赤、黄色の菊の集合です。写真で見て頂けないのが残念です。1年間のご苦労が偲ばれます。
 写真をパソコンに取り入れて、調整や、加工をして楽しんでいます。昨年は年賀状に使いました。たくさんの写真もCD-Rに移せばびっくりする枚数が保存できます。時々不思議に思えてなりません。
 パソコンは、奥が深いので、楽しみながら、挑戦していきたいと思います。デジカメとパソコンは、私のおもちゃのような気もします。                 伊豆長岡町 H.H.

2002年11月号

 ♪初秋のルーマニア、モスクワに行ってきた。美しい風景を観ながら私は1990年にモスクワで行なわれた「チャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門」で優勝した諏訪内晶子さんの話を思い出していた。 当時、私の実家は彼女の家とお隣同士だった。コンクールに同行したお母さんは、「ホテルに滞在中、一番苦労したのは、晶子の明日のパンを確保することでした」。 彼女も優勝後のインタビューで「夢でケーキを買いに行き、ロシア語が出なくて・・」と語るほど食糧事情が悪いモスクワだった。 あれからたったの12年・・・。私はモスクワの5つ星ホテルのダイニングにいる。豪華に飾られたありとあらゆる種類の朝食。オムレツを焼くシェフまでもが待機。 だが、こんなところで食事が出来るのは限られた外国人ばかり。 モスクワ市民の大半は自分の持っている物を売り食いするほど貧しいとの話。 暮らしが豊かになれば、人々から自然に笑顔が出るだろう。           三島市 A.S.
 ☆10月の3連休は、秋晴れのすがすがしい天気に恵まれた。その1日を中学時代の友人達6人と都心のウォーキングを楽しんだ。東京駅を出発し、小学校の修学旅行以来という二重橋から桜で名高い、千鳥が淵、東京オリンピックの武道館、毎年閣僚参拝で話題になる靖国神社、三島由紀夫を思い起こす市ヶ谷、赤坂は悲惨なホテル火災を戒めたニュージャパン跡、昼食は日枝神社の近くキャピトル東急ホテル。隣席にテレビで見た顔に出会う。新装なった首相官邸横を通 り赤坂見附から青山1丁目へ。絵画館前の銀杏並木では黄葉の頃を想像し、Jリーグサッカーで沸く国立競技場を通 り、たくさんの人々がくつろぐ新宿御苑、そして終点、新宿駅というこのコースは都心を歩いていることを忘れるくらい緑の多い楽しいコースだった。桜の咲いたころもう一度歩いてみたいと思う。        三島市 K.N.
 一年前LINKリンクで佐々木文子さんの記事を読み、急に室内犬が欲しくなりました。数日後には、インターネットで子犬情報を入手、10月末にはかわいいヨークシャテリアのオスが我が家にやってきたのです。それからというもの、Gammyとなづけた子犬にかかりっきりで、当初数カ月は、買い物も急いですませ、帰宅を急ぐ生活をしていました。
 ペットショップには、あらゆる種類の便利グッズが所狭しと並べられ、「食後にはハブラシをしてやらないと、歯石がつき、早くはがぬけるよ。」と、犬好きの友人に言われると、「エーそこまでやるのー?」と疑問に思いながらも、ついお犬さまのグッズに手をだしてしまう私。生後1年が過ぎ、益々利口になり、人懐っこくじゃれあい尻尾を振って喜びをあらわし、私達を活気づけてくれ、今では夫婦の会話の中心はいつもJammyです。小さな子供がいるようで、本当に大変なのですが、癒し効果は絶大なものがあります。
 実は、子犬を飼うと決めた同時期に私は慢性腎炎の宣告を受け、たんぱく質・塩分を極端に控えた食事療法をするようになりました。外出・外食を控え、Gammyの世話に没頭する事で気を紛らわせていたのです。今では、当初の悲壮感もどこへやら、主治医には内緒で、月に数回はレストランで美味しいものを食べたり、買い物に遠出したりしています。
                                 函南町 H.S.
 つい先日、その昔勤めていた仲間とのゴルフ会がありました。東京を去ってからしばらくゴルフ会にもご無沙汰していたのだが「是非出て来い」との誘いにのってしまった。そこで驚いた、あの友、あの後輩のなんと老けた顔……。現実には私もあのようなのかと愕然ととした。その上、わずか数カ月早いだけでも私が最長老と云われた時、浦島太郎の心境であった。ゴルフの成績94、ハンデキャップは仲間ルールで2。第3位賞を戴いた。                       三島市 T.T.

 この秋、長男が結婚して、これで子供達二人とも家庭を持ち、独立した事になりました。なんとなく肩の荷を下ろした気持ちです。
 さて、これからはせっかく買ったパソコンをかざりものにしないように少しづつふえたメール友達を大切に楽しみたいと思っています。忘れてしまった年賀状作りに今年も一からやり直しです。あいかわらず下手なマンドリンもガンバッテいます。                三島市 S.T.

 白い巨塔、不毛地帯、二つの祖国(NHKドラマ大地の子)山崎豊子が好き。今、沈まぬ太陽(一)、(二)アフリカ篇を読み終えた。1960年代、華やかな航空会社の裏側で、安全を忘れた野望の世界。主人公は会社との熾烈な闘いに敗れ、理不尽な左遷により中近東のパキスタン、イラン、アフリカのケニアへたらい回しに。
 私にとって、これら未知の国々の日本とあまりにも違いすぎる生活と、大企業の恐ろしさに驚くばかり。続く御巣鷹山篇、会長篇が早く読みたい。              三島市 M.I.
 昨年4月某大学通信教育課程教育学部3年に編入しました。この1年レポートを書いて書いて書きまくり、お陰さまで教育実習の段階になり毎日母校の小学校に通っています。ところが事件は実習3日目に起こりました。ついに云われたのです。1年生のSちゃんに「先生っておばあちゃんに似てる」って。もうパニック。人生最大(?)のパニックです。心の中で大泣きしながらSちゃんに聞きました。「どこが似てるの?」と。そしたら「髪の形が同じなの」って。なんとか立ち直りました。…この様なこともあり、親切な先生方に囲まれ(チョット朝が早いけど)楽しい実習を続けています。                                              修善寺町 M.S.
2002年10月号
          カスピ海ヨーグルト
  最近テレビや雑誌で話題になったカスピ海ヨーグルトを私は3年ほど前から食べている。一度失敗(?)したので別 の友人から又戴いた。 日本のヨーグルトと比べると、酸味が少なく粘り気が強く免疫力があるとの事でとろりとしている。作り方が 大変簡単で、市販の牛乳に出来ているヨーグルトを加えるだけで濃厚牛乳、低脂肪牛乳と好みの牛乳で出来る のである。 毎年内視鏡を使って大腸のポリープを採っていた友人ご夫妻が、私から行ったヨーグルトを半年間食べて検査 に行った所、毎年あったポリープが今年は一つもなく、大変感謝された。 私の健康の源はこのヨーグルトと毎朝作る野菜ジュースである。 このヨーグルトをご希望の方には差し上げます。        裾野市 K.Y.
 初夏にピンクの美しい花を見たいと庭の水瓶に蓮を植え込みました。 春先には水中の発芽を喜び立夏の頃水面 から水緑の丸葉が立ち始め花芽はと水中をのぞきこむ毎日。とある日水中に何やらうごめく無数の小さな物体。ななんとボウフラの大発生です。誰かが言っていた「ボウフラにはメダカよ」を思い出しメダカを離しました。翌朝の瓶の中、ボウフラは一匹も見当たらずお腹の膨れた10匹のメダカが泳ぎ回っていました。この小さな大食漢たちには驚かされました。 期待していた蓮の花は日光不足か見られませんでしたが、10匹のメダカは今はかわ いいマイペット。赤ちゃんも生まれ 近づくとエサかと寄って来る。 時のたつのも忘れ見入ってしまうかわいさです。   三島市 K.Y.
 8/25「ウオークぶらり~新お江戸版」に参加させていただき久しぶりにGIAの皆さまにお会いできて楽しい時を過ごせました。ありがとうござ いました。
  9月は防災月間のため職場で防災訓練が実施され私は心配蘇生法の実演を命ぜられました。「こまった どうしよう」なぜって2年まえに受けた講習全部忘れてしまってい たんです。残っているのはテキストだけ。思いあぐね、すがる思いで三島消防署に事情を話しお願いしてみましたところ、 いいですよ、と快い返事をいただき、わたしただ一人の為に心配蘇生法を教えていた だきました。 とても詳しくていねいな説明でわかりやすく、自信が持て当日は満点の実演だったことは言うまでもありません。(本人が思っているだけか も) 消防署員さんに感謝。                    三島市 K.S.
 お盆休みに実家へ帰った時、妹夫婦たちと鳥取県の大山(だいせん)に登りました。日頃あまり運動をしていないのでゆっくり登っていきましたが、苦しくなって何度目かの休憩を取っていたら、後ろから「はいお待たせしました!!さあ行きましょう」と元気な男の人の声がしました。見ると知らない人でしたが、あまりの勢いに押されて一緒に歩きました。私たちと同じくらいの年齢の方で、年に百回以上は登山をされているそうで、大山には今年になってもう四回も登ったそうで、冬には遭難者の救助に当たったこともあるとの事。山のことやお花の名前を教えてもらったりして、今までの苦しさがうそのように楽になり、頂上までいけました。楽しくて不思議な出会いでした。 三島市 T.S.
 私にとっては何も変わった事もなく、夏が過ぎました。ただ、きれいなピンクのクレマチスの挿し木が、やっと何度かの挑戦の後、ついたようです。駿河平にクレマチスの丘もできましたね。銀杏の葉が黄色になる頃にお出かけの時は、あの駿河平の坂の道をまっすぐ、ずっとずーっと上まで登って行って、つき当たったらそのまま降りて (下って)みて下さい。誰もいなくて静かで、銀杏が色づいて、映画のワンシーンの様です。私の好きな道の一つです。                              三島市 U
 私には小5の娘がいます。この娘が3歳の時より、三島おやこ劇場の会員になりました。おやこ劇場は、親と子で劇を見る会です。年に4回くらい観劇しています。会員の意見を取り入れながら、次年度観劇する作品を決定します。舞台の上で演じたり歌ったり踊ったりする役者さんを目の前にすると、感動が伝わってきます。テレビやビデオからは得られない感動があります。月1人1200円で舞台が楽しめます。おやこ劇場は4才以上でしたらいくつまででも参加できます。親子でなくても祖父母と孫、おじおばと姪というような関係でも参加できます。あなたも子供たちと一緒に舞台を楽しんでみませんか?(連絡先:981-2761)                  三島市 T.T.
  みどり財団(Midori&Friends)
 かねてよりすばらしい活動をしているグローバルに憧れ、入れていただいてから、何の貢献もないまま2年が経とうとしています。そんな私に反し、音楽を媒介として素晴らしいボランティア活動を始めたプロバイオリニスト・「母と神童」という本でもしられている五嶋みどりさんに深く感動させられました。彼女はみどり財団を結成し、ニューヨークの貧しい地区の公立学校・病院を中心に無償でユニークなレクチャーコンサートを行なっています。それまで荒れていた学校が、芸術を通して見事によみが
えったのです。生徒の学力も生活態度も向上したのです。彼女の活動に賛同する多くの音楽家が集まり、生徒たちは各自好きな楽器でプロの指導が受けられます。既成概念にとらわれない素晴らしい発想で、たった一人の日本人が多くの子供達を支えつづけているのです。
 社会に貢献できて、初めて社会人といえるかもしれませんね。
                         三島市 Y.T.
2002年8月号
 高校生の息子に「絶対に感動するから読んでみて」と強く勧められて読んだのが、「壬生義士伝」。私は始めて知ったのですが、この本は2000年度のベストセラーで、TVドラマ化もされたそうですからご存知の方も多いでしょう。新撰組の一隊員であった主人公、吉村寛一郎の生き方を通 して幕末の混乱期の様子が描かれています。いつの時代でも真剣な人間の生き方は人の心を動かします。とにかく泣きながら読みました。  作者浅田次郎はあまりにも読者の感動のつぼを押さえすぎているような気もしますが、ここは素直に、若者と同じように心を熱くして読んでみるのもいいと思います。(三島図書館にあります)                             三島市 M.M.
 ゆうゆうクラブ(静岡県主催の土日,小中学生対象の遊びや体験の講座)のEnjoy Englishをお手伝いして3年目。ALTと一緒に小学校高学年の子供たちに英語を教える、というより一緒に遊ぶ講座。ALTの一人、エスター(三島北高校)はイングランド出身でデボラ(伊豆中央高校)はスコットランド出身である。去年はイングランド出身と言っても子供たちはピンと来なかったようだが、今年は「ベッカムとハリーポッターの国」と言うと子供の目が輝いた。ワールドカップ効果 !半年間に渡って10回ほどなので英語や世界に興味を持つきっかけになればというのが、県や親の望むところだろうが、その後本当に英語をマスターするのは楽しんでばかりではできない、というのは日々の私の実感。英語は目的ではない、手段であって、そこから世界を学ぶということも、もう少し大きい子に教えたい。英語教育が「話せる英語」を目指すあまり、「内容のあるムズカシイ英語」敬遠になることを恐れる私である。                            三島市 Y.S.
 満60歳ですべての仕事から開放され、ボランティアのまねごとを始めて9年間。 金は無いけど時間は一杯ある。若い頃60歳まで生きられれば、十分と思っていたのに、9年もおまけの人生を過ごせた。しかも、世間のしがらみからも解放され、好き な事だけをしていれば良い。世の中が少しでも良くなればと願いながら。 人の幸せって何だろう。物質的に今の日本人は満ち足りていると思うのだが、景気がどうのと、なお何を求めたいのか私には分からない。もっと精神的なことを求める 事の方が大事なのではないのか。 いずれにしても、この世とおさらばする時に、家族や友人たちに、満ち足りた顔を してにっこりと「ありがとう」と言っていきたいと思っている。                                    三島市 福井善徳
 欧米5カ国12名の方々を2日間、三島のご案内をする機会を得た。賀茂村の宇久須小4年生他約20名の水辺学習のご案内もした。群馬県前橋市の市議会議員の方1名の視察のご案内もした。息子と共に、娘が留学中の中国湖南省岳陽市へ行って来た。広々とした寮での学生生活。授業参観までさせてもらった。帰国後、神奈川県海老名市からの視察者35名のご案内。その中に、以前私がご案内したリピーターが。
ざっと、この1カ月の国内外交流の一端をメモ。感謝の日々である。
                        三島市 Y.K
 小さな庭に、今年は大きな立派なアガパンサスの花が10本も咲きました。アガパンサス→カリフォルニア→グローバル(GIA)・・・私の頭の中では直線でつながり、なつかしい西海岸旅行を思い出しました。1986年6月会が結成されてわずか1年弱、だれからともなくアメリカに行きたい、ホームステイもしながら・・・。
 今もGIA事務局を背負って立つ面々の実行力故、即願いはかないました。 まだ子供にも手のかかる年令だったのに、それぞれの連れ合いもすばらしかったのです!!
 カリフォルニアの太陽のもと、あちこちに大きなアガパンサスの花が咲いていました。
「あーもっと旅行を続けたーい」と、飛行機の座席からなかなか立ち上がらなかったほどの思い出多い楽しい旅でした。
                        三島市 R.I
 子育て真っ最中!!今ハマっているというか、ハメラサレテルの方が正しいかも知れません。
 内孫3才の男児、もうすぐ1才の女児、外孫2才半の男児、1カ月の男児、「お母さん、今日午前中いいですか?」
予防接種、買物、検診、風邪等々、その間子守なんです。
言葉も覚え始めなので、私の自己流方言は使用禁止!!
「××したら」が、バッチリ娘に「お母さんの『××したら』を頻繁に使うわよ」と言われビックリ!
「拓ちゃん××しましょうか?」と改めなくてはネ
                        沼津市 M.A
 輸入雑貨・衣料 南来流より
貸し部屋「KINOKA HOUSE」のご紹介です
カントリーな雰囲気の中、現在エステ、オイルマッサージ
英会話、外国人への日本語指導等が行われています。
エステはマッサージで、日々の疲れを癒してきれいになるもよし楽しくレッスンもよし、自分の趣味をいかして何か講座をはじめるもよし
もちろんお友達同志のパーティーや、ちょっとした集まりの場所としてもご利用いただけます。
利用料金は A.M1000 円 P.M 2000円です。
どうぞお気軽にご連絡ください。    
南来流055-925-5511
                        沼津市 A.M.

2002年7月号

 「知っているようで知らない日本の神様と神社」  
  はるか昔は大きな木、巨岩に神は宿ると考えられていたようです。アニミズム(自然崇拝)です。自然の驚異を神様の働きと畏れ敬ったのでしょう。社殿が無かった時代には、神籠(ひもろぎ)と言って聖地に立つ常緑樹を神様がよりどころとしました。 神様が木を目印に降りてこられるようにです。今でも地鎮祭の時に大きな榊でつくります。  その後社殿を作る時代になって、自然物ではない御神体をお祀りするようになったのです。だから神社は滝の近くや大木の根元、河口といった、ちょっと日常と異なった神聖な場所に祀られていることが多いのです。        三島市 K.S
 先日、家族で集まった時、どんな稽古をしているかという話になり、「なぎなた」と「スペイン語」と言うと、姪が「えっ!なぎなたをスペイン語でするの?」 一同唖然。でも今は「英語で料理」なんてものもあるし・・・うーん、新しい発想かもしれない。 なぎなたは、古流で、型を覚えていくもの。袴姿が魅力です。 稽古場の平均年齢は70歳くらいでしょうか。70代、80代の先生方が、シャキッとした姿勢で指導してくださり、私も続けていれば、健全な高齢者になれるかしらと、なんとなく続いて5年目です。若い新人が増えないのでちょっと寂しいのが難ですが、若々しい老人めざして頑張っています。                三島市 Nanita
 2人の子供が巣たってポツンと残されたピアノ。私の小学校の頃はピアノのある家は数えるほどでした。小学5年の時、隣りにピアノの先生が嫁いで来て、私も習うことになり、やっとオルガンを買ってもらった。以来40年近くピアノを弾くこともなかったが、曲らしい曲をやらなかったので知っている曲を弾きたくてピアノを教えている友達に習い始めて、はや6年目になった。Nocturne(op.9). Prelude(op.28)が弾けるようになり今、月光の曲に取り組んでいる。少しずつではありますが不可能が可能になる時、とても嬉しくなります。これからもできる限り続けていきたいとおもっています。                           大仁町 M.S
 秋に静岡新聞社から発行される「湯ったり日帰り温泉」の取材に、最近まわっていました。頭はしばらく温泉モード。というわけで、男湯も女湯ものぞいてしまった私なりの県東部「日帰り温泉ベスト3」をここに紹介します。   1.大仙家(畑温泉)  3000円~のランチ付きは、女性好み   2.神代の湯(中伊豆) ミストサウナと、自然食の味がいい   3.ヘルシーパーク裾野 プールもあり富士山が迫力 ところで、プライベートではこの4月に娘が上京し、18年ぶりの夫婦2人暮らしとなりました。「たまには温泉も行かなくっちゃ」と、第1弾は熱川の波打ち際、露天風呂へ出かけたのですが‥‥                 三島市 arara
 “職業に貴賎なし”をモットーに、教職を退いてから、いろいろな職業にチャレンジしている私の先輩。数年前そうした職場での体験をエッセイに書いて見事受賞。読ませていただき、その面 白さに大感激。特に生活に困る訳でないが、自分の趣味と孫のお小遣いのためとか・・・ 75歳近い今でも、パチンコ店の清掃係を勤めている。一見ヤクザ風のお兄さん、子連れのヤンママ、パチプロ級のおかみさんなどなど、さまざまな客とのやり取りをコミカルに描いたエッセイで、またまた受賞。  あらゆるしがらみから脱却し、一人の自由な人間として生きている彼がまぶしい。                                    三島市 I.M.
         源氏物語
 千年の時を経ても、私たちを魅了してやまない源氏物語。その原文の講義を受け始めて一年になります。円地源氏、谷崎源氏、最近では寂聴源氏が大変な評判ですね。林望ことリンボウ先生も先日誌上で、いつかご自分の源氏物語をだしたいとおっしゃっていました。世界十大小説の一つとも言われて、全54帖。訳本を読むにもかなりのエネルギーがいりそうですが、少しでもその神髄にふれられたらとおもいます。
                        三島市 S.M   
「悪童日記」「二人の証拠」「第三の嘘」「昨日」
これらは、ハンガリー出身の女性亡命作家アゴタ・クリストフがフランス語で出版したものです。この春、三島図館蔵のこの4冊を、一週間に一冊ずつ一気によみました。
 異質な空気、空間、文化・・・・昔、サガン、カミユを読んだときのことをフッと思い出したりもします。訳者注が、第二次世界大戦中のヨーロッパを理解するのに役立ちました。
 特筆すべきは、余分な修飾を一切殺ぎ落としたその文体です。これは、俳句を作るときの姿勢に通 じるものがあると思います。
 「悪童日記」から順に読んでみてください。
                        三島市 N.O
 エコパ(静岡スタジアム)でワールドカップのボランティアをしていま~す。たくさんのインターナショナルな心の触れ合いに感激の連続です!世界は平和になれる要素に満ちていると、改めて確信しました。
                        三島市 Y.U.
 スルガ平に新しくできた、ヴァンジ庭園美術館のご紹介です。 ジュリアーノ・ヴァンジはミケランジェロの再来といわれ現代彫刻界で最も注目されている具象彫刻家です。ここにはヴァンジ芸術の全貌が展示され、富士山と駿河湾を望む丘陵地の庭園に配された作品も周囲の自然とあいまって素敵な雰囲気の中で散策を楽しめます。今はまだ途中ですが長泉の花でもあるクレカチスガーデンが秋頃には整備されると言うことで、庭園の一角で花を楽しみ、イタリアンレストラン(シェフは有名な日高良実氏)の味もなかなかです。来春には日本画家の木村圭吾さくら美術館(桜の絵で今年東京で個展)もオープンするそうですので、又一つ楽しみが増えますね。                                三島市 H.K


2002年6月号

2つのThanks
 昨年のある新年パーティーの時、オーストラリア人の英語教師から「友人がホームステイを受けてくれる家をさがしている」という話に、ワインの勢いも手伝い「よっしゃ」と応えてしまいました。そしてグローバルの水野さんたちの協力を得てLukeという青年は約1年間、何軒かの家を巡る「Floating home stay」を楽しく過ごせました。現在、コペンハーゲンで遺伝学の研究中です。
 先日、お寺に高校生1年の男の子と母親が訪ねて来ました。中3の時から不登校に苦しんでいた親子に、私がグローバルの通信で知った「リベラコース(NPO)」の教育フォーラムを紹介した結果、この4月には無事に高校進学して通学中という嬉しいニュースでした。        沼津市Soyo
 娘の一家がスペインのバルセロナ日本人学校に赴任。4月6日出発しました。2月には「入間三曲定期演奏会」の準備やお稽古に追われ、3月はお稽古に加えて娘一家のための支度、荷造り(船便、航空便等)いろいろな手続き、そして孫(大河)の面倒を見るなど、本当に分刻みの週末の入間市での日々。それまではお友だちやお弟子さんから「さみしくなりますね」と言われても、実感がありませんでしたのに・・・。
4月5日成田ホリディインに前泊。翌日12時30分パリ経由で娘一家は旅立ちました。大河は「じいじ、ばあばまた遊ぼうねバイバイ」。一家を見送り裾野に帰宅してからの、このさみしさ。大河のオモチャ、お箸、写真などを目にしては涙が出ます。あの愛くるしい仕草を思い出すとさみしさが一層募ります。時計を見ては朝な夕なにバルセロナ時間を思い今頃はどうしているかと思うこの気持ちは当分続きそうです。             裾野市 Y.T
         WONDERFUL DAY
It was Mother's Day the second Sunday in this month.
I was so glad and really surprised because I got very beautiful flower arrangement with short massage from my younger son the first time.
He lives in Kyushu now. He graduated from university in this March and just started working at a company from April.
As I have never gotten and thought such a present I was very impressed and cried for joy.
Then I took a picture this present.
I'll never forget this impression in my life.
                       Seiko Imaizumi
 我が家の“旬の音”を紹介します。津軽三味線Player『上妻宏光』さんです。ご存じですか?小澤征爾さんのNew Year's ConsertのCDと一緒に買いました。それ以来すっかり魅了され、Concertへも出掛け、益々Fanになりました。
以前から三味線は好きな楽器でしたが、彼が作曲したOriginal曲の演奏は、Synthesizer, Bass, DrumsとのSessionで、三味線の可能性と創造性を豊かに自由に表現しています。奏法のTechniqueも然る事ながらJazz, Blues, RockとGenreを超えたCollaborationが魅力的です。繊細でClearその上Pureな音色、打楽器を思わせる見事な撥さばき、心地好く聴いて、元気を貰っています。
                          清水町 K.I.
 会社勤めをしていた頃、上司の方に勧められ、山登りを始めたのはもう17~8年前。主人と共にいろいろな山に登ったものですが、子供の出産から中断していた登山。先日友人が「今年は家族でハイキングに行きたいワ!」という一言に私もふと子供を連れて登山を楽しめる年になったことに気付きました。登山をはじめるのに良い季節です。思い立った今、始めようと思います。とはいうものの私の体力がチョット心配・・・。まずはハイキングからでしょうか? 楽しみです。           沼津市 K
 今回の海外出張は成田から飛行機で2時間半の韓国。いまやワールドカップ開催を目前に国を挙げて活気だっている。人と車で溢れるソウルの中心地広場にはビルと市場、南大門、東大門が歴史を象徴し進化する経済と文化がしっかり共存する。今、アジアで1番熱い国と称されている事に頷いた。訳の判らないハングル文字と韓国語に首を傾げ日本語の通じないところではやっぱり万国共通語が唯一だった。もう一度英会話を頑張うかな!!とまた痛感した私でした。               沼津市 H.T
 「前年度末のお便り」に続いて「今年度初のお便り」 
前回、辻元清美議員を応援する文を書いた途端、あんな事(議員辞職)になってしまいぴっくり…。お金のない野党で頑張り、又私腹を杷やした訳ではないけれど、秘書問題については現行の法律では違反になるし、最初の会見では事実と違った事を言ったし…。政治家は普通の人以上に清廉潔白に生きるべきだと思うので、辞職はしょうがないのでしょうが、これを良い勉強と思い、再挑戦し、是非頑張ってほしいと思います。それにしても、彼女はもっと強いと思っていたのですが、随分衝撃を受けたようで痛々しいですね。それだけ純粋だと言えるのかもしれませんが。 
 今回の事は社民党が党ぐるみでやっていたと国民は分かっているので、本当なら土井党首も辞めるペきなのでしょうけれど(福嶋先生のおっしゃるように、そうすれぱ却って社民党が生き返るのでしょうが)現実には無理のようです。有事立法、個人情報保護法、人権擁護等、危ない法律がどんどん提出される今、社民党にはもっと頑張ってほしいと思いますが、少なくとも我々国民が諦めないで、これから日本をどうするべきか、学び考え、常に責任を持って政治に参加しなければいけないと思います。
 いい事もありました。「女性の憲法年連絡会」が出した意見広告「戦争のための『有事法制』私たちは許しません21世紀に輝け、日本国憲法9条」。また、スー・チー女史も解放されました。パレスチナ間題も非戦(オノ・ヨーコさんや坂本龍一さんの作った言葉…いい言葉ですよね?!)で解決出来るといいのに…。     三島市 Y. K.

2002年5月号

 グローバル会員に入会し、早12年目になりますでしょうか?一昨年は、一年間語学サロンを休み、昨年3月再びカムバックし行事にも会員の皆様と一緒に参加させていただいております。私も初めて外国に参りましたのはフランスに1ヶ月間姪の住まいに。ちょうど9年前になります。そして昨年の春ロンドン、パリにツアーにて娘と一緒に参りまして、又8月にはニューヨーク一人旅に。もし出発が1週間延期していればツインタワーの大惨事に遭遇し、帰国も危ういところだったと思いました。でも、コネチカット州に在住の従姉妹の家族、ニューヨーク五番街在住の節子さんたちと38年振りに再会出来て楽しいニューヨークのひと時を過ごす事が出来ました。私にとって収穫がありましたので、この4月17日再びカナダへちょっと一人旅と・・・。改めて、又何かを求めに行って参ります。
                      三島市 K.A.
 コレステロールが気になる歳となり、健康管理の為に、アクアビクスに通い 始めました。軽快な音楽と共に、インストラクターの号令と動きに合わせ、 一糸乱れず、全員が前後左右に跳ぶ様は見事です。 そこでハッと気がついたのですが、知らぬ間に、首の後ろと背中に余分なものが、しっかり付いているではないですか。 後姿は年齢が出ると言われています。これからは、適度な運動と、朝コップー杯の自家製野菜ジュースで、成人病の 予防に努めると共に、背中にも充分注意しながら生活して行こうと、思っています。
                     三島市 T.Y.
 60の手習いに、なにかやってみたいと思っていました。そんな時広報で、マンドリンをやってみませんかという記事をみつけて、経験、年齢不問というのをいい事に申し込みました。そして、一年半若い人にまじって三島学習センターで発表会に参加する事が出来ました。孫と競争で成長したいと思っています。グローバルの行事にもっと参加したいと思っています。
                     三島市 S.T.

2002年4月号

 3月6日に沼津イト-ヨ-カド-前に輸入雑貨・衣料「南来流」(なくる)をオープンしました。自分達の力で作りあげた店、環境にやさしい壁材などを使い素人の力でもこんなにすてきにできるんだってところを見て頂きたいです。「あんなにきたなかったところがこんなになるなんてす・ご・い!!」オープン初日に、顔を出してくれたグローバル会員の佐々木さん談デス。これまでのアジア雑貨に加え、アフリカや自分の出身地である沖縄の民芸品や食材なども入荷しさらに充実した品揃えになりました。
 天然素材の洋服や一点物も数多くあります。個性的なファッション、人と同じ服はいや!!という方は是非のぞいてみて下さい。
P.S.グローバル会員ですと一言言って頂ければ特典があるかも
       沼津市 岸本 美代子
 冬を探しに湯西川温泉へ行ったときのことです。
 かまくら祭りをのぞいたり、雪道に足をとられながら川岸の無人の銭湯を見つけ、タオルを持ってまた来ようかと、のんびり歩いていると、突然救急車のサイレンが聞え、村はずれの診療所の辺りで止まりました。それを待っていたかのようにヘリコプターが下降してローターの音が耳元でひびき、すぐに私たちの頭をかすめるように、まっ赤なヘリ(もしかしてドクターヘリ)が轟音をひびかせながら山の向うへ消え去りました。スキー客が足を骨折したとか。
 こんな山奥でもすぐ救けてもらえる救急体制に感謝しながらも、一体幾ら掛かるのかと余計な心配と、この雪で滑って人に迷惑を掛けないように、若くないのだからと、いろいろ考えさせられるひとときでした。
          三島市 E.G.
国宝「一遍(いっぺん)聖絵(ひじりえ)」を読む
 『三島アメニティ大百科』の145ページに「一遍聖絵」があります。図書館などで 複製を見たとき、一遍(いっぺん)上人(しょうにん)はどの人物だろうか、お坊さんが何故神社に居るのだろうか、などと思っていました。
 先日、NHKの講座をビデオで見たので紹介します。
1、この絵は、鎌倉時代に時宗(踊り念仏)の開祖、一遍上人が三嶋社(今の三嶋大社)を訪れた時の絵で、詞書(ことばがき)は異母弟の聖戒(しょうかい)、絵は円伊(えんい)によって描かれた第一級の歴史資料です。
2、一遍上人は一番奥の手前で、白い念仏札を持っている人で、この念仏札を人々に配り「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰でも極楽往生できると説いて、諸国を遊行していました。
3、当時、三嶋社では「本地(ほんち)垂迹(すいじゃく)」(仏陀(ぶっだ)が民衆を救済する)説をとり、上人を一番奥の神域まで迎え入れました。とのことです。
4、画面右上の2本の杭(くい)に掛けてあるのは「わらじ」です。手前の家では女主(おんなあるじ)が「わらじ」を商っています。多分、看板の役目をしているのでしょう。当時は、人だけでなく牛や馬も「わらじ」を履いていました。
5、一の鳥居の前でうずくまっている武士が居ます。馬から落ちたように見えますが、良く見ると、手に数珠(じゅず)を持っています。「五体(ごたい)投地礼(とうちれい)」をもってお祈りをしているのです。
6、橋の上に、白い衣装の女性たちが居ます。この帽子から白い布が垂れ下がっている衣装は「むしのたれぎぬ 」と言って熊野(くまの)(もう)でをする女性が虫除けのために着ていた物です。などなど。
 このように歴史資料を読むことにより、当時の風俗、文化を知ることができるとのことです。
           三島市 T.O
グローバル会員の皆様へ
 ご無沙汰していますが、お元気でいらっしゃいますか?!
 この頃、世の中生きるのが大変な事もありますが、でも、広い視野で世界の事を考えながら暮していきたいと感じます。
 得に今、ある意味では日本の政治を変えられるかどうかの瀬戸際だと思います。中坊さんのおっしゃるように、最終的な責任は、我々国民にあるのだからしっかりアンテナを張って、判断をしなければ‥‥
久米さんの「ニュースステーション」や、筑紫哲也さん の「ニュース23」もいいけれど「サンデープロジェクト」(通 称サンプロ)と月に一回毎月金曜日の夜中の討論番組「朝まで生テレビ」(通 称アサナマ)が私のお勧めのTV番組です。
 ちなみに辻本清美さんのファンです。彼女がピースボートの代表としてアサナマに出始めた頃大阪弁でまくし立てる、随分元気な女の子だなぁーと思っていたけれど、その後頑張って、草の根運動により、立候補し、社民党の国会議員になりました。
 下記は先日のサンプロの会話です。
司会の田原総一郎さん「ねぇ、次の首相は誰がいいと思う?」
朝日新聞の編集委員「辻本清美さん」田原さん「いいねぇー!!!」
勿論、現実がそんなに簡単でない事は分かっているけれど、でも本当によく勉強し、成長したものだとつくづく思います。あのパワーでぜひがん張って ほしいと願っています。日本が世界に誇れる憲法を守り、広め、世界中がお互いに認め合って、仲良く出来る世の中になる事を祈っています。
 最後に御存じだとは思いますが、私の大好きな金子みすずさんの詩を載せさせて下さい。
            三島市 Y.K.
 アメニティ編集室の仲間に入れていただき「三島アメニティ大百科」の編集と「ホームページ」の作成にたずさわることができた昨年はとても充実した一年間でした。
 三島に住んでいながら知らなかった多くのことをいろいろ学ぶことができたということや「本」として「ホームページ」として、その活動の成果 が形として残ったことはとても大きな喜びでした。私にとって、これらは素晴らしい還暦の記念の品となりました。
           三島市 K.N.
Do you know what the word FAMILY means? FAMILY=(F)ATHER(A)ND(M)OTHER,(I),(L)OVE,(Y)OU 最近、スイスに住む友人が送ってくれたe-mailの一部です。 へえ、家族っていう単語そんなふうに分解して解釈できるんだと感心しました。 我が家も昨春長男が大学生になって巣立ち、三人と一匹の生活になりました。 そのうち二人と一匹の生活になるのでしょうか。そうなると家族というよりは カップルですよね。共通の趣味はいくつかあるものの時々片目でなく 両目をつぶりたくなる今日この頃です。Oh,No!
           長泉町 H.I.

2002年3月号

子供は、11才、7才、4才。昨年4月末子が幼稚園に入り、やっと心から深呼吸できる時間を得た。やりたかった合気道を始めた。青い空と富士山を見上げながら道場に向かう朝、うれしくって涙がでそうになる。この時間は自分のために使っていいんだね。家族がみんな元気だから稽古にいけるありがとうね。上手な人は美しい。姿勢も動きも目も心も。むずかしくて覚えられない。情けなくてくやしい。だからおもしろい。いつか人前で、堂々と、美しく、気持ち良く演舞できるようになりたい。
      三島市 M.I.

 

2002年2月号

37歳、小3男子 小1女子の母です。 最近「田口ランディ」の本にはまっています。イチオシは「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」(晶文社) というエッセイです。ここ数年に起こった出来事を題材に彼女の思ったことを記してあるのですが、すっごくストレートに入ってくるんだなーこれが!
変な世の中になってきちゃったなーと思っているあなたお奨めです。(ソフトな性格の人には、刺激が強いかも) 私は「母親のお仕事」p.102を読んで、涙しました。
           三島市 Y.W.

 体のあちらこちらの痛いのは、もしかして 運動不足・それとも太りすぎ・肥満度0.1%オーバー はよくないよね、24時間拘束の仕事の為外での運動は 無理、考えたすえ1年前より朝6時30分からのラジオ 体操に挑戦、少しは良いような気がします。 グローバルの行事に参加して思いきり笑わしていただくのも元気維持になっています。
             三島市 K.S.

昨年暮れの30日、風が強くスーパーの前の倒れた自転車をおこしている若い男の人がいた。彼はそのスーパーの前に台をおき年賀用タオルなどw売っていた。日陰で風が吹きお客はきのうも今日もない。「寒くて大変ですね」と言うとほんの間があり「そういう気持ちがあったら買って下さいよ」「‥‥‥」品物を見たら買わなければならないと思った。しかしその後悔は元旦になって猛烈にやってきた。でもあとのまつり、忙しいとは心をなくすと書くというがその日私は忙しがっていた。いつでも、もっと愛を示すことのできる者とされたいと思った。
   三島市 R.I. 今年もよろしく!
 『草木花歳時記全四巻 朝日新聞社刊 各3800円』  昨年思い切って購入した本である。帯には、俳句の世界が広がり、 深まる、オールカラー花の歳時記の決定版!!植物季題約8000/古今の 名句7500/植物写真1200、とある。  俳句を始めてほんの数年である。植物の名を知らない私にとって、 本当にありがたい本である。写真集として見ても存分に楽しめる。  毎月俳句誌に投句するのであるが、活字となった自分の句を誌面 で見るのは、嬉しいものである。また、計らずも家族の成長記録に なっていたりもする。最近始めたインターネット俳句も、スピード 感があっておもしろい。                             三島市 N.M.
   平安貴族の食べ物 ≪そ≫  
数年前にある講演会で作っている時にとても♪しあわせ~♪なにおいが、 するという藤原定家も食した≪そ≫の事を知った。これは牛乳をただ煮詰めてチー ズ状にするという物で、一日ゆったりした時間が無いと駄目である。 講演を聞いて間もなく娘と2人で作ってみた。お鍋に牛乳を入れ電磁調理器の目盛 りを絞り、木べらで休み無くかき回す。初めのうちはジャボジャボしているが少し ずつ固まってくるとしあわせ~な臭いが漂い始める。とにかく時間をかけて平安 時代に想いを馳せながらゆっくり作る。 チ-ズ好きの私はこの上品な味が好きである。又近い内に作ろうかと思っている。                            裾野市 K.Y.
放送大学での勉強と、絵を描くことに熱中しています。心理学を勉強している時は精神の世界に、絵を描いている時は美の世界に心がどっぷりとつかって、現実の雑事をしばし忘れさせてくれます。これが結構充実感があるのですが、思いがけない効用が他にもありました。最初は自分の内面 を見つめ直したくてやりだしたことなのですが、それと共に、自分をとりまく外の世界にも以前に増して目がいくようになったのです。好奇心が刺激されて、毎日の生活が更に楽しくなってきたこの頃です。
              三島市 N.H.


2002年1月号

 数十年振りに宝塚にハマりなおしてしまいました。10代の頃から、家が日比谷に近かった事もあり、当時は3階席での 観劇でしたが、良<通いました。   
  ある年、友人達との小旅行コースに、宝塚大劇場観劇がありました。 それ以来、東京公濱があれば、足を運んでいます。
  近頃のチケット入手難で、観劇も思う様にはできませんが、数十年の空白を埋めるべくTV放送があると上質なテープに撮り、楽しんで います。
                三島市  A. S.
Constructing Shizuoka airport is a recent topic. Do you know we already have an airport at Mishima? Every Wednesday there are some flights from Mishima library to English-Speaking countries. On Global Airlines passengers already have to have some intelligence about current topics preferably before boarding. Abundant knowledge and information makes our flights enjoyable. Let's enjoy the safe, joyful, short inexpensive flights.
     BON VOYAGE!     沼津市 K. S.
 県の内外で、講演したりパネリストを務めたりすることが 増えました。特に印象的だったのは、滋賀県での「水・くら し・女/国際フォーラム」と山形県での「全国地域学サミッ ト」等。文部科学省からの依頼も。まさに生涯学習です。
  最近の静岡新聞(H13・12・16付)を掲載させていただきま す。出身高校の沼津東高百周年にちなんでの記事です。
     三島市 小松幸子(こまつゆきこ)    
 三島市国際交流協会副会長の小松幸子(昭39卒、旧姓冨 田)は沼和六十一年人種や年齢、性別 などの壁を乗り越 えた”地球人”を目指すグローバル文化交流協会の立ち上 げに関わった。同会で県東部初の女性雑誌「DOORドア」 を創刊するなど地域活動でアイデアを形にする。「人と の出会いや自分で新しいものを考え出すのが好き」と 楽しみながらの活動がモットーだ。     

お元気ですか?朝日新聞の折り込みタウン紙「さんらいふ」の記事を書いて4年ほどになります。これは県内全域発行のものですが、私は東部担当で小山町、富士宮から伊豆半島まで「おもしろい人」「おいしい店」をひたすらさがす日々。芸術家、一流の味、伊豆の景色などいろんな出会いに、そのつど「感激感動感謝」です。(中でも今年の圧巻は100歳の現役ゴルファーかも)。けっこう孤独な作業ですが、でも1年走りぬ けた感じです。その世界に入ると熱中モードになり人にも物にも少し片思いの心境。そのサイクルが最近短いのが心配でせっかくの出会いをもっと生活に濃くつなげていきたいな~それが今の課題です。「さんらいふ」のHPあります!
www.ara-net.co.jp/asa
                三島市 T. O.


2001年12月号

 11月7日に私たち夫婦にとって4人目の孫が誕生しました。小さな手足で こちらにすべてを委ねている赤ちゃんを見るにつけ、世界中の戦時下の子 供たちのことを思わずにはいられません。 何故地球上に争いがなくならな いのでしょうか?人間の脳の仕組みは,悲しみ,喜びは薄らいでいくが,恨 みは薄らぐことがないとか。人間の叡智が恨みを昇華させ、この子供たちが 大人になる頃、平和であることを祈らずにはいられません。
               三島市 R.N.
 母校三島北高は、明治34年(1901)、小松宮別 邸(今の楽寿園)から 始まって今年で100年。 11月2日に「100周年記念式典」と「記念コンサ ート」を行い、合わせて「100年史」と「図録」も出版された。  式典で特によかったと思ったのは、[制服でたどる100年の歴史」だった。 生徒が同窓生の指導を受けながら、明治からの制服を再現。実際に製作 者が着装して壇上で披露した。先輩たちから話には聞いていたが、エビ茶 に白線2本の入った袴とは、こんな風だったのか、戦時中の胸当てのつい たモンペ姿はこんな風だったのかと、改めて感じ入った次第です。                            韮山町 H.Y. 
 画狂人北斎展(佐野美術館)をご覧になりましたか?今回この作品展の ギャラリートークを仲間7人で担当し、この半年間は、北斎,北斎の日々 でした。  アメリカの「ライフ」誌(残念ながら廃刊となりましたが・・・)が、20世紀を 締めくくる企画で、1000年間に大きな功績を残した人100人(世界で)を 有識者にアンケート調査をした時、日本ではただ一人、北斎がランクイン したのをご存知でしたか?ちなみに1位 はエジソン、2位コロンブス・・・・ 北斎は86位でした。何故北斎?と疑問に思う日本人は多いと思いますが この半年間の研修でこの疑問はしだいに解けてきました。 ピカソをはるか に凌ぐ膨大な作品を残して、研鑚につぐ研鑚を続け、89歳でなおその目 標を100歳以上におき、常に前進あるのみの人生にはただ感服!  辞世の句というのが、またよいのです。  
     人魂でゆくきさんじやの野原
                三島市 H.K.
 読書の秋にちなんで久々に小説らしい小説を読みました。  作者は高橋治、「風の盆恋歌」、「紺青の鈴」そして「短夜」です。  「風の盆恋歌」は越中おはら節が背景に流れている中年の男女の恋、 「紺青の鈴」「短夜」は女性が主人公の作品で、前者は古九谷を求め  る父貌とより美しい作品を求める娘の陶芸家の話で、後者は骨董を  扱う女性でよい品物を求めて韓国・九州、富山他に出かけていって買  い付けをする話ですが、いずれも作品の構成がしっかりしていて  文章もなかなか読み応えのするもので、いつになく小説を読んだ気が  しました。 流れるような文章の中に男女の恋心が描かれ、私の感性を大いに  くすぐりました。また陶磁器や骨董品についても歴史的な流れも記され  ていて結構勉強になりました.今風ではありませんが、よい作品だと  思います.ちょっぴりこの作者にはまっていますので、他の作品を続けて  読んでみたいと思っています。
                 三島市 匿名
       毎日を飄々と生きる  
 眠い時に寝る 目がさめた時に起きる 平凡が良い 何事も起こらない平和な日々が良い 時間は一杯ある 十分とは言えないが暮らしのためのお金もある そして今はその日その日が楽しい 今日よりも明日が 明日よりも明後日が 人が喜んでくれるとなお嬉しい 人はなぜ生きるのか それを追求して書物を読みあさった若い日が懐かしい 結果 誰にも解らない永遠の謎だと言う事だけが解ったのだが         
              三島市 福井善徳 
 今年五月から柄にも無く日本舞蹄を習い始めました。続くかどうか 自信がなかったので、一曲だけと言う約束で始めたのですが、八月に 姉妹都市を訪問して歓迎パーティーの式場で「さくらさくら」を披露 し、カーマン市のみなさんに喜んでいただきました。私自身もとても 感激しました。今では日舞の楽しさ、難しさ、そしてお稽古の回数を 重ねるたぴ奥の探さを感じて、すっかりはまってしまいました。お稽 古が終わった後は、汗をかき、頭にも身体にも大変良い運 動になりま す。我ながら少しは女ぽくなったかなーと思っているところです。
                 函南町 Y.K.

2001年11月号

秋と言えば…
芸術の秋…デュフィ展(安田火災東郷美術館)を見に行きたいなぁ
食欲の秋…只今韓国料理にはまっています
スポーツの秋…あいかわらず、我が家はファミーテニス
読書の秋…ハリーポッターファンの1人です
三島に来て 8度目の秋となりました
               長泉町 M.M.
     「さあ大変!長男の嫁しなくちゃ」
 急な事情で今週末から我が家に91才になる義父を1~2ケ月間預かることになった。父にとっても長年住み慣れた実家を離れ、勝手の判らぬ 我が家での生活は大変だと思うが私にとっても、今までの生活サイクルを180度変えねばならず、気持を切り替えるのに数日かかった。そして今は、これからの生活が少しでも楽しい思い出となるよう、父とかかわっていきたいと思う。
                長泉町 O.M.
   朗読劇「この子たちの夏」自主上演
 御殿場で毎年「この子たちの夏」を上演している。ヒロシマ、ナガサキの記憶が風化していく最近の風潮の中で、この上演をするたびに、見ず知らずの人達から激励されたり、「もっとたくさんの子供たちにきかせて下さい」といわれると、やっぱりこの活動を続けてきてよかったのだとうれしくなる。メンバーは御殿場市外での上演もOKなので、ご希望の方はご連絡下さい。
              御殿場市 M.S.
 私は人生80年を目標に、現在、出来る事から色々と首を突っ込んでいます。3年前からスペイン語講座、今夏IT講習後、パソコンを購入し、ボツボツキイを叩いています。 又、今年は12月の市制60周年記念イベントである第九の合唱に励んでいます。ドイツ語は初めてなので発音に苦労していますが何とか頑張っています。ソロと違い、合唱なので気楽な気持で楽しく毎週練習に通 っています。練習では勿論、自分のパートに専念するのですが、第四楽章の中で合唱がどんな風に聞こえるのか分らないので参考迄に先週、上野文化会館でのバイエルン国立歌劇場の第九を聞きました。ズービン・メータの指揮による素晴らしい曲に魅了されました。特にオーケストラに負けてはダメだと痛感した次第です。 さて、12/16当日、どんな第九になるのでしょうか?
    三島市  O.T. 

2001年10月号

 子供の日々の様子をしっかり見ていきたい思いから、専業主婦になって12年経ちました。 幼児の時は家事のあい間に子供と一緒になって遊んだり、散歩したり、小学校へ入ると“ただいま”の 声の調子から、学校での様子をあれこれ想像したりと、子育てを結構楽しんでいるのですが、やはり、いつか巣立っていく時のことが子供の生長とともに、私の心の中 に芽生えてきました。そんな時、出会ったのがグローバルです。思っていた通 り、ここで出合える方々は、とても刺激的であり、皆さん、前を見つめ、足もとを見ていま す。2人の子供にはこの母の気持ちを伝えて行きたいと思います。       
                 三島市 N.F.

 大草原の小さな家 グローバルの英会話で知り合った仲間と、テレビで人気 を博したローラ・インガルス・ワイルターの”大草原の小 さな家”シリーズの原書の輪読会を始めてから、この9月 で満10年になりまし。 10巻を完読.最後の11巻目に入りました。この間仲 間と7年前には、ウイスコンシン州ペピンのローラ誕生の 地へ、又昨年は、一家が定住したサウスダコダ州デスメッ トを訪ねる事が出釆、大感激。 ロ一ラは、60才を過ぎてから、アメリカの開拓農家の 子供としての自身の実体験を物語に紡いだのです.本の面白さもさることながら、どんな逆境にも負けず・強い意志 で自身の生活を人生を切り開き、その開拓精紳あふれた生 き方を貫いた彼女に、最近増々魅かれています。 彼女が後半生を過ごした、ミズーリ州マンスフィールド を又仲間と訪ねることと、この素晴らしい物語と著者の人 となりの語り部こなることが、今の払の夢です。 P,S 弘達のウィスコンシン州への旅の様子は、朝日新聞「ひと とき」欄へ、サウスダコタ州への旅のことは、静岡新聞 「つぶやき」欄に載せて頂くという幸運もありました。  
            三島市 Y.M.

 私のIT体験  8月の毎土曜日の午前中、三島市のIT講習会 に参加致しました。パソコンに触れたこともない私 です。今迄はあまり興味もありませんでしたが、「時 代に遅れないように」という思いからです。でも、時間 がたつ間に興味が少しずつ湧いて来ました。今で は、インターネットでいろいろな情報を入手したり、皆 様とE-Mailができたらと思っています。          
                三島市 H.M.

2001年9月号

 「プーランデビが、射殺された」のニュースにショック。 「女盗賊プーランデビ」2巻を、夢中で読んだのはまだ 数年前のこと。カースト制の最下層に生まれたため貧 困、レイブなど悲惨な運命にもてあそばれるが、不屈な 精神の持ち主の彼女は、めげることなく、ついに女盗賊 として権力に対する復讐の鬼と化す。捕らわれ、刑を受 けるが、後に貧しい者の代表者として国会議員に当選。 大いに期待していたのに、あまりにもあっけない最後が 悔やまれてならない。インドの民主化はいつ…?
              三島市 I.M. 
 子供の頃「ロビンソン・クルーソー」「15少年漂流記」 等、無人島でサバイバル生活をする物語が大好きでその中 に出て来る2つの食べ物が気になって仕方がありませんで した。1つは森のバター(アボカド)で今では何時でも食 べられますが、初めて食べた時は感激しました。もう1つ はパンの樹で果実を焼いて食べるとパンの様な食感がある らしいのですが、食べた事ある方いらっしやいませんか?
               三島市 T.S.
      歴史が息ずく東欧の旅
「プラハのカレル橋、是非渡って!」去年の旅行で一緒に なった方のお奨めで、この夏ベルリン、ドレスデン、プラ ハ、ウィーン、ブダペストを旅しました。どの街も壮麗な 教会、宮殿に飾られて華やかです。何回も戦火をくぐりな がら蘇らせた人々の力にただ感嘆ました。旧共産圏から 移行中の国々では、修理中の建物が目立ちます。古いもの を残しながら急速に変わろうしているのです。東欧の国々 も昨年訪れた北欧の国々もその昔、皆パリにあこがれ、そ の文化を取り入れながら、それぞれの独自性も生み出して きたのですね。華やかな都市と都市の間の大平原を車窓か ら眺めながら、人々はこの自然の中からどのようにして、 あのような文明、文化を生み出してきたのだろうと思いま した。それは権力の象徴なのだけれど、人間本来の美しい ものを作り出そうとする本能の業からでしょうか。さてこ れに匹敵する日本の文化遺産は奈良、京都でしょうが、木 造建築は残りにくいのは残念なことですね。さて今回、プ ラハでオペラ鑑賞もしました。正直なところオペラはよく 分かりませんでしたが、バルコニー席で雰囲気にひたりま した。ウィーンではハプスブルグ家の歴史に思いをはせま した。このお話は大好きなのです。         . 三島市 Y.S. 
  生まれて初めて五十肩になった。腕が上がらない、後ろに回らない。とても不便だ。8月4日は長泉町の「わくわくまつり」。毎年、国際交流協会の連で踊っているが、今年は手伝いにまわることにした。      
 当日、下土狩の大通りは50近い参加チームとシヤギリや神輿が気勢を上げていた。みんなが踊るのをみていたら、だんだん体がうずうずしてきて、ついに「連」に入つて踊り出した。仲間と同じニユージーランドのマオリ風の衣装を身に付け、歌い、踊り、掛け声をかける。わがチームはいろんな国の人たちがいて国際色豊か。グローバルのメンバーもいて、乙部さんはチーム・リーダーだ。今年はなんとパフォーマンス部門の優秀賞(盾と賞金5万円)を獲得した。みんな大感激!やっばり見てるより踊らにやそんです。
 肩のリハビリにもなりました。みなさん、来年は是非参加 してください。      
               長泉町 M.E.
 三島に転居し、早3年4ケ月になります。この16年間に長泉町、富士市、川崎市、豊橋市と転勤で廻り、この地にやっと落ち着きました。途中子育てで中断したこともありますが、英語の勉強だけは、細々と続けています。グローバルには昨年6月から籍を置かせて頂いています。今のところ英会話のクラスに参加させて頂く以外には、あまり貢献していないので申し訳なく思っています。
 環境問題にも興味があるので今後はこちらの方にも目を 向けてみたいです。イトーヨーカドーにはマイバッグを持 参し、これまでに数回100円のキャッシュバックをしてもらっています。   
               三島市 E.A.
    ぷらす ワン!
 この春、新しい家族が加わった、平成13年4月18日生まれ、牡羊座の男の子。やんちゃでちょっぴりナイーブ、め ちゃくちゃ可愛いのだ。
 ツンツン、ケンケン、母と娘の中にいや~な雰囲気が通 つた時、2人の間に入った彼に、不安そうな瞳で見つめら れて、母性本能がくすぐられた。そうしたら瞬く間にツノが 取れてしまった。以来ツノは出番を失ったままだ。
 昔から「○○ゲンカは犬も食わぬ」などと言われている が、その前に“ケンカの種”を食べてくれているらしい。 鬼面を即、仏の顔に変えさせる我が家の甘えん坊の「ミル ク」が加わったことで家庭の中に笑い声が増し、賑やかだ。 動物ヒーリングの効果実証中の我が家だワン。
               沼津市 F.S.

 いくつかの英語スクールを体験してやっとたどりついたのがグローバルの語学サロンDクラス。入会させていただいて、早や2年と数カ月になります。このクラスの魅力は優秀で強い指導力を持った先生とそれに答えようとする生徒さんの熱意と語学力で成り立っているところです。毎回、1時間半があっという間に過ぎてしまうほど、いろんなテーマに対する意見のやりとりが熱を帯びて展開されていきます。先生とクラスの仲間達に自分の意見や思いをどれだけ上手く伝える事ができるのか…。そのためには自分で考え、自分の意見を持つ様に勉強しなければなりません。もし、貴方が力量 ある先生そして実りある学習をもとめていらっしゃるなら、このDクラスを是非ともおすすめします。求めていたクラスにめぐり会えた幸運にとても感謝しています。
              修善寺町 Y.M.

図書ボランティアとして、三年位前から、小学校に本を読みに行ったり、ペ-プサートやパネルシアターを見せにいっています。学年に応じた本を捜すのは、難しいのですが、会員の皆で持ち寄った本を見て、決めていきます。この世にはいったい何冊の本・絵本があるのでしょうか。一生かかっても読み切れませんが、一冊でも多くの本と出会いたいと思うし、子供たちに紹介したいと思っています。好きな絵本作家はたくさんいますが、一番好きな人は「スズキコージ」さんです。独特絵、語りは、私を「とりこ」にしてくれます。

            三島市 T.T.

2001年8月号

 縁者・知人のいない静岡県に永住を決意し、転居してきて1年数ケ月、早く地域住民に馴染みたいと思っていますが、まだまだ知らないことだらけです。
 さて、本日はSERVAS JAPAN についての情報を皆様にお届けします。サーバスとは、世界120ケ国の異なった文化と社会背景を持つ国々のホストがメンバーになり、各国の認定トラべラーに2泊3日を限度に家庭に受け入れる活動をしています。いろいろな国のホストとトラベラーの交流により、世界の平和と理解を増進させることを目的とした国際親善団体です。詳細をお知りになりたい方は連絡して下さい。
               函南町 H.S.
      英会話・体繰のグループ
 ダンス・マジック、物好きでいろいろやって
いますが、一番長いのはアマチュア物書きのグループ「若草」を4分の1世紀と2年やってます。会員は男女混ぜて25人、隔月に約100頁の本を出し、短編小説・随筆・詩.短歌・何でも自由。毎回沼津の大手町会館で合評会をやってます。おもしろいですよ。
 どんどん書けて楽しい!興味のある方、メールかお電話かおハガキください。本を送料無料でお送りします。
yoko-akl@infoweb.ne.jp 0559ー86-8177
   〒411-0943長泉町下土狩1050-3             秋元 陽子でーす     
 先日、夜帰宅した夫の手に大きな荷物!ギターではないか!なんとギターを友人から 譲ってもらったらしい。そういえば最近、懐かしい曲が次々とヒット中。ギターが欲しいと言っていたのは本気だったのだ!狭い部屋がますます狭くなるという私の苦情をよそに喜々としてポロンポロンやっているではないか。○○年前、中学生の頃、私は白いギターが欲しくてかったよなー。そう白いギターが!しみじみ思い出していた。 やはり、夫1人だけで楽しませておくのはもったいないので(主婦感覚かな)私は密かに練習してやる!と思った。
               三島市 K.Y.

 先日環境問題の講演会で色々とお話をうかがったが、その中で旬産旬消のすすめがよ かった。冬に石油をもやしてスイカを作るなど、無駄の見本の様な事だ。近頃はコンビニで箸がいくついりますか?と聞かれる。自宅で食べる時はことわります。これもゴミ対策になると思うこのごろです。

               三島市 K.N.

2001年7月号

 会員とは名ばかりで、会への貢献度は極めて低く毎度心苦しく思っています。
 現在、5年目に入ったエフエムボイスキューのパーソナリティとして月、火、水のお昼の番組を担当しています。
 ご意見、ご要望など、また、何か情報などありましたら、是非、ご連絡ください。お待ちしています。
                  裾野市 T.S.
 
        おすすめの本
暁富士出版の「グレイパンサー」越川禮子著
友人にすすめられて読みました。興味、関心を深める一冊です。
        貴族になった雀
 先週の出来ごと、夕方庭の手入れをしていると、雀が草の上にうずくまっている。のら猫にとられると大変!! 手をさしのべると、逃げず、私の手の中に入って来た。雀社会でも、親に見はなされる事もあるらしい。
 このままでは、命があぶないと思い砂糖水を与え、電気スタンドで暖をとり、体温を下げない様に手当をした。
 しかし、三日目の朝、とうとう、動かなくなってしまった。小動物のなきがらは、一層あわれさを誘う。 大きな葉に包み、庭のパンジーの花と一緒に御用邸の松林の中へ埋葬した。
                  沼津市 T.S.
   英語の苦手な私は昨年の夏、米国のカラマーズ市で1週間のホームステイをさせて頂きました。
 今年の7月23日~8月1日までお世話になったJonさんが沼津に来られます。即席で英会話が出来るといいなぁ~。
                沼津市 M. A.
 今、日大へ聴講生として通っています。4月は桜、そして今はアジサイと新緑の美しいキャンパスで青春を謳歌しています。若い学生と一緒に勉強するってちょっと大変ですけど刺激があっていいものです。事情さえ許せば、ずうっとこのまま居座りたいたい気持ちです。
 11月の文化祭には、ぜひ遊びにいらっしてください。お店も沢山出て楽しいですよ。
                  沼津市 M.T.

 ギアメールが届くたびに思う。此の勉強もしてみたい。この会合にも出てみたい。されどくやしい。私の予定表に入らない。この会合はやめられない。こちらの友達も待っている。どうすりゃいいの?

      忙しぶってる老人 三島市東大場 H.T.

 21世紀に入り、2月末に短大の同窓会がありました。クラス単位で行うのは卒業以来始めて。なんと30年ぶりの再会でした。ところが嬉しいことに全員当時のまま。青春真只中だった学生時代の話に花が咲き高齢にもかかわらず大変元気でいらっしゃる先生のお話に20歳の大学生に戻った2日間でした。常にあたたかく見守って下さり、今も研究に余念ののない先制を詠んでみました。
 あたたかき 他で学べぬ 師の姿
         恩師姿に 誠の師知る
                 修善寺町 M.S.

 絵本の読み聞かせや、語りなどかれこれ14年位続けています。子供達のうきうきした瞳に出会えるのが嬉しくて。 ところが今年度、県からの「読み聞かせボランティア養成講座」を開催するというモデル事業の委託を私たちの会が受けました。これは大変、大人相手の6時間、3回に渡る講座です。今、その準備にあわただしい日々を過ごしています。”お話しの会”の輪の広がりをめざして
       御殿場市図書館ボランティア会所属
                 御殿場市 T.S.



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